【完結】冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます
レイモンド伯爵が騎士団に連行され、港がようやく静けさを取り戻した頃、わたくしは少し離れたところにいたお母様の姿に気づきました。
母はいつも通り毅然としています。でもその瞳には、よく見ると今にも溢れそうな涙が溜まっていました。
そんなお母様のもとにお父様がゆっくりと近づくと、二人は見つめ合い、父はそのまま静かに自分の胸に母を抱き寄せたのです。
「あなた……。本当によくぞ、ご無事で……」
「心配をかけてすまなかった。ルシアンと共にこうして無事に戻ることができたよ」
お父様が優しくお母様の肩を抱きしめる姿を見て、わたくしは胸がじわっと温かくなりました。ああ、なんて素敵な夫婦なのかしら。わたくしもいつか……そんな夢みたいなことを思ってしまいました。
さて、そんな感動的な再会を果たした我が家ですが、今回は特別なお客様を連れ帰っていました。
自国へ戻る次の船が出るまでの間、リリアーナ様が我が家(ノートル男爵邸)に滞在されることになったのです。ちなみにアルベール様はリチャード様のお屋敷に行かれる予定です。
元気に屋敷へと足を踏み入れたリリアーナ様は、きょろきょろと玄関ホールや廊下を見渡しながら、感心したように目を輝かせました。
「あら、ルシアン。大変失礼なのだけど……もっとこう、商売で大儲けした『成金』的なギラギラしたお屋敷かと思っていましたのに、意外だわ。ずいぶんと上品な調度品ばかりで、とても落ち着いた雰囲気の素敵なお屋敷ね?」
(リリアーナ様。それ十分失礼ですが)
「ふふふ、お褒めいただきありがとうございます。屋敷の家具や内装は、すべてお母様の趣味なんですのよ」
わたくしが胸を張って答えると、リリアーナ様は「まあ、やっぱりお母様、素敵な方だわ」そう言って微笑んでくださいました。
その後、応接室でお父様とリチャード様、アルベール様が同席し、今回の港の工事代金の件についてのお話をしています。
実は、お父様は隣国へ旅立つ際、万が一自分が戻れなくなった時のために、最終支払いに必要な全額をお母様に託していたのです。お母様は当然、そのお金を用意して開港式に来てくださっていました。
しかし、それを知らなかったリチャード様が、最悪の事態を想定して事前に国王陛下へ立て替えの直談判をしてくださっていたと聞き、お父様はとても感心していました。
「……なるほど。絶対にレイモンド伯爵から資金を借りないで済むようにと、すでにそこまで手を回してくれていたとは。リチャード殿、君のその迅速な決断力と行動力は本当に大したものだ。いざという時のために国王陛下に願い出ていたとはな」
「いえ、ノートル男爵。私はただ、ルシアン嬢との約束を果たしただけです。港を必ず守ってみせると。そのための資金調達でした」
アルベール様も感心したように言います。
「なかなか考えたじゃないか」
リチャード様は少し耳を赤くしています。
お父様も「本当によくやってくれた」と満足そうに頷いていました。
数日後。正式に王宮へ呼び出されたお父様は、国王陛下から驚きのお言葉をいただきました。
隣国での暗殺未遂の証拠を提出したこと。そして、この国に帝国の大型船と造船技術者を招いたこと。その功績が認められ、捕らえられたレイモンド伯爵の領地を、そのままお父様が治めるよう陛下から命じられたのです。
しかし、王宮から戻ってきたお父様は、いつになく複雑な表情です。
「それがだな……一度はお断りしたのだよ」
そう零しました。分不相応な領地であること、そして自分は男爵ではあるが、あくまで一人の商人にすぎないという思いがあったようです。
そんなお父様を説得したのが、リチャード様と、そのお父様、ダッフル侯爵様でした。
「ノートル男爵、あの伯爵領を立て直せるのは、優れた商才と帝国の後ろ盾を持つあなたしかいない。我が侯爵家としても全力で支える、どうか受けてほしい。私たちの領地の新しい港のせいで、必ずそちらの港は立ち行かなくなる。それをなんとかできるのは貴方しかおられない」
するとリチャード様が続きます。
「もし王家がそのまま治めることになったら、そこの領民たちの気持ちは無視されてしまうかもしれません」
お二人の説得にもお父様はまだ決断できずに悩んでいます。でしたら今度はわたくしがと言葉を繋げました。
「お父様。あのレイモンド伯爵領は、かつてお父様が幼い頃に育った、大切な思い出の詰まった地でもあるのですよね? 造船業の話をまとめてきたのはお父様なんです。王家に任せず、最後までお父様が責任を持って成し遂げるべきですわ」
わたくしの言葉を聞いたお父様は、しばらくじっと目をとじた後、深く息を吐きました。
「……ふっ、皆にそこまで言われては、商売人としても男としても退くわけにはいかないな。よし、あの領地を引き受けよう!」
こうして、我が家は『領地持ち男爵家』として新たな一歩を踏み出すことになったのです。
そうと決まれば、次は早速ビジネスですわ。
わたくしたちを送り届けてくれた帝国の大型船ですが、じきに帝国へと帰還することになっていました。ただ手ぶらで返すのは商売人として二流ですわ。お父様とわたくしは、直ちに船に積めるだけの『オークの木』を大量に積み込ませるよう手配をしました。
「あちらの国は船を作りすぎて、今や国内のオークの木がほとんど枯渇していましたからね。これを手土産として一刻も早く持ち帰らせれば、帝国や第一王子殿下も間違いなく大喜びして、我が国への信頼をさらに深めてくださるはずですわ!」
わたくしが満足気に語ると、リチャード様は「本当に、商売上手だな」と、呆れながらも感心したように見つめてくださいました。
そして最後にもう一つ、大切な仕事が残っていました。
レイモンド伯爵の罪を証言してくれたあの隣国の商会長の今後についてです。
お父様は彼に、「隣国を出て、家族をこちらに呼び、我が国で一緒に暮らさないか」と親身になって提案しました。
しかし、商会長は少し寂しそうにしながらも真剣に考えたようでした。
「お気持ちは本当にありがたいのですが……。冷静に考えたら、私の家族は私と違ってこちらの国の言葉が全くわかりません。今更見知らぬ土地に連れてきて、不自由な思いはさせたくないのです。勝手なお願いではございますが、帰りはリリアーナ様とアルベール様がお乗りになる船で、ご一緒に自国へ帰還させていただきたいと思います」
そんな家族を第一に想う彼の決断を、お父様は尊重しました。
「分かった。ならば、これから我が国から帝国や隣国へと送るすべての積荷の手配は、君の商会を通すと約束しよう。君を隣国での我が家の相棒として歓迎しよう」
「男爵……っ、ありがとうございます! これ以上の見返りはございません!」
商会長は男泣きし、お父様とがっちり握手を交わして、晴れやかな顔で旅立ちの準備へと向かいました。
こうしてすべての問題が、これ以上ないほど綺麗に、そして皆にそれぞれの利益をもたらす形で解決したのです。
本当に良かったですわ。お父様が多くの人から信頼されているのは、ただ目先の利益だけを追うのではなく、人との繋がりを大切にしてこられた。その積み重ねがあったからなのでしょう。
(これこそが、お父様の考える利益の分配なのですね)
わたくしは完成した美しい港を見つめながら、ここから新たな出会いと繁栄が生まれていく未来を思い描いたのです。