水属性の魔法使い
涼とアベルに割り当てられた部屋は、第三の一室だ。
イリアジャ姫は船尾船長室なのだが、それ以外は、第二甲板と第三甲板に割り振られている。
第二甲板と第三甲板も、簡易的に布で仕切られているだけで、それぞれの部屋というわけではない。
そういうわけで、二人とも、寝る時以外は上甲板にいるか、食堂にいるかであった。
やらなければならない仕事はない。
それでもお金はもらえる。
なんて素晴らしい!
そんな不労所得で生きていける二人は、今日も上甲板にいる。
これが、地球のガレオン船であれば、そこまでの広さはないのだろうが……。
バシュテーク号の上甲板は広い。
そんな上甲板を、船員たちが行き来している。
錬金術による風属性魔法の操作で、どこまでの問題がクリアされるのか。
涼は、いつかその辺りも教えてもらおうと考えている。
今はまだ出航したばかりだし、船員さんたちともそれほど仲良くなっていないから……。
こういうのは、タイミングが重要なのだ。
そのため、今日も氷の椅子に座って、マニャミャの街で買ってきた錬金術の本を読んでいた。
屋の気のいい職人さんがお勧めしてくれた本であるが、とても分かりやすく、上機嫌で読んでいる。
そんな涼から少し離れた場所では、アベルが剣を振っている。
特に、周囲の目を意識しているわけではないようだが……アベルが振る剣は周囲の視線を引き付ける。
アベル自身、第二王子として育てられたため、周囲から見られるのには慣れている。
だから、多くの人に見られていてもなんとも思わない。
アベルの場合、一口に『剣を振る』といっても、素早く振る場合と、ゆっくり剣筋を確かめながら振る場合とがある。
今日は、ゆっくりと振っているようだ。
涼はそれを横目に見て、傍らの氷のテーブルに置いてある二つの袋を開けた。
それぞれから、コーヒー豆を取り出し、生成した氷のミルに入れ、豆を挽き始める。
蒼玉亭特製ブレンドコーヒーの、豆の配合は完璧に覚えている。
そろそろアベルが剣を振るのを終えて、絡みに来るに違いないと推測した。
そう、涼はできる男なので、先を読んで行動するのだ!
案の定、フレンチプレスにお湯と挽いた豆を入れ、蒸らしている間に、アベルがやってきた。
先を読んでいた涼は、アベル用の氷の椅子も準備してある。
アベルは何も言わずに、そこに勝手に座った。
そこまではいいだろう。
アベルのための椅子だし。
だが……。
「仕方ないとはいえ、氷の椅子だと硬いな」
「なんて言い草……」
アベルの失礼な物言いに、怒りを通り越して驚く涼。
「あ、いや、椅子を準備してくれただけでもありがたいんだ。うん、分かっている」
「むぅ……。冷たくないだけでも感謝して欲しいですけどね!」
「ん? そうだな。そういえば、リョウの氷は冷たくないよな。この椅子もだし、コーヒーを飲むときのカップも」
「信じられないほどの修練の果てに手に入れた技術です! それは、血と汗と涙の結晶で……」
「魔法の訓練で、血は流れないだろう?」
「なんで冷静につっこむんですか! そこは、よく頑張ったな、素晴らしいなと褒めるところです!」
「よくがんばったな、すばらしいな」
「なんて嘘っぽい……」
アベルが乾いた口調で言い、涼は氷のテーブルに突っ伏した。
だが、すぐに起き上がる。
「氷の椅子が硬いのは仕方ないと思っていましたけど、ウォーターベッドは柔らかくて寝心地が素晴らしいです。座面に、あんな感じで……」
涼はブツブツと、そんなことを呟き始めた。
「イメージは氷枕? 中は何とでもなりますけど、問題は側ですよね。水の膜でも行けそうな気はするのですが……アベルみたいなのが座ったら割れる可能性が出てきます」
「俺が馬鹿にされている気がするのだが、気のせいだろうか」
「可変氷みたいなのは……ちょっとイメージできないですね。ああ、そうか、大きな一枚氷である必要がないのか。細かな、それこそ一枚数ミクロンの氷の板を並べて……。ああ、中に入れる氷をシャリシャリ氷にして……」
しばらくして、涼は目を閉じた。
そして、両手を肩幅ほどに開いて、氷テーブルの上に持っていって唱える。
「<アイスクリエイト アイスクッション>」
その瞬間、テーブルの上に、一枚の、青いチェアクッションが生成された。
見た目は、いわゆるゲルクッションのようだ。
「さあ、アベル、ちょっとこれを椅子の上に敷いて、その上から座ってみてください」
「お、俺がか?」
涼が提案し、アベルが問い返す。
明らかに、尻込みしている。
「僕を信じられないのですか!」
「いや、もちろん信じているが……なぜ、まずリョウ自身で試さない?」
「決まっているじゃないですか。もし失敗していた場合に困る……」
「おい!」
「というのは冗談で、アベルの体重で大丈夫なら、だいたい大丈夫だと思うからです」
アベルは、剣士にしては決して大きい方ではないが、一般人に比べれば筋肉はしっかりついている。
現代地球でいうところの、アスリート体型とでも言おうか。
脂肪に比べれば筋肉は重いため、体重は結構あるはず。
だから、お試しにはちょうどいい……。
アベルは、テーブルの上のアイスクッションを恐る恐る手に取った。
いきなり破裂しないかと、ちょっとだけ思っていたのだ。
だが、もちろん問題ない。
そして、自分の氷椅子の上に置いて……ゆっくりと、本当にゆっくりと座った。
「お?」
思わず、口から出る驚きの言葉。
ゆっくり、少しずつ体重をかける。
そして、重心を前後左右に動かし、ちょっとだけ立ち上がったりまた座ったり……。
一通り試し終わってから言った。
「いいな、これ」
「でしょう?」
アベルの素直な称賛に、嬉しそうに頷く涼。
だが、そこでアベルの表情が変わった。
それを見て、何事かとしげな表情に変わる涼。
何か重大なに気付いたのか?
涼は、恐る恐る問うた。
「アベル……どうしました?」
「リョウ……コーヒーが放置されたままだ」
「しまった!」
フレンチプレスの中で、挽かれた多くの豆が、すでに底に沈んでいた。
「た、たまには長い時間をかけたものを飲むのもいいと思います」
「うん……そうだな」
二人は、コーヒーを飲んだ。
問題なく美味しかった……。
二人が、コーヒーが美味しい状態であったことに喜んでいると、一人の金髪の青年が近づいてきた。
「いい香りだな」
蒼玉商会護衛隊長バンソクスだ。
「あ、バンソクスさんも飲まれますか?」
「お、いいのか?」
涼の誘いに嬉しそうに答えるバンソクス。
涼がアイスクッションつきの氷の椅子を生成すると、すぐに座る。
そして、さらに生成された氷のカップに注がれたコーヒーを貰うと、まず香りを楽しんだ。
一通り香りをした後、一口飲む。
薄っすらと笑い、さらに無言のままもう一口。
ここで、ようやく口を開いた。
「確かに、これは蒼玉亭ブレンドだな」
「おお、良かったです。本場の方にそう言っていただけたら、安心ですね」
バンソクスが称賛し、涼はにっこりと笑った。
バンソクスは、少しずつ飲みながら、自分が持つ氷のカップを掲げて見た。
「リョウさんは、水属性の魔法使いなんだな。このカップもすげえわ」
「いやあ、それほどでも」
称賛され、照れる涼。
「うちは、親父が水属性魔法を使えてな」
「というと、商会長のバンデルシュさん? そうだったのですか」
「商人で水属性魔法を使えるのは、信じられないほど優位だ。特に海だとな……」
「ああ。真水を積み込む必要がないですからね」
バンソクスが言い、涼も頷きながら同意する。
王国のゲッコー商会も、水属性魔法が使える者たちを、商隊に入れていた。
その中の幾人かは、涼の弟子でもある。
ちょっとだけ、彼らがどうしているのか懐かしく思った涼であった。
「そうなんだ。真水を積み込む必要がない分、荷物を多く積める」
「なるほど……多く積み込んだ分、利益が増える……」
バンソクスの言葉に、アベルも頷いて答えた。
確かに、『魔法で水が出せる』というただそれだけで、商人としての優位性は圧倒的らしい。
「リョウさん、冒険者なんかやめて、うちに就職する気はないか?」
「すいません、それはちょっと……」
「だよな」
涼に断られ、バンソクスは大笑いした。
「バンソクス、ちょっと来てくれ!」
遠くから、バンソクスを呼ぶ声。
おそらく声からして、ダオ船長だろう。
「お? 呼ばれたか。コーヒーありがとうな、美味かった」
そう言うと、バンソクスは去っていった。
「商会長さんが水属性魔法を使えたとは……。魔法を使うのは気付いていたのですけど、僕とご同類だったのですね」
嬉しそうに言う涼。
なんとなく、一方的に、水属性魔法を使える人には親近感がわくのだ。
「俺も知らなかったが……リョウは、バンデルシュ商会長が、魔法を使えるのは分かっていたのか?」
「ええ、それは分かってましたよ」
「なんでだ?」
「ん? 魔法を使える人は、なんというか、体から魔法だか魔力だかが漏れているんですよ」
「ほっほぉ~」
涼の言葉に、素直に驚くアベル。
聞いたことがなかったからだ。
「ほら、中央諸国の魔法って、詠唱がセットになった、ちゃんと作られた魔法じゃないですか? 漏れ出る魔法を感知する詠唱とか、多分ないので、多くの人が気付いていないと思うのです」
「確かに……。俺も初めて聞いたからな」
「でも、連合のロベルト・ピルロ陛下は、人から漏れ出るのを感知していらっしゃいましたよ」
「マジか……」
西方諸国使節団で一緒になった先王ロベルト・ピルロは、中央諸国でも名の知られた魔法使いでもある。
十三年前に、王国と連合の全面戦争『大戦』において、連合の魔法戦力の中心となって、王国のイラリオンやアーサーの老魔法使いたちと死闘を繰り広げたのだ。
「あと、強力な魔法使いは、嫌でもその圧力を感じてしまうそうです。以前、エトが言ってました。ウィットナッシュで、あの爆炎のなんとかって奴と対峙した時に、溢れ出る魔力に押し潰されそうになったとか」
「爆炎のなんとかって……素直に、爆炎の魔法使いと言えばいいだろうに」
帝国を代表する魔法使いである、爆炎の魔法使いオスカー・ルスカと、『十号室』は図らずも対峙したことがあるのだ。
強力な魔法使いは、魔法だか魔力だかが溢れ出ているらしい。
「リョウも……溢れ出ているのか?」
アベルは、魔法を使えないために、その辺りは全く分からない。
「ふふふ、僕は逆に、完全シャットアウトです」
「しゃっと……何?」
「全く漏れ出ていないはずですよ。ロンドの森とかで狩りをする時に、その方が、都合が良かったですからね」
「そんなことが可能なのか……」
「これも、修練のたまものです」
二人が話している時に、船尾の方からざわめきが起こった。
そのざわめきは、二人に近づいてきて……。
「ごきげんよう、アベルさん、リョウさん」
後ろにロンク執事長を連れた、イリアジャ姫であった。
「こんにちは、イリアジャ姫」
「ああ、姫もどうですか。淹れたての蒼玉亭特製ブレンドコーヒーです」
アベルが挨拶し、涼がお茶会に誘った。
返事を待たずに、アイスクッションが載った氷の椅子が二つ生成される。
「さあ、どうぞどうぞ。執事長さんもご一緒に」
「いや、私は……」
「ロンク、リョウさんがこう言ってくださっているのです。一緒にいただきましょう」
遠慮するロンク執事長を、微笑みながら誘うイリアジャ姫。
結局、執事長も座り、蒼玉亭特製ブレンドコーヒーを楽しむことになった。
「この……椅子は氷ですか? リョウさんは水属性の魔法使いなのですね」
「はい!」
「でも、この椅子の表面は、氷みたいに硬くなくて、柔らかくて座りやすいです」
「さすがは姫様、よくお気づきに。これは、先ほどアベルが犠牲になって完成されたアイスクッションです」
「まあ! また、アベルさんが犠牲に……」
「なぜ、いつも俺を犠牲にする……」
涼が説明し、イリアジャ姫が笑い、アベルが小さく首を振る。
前衛は、その身を犠牲にして人を救うのだ。
「でも大丈夫です。アベルは、中央諸国にいる時から、その身を犠牲にして多くの人たちを幸せに導いていましたからね。これくらい、なんてことないのです」
「素晴らしいですわね」
「微妙に合っているのが、なんとも……」
涼はアベルを持ち上げ、イリアジャ姫は褒め、アベルは嘘ではないために反論できない。
国王というのは、民を幸せにするために政治を行っている……そう考えると、涼が言っているのは嘘ではない。
それどころか、国王という立場を、端的に示しているとさえ言える。
「僕は、そんなアベルのために犠牲になってきましたが……決して後悔はしていません」
「いつも、ソファーにぬべ~っと寝転がっていたのは気のせいか」
「失敬な! アベルの知らないところで、いろいろと暗躍……もとい、活動していたのです」
「そうか……それは、ありがとうな」
涼の言葉に、小さく首を振るアベル。
「その……中央諸国は、かなり遠いと聞いたことがあるのですが、どうしてお二人は、この多島海地域に?」
「え……」
イリアジャ姫のともいえる質問で、答えに窮する二人。
二人で顔を見合わせた後、涼から説明を始めた。
「いろいろと複雑でして……。いくつかの手違いと間違いと勘違いが重なって、魔法が暴走してここに来てしまったのです」
「全く説明になっていないが、確かに説明しにくいな」
涼もアベルも、結局説明できなかった。
イリアジャ姫は首を傾げて聞いていたが、最終的にはにっこり笑って言った。
「いろいろと大変な事に遭遇されたのですね」
涼とアベルは、無邪気な追及から解放されたのであった。