水属性の魔法使い
「ここが、スージェー王国最北端、バンラの街です。この後も、いくつかの島国に寄港はしますが、このバンラの街ほど大きくはありません。今回も、補給のために一泊します。出航は明日の朝八時ですので、遅れないように来てください。私は、報告のためにバンラ総督府に行きますので船にはおりません。乗組員たちも、当直以外は上陸します。ああ、今回は機関長のグンノが幹部当直ですから、彼はおりますので、何かあったら船のグンノまでお願いします」
ゴリック艦長は、そう言うと下船していった。
涼とアベルも、船倉に預けてあるお金から少し取り出して、上陸する。
「バンラの街だそうです」
「ああ。なんというか、典型的な港町って感じだな」
港とその周辺が、とても活気がある。
ゴリック艦長が向かった総督府も、港のすぐそばにある。
それは、とりもなおさず、街の中心が港だという事であろう。
「さて、スージェー王国最後の下船です。船に戻れば寝る場所はありますけど……」
「言いたいことは分かる。せっかく上陸したし、揺れないベッドで寝たいってことだよな」
ローンダーク号は、遠洋巡航艦というだけあって、外界の荒波でも走れるように造られているうえに、錬金術で作られた揺れを低減させる装置も積んでいる。
そのため、かなり揺れは小さいのだが、それでもゼロではない。
涼もアベルも、揺れに弱いわけではないが……それでも、たまの上陸時くらいは、揺れないベッドで寝たいではないか。
お金は十分に持っているし!
「ちゃんとしたお宿は、街の中心付近にあります」
「蒼玉亭はそうだったな。この街の中心は、港か? 大きな広場とかあればそっちもか?」
涼もアベルも、とりあえず街を歩いてみることにした。
もうすぐ正午だ。
宿の前にお昼ご飯を食べねば……。
あちこちから、いい匂いが漂ってくる。
露店もかなり出ているようだが……。
「さすが港町、魚介系が充実しています」
「確かにな。魚は、船の上でも結構食べたが、貝類は食べてないよな」
「そういえばそうですね! その辺に当たりをつけて探してみますか」
腹ペコ二人組は、港の周辺を歩き始めた。
「でもアベル、こういう場合に、よく事件が起きるのですよ」
「は? 事件?」
「ええ。パンを盗んだ少年が店主に追いかけられて、僕らの前で捕まったりとか」
「……」
「スリが僕らにぶつかってきて、お金を盗んでいって、僕らは無一文になって大変なことになるとか」
「……」
「極めつけは、海賊や魔物の大群が街を襲撃するのです!」
涼の口から紡がれる、物語王道展開。
アベルは何も言わない。
もちろん、納得しているのではなく、呆れているだけだ。
「いつも思うが、リョウが言うそういうやつ、無理なのが多いよな。最後の海賊の襲撃とか……以前も言わなかったか?」
「ええ、言いました。アベルに、海賊は街を襲撃などしないと全否定されましたね」
アベルが呆れた口調で言い、リョウが悔しそうに思い出を語る。
「同じことを言う。海賊が、街を襲撃したりはしない」
「た、たとえそうだとしても、魔物の大群ならありえるでしょう?」
「ないとは言わんが……何のために街を襲うんだ?」
「それは……そう! 町の住民を食べるためです」
「そんな事が何度も起きている街に、人が住んでいるわけないだろう?」
「くっ……ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う……アベルは屁理屈剣士です!」
「腹ペコ剣士の次は、屁理屈剣士か」
アベルの二つ名が増えた。
屁理屈剣士。
そんな事を言い合いながら、二人が入ったお店……決定打は、やはり匂いであった。
出された料理は……。
「いいですね、このはまぐりみたいなの」
「でかいな。しかも、身がぷりぷりしていて美味い」
「この、サザエみたいなのもいいです」
「下の方、ちょっと苦い部分も癖になるな」
腹ペコ魔法使いと腹ペコ剣士であるのは、確からしい。
「え? ご主人? これを、ちょっと垂らす? もしやこれは醤油? いや、魚醬。懐かしいですね」
涼は、ロンドの森で自家製造していた魚醤を思い出していた。
炙っているはまぐりのような貝に、ちょっとだけ魚醤を垂らす。
「お? すごいなその黒い調味料。温められて、香りが弾けるじゃないか」
「香りが弾ける……アベルは、時々カッコいい表現を使いますよね」
「そ、そうか? 普通だろう」
涼が素直に称賛したら、アベルは照れた。
醤油を垂らしたはまぐりもどきは……。
「いいですね!」
「美味いな!」
二人とも納得のお味であった。
お腹いっぱい海鮮食材を堪能した二人。
「いやあ、魚醤があるとは驚きでした」
「それって、さっきの黒い調味料か?」
「ええ、あれです。ロンドの森にいた頃は、僕も作っていたんですけど、文明社会に入り浸っている間はご無沙汰でした。考えてみれば恐ろしい事です」
「文明社会……」
「ここは文明社会でありながら魚醤もある。これが、人の生活のあるべき姿だと思うのです」
「うん、すげー大げさな言い方だな」
涼が感動し、アベルは受け入れられずに、小さく首を振った。
その時、突然、アベルが顔を上げた。
隣にいた涼も当然気づき、驚いた。
「どうしました、アベル」
「いや……なんとなく、胸騒ぎがしただけだ」
「船酔いですか?」
「それは胸やけだろう? だいたい、今、あれだけ食ったろうが。船酔いしてたら食えんぞ」
「アベルのつっこみ、さすがです」
「恥ずかしいから、そういうことを言うな」
涼が称賛し、アベルが恥ずかしがった。
「船酔いだったら言ってくださいね。酔い止め薬を錬金術で作ってあげますから」
「そんな物が作れるのか?」
「ええ。ほら、餞別にもらった写本。ちょっと見てみたのですけど、最初のページに、船の酔い止めの作り方が載っていたので」
「……『錬金術の深淵』ってやつだったよな?」
「ええ、それです」
「題名からして、もの凄い錬金術の奥義的な響きを感じるのだが……そこに載っているのが、酔い止めの作り方?」
「アベル、船乗りにとって、あるいは港町で生きる人にとっては、船酔い、あるいは船で酔いやすいというのは、死活問題です。それを解決する酔い止め薬の製造方法が書いてある、しかも最初にというのは、あの本を編纂した人の知性が出ているのです」
アベルの疑問に、真っ向から対抗する涼。
「いや、まあ、悪くはないと思うのだが……」
「何が、本当に民のためになるのか。それを常に考え続けることが、国の政に携わる人には必要な姿勢だと思うのです」
「お、おう」
「その意味では、酔い止め薬の作り方は、とても大切なものです。僕は、あれを編纂した人は、真に民のことを考えていた、真の為政者だと思います」
「はい……」
涼の力説に、アベルは反論できなかった。
言ってることは、全くその通りだからだ。
ただ、『錬金術の深淵』と『酔い止め薬』というギャップが驚きなだけ……。
その時。
カンカンカン、カンカンカン、カンカンカン、カンカンカン……。
辺りに、鐘の音が響き渡る。
「なんだ?」
「分かりませんけど……。アベルの胸騒ぎが当たったのでしょう」
「いや……え?」
涼が指摘し、アベルが少しうろたえる。
「アベルがあんなことを言ったから、この事件は起きたに違いありません」
「俺のせいにするな。だいたい、事件とかいうが、内容も分からんだろう」
「アベルが言ったせいで、街の人々が不幸な目に……」
「絶対、俺のせいじゃない……」
二人がそんなことを言っていると、言葉が聞こえてきた。
「北の砂浜だ!」
「大変なことになっているぞ!」
「まさか、あんなものがやって来るとは……」
そんな言葉が、二人の耳に飛び込んでくる。
「北の砂浜?」
「これは間違いないですね。魔物の大群の襲来。アベルのせいです」
「いや、だから、なんでだよ!」
涼は、アベルのせいにしようとしていた。
「行くぞ!」
それを抑え込んで、アベルは言った。
そして走り始めた。
涼もアベルを追う。
二人とも、北の砂浜の場所は知らなかったが、街の人の多くが走っていたために、それについていくだけでよかった。
北の砂浜につくと……。
辺り一面、それは数千、あるいは数万という膨大な数。
次から次へと、海から砂浜に向かってきていた。
「これは……」
「とんでもないな……」
さすがの涼とアベルも、言葉を続けられない。
海から陸へと侵略を続ける、膨大な数の……。
「カニ……ですかね」
「カニ……だな」
それは、カニ。
大人の掌ほどの大きさの、カニ。
みんな横歩きをしている、カニ。
「あのカニは、魔物?」
「いや、多分違う。普通のカニだ」
涼の問いに、アベルが答える。
魔物のカニがいないわけではないが、アベルの記憶では、かなり巨大だったはずだ。
もちろん、見たことはない。
確か名前は、キングカリブ。
アベルがそんな事を考えていると、涼が少し歩いて、老人に話しかけているのが見えた。
「ご老人。僕は旅の者ですが、ここでは、こういうことはよく起こるのでしょうか」
「たまに……そう、数年に一度、カニの大群が上がってくることはある。じゃが、これほどの数は、わしも初めて見たわい」
「なるほど」
「もう少ししたら、収奪が始まるぞ」
「収奪?」
「うむ。ほれ、カニをこのまま置いておいても仕方あるまい? 死んで腐って、環境を悪化させる。じゃから、街の者たちが持って帰って食べるのじゃ」
「なんと!」
「そのうち、総督府も出てきて、カニスープのふるまいも始まるかもしれんな」
「それは楽しみですね!」
涼と老人の会話は、アベルにも聞こえていた。
アベルの元に戻ってきた涼は。
「総督府が出張って来るそうです!」
「そこだけ聞いたら不穏な空気になるわ」
アベルは、全部聞こえていたから問題ないが、確かにそこだけなら……。
「カニスープ屋さんが立つまで、ここで待ちますか」
「……さっき、たらふく貝を食べなかったか?」
「あれはあれ、これはこれです。カニは別腹という名言が、世界にはあります」
「うん、絶対嘘だな」
「まさか、アベルに見抜かれるとは……」
「誰でも分かるわ」
時間が経つうちに、桶や樽を持った人から、荷車に樽を積んだ人たちまでやってきた。
そして、ついに。
「あれですね、総督府のカニスープ屋さん!」
バンラ総督府の旗を掲げたお店が建った。
しばらくすると、お店の前に人が並び……かなり大きめのお椀をもらっている。
涼とアベルも並び、無事にお椀を貰った。
その中には、白濁したスープが。
「味噌ではないのですが、これは美味しそうですね」
「ふむ。昔、ウィットナッシュで飲んだカニスープとは、また違うようだ」
涼とアベルはそんな事を言いながら、一口飲んだ。
「おお……」
「いいな……」
もう一口。
「体に染み渡る感じがします」
「言いたいことは分かる。美味いな」
そのカニスープは、二人の口に合ったようだ。
二人の周りでも、街の人たちが嬉しそうに美味しそうにスープを飲んでいる。
スープには、ほぐしたカニの身も入っており、それもいい感じなのだ。
「ああ、お二人も来てましたか」
「艦長さん」
ローンダーク号の、ゴリック・デュー艦長も来ていた。
確か、総督府に報告のために行っていたはずだが……。
「カニスープ屋を出さなきゃいけないということで、報告は打ち切りになったのです。何だ、カニスープ屋ってと思ったら……こういうことだったのですね」
「そうみたいです。街のご老人に聞いたら、これほどの規模は初めてだけど、数年に一度カニがやってくるそうです。その時、総督府はカニスープ屋を出して、街の人にふるまうそうで」
涼の説明に、なるほどとゴリック艦長は頷いた。
そのうち、ローンダーク号の乗組員たちを見つけたゴリック艦長は、そちらにも顔出しのために去っていった。
「全然違うのは理解しているんだが……ルンの大海嘯を思い出してしまったな」
「ああ。定期的に溢れ出る……魔物とカニの違いはありますけどね」
「あの時は、狩っても狩っても終わりが見えなかった……」
「らしいですね。三万体でしたっけ? ほんと、とんでもないです。よく、アベルは生きていましたね」
「……リョウは、図書館にいたんだよな」
「ええ。僕の所まで知らせに来てくれればよかったのに」
「行けるかよ!」
何度も首を振る涼と、つっこむアベル。
「だが、この前の大海嘯は、たまたまルンの街に行ってて、遭遇したんだろう? ハインライン侯の報告にあったもんな」
「そうなんですよ。冒険者食堂の日替わり定食を食べようと思って行ったら、ラーさんに捕まっちゃいました。ルンのギルドマスターってのは聞いてましたけど、頑張ってますね~」
「オーガの大海嘯はヤバいだろ……」
「僕の魔法で一撃でしたよ。いわば、ルンの街を救った英雄です。偉いと思いません?」
「偉いとは思うが当然の行いでもある」
称賛しつつも、それを当然だと言うアベル。
「と、当然の行い?」
「そうだ。なぜなら、リョウは貴族だからな」
「う……ノブレスオブリージュ……高貴なる者の義務」
「聞いたことのない言葉だが、高貴なる者の義務というのは、まさにその通りだ。貴族の役割だな。これからも頑張ってくれ」
「貴族とは……国の奴隷なのですか……」
「貴族と王族は、民の僕だ」
嘆きながら言う涼に、苦笑しながら諭すアベル。
国の政治に携わる者は、決して偉いわけではない。
むしろ、民のために全てを投げうつ者たち。
むしろ、家族をすら犠牲にする者たち。
むしろ……民の僕。
「世知辛い世の中です……」
涼は、小さく首を振りながら呟くのであった。
カニスープを堪能し、宿屋でもサービスで付いてきた大きめのカニの足を食べ尽くし、ゆっくりベッドで休んだ二人は、翌朝、元気いっぱいであった。
「いやあ、スージェー王国最後の一泊は、言うことなかったですね」
「そうだな。カニも宿も良かったな」
ローンダーク号に到着したのは午前七時四十分。
二十分前行動。
乗組員も、早めに揃っていたらしい……さすが軍艦。
予定通り、八時ちょうどに出航したローンダーク号は、ついにスージェー王国を離れ、大陸に向かって走り始めるのであった。