神籍のトワ
夕暮れの境内。
ヒグラシの声が山あいに響き始めていた。
トワたちは社務所の机を囲み、古いアルバムをもう一度開いていた。
最後のページ。
そこには、十五年前の祭りの写真。
そして裏面には、少し丸みのある文字で書かれている。
「七海 十七歳 最後の祭りポスター」
源蔵が懐かしそうに目を細めた。
「七海はな。」
「絵を描くことが本当に好きな子だった。」
「祭りが近づくと、学校が終わってから毎日ここへ来てな。」
「提灯を眺めたり、屋台を描いたり。」
写真を指でそっと撫でる。
「この町の景色が好きで好きで仕方ない子だった。」
トワは静かに尋ねる。
「その後、一度も帰ってきていないんですか?」
源蔵は少し困ったように笑った。
「いや。」
「一度だけ帰ってきた。」
「祭りが中止になった年にな。」
その言葉に、全員が顔を上げる。
「でも。」
「誰にも会わずに帰ってしまった。」
社務所の空気が少しだけ重くなる。
老人が静かに口を開いた。
「帰って来られなかったのでしょう。」
トワが振り向く。
「え?」
「故郷というのは、不思議な場所です。」
「会いたい人が多いほど。」
「帰る勇気が必要になる。」
誰も言葉を返せなかった。
その気持ちは、どこか分かるような気がした。
その時だった。
さくらが社務所の棚を見つめる。
「……あそこ。」
古い木箱の隙間から、何かがのぞいていた。
源蔵が取り出してみる。
一枚の絵はがきだった。
表には、祭りの日の神社。
提灯が連なり、石段には浴衣姿の人々。
裏返すと、切手は貼られていない。
宛名もない。
代わりに、短い文章だけが書かれていた。
帰ってきたよ。
でも、みんなの顔を見る勇気がありませんでした。
ごめんなさい。
いつか胸を張って帰れる絵を描けたら、その時はまた祭りを描かせてください。
七海
源蔵は何も言えなかった。
震える手で、絵はがきを握りしめる。
「こんなものが……。」
「残っとったのか。」
目元を拭い、小さく笑う。
「律儀な子じゃ。」
トワは、その文字を見つめていた。
謝りたい。
でも帰れない。
その気持ちが、紙いっぱいに滲んでいる。
白紙の本が、静かにページを開いた。
淡い光の中に文字が浮かぶ。
依頼の本質を確認。
祭りを再開することではない。
一人が、「ただいま」と言える場所を残すこと。
レンが静かに息を吐く。
「目的が決まったな。」
アオイもうなずく。
「七海さんを探しましょう。」
その時、源蔵が小さく首を振った。
「探さんでもええ。」
みんなが振り向く。
源蔵は縁側から山の向こうを見つめていた。
「きっと。」
穏やかな笑みを浮かべる。
「今でも、この町を思い出しとる。」
「だったら。」
「帰って来られる場所だけ、残しとけばええ。」
その言葉に、老人も静かにうなずいた。
「帰る場所は。」
「人が作るものではありません。」
「待ち続ける人がいることで、生まれるものです。」
夕焼けが境内を赤く染める。
風が吹き、古いポスターがふわりと揺れた。
その裏に、小さく鉛筆で書かれた文字が見える。
来年は、もっときれいに描こう。
十五年前の約束。
誰にも見せることなく残されたその一文を見つめながら、トワは静かに心に誓った。
この町が、誰かの「ただいま」を受け止められる場所であり続けるように。
それが、神籍管理局にできることなのだと。