徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
「や、やだ……ですか……」
徐々に辛辣になっていくリアクションに心が折れそうになったが、何とか耐えた。そして、青褪めながらクエスチョンマークを飛び散らしている彼女に、さて次はどんな理由ではぐらかそうかと思案する。
念のため、言い訳は十通りほど用意していた。何せ相手はいつも想像の斜め上をいく人物、思ってもいない方向に転ぶ可能性があるため一瞬たりとも気を抜くことはできない。
それに、こう何度も“偶然”が続くと、いくら天然な彼女でも簡単に流されてくれるとは思えなかった。
だが、こちらにもプライドがある。
仮にも職場ではエースと呼ばれるスペックの持ち主なのだ。ここで使わずしてどこで使うんだ僕のスペック! と叱咤しながら先回りを続け、ようやく漕ぎ着けた五回目の(偶然に見せかけた)邂逅。些細なミスで無駄にすることは許されない。
だって、理由も言わず仕事を押し付……任せてきた長田が報われないではないか。
「言ったじゃないですか、今日は僕も休みだから街で会うことがあるかもしれませんねって……忘れちゃいましたか?」
「お、覚えてます、けど、こんな……お、おかしいですよ……」
「ゆかりさん、きっとこれも縁ですよ! ちょうどいい時間ですし、食事にでも行き」
「行きません」
「……そぅですか~」
正直なところ、彼女に会うまでは『女性に誘いを断られる』という概念がなかった。
これだけ袖にされるのは初めての体験で、ある意味新鮮ではあるが、今後はごめん被りたい。しんどい。この短時間で五回も振られるなんて、ギネスに登録できるレベルではないだろうか……と、現実逃避したくなるほどには辛い。
張り付けた笑顔はそのままに、内心そっと溜息を吐く。
意外に頑固な彼女のこと、それっぽい出会いがない限り諦めないのだろうし、大人しく帰るとも思えない。
しかし、だからと言ってこのまま尾行を続けるのも時間の無駄だ。さて、どうする。
これも全部、常連の彼女たちが持ってきた一冊の女性誌、もっと言えば根拠のない戯言を記載した編集者、さらに言ってしまえば胡散臭いことこの上ない占い師とやらが悪いのだ。
◇ ◇ ◇
「こんにちはー!」
カラフルな雑誌を手にした遥さんが聡美さんと一緒に来店したのは、二日前の金曜日だった。その日は急務のない振替休日で、久々にシフトインできると朝から意気込んでいたので、とてもよく覚えている。
一通り片づけを終えたゆかりさんは僕に断りを入れた後、聡美さん達が座った奥のソファ席で談笑をしていた。
穏やかな笑い声、光の射し込む店内、秒針の刻む音……五感を研ぎ澄まして“ほのぼのとした平和な日常”を体内に取り込んでいく。この空間が、何よりも愛しいと思う。
そう、完全に油断をしていたのだ。
最初に気付くべきだった。
遥さんが持っていた雑誌の表紙に何が書いてあったのか、少し目を凝らせば読めたはずなのに……初動が遅れて後手に回るなど、何たる失態。今となっては後の祭りだが、その時は本気で後悔をした。
僕でも解除不可能な爆弾を落とされたのは、そのすぐ後だ。
「キャー! ゆかりさん! 明後日の日曜日ヤバいですよ!」
「え? な、なんで?」
「ほら、この占いによると、日曜日に運命の人と巡り合う可能性が高いんですって! この占い師さん当たるって有名だから、絶対会えますよ!」
(……な……なんだ……と……!?)
多感な若者らしく、信憑性のない話でも大盛り上がりだ。キャーキャーと騒いでいる彼女らを笑顔で眺めつつ、肝心のゆかりさんへと意識を向ける。
普段この手の話を進んでしない(振っても炎上の一言で片付けられる)ため、どんな反応をするのかまったく予想がつかない。情報が少なすぎる。
脳内で様々なパターンを弾き出しながらも、固唾を飲んで見守るしかできない自分……情けない……金曜日の瞬間最高視聴率は確実にここだった。
すると、彼女はほんのり頬を染めながら、小さく呟いたのだ。
「私の……運命の人……」
―――僕の知らない、女性の表情で。
◇ ◇ ◇
……さて、おわかりいただけただろうか。
要するに、僕は今日、何が何でも“運命の人”とやらを右ストレートで藻屑にしなければならないミッションを背負っているのだ。
金曜日の出勤を終えた後ダッシュでデスクに戻り、流れるような二徹で重要度の高い仕事を片付け、その他の雑務を長田に押し付……任せたお陰でもぎ取った貴重な休暇。
できればゆかりさんにはこのまま運命の人探しを諦めていただき、生物学的に雄とみなされているすべてとの遭遇を回避した上で、無事に帰宅してもらいたい。
こちらだって、なりふり構ってはいられないのだ。
「ゆかりさん……僕、そんなに嫌われているとは思っていませんでした……」
少し顔を伏せ、切ない表情を作る。
王道、押して駄目なら引いてみろ作戦。己の顔の使い方は熟知している。
「……へ?」
「ゆかりさんとは素敵な関係を築けていると思っていたんですが……僕の勘違いだったんですね……」
「え? ちが、嫌いなはずないじゃないですかっ! ごめんなさい、そんなつもりじゃなくて……!」
「では、何故?」
焦って不思議なダンスをしている彼女を脳内フィルムに焼き付けながら、グッと距離を詰める。
いつもは炎上だ何だと騒ぐのに、今回ばかりは必死なのか、接近しても距離を取られることはなかった。汚れを知らない綺麗な瞳が僕を見上げている、とてもいいアングルだ。
「だっ、だって……」
「………だって?」
「こ、このままだと……和樹さんが、運命の人になっちゃうじゃないですかぁ!」
「……………………………ぅん?」
「だーかーらー! 今日、和樹さんばっかりに会ってるから、それだと強制的に運命の人になって、でもそれは和樹さんが困るでしょう?」
「………………ぇ、いや……え?」
待ってくれ、話が噛み合わない。何か衝撃的なことを言われた気がするからちょっと整理させてほしい。
ゆかりさんは今日、運命の人に会うことが目的で外出をしている。僕はそれを阻止するため、先回りをして偶然を装い逢瀬を重ねている。ここまでは問題ない。
しかし、今の台詞を加味すると事態は一変してしまう。
ゆかりさんが認識している運命の人=今日たくさん会った人、と捉えていいのであれば……そして、和樹が自分と運命で結ばれるのは困るであろうと勘違いをしているのであれば……結論は自ずと導き出される。
(嗚呼……)
僕は思わず目を瞑り天を仰いだ。何ということだろう……神様って本当にいたんだ。
「ゆかりさん…僕は今、世界一幸せです……」
「……? そうなんですか、良かったですね!」
嬉しそうに微笑む彼女を中心に、世界が輝いて見えた。なるほど、これがビューティフル・サンデーというやつか!
「さぁ、食事に行きましょうか!」
「……? 行きませんよ?」
「え?」
「え?」