徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
目が覚めたのは倒れてから五日後のこと。
点滴をされている腕、真っ白な天井、消毒液の匂いとこれだけでも病院にいるんだとわかる。ちょうど看護師さんが様子を見に来ていて、すぐに先生を呼んでくださって診察が始まった。身体には異常なし、目覚めなかったのは精神的なダメージが強いのだろうと言われた。
看護師の方からあるメモ書きを渡された。お兄ちゃんからだった。
『身体には異常ないってさ! お兄ちゃん、仕事に戻るわ! 目が覚めたら連絡おねがい!』
お兄ちゃんらしいなと思った。
メモを確認して三十分ほど経つと、マスターが見舞いに来てくれた。喫茶いしかわで私が倒れて、過呼吸みたいな息をしてて熱が三十九℃以上あって身体は震えていて、救急車を呼んでくれたらしい。
「ご迷惑をおかけしました」
「ほんとビックリしたよ。ごめんね、ゆかりの体調に気づいてあげられなくて」
「ううん。私が悪いの」
「それも一理。ゆかり、今度からは素直に言いなさい。僕も悪いけど。あと、悩みがあるならいつでもコーヒーを出してあげるし梢さんも貸すからさ。少しは頼りなさい」
「わぁ! ありがとうございます~!」
「じゃ、僕は仕事に戻るよ、またね!」
あぁそうか、私が休んでるからマスターいつも以上に忙しいんだ。申し訳ないと心の中で強く思った。
スマホを開くとたくさんメッセージが届いていた。
お母さんからはブランくんは預かっていること。喫茶いしかわのシフトは私たちが入るから心配ないという言葉と、「問題にゃい!」とドンと胸を叩く猫のスタンプが届いていた。
聡美ちゃんから、私の身体の具合が気になっているようで毎日連絡がきていた。
鉄平くんからは聡美ちゃんと同じような文で、ただ違ったのは和樹さんにも連絡したというメッセージが届いていた。
でも彼からは連絡は来ていない。心が冷たくなったような気がした。
正直、ストーカーの事件はさすがに連絡を入れようと思っていたのだ。その前に倒れてしまった。
あぁ、これから念のために一週間の病院生活になる。どうしようか。
次の日、聡美ちゃんと鉄平くんが見舞いにきてくれた。
「ゆかりさん、大丈夫ですか?」
「聡美ちゃん! うん、身体のほうはなんともないわよ! ありがとう、二人とも」
「和樹さんお見舞いに来ました?」
「……いいえ、きっと忙しいのよ和樹さんも」
「チッ、またあの人は」
「ちょっと鉄平! 舌打ちは!」
「ねぇ鉄平くん、ひとつ彼に伝言をお願いしていいかしら? ストーカー被害にあいましたって」
「はい……ん? 今、ストーカーって」
「そう、仕事終わりにストーカーにあって! でもサラリーマン団体のおかげで犯人は逮捕されたし」
「ゆかりさん……それ、全然大丈夫じゃないですよね?」
「聡美ちゃん、ありがとう。でも大丈夫だから、ね?」
「……わかりました、和樹さんに伝えますね」
「おねがいね!」
お見舞いでいただいた果物を食べながら少しだけ、近況やら何やらとお話をして、それから鉄平くんの怒った顔と聡美ちゃんの悲しそうな顔を見送った。
まだ疲れているのか、ウトウトし始めた。
「会いたいな……」
彼の最後の姿を思い出しながらそう呟いて、深い眠りについた。
次の日。
「っんぅ~」
起きなければ、でもまだ眠っていたいなぁと頭の中で思っていたら、自分の右手がやけに重い気がする
……気がするのではない、重い。
驚いて目を開けると、私の右手を握りながらベッドに頭を伏せている和樹さんがいた。ますます驚いてしまっているが声が出ない。右手に力強いようで優しい温もりを感じながら彼の名前を呼んだ。
「……か、ずき、さん……?」
「……ぅん」
和樹さんがガバッと起き上がる。
「ゆかり!」
「はい!」
和樹さんが大きな声を出すのでつられてしまった。しばらく見つめ合っていると急に彼が抱きしめてきた。とても暖かい、心までもが。
「和樹さん、あのね、私……」
ストーカーに遭ったんだと言いたいのに急に身体が震え始めた。
「大丈夫だよ、無理に話してくれなくてもい……」
「いやなの! 隠しごとはイヤっ」
「辛いだろ?」
「だけどっ……ふぅっ、ッヴウ」
「じゃあ、僕からまず話すよ。ゆかりさん、辛い時に怖い思いをした時に一緒にいてやれなくて申し訳ない。結婚する前にも言ったけど仕事上、すぐ傍に寄れないことも多い。だけど今回、ゆかりさんがストーカーに遭ったって聞いて、すんっっごく自分に腹が立って、想像以上に傍にいてやれない、すぐに駆けつけることもできなかったのが辛かった。あと、この前はせっかく会えたのに声もかけられなくてごめん」
「でぇ、、も、かじゅ、きさん、仕事だがらっ、私もわかってる! 謝らないでくださぃ……」
私は涙が止まらなかった。なぜだろう、彼の前ではカッコよくなれない、心配かけたくないのにな。
「心配かけさせてよ、俺の前では素直になって?」
「っ!」
そう言われてしまえば限界で、私はもう子供のように泣き出した。
「気持ち悪かった、ウ~ッ、からだをっ、触ってきて殴られて、もぅ、怖くて……」
ゆっくりと、ストーカーの件を話した。泣きながらだったので上手く話せているかはわからなかったけれど、ときどき彼の表情が変わったので伝わっていることはわかった。
「ありがとう、話してくれてありがとう。気を遣わせてしまったな」
「そんな、ことっ、なぃ!」
「はぁい、よしよぉし」
「もっ! 和樹さん! わたしブランくんじゃありませんよ!?」
「ははっ、少しは元気になった?」
言われて気付いた。忘れていたが身体の震えは止まっていて涙も止まっていた。ポカーンとしていると。
「ねぇ、ゆかりさん」
「はい? なんでしょう」
「僕、相当、ストーカー野郎に怒ってるんだ」
「……はい、ですよね」
「休み取ってきた」
「えぇ! 取れたんですね!」
「あぁ、だからさ……退院したら、ストーカー野郎を思い出させないぐらいゆかりさんを抱くから、覚悟しといて?」
「……っ、え?」
あぁ、今まで見たことのない和樹さんを見ているよう。そして私の顔は真っ赤になっているだろう。
「和樹さん、お願いがあります」
「却下」
「ちょっ、まだ何も言ってませんよ!?」
「絶対抱く、拒否はさせない」
「分かってますよ!」
「……へぇ~」
「あぁ、もう! そうじゃない!」
「なぁに?」
彼の笑顔は面白い、今は楽しんでる時の笑顔で、少しムカッときたがそれはおいておく。
「あのね、一日ずっと和樹さんといたいです。……本当は次の日の朝まで。ダメですかね?」
「俺もそうしたい。休みが終わってから、また仕事が続くけど、なるべく帰れるように頑張るから」
「あまり無理はしないでくださいね?」
「ゆかりさんもね?」
そう、言いながら二人はおでこをくっつけて、微笑んで、キスをした。離れていた時間を埋めるように、強く抱きしめながら。