徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
平日のランチタイムが終わり、客足が途切れた時間帯。
「いらっしゃいませ……あら、お兄ちゃん」
ドアベルの音に反応したら、姿を見せたのは兄のリョウだった。きょとりとして首を傾げるゆかり。
「今日って何か用事だった?」
「まあね。用事はこれさ」
リョウが横にずれ、その奥にいる人の姿を目にしたゆかりがパッと表情を明るくする。
「わあ、暁弥さん! お久しぶりです! 里帰りですか? それともこちらでお仕事でしたか?」
「やあ、ゆかりちゃん。相変わらず可愛いね。仕事はこれからだよ。その前にここで充電したくてね」
「もう、またそんなこと言って。ふふふっ。お好きなお席へどうぞ」
「ああ。まずはブレンドふたつ。食事もしたいけど、待ち合わせしてる相手が来てからにするよ」
「かしこまりました」
ゆかりがくすくすと笑いながら席を勧めると、二人は注文しながら奥のほうのテーブル席に着いた。
「おまたせしました。ブレンドコーヒーです」
「うん、ありがとう。ここのコーヒーは格別だから、仕事の前にどうしても飲みたかったんだ」
「嬉しいです。変わらぬご贔屓、ありがとうございます」
「いえいえ。二、三日のうちに出前か出張をお願いすることになりそうなんだけど、そのへんはマスターに相談するほうがいいよね」
「そうですね、そうしていただければ」
カランカラン。ドアベルが鳴る。
「いらっしゃいませ……和樹さん! 長田さんも、いらっしゃいませ!」
ゆかりの表情がほわりと柔らかくなる。会釈する長田に対し、ツカツカとゆかりの元に来て抱きしめる和樹。
「ゆかりさん、会いたかった」
「今朝顔を合わせましたよね?」
「そうですけど。僕は四六時中でも一緒にいたいんですよ?」
「はいはい。わかりましたから離してください。お好きなお席へどうぞ。ご注文はお決まりでしたら今お伺いします」
にっこり笑いながら自分に回された腕をぺしぺし叩いて離れるよう促すと、和樹は名残惜しそうに離れていく。小さく溜め息を吐くと、慌てて三人に謝罪するゆかり。
「その、お見苦しいものをお見せしました」
「はは、大丈夫大丈夫、いつものことじゃない」
「相変わらずだね」
「ちょうどこの時間帯は私どもしかおりませんし、どうかお気になさらず」
そのままリョウたちのテーブルにつく長田と和樹。
「あら相席? ということは、今回こちらに戻ってきたお仕事って……」
「そう、CM撮影。撮影の日に来てもらえないかマスターと交渉予定」
「そうなんですね。それは楽しみです」
「喫茶いしかわのコーヒーも食事もすごく評判いいからさ。スタッフも皆楽しみにしてるんだ」
「うふふふ、ありがとうございます。そう言われると張り切りたくなりますね」
「その評判のコーヒーをこちらのお二人にも。今からの食事だと、何ができるかな?」
「そうですね。今日の日替わりランチのメインメニューははけてしまったから……豚汁とごはんとお新香に、えーと、酢豚風の肉野菜炒めなんてどうですか?」
「いいね。じゃあそれを。君ら、食事は?」
「まだです。この時間から喫茶いしかわで打ち合わせがあるのがわかっていたので、食べる気になれなくて」
「自分もです」
「気持ちはわかるよ。この二人の分も追加で四人前、お願いできるかな?」
「ええ」
「それと……あのポスターだけど」
壁に貼られた子供の絵と文字のポスター。そこには柿の絵。そしてその下に「かきプリンはじめました」と書かれている。
「ああ、今年も柿プリン始めたので。あれ真弓が書いてくれたんですよ」
「それは注文しないわけにいかないね。食後のデザートで四人分お願い」
「はい。かしこまりました」
ゆかりは追加分のお冷やとおしぼりとコーヒーを運ぶと、四人分の食事の支度に取りかかった。
休憩から戻ってきたマスターと一緒に四人分の食事を作り上げると、ふたりで手分けして運ぶ。
「お待たせしました」
「待ってました!」
手を合わせていただきますをしてから、揃ってガツガツと食べ始める。四人ともアラフォーのはずなのだが食いっぷりがとても良い。それなりのボリュームがあったはずだが、あっという間にぺろりと平らげてしまった。
そんな四人の様子を見て、小さく肩をすくめたゆかりは、柿プリンを四つ運ぶ。
「そんなに急いで食べなくても良かったんじゃ……はい、柿プリンです。皆さん練乳はいらなかったですよね?」
「うん、柿だけの、この素朴な甘さがいいんだよ」
「本当に懐かしいな」
「自分は初めていただくんですけど、これ素朴だけどけっこう甘いですね」
「あはは。甘いけどこれ、柿と牛乳しか入ってないんだよ」
「え!? そうなんですか?」
「ええ。柿をピューレ状にして、牛乳を混ぜて冷やしただけです。柿のペクチンと牛乳のカルシウムが反応して、冷やすと固まるんですよ。母が柿農家さんに教えてもらったレシピなんですけど、小さい子供にも安心して食べてもらえるおやつなので、この時期は人気のスイーツで、毎日たくさん作るんです」
「ほぅ。面白いですね。お子さんと作るのも楽しそうだ」
「ええ。家ではうちの子たちも手伝ってくれます。固まったかなってそわそわしながら数分おきに何度も冷蔵庫を開けて叱るハメになるのが、ちょっと困りものですけれど」
カランカラン。またドアベルが鳴った。
「おかあさんただいまーっ」
「マスターただいまーっ」
噂をすればだ。真弓と進が連れ立って帰ってきた。
「おかえりなさい」
「うん、おかえり」
「おかえり」
「真弓も進もおかえり」
「おかえり~。学校楽しかったかい?」
いつものマスターとゆかり以外の「おかえり」が聞こえてきたことできょろりと店内を見回す子供たち。すぐに奥のテーブルに座る四人に気付く。和樹が笑顔でひらひらと手を振っている。
「あっ、おとうさん! ながたさんも!」
「リョウおじさんもいる!」
トコトコ近付くと、二人は最後の一人に気付く。
「パパ!」
「やあ、可愛い娘よ!」
パッと表情を明るくした真弓に連城が両腕を広げて見せると、真弓はそこに飛び込んでぎゅっと抱き着いた。
「前に会ったときよりかなり背が伸びたね。それにランドセル姿を見せてもらうのは初めてだ」
「そうだっけ?」
「じっくり見せて」
「いいよ。進も一緒に見せてあげよう」
「うん!」
並んで正面を向いて、それからくるりと回って一周半。背中を向けて見返りポーズで連城を見てにかりと笑う二人。
「どう? ランドセルにあうでしょ」
「ああ。とても。今日の打ち合わせ場所に喫茶いしかわを指定して大正解だった」
「えへへっ」
目を細めて喜ぶ連城に、どや顔でテーブルの方に向きなおる子供たち。連城は子供たちの頭を撫でる。
「ああ、そうだ。そこの柿プリンのポスター、とても良く描けているね」
「ほんとっ?」
「本当。柿の絵はわかりやすいし、文字もとても良く書けていて、店に入ってすぐに気付いたよ。あれを見て食べたくなって、皆でいただいていたんだ」
連城は柿プリンが入っていた器を人差し指でとんとんと叩く。
「やった! おいしかった?」
「とても美味しかった。昔から食べていたおやつだから懐かしくて嬉しかったよ」
「そうなんだ。お母さん、真弓も柿プリン食べたい!」
「あっ、ぼくも!」
「はいはい。向こうにランドセル置いて、手を洗ってからね。その間に用意しておくから」
「はぁい。パパ、後でお話ししようね」
「ああ、後でね」
ここで仕切り直しとなった男四人の打ち合わせは、にこにこ柿プリンを食べる子供たちを見ながらの和やかな空気で再開した。