徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
いつもよりかなり人の多い、正月三が日の稲荷神社。
奉られている稲荷様はこの賑やかさが嫌いではない。
稲荷様はふわりと社の屋根にのぼり腰をおろす。年末のうちにゆかりから受け取っていたいなり寿司をぱくりと食べながら、参道に並ぶテキ屋や笑顔で参拝する者たちの様子を面白そうに愛おしげに眺めている。機嫌の良さを表すように、豊かな黄金色の尻尾がふさふさと揺れている。
稲荷がついと視線を向けたベビーカステラの屋台の陰から、わらしがひょこりと姿を現した。
わらしは、泣いている子供の背中を押していた。
「あっ! たっくんいた!」
「まま~ぁ!」
たっくんがダッシュで、でも幼いからとてとてという擬音が似合う走り方でママのところに駆けていく。ママのところまで走ると、左膝あたりにぎゅっとしがみついてすすり泣いた。
「まま……たっくんからいなくなっちゃだめでしょ」
「いなくなったのはたっくんだろ」
「ぱぱ……わぁっ」
パパはたっくんをひょいと抱き上げ、そのまま肩車した。ママがたっくんの靴を脱がせてビニール袋に入れてからバッグにしまう。
「これならずっとパパと一緒だぞ」
「うん! しゅっぱーつ、しんこーう!」
パパの頭にしっかりと抱きつきながら、たっくんは大はしゃぎで神社にお参りにいった。
わらしはその様子をにこにこ眺めていた。あっと気付いた様子で人の間をすり抜けていくと、今度は迷子になった我が子を探す母親の元へ行き、「こっちこっち」とスカートをくいくいと引っ張って子供のところに導く。
「あっ、かーちゃん!」
「こらっ! あれだけ手を放しちゃダメって言ったでしょ!」
母親は子供にごつりとゲンコツを一つ落とすと、その手を掴んで参道の端に寄り、怪我などをしていないことを確認する。
そうやって何度も何度も迷子と保護者を引き合わせる。わらしの存在は誰にも気付かれない。でも保護者に会えてほっとしている子供と、子供が見つかって安心する親と。彼らの安心する気持ちが感じられるとわらしは胸の中がぽっと温かくなる気がするのだ。
「ぁ……」
声が聞こえてふっと顔を上げたわらし。そこにいたのは真弓だ。周りに気付かれないように、小さくわらしに手を振っている。ゆかりたちも一緒だが、一瞬視線を向けてにこりと微笑むだけだ。
わらしの横に来た真弓は、わらしの手を取ってにこりと微笑み引っ張る。
稲荷神社の鳥居の横ではお屠蘇と甘酒を配っている。大人はお屠蘇、子供は甘酒を受け取ると、参拝客の邪魔にならないように隅に移動する。大人たちはくいっと一息にお屠蘇を呑んでしまったが、子供たちはわらしと分け合いながら甘酒を飲んでいた。
ゆかりは社の屋根の上を見てくすりと笑うと、稲荷様と目を合わせてから会釈する。
稲荷はにんまりと笑うと大きく頷く。
ゆかりはくるりと背を向けるとしゃがみ、子供たちにベビーカステラの入った紙袋を差し出す。真弓も進もわらしも、ひとつずつ取り出してぱくっと食べると「あまいね」と笑いあう。
ゆかりも微笑ましいものを見たと頬を弛め、立ち上がると大人たちにも「おひとつどうぞ」と配る。
マスター夫妻、和樹が一つずつ取ると、ゆかりも一つとる。
「ゆかりさん、はい、あーん」
「じ、自分で食べられますし自分の分がありますから」
「僕はゆかりさんにあーんされて食べたいです」
「もう、仕方ありませんねぇ」
圧の強い和樹のおねだりに根負けしたゆかりは、和樹の差し出すベビーカステラをぱくりと食べる。続いてゆかりがベビーカステラをつまんで差し出すと、その指ごとぱくりと食べてぺろりと舐める和樹。ゆかりは驚いて息をのむ。
「ははは、和樹くんは相変わらずだねぇ」
「ゆかりが恥ずかしすぎて拗ねないように気を付けるのよ」
「お義母さんのおっしゃる通りですね。可愛くて愛しいゆかりさんがむくれてる姿を見るのは辛いですから、気を付けます」
「ほら、そろそろ参拝の列に戻ってお参りしよう」
「はーい!」
子供たちが元気に手を上げる。
「わらしくんも一緒だからね?」
進が囁いてわらしの手をとる。
「うん」
わらしは、今日いちばんの笑顔を浮かべた。