徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
「これは失恋になるのかなぁ?」
うーん、と首を捻りながらも久しぶりの休日を満喫しようと私は街へ繰り出していた。
まずは美容院へ行って、カラーと少しだけ軽くカットをしてもらった。それから、新しい洋服に新作コスメ。ランチにはできたばかりのカレー屋さんへ入った。
今は、荷物を持って近くの公園を突っ切っていた。そろそろ帰って夕飯でも作ろうか……でも、久しぶりだから食べて帰ろうか。
そんなことを考えていると、公園の噴水前に見えるのは会いたいと待ち焦がれていたあの人がいた。
相変わらずモデルのようなルックスなので、道行く女の子が振り返るほどだ。
噴水前に突っ立っているだけの姿が様になっている。
あー、わかる。気持ちわかるよ。私も初めて見た時が職場じゃなかったら凝視してたもん!
そんな事をぼんやり考えていると、イケメンさんが顔を上げた。
「…………ッ!?」
それから、視線が絡んだ。まるで時が止まったかのような感覚。
だって、目が合ったその瞬間。見たことがないような、蕩けるような甘い笑みを浮かべていた。
胸が、ドキドキする。
これは手を上げた方がいいのだろうか、それとも近寄った方がいいのだろうか。
グルグル考えながら突っ立っていると、ガサガサとビニールの音を立ててセミロングを靡かせた女の子が小走りで私の横をすり抜けていった。
「……ッ」
心臓がギュッと掴まれたように、痛い。手、なんて上げなくてよかった。
お久しぶりです、なんて近づかなくてよかった。
だって……たった今、私の横を走り抜けた子はイケメンさんのところまで行って足を止めたのだから。彼が微笑みを向けたのは、あの瞬間私の後ろにいた“彼女”だったから。
恋人、なのかな。ボーダーのTシャツに、デニムのクロップドパンツ。足元はスニーカー、それから手にはエコバッグ。そこから、少しだけネギが顔を出している。
スーツ姿の彼の隣にはあまりにも不釣り合いな、いかにも近所を歩くような服装に、確実にスーパー帰りの姿。妹なのかな、なんて都合よく解釈しようともした。
でも、彼女を見つめる彼の眼差しがあまりにも優しくて。大好きなんだろうなと伝わるほどで。
気付けば、自分の両手を胸の前でギュッと握り締めていた。
彼が手を出せば、彼女はポンとその手の上に自分の手を握り締めたまま重ねていてまるで犬みたいだった。それを見た彼は、可笑しそうに笑いながら頭をポンポンと撫でて。
それから、流れるように彼女から荷物を取って左手に持つと、右手で彼女の手を取って歩き出した。
「何がアイドルよ……」
テレビで見る、アイドルや俳優の熱愛報道に結婚報道は、こんな胸の痛みなんてしなかった。
私はあまり良く知らないような、イケメンの彼に恋をしていた。
付き合えるだなんて、思っていなかったけれども。
それでも、ちゃんと。
恋をしていた。
来客を告げるドアベルがチリンと音を鳴らす。
そこへやってきたのは、半年振りの来店となるあのイケメン。
今日は、あの日見かけた“彼女”も一緒だ。
あの日…噴水前で目撃してから、三ヶ月が経過していた。
「ふぁぁ……美味しそう……」
席へ着く前にケーキのショーケースに目を奪われたのか、そこから動かない彼女を見守っている瞳が優しく揺れていて、幸せオーラ全開だ。
「はぁ……悩みますねぇ」
「無花果のタルトとモンブランですか?」
「えー!? なんでわかったんですか?」
「顔に書いてありますよ」
「なんてこと……!」
パンと自分の頬を抑えて恥じらう姿は、同性から見ても可愛らしい。特別目を引くほどの絶世の美女という訳ではない彼女は、どこか親しみやすさを感じる。そんな可愛らしい雰囲気の子だ。
大抵の男は可愛い系の方が好きだもんね。
今日の彼女の服装は、薄手のニットにミモレ丈のスカート。ショート丈のブーツ。
対する彼も、今日は私服だ。そういえば私服姿は初めて見るなと思いながら、オーダーに呼ばれたので注文を取る。
「ケーキセットを二つ。ケーキは無花果のタルトとモンブラン、紅茶はアッサムのミルクとダージリンのストレートをお願いします」
「かしこまりました」
オーダーされたのは、彼女が二つまで絞り込んだケーキ。今までケーキを食べているところは見たことがないから、きっと、彼女のために注文をしたのだろう。
「お待たせしました」
二人のテーブルにサーブをして下がれば、早速彼女が紅茶を一口。
「うふふん、おいし~い!」
ふにゃりと微笑んで喜ぶ顔は、私が見たかった顔。ケーキより先に紅茶を口にしてくれた彼女に“デキる女ね”だなんて、ちょっと上から目線なことを思ってしまったのはご愛嬌だと許してほしい。
「まさか、こんな美味しい紅茶と浮気していただなんて……マスターが泣きますよ?」
「僕をあの店のコーヒーしか飲めない体にしたのはマスターとゆかりさんでしょう」
「ふふっ、嬉しいこと言ってくれますねぇ。またお店に来てくれるようになってくれて本当に嬉しいんですよ?」
「諦めきれなかったので」
ニコニコと微笑む彼女に、何となく察した。
彼がこの店に来ていたのは、きっと彼女の勤め先のコーヒーしか愛せなかったから。
この店に、コーヒーは置いていない。
どういった事情なのかはわからないけれど、彼女と会えない間にコーヒーは飲みたくなかったのだろう。なぁんだ、最初から彼は彼女のことが好きだったのか。そうか、それで不機嫌さが滲んでいたのか。いや、元気がなかったの方が正しいのかもしれない。
「ケーキも美味しいですね」
「ええ、本当に」
「こんな美味しいケーキも独り占めしていたなんて」
「ケーキは初めて食べました」
「嘘!?」
「本当ですよ。男一人でケーキセットなんて相当好きじゃなければやりませんよ」
たしかに。スイーツ男子ならともかく、男の人で一人でカフェでケーキってあまり見ないもんね。それに、彼のケーキは目の前で幸せそうに頬張る彼女のために頼んだものだから。
ほら、嬉しそうにケーキをフォークに刺して彼女の口へ運んでる。
彼女だけに向ける、蕩けるような甘い眼差しで。
それが、微笑ましくて、羨ましくて。
紅茶を飲んだ瞬間の彼の笑顔を、この日初めて見ることができた。
私には夢がある。
一口飲んだ瞬間、笑顔になれる。
そんな魔法の紅茶が淹れられたら。
まだまだ力不足だけれど、毎日充実した日々を送っている。
それから。
お互いがお互いを好きだと大切だと。
周りにまで伝わるようなそんな相手と。
いつか私も出会えますように。
あの、素敵なカップルのように。