徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
もわもわと湿気った白い湯気を纏いながらガラっと引き戸を開けば、ひんやりとした空気に思わずほうっと溜息を吐き出す。
「おかえり、ゆかりさん」
キッチンで麦茶を注いでいたのはわたしの旦那サマ、もとい和樹さんだ。
「ただいまです~」
「はは、顔真っ赤」
はい、と彼から手渡された麦茶を受け取ってこくこくと飲み干せば、暑さでカラカラだった喉はみるみるうちに潤っていく。
「ふわあ、美味しい……! ありがとうございます、和樹さん」
「いえいえ」
そのままキッチンで麦茶に口をつけている和樹さんを残して、私は涼もうと居間へ歩を進める。
「うーん、エアコンつけるにはまだちょっと早いんだよねえ」
エアコンをつけるほど暑くはないけれど、でも短時間だけ涼みたい。そんな我儘な私の欲求を満たしてくれるのは、居間の壁際に鎮座するこの子だ。
「というわけで、よろしく扇風機くん!」
えいや、とリモコンでスイッチを入れれば、ぶんと微かな羽音を鳴らしてグルグルと羽が廻りだす。
瞬く間に扇風機から届けられる優しく、涼やかな風が火照った私の体を冷やしていく。
「んー涼しー!」
扇風機の前にぺたりと座り込み、私はだらんと全身の力を抜いて、そっと瞼を閉じる。
こうすると、より風の柔らかさを感じられていいんだよね、とぼんやり考えていると風ではない別の感触が唇を掠めた。
「ん?」
思わずパチリと閉じていた瞼を開けば、つい先程までキッチンにいたはずの彼の顔が至近距離にあった。そんな彼もまた「ん?」と不思議そうな顔をして、瞬きを繰り返している。
「え、なんで?」
暑さで頭が回らない私は、思わず目の前の彼に単刀直入に尋ねてしまう。
「キスを待ってるのかと思って」
違った? と、彼は平然とそう答えた。
いやいや涼んでるだけですよ、そんなわけないでしょ……と心の中では思うものの、それでもあくまでその体を貫くポーカーフェイスな彼に、私もまた平然と答えるのだった。
「ううん、違わない」