徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
さて、一部不評な調理過程があったが、枝豆の炒飯ここに誕生である。
早速、皿に綺麗に盛り付けてテーブルに運ぶ。
テーブルには既に和樹が用意した、豆腐とオクラ、トマトときゅうりに茹でた枝豆を喫茶いしかわ特製和風ドレッシングで混ぜたサラダがあった。ちなみにドレッシングは、以前は業務用の市販されたドレッシングを使っていたが、和樹が「趣味で作ってみました」と言ってやたら美味しいオリジナルブレンドのドレッシングを持ってきて、そのまま店に出せるようにしてしまった経緯がある。
ゆかりの簡単枝豆炒飯と和樹のこだわりドレッシングのサラダが並び、まさに美味しい食卓が完成した。
二人ともエプロンを脱いで向かい合って席に着くと、手を合わせて「いただきます」と言った。
そしてどちらともなく、目を合わせにやり、と笑った。
まずは熱々のうちに、と炒飯をレンゲに乗せて口に運ぶ。最後の一手間でふっくらしたご飯が口の中でふんわりと味を醸し出す。ベーコンの肉汁も上手く絡まっており、咀嚼するたびに味が口の中に広がった。枝豆はちょうど良い固さの歯ごたえで、ぷりっとした食感が堪らなかった。味も油の中に塩気を感じ、しつこさもなくアクセントがしっかり効いている。卵もしっかりニンニクの味が染み込んでおり、食欲をもっともっとと誘発した。
ゆかりは思わず、ん~~~! と口を閉じながら美味しさの呻きを零した。自画自賛してもまったく文句は言われない出来である。やはり、中華鍋と業務用の火力と「あれ」があるとこんなに美味しく出来るのだ。ああ、自宅にもいいキッチンが欲しい。
ちょっとだけ贅沢な願いを思いつつ、今度はレンゲから箸に持ち替えて、サラダに箸を伸ばした。
そもそもオクラ以外は何も味付けしていないのだが、それが良かった。
和樹特製のドレッシングが素材をこれでもかと惹き立てている。ドレッシングはごま油とニンニクチップ、醤油をベースにしており、玉ねぎが辛さと甘さをバランスよく加えている代物だ。
それを豆腐、トマト、きゅうり、オクラ、枝豆に絡めて口に運ぶとあら不思議、食感は邪魔せず、酸味も邪魔せず、瑞々しさも邪魔しない、それでいてしっかりとしたコクと爽やかさが噛むたびに溢れ、喉を通り、すっと胃に入る。
あまりの美味しさに、すぐにまた箸で絡めたオクラを摘む。悔しいが美味しい。そこらへんのドレッシングでは最早満足できない美味しさ。罪の味。
あまりの美味しさに先ほど感じた悔しさもすぐに溶けてしまったゆかりは、和樹に美味しいと伝えたくて顔を上げ、口を開こうとした。
でも、その言葉は喉から出ることはなく、口の形はそのままぽかんとした表情に取って代わる。
拘りの男、和樹が心底悔しそうに、でも美味しそうに炒飯を次々に口に入れている。
ゆかりとは明らかに違う量をレンゲにのせ、口を大きく開けてガッと入れる。咀嚼は丁寧でも大胆で、味を堪能したらしいあとその男らしい喉がぐっと動く。
そしてまたレンゲにぎりぎりの量を乗せて口に運んだ。
お腹が空いてたのかな? 待たせちゃったもんね。
最初はそう思っていたが、なんのことはない、単純にゆかりの作った炒飯が美味しいのだ。
そう思い直したゆかりはニンマリする口元を誤魔化すことなく、和樹に声をかけた。ねぇ、和樹さん。
「サラダ、すっごく美味しいですね。箸が止まらないです」
あなたの作ったドレッシングが美味しいから。
言外に含めた感想を伝える。あなたの拘った料理、とっても美味しいです。私は今それを口にしてとっても幸せよ。
溢れんばかりの笑顔は純粋な感謝と喜びが九割、もう一割は今目の前の男が与えくれる予定だ。
目の前の男、和樹は少し眉根を寄せてゆかりを軽く睨んだが、直ぐにふっと観念した表情を浮かべ、柔らかく苦笑した。
炒飯は最早半分しかない。あまりの美味しさに止まらなかったからだ。
これ以上の和解の証拠はないだろう。
「ゆかりさんの炒飯、すごく美味しいです。ほんと、おかわりが欲しいくらい」
最大の賛辞をいただきました! と、ゆかりはえへへっと笑って胸を張る。
いったん認めたら止まらないのか、食べながら器用にゆかりの炒飯の良いところを語ってくれる和樹の話に耳を傾けた。
こそばゆいゆかりは照れながらも、和樹さんのサラダもとっても美味しいです! と和樹に負けじと賛辞を贈る。
和樹も格好を崩した笑みでドレッシングとサラダの相性について語り始めた。
幸せそうに食事をする二人に、窓から陽がそっと降り注ぐ。
手を合わせてご馳走さまを言い合った二人は食器を片付けにカウンターに入る。
そこで和樹は、先ほど剥かずにいた枝豆を見て「そう言えば」と口にした。
「余った枝豆はどうするんです? 明日の賄いに使うつもりですか?」
枝豆を保存するなら確かに湯掻いたほうがいいが、先ほどの料理にすべて使っても問題なかったはずである。そう思っての質問だったのだろう、和樹は不思議そうにゆかりに問いかけた。
「ん~~……和樹さん、まだお腹空いてます?」
「え? まあ、たしかに空いてはいますが……」
「ふむふむ。では、もう一品作りますのでちょっと待っててくださいね」
そう言うなりゆかりは食器をシンクに沈めて放置した。引き出しから調理用のハサミを取り出し、それから笊に入ったままの枝豆を取り出し、その両端をカットし始めた。
すべての房の両端をカットすると、今度は普通のフライパンを準備する。
和樹は首をかしげながらもゆかりの分も食器を洗いだした。気が利く男である。
温めたフライパンにバターを馴染ませると、先ほどの枝豆を殻がついたまま投入し炒める。刻んだニンニクも入れる。隣の和樹がぎょっとした反応をしたが、本日ちょくちょく繰り出している無視を決め込んだ。
殻に焦げ目がついたところで、醤油を入れて混ぜたら火を止めた。醤油とバターという最強の組み合わせで炒められた枝豆(殻つき)を皿にあけると、新しい箸を添えて、テーブルに持っていった。
そこからちょいちょいと手で招くと、大人しく来てくれた和樹のためにさっと椅子を引く。ちょっとだけ和樹が嫌がった気配がしたが、知らぬ存ぜぬ、だ。
「さあ、召し上がれ!」
和樹は自信たっぷりのゆかりに物言いたげだったが、観念して箸を取った。殻ごと口に運び、咀嚼すると和樹の目が驚きに開いた。そしてまた箸が伸びる。
ふふふ、作戦成功!
にやり、と笑ってゆかりは和樹のために水を用意する。
だが、この水自体もちょっとした意趣返しだ。テーブルに持っていくと、すごく恨めしそうな和樹と目があった。
「……やってくれましたね、ゆかりさん」
「さーて? なんのことかなぁ?」
どの口が言うか! と箸を置いた手でゆかりの頬を正面からきゅっと挟む。ほーひょくはんはい! とゆかりは抗議する。「あれ」を使った際のあの失礼な態度へのちょっとした報復だったが、なかなかに効いたようだ。ゆかりは満足する。ちょっと頬が犠牲になったけど。
和樹は深い溜息を零して再び箸を手に持ち、今度はガッと多めに箸に挟んで口に運んだ。そしてゆかりが狙った通りの言葉を呟いた。
「ビールが飲みたい……」
思わず漏れた願望に「残念ですねぇ~喫茶いしかわは喫茶店なのでお酒はありませ~ん!」と返したら、また睨まれた。
でもゆかりはそれに怯えることもなく、鼻歌を歌いながらカウンターに戻る。
和樹の代わりに洗い終わった食器を拭いていると、テーブルから情けない声が聞こえた。
「せめて、せめてご飯が欲しい……」
あまりにも悲しい声だったので、ちょっと可哀想になったゆかりは、炊いてあったご飯を平皿に乗せて、哀れな彼にサーブしたのだった。