徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
二階に上がり僕と妻の部屋に入る。
本棚から娘のアルバムを取り出し、陽のあたるラグの上に腰を下ろす。
彼と一緒にいる娘は本当に幸せそうな顔をしていた。なにより娘を見る彼の目はとても優しい。娘を大切に想っていることがこちらにも伝わってくる。
僕はアルバムを開いた。最初のページは娘が産まれた日に撮った写真だ。
コンコン。
写真を見ていると部屋のドアがノックされる。
妻なら自分の部屋にノックをすることないから娘だろうか?
「はい」
「リョウです。お茶とどら焼きお持ちしました」
まさか彼が来るなんて思ってもみなかったので、心臓がドキッとしてしまった。
妻に頼まれたのだろうか?
「どうぞ」
「失礼します」
ガチャとドアが開き、お茶が入った湯呑みとどら焼きを乗せたお盆を持った彼が入ってきた。
「悪いね。お客さんなのにわざわざ」
「いいえ。僕から持っていくと申し出たことですから」
彼からお盆を受け取り自分の側に置く。
そして彼の方を見ると、開いたアルバムを興味津々に見ていた。
「気になるかい?」
「すみません、盗み見るようなことをしてしまって」
焦った様子で眉尻を下げ申し訳なさそうに言う彼を見て僕は自然と顔が綻んだ。
「謝ることないさ。よかったら見るかい?」
「よろしいんですか?」
「ああ。座りなさい」
そう言うと彼は「失礼します」と言って、アルバムを挟んで僕の向かい側に腰を下ろし正座をした。
僕が彼に見やすいようにアルバムの向きを変えると、「ありがとうございます」と頭を下げる。
「うわぁ、可愛いですね」
娘の産まれた日の写真を見て彼は目を細めて笑う。
そうだ。娘は産まれたときから可愛いんだ。よくわかっているな。
彼はどの写真を見ても「可愛い」と口に出していた。
「あれ? 猫飼われてたんですか?」
そう聞かれたのは娘が小学一年生で猫を抱き抱えた写真を見たときだった。
「いや。この猫は迷子になってて彩月が家に連れてきたんだ」
「そうなんですね」
「彩月は一生懸命お世話をしていたよ。学校が終われば走って帰って来て、猫と一緒に遊んで。夜寝る時は一緒に寝ていた。でも一週間後には飼い主が見つかって返したけどな」
「……彩月さんは小さい頃から優しかったんですね」
その後も彼はとても優しい目をしながら写真を見る。
「聞いてもいいかな?」
アルバムを見ている途中の彼に僕は聞いた。彼はアルバムから僕に視線を移し、首を傾げる。
「どうして彩月なんだ? 君みたいな人だったら、回りにたくさん色んな女性がいるだろう?」
玄関で初めて二人が並んだ所を見たとき、なんだか不釣り合いだと思ってしまったんだ。娘はもちろん可愛い。だけど、世間一般的に見たら平凡な女の子だ。だけど彼は違うだろう。それなのになぜ相手が娘なのか不思議に思ってしまった。
彼は目を丸くしたが、すぐに微笑み背筋を伸ばし真っ直ぐと僕を見た。
「僕は彩月さんに出会うまで、特別な存在をつくるつもりはありませんでした」
娘に一度聞いたことがある。彼はたしか、メーキャップアーティストをしているんだったか。
「でも、彩月さんと出会い恋をして考えが変わったんです。この人を愛したい、この人に愛されたいと欲が生まれました。結婚願望すらなかった自分がまさかそんなことを願うなんて思っていませんでした。彼女の隣はとても居心地がいいです。陽だまりのようにあたたかい笑顔が心を癒してくれます。正直、時々怒らせたり泣かせてしまうときもあります。でも、彼女の表情ひとつひとつが僕にはかけがえのない宝物です。こんなこと言ったら情けないかもしれませんが、僕はもう彩月さんがいないと生きていけない。それくらい彼女を愛しているんです。大切なんです。こう思えるのは彩月さんしかいないんです」
僕から一度も目を反らすことなく彼はそう言った。
すごいな、僕だったら妻の父親にこんなこと恥ずかしくて言えるわけない。
「娘の父親を目の前にしてそう言えるのはすごいな」
僕が笑ってそう言うと、彼は照れて眉尻を下げ笑った。
彼は外見だけじゃない。中身も素敵な人間だ。自分の娘はそんな人に思われて幸せだ。
「……約束してくれるかい?」
「なんでしょうか?」
「これから先、いろいろ大変なことはあるだろうけれど、娘のためにも簡単に死なないでくれ」
勝手なことを言っているのはわかっている。けれど、ふたりで幸せになってもらうために、娘のことを考えると言わずにはいられなかった。
「はい」
返事をする彼の表情はとても凛々しく逞しかった。
「これからも娘を守ってくれ」
「はい。……でも」
そう言うと彼は一瞬目を泳がせ、困ったように笑い人差し指で頬を掻く。
「情けない話、僕の方が彩月さんに守られてばかりです」
すみません、と彼は謝るが僕は責めるつもりなど一切なかった。
ふとアルバムの開かれたページが目に入る。
彩月が小学生の時に家族で旅行に行き、通りすがりの人に撮ってもらった家族写真。
あどけない笑顔で笑う小さな娘は右手に妻の手を、左手に息子の手を繋ぎ息子の左手を僕が繋いでいる。
僕や妻、時には兄からずっと守られて育ってきた娘は今、守られるだけではなく愛する人を守るようになったのか。
トントン。
写真を眺めていると部屋のドアがノックされる。きっと彼が中々戻ってこないから心配して来た娘だろう。
「入りなさい」
僕がそう言うとドアが開き案の定、娘が入ってきた。
「二人でなにやってるの? ……ってその写真、私じゃん! お父さん、どうしてリョウさんに見せてるのよぉ」
僕の隣に来た娘は顔を赤くし頬を膨らませ、僕の腕をぽかぽかと叩いてくる。でも痛くはない。
そんな娘のことを彼は愛しそうに微笑んで見ている。本当に娘のことを愛してるんだな。
「まあまあ彩月さん」
「見たんですよね?」
「はい。小さい頃の彩月さんもとても可愛い」
彼がそう言うと娘は更に顔を赤くし、もじもじと照れている。
本当にすごいな、娘の父親の前でサラッとそんなこと言えるの。僕だったら無理だ。