徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
それは、まだ長期出張前に喫茶いしかわを手伝っていた頃のこと。
「和樹さんの腕、とっても硬そう……」
アイドルタイムの何気ない会話。
同僚にして年下の先輩は突飛もないことを言い出した。
「腕、ですか?」
今回の脈絡もない話のネタ。なんとなく想像はつくが、彼女の言葉を待った。
「実は、昨日友達と腕枕の話になって」
ほら来た。笑顔で頷きながら、続きを促す。
「ドラマでよくあるじゃないですか! 彼氏が腕枕をしてくれて、彼女が眠るの! 王道ですよ!」
「そうですねぇ。確かに腕枕は王道ですね」
「でも、してる方は腕痺れちゃいますよね」
賄いを食べながらの、穏やかな時間。
彼女が腕枕を所望するなら、いくらでも応えるのにと、内心に秘めていた。
「今日、和樹さんの腕を見ててね、和樹さんの腕枕は硬そうだなと思ったんです」
なるほど。仕事中に感じた視線の答えはコレか。
「鍛えてるし、贅肉なんてないし! きっとボディビルダーさんが“キレてるキレてる!”ってベタ褒めするような状態でしょ? 絶対硬いでしょ!」
さても、そんな彼女に知識を一つ。
「たしかに鍛えてはいますが、実際にはそこまで硬くないんですよ?」
彼女の手を取って、自分の腕に乗せる。
「実用性のある筋肉は、もちろん硬いんですが、力を入れてない状態のときは柔らかいんです」
腕を曲げ伸ばしながら、実演込みで筋肉の仕組みについて話す。
僕の蘊蓄を聞いている時の彼女の顔は、驚きに満ち満ちていて、見ていて飽きない。
「本当だ! さすが和樹さん! うわぁ、すごぃ……なにこれ……」
よほどその感触がお気に召したのか、二の腕に触って離れない。
炎上と騒ぐまでは、そのままにしておく。
「だから腕枕の状態、伸ばしている時であれば、そんなに硬くはないんですよ」
「ほあぁ、たしかに……」
そして、看板娘は本日も爆弾を投げる。
ふむと思案顔を見せたと思うと。
「和樹さんの腕枕、きっと病みつきになっちゃいますね」
ふにゃりと笑って、大爆発。
「……憧れますか?」
「そりゃあ、好きな人の腕枕は憧れですよ」
経験ないけど。と、舌をペロリと出して戯ける彼女に、自分の内心がどうしようもなく渇く。
「もし、ゆかりさんが腕枕を体験したその時は」
これは“if”の話ではなく、ゆかりさんの未来のこと。
願うなら僕の未来でもあってほしいと、心の隅で祈ること。
「感想教えてくださいね?」
「分かりました! 待っててくださいね!」
実現できないような、情けないエンディングにはしたくない。してたまるか。
指を咥えて羨む絵面は要らないと、心の奥底で打算する。
そんな穏やかな昼の時間は、静かに過ぎていった。
◇ ◇ ◇
「そういえば、腕枕に憧れるって話したこともありますね?」
キングサイズのベッドの上、睦み合う男女の影。
「お、覚えてたんですか?」
「記憶力は良い方なので」
君との思い出だ。忘れることはない。
和樹に許された、ひとときの休息。穏やかな日常の一コマ。
「感想教えてって、和樹さん言ってましたもんね」
「ほぉ? ゆかりさんは煽り上手ですね?」
そろりと腰に腕を回して、体を密着させる。
「ぎゃあ! 今日はもうダメです! ナニ触ってるんですか!」
色気もへったくれもない声と、楽しそうな笑い声。
甘いピロートークに、心を癒される。
「ねえ、ゆかりさん。腕枕の感想教えて?」
髪を撫でれば、段々と頬を染める彼女。
手放すなんてできやしないんだ。
「和樹さんの腕枕は、私の安眠枕です!」
さぁ、その続きはどうくるか?
「和樹さんの腕枕、本当にすぐ眠っちゃうんですよ! あったかいし気持ちいいし、安心して寝られるんです!」
熱弁する彼女の顔は、くるくると表情が変わる。
「ほらあれ、ブランくんって安心してる時お腹出すでしょう? 気分はあれに近いと思います」
日向ぼっこをしながら、外敵に晒される脅威もなく、ゴロリとお腹を出してる愛犬の姿を思い出す。
「和樹さんの腕の中は、私にとって世界一安心できるんです」
さも嬉しそうに笑う彼女に、完全ノックアウトされた。
「それに、和樹さんの腕枕は一度体験したが最後、病み付きになっちゃう魔の枕なんですからね!」
「魔の枕って。くくっ」
「安心するし、幸せな気持ちでいっぱいになるし!」
ああ、彼女が愛おしくて堪らない。
「じゃあ、もっともっと病み付きになってもらわないといけませんね?」
「へ?」
「過去の僕なんかに負けません♡」
そうやって、今一度彼女を組み敷いた。
「もう! なんでそんな変なところで対抗心燃やすんですかぁ!」
「もちろん今夜も腕枕ですよ? 今夜と言わず、これからずーっと」