徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
(く、苦しい……)
パチリ、と目を開けると目の前が真っ暗だった。呼吸もしずらい。
むくり、と起き上がるとゆかりの顔の上に乗っていたブランが落ちた。
ブラン〜苦しいよ〜と言うと、何でもないようにくぁ〜、とあくびをした。
チラッと外を見ると、空は薄暗くなり街灯が付いてた。
(今何時!?)
時計を見ると、十八時を回ったところだった。
(嘘!? 四時間も寝ちゃってた!?)
ソファーで爆睡していた自分に驚いた。
しかし、ここ数日は喫茶いしかわで連勤が重なっていて疲れていた。
そして家に帰って来ては家事をし、夫が帰って来れば夜通し全身運動、そして早起き。
疲れが溜まっていたのだろう。
(関節が、痛い……)
ソファーで四時間も寝ていたのだ。そりゃあ関節もおかしくなるだろう。
加えてブランを抱えながら寝ていたせいか、寝汗をかいていた。
スマホを確認すると、夫からの連絡はなし。
まだ帰って来ないだろう。
「お風呂、入ろうかな」
汗だくで気持ち悪いし、とゆかりは風呂場へ向かった。
湯船に浸かりながら、ゆかりは寝る前に考えていたことについて再び振り返っていた。
愛を返したいが、あの熱い視線に耐えられず黙り込んでしまうという矛盾。
う〜〜ん、とゆかりは湯船の中で唸った。
(とりあえず、赤くなっちゃうのは抑えられないから、驚くことをやめてみようかな?)
抱き着かれたり恥ずかしいことを言われたりしても驚かずに受け止めれば、きっと和樹さんも喜んでくれるはず。
そして微笑み、嬉しい、とでも伝えることができれば今までとは全然違うのではないか? とゆかりは思った。
(今思えば愛情表現してくれているのに驚くって、失礼な話よね。私がもし愛情表現して和樹さんに驚かれたらきっと、愛が伝わってないの? って思ってしまうもの)
うん、まずは驚くことをやめよう、とゆかりは一人誓った。
昼寝をしたせいか、頭がスッキリとしていて清々しい気分だった。うだうだ悩んでいたのはきっと寝不足のせいもあったんだろう。
(とりあえずはそれを改善して、ゆくゆくは言葉や行動で愛を返していけたらいいなぁ)
よし、そうと決まれば何されても驚かないように気を引き締めよう!
驚いて叫ぶなんて言語道断!
そして、少しずつでいいから、言葉で伝えていこう。
そう心の中で決心しながら、湯船から上がりシャワーを頭から被った。
とりあえずあの甘い夫に慣れる道の第一歩が踏み出せたゆかりは上機嫌にシャンプーを手に取り泡立てた。
考えがまとまり、気分がいい。
本当は驚かずにいられるか不安だが、今のゆかりならきっと大丈夫であろう。
「うん、今日はいい日になりそう」
ゆかりは、上機嫌でシャンプーを洗い流し始めた。
ゆかりは気付いていないのだ。
和樹は、ゆかりの驚いた顔や焦っている態度、真っ赤な顔が大好物だということを。
そして、ちゃんとゆかりからの愛を感じ一つの漏れもなくすべて受け止めているということを。
シャワーの音にかき消され、玄関のドアが開く音に気付かなかったゆかりの元に、予定より早く仕事を終えたことをわざと知らせなかった夫が悪戯っ子な顔で風呂場に突入し、今世紀最大の叫び声と共に先ほど誓ったゆかりの硬い決心が崩れ去るまで、あと二十秒。