徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
「本日はお忙しい中、ありがとうございました」
……え、この声。
まって。なんで? いや、まって?
すんごぉく聞いたことのある声が後ろから聞こえる。
そんな、まさか! 似た声の人なんてよくいるし。
「いやぁ、こちらこそ、有意義な時間だったよ。ありがとう、石川くん」
はい、アウトー! 完全アウトー!
確信した瞬間、汗がたらりと頬を伝った。
そろりと隣の乾さんを見ると何事もないように肉を咀嚼している。え、気付いてない? まじで?
「では本日お話させて頂いた件は上に報告いたしますので。来週、よろしくお願いします」
「ああ、是非頼むよ」
「はい。では、エントランスまでお送りさせて頂きます」
お父さん以外にも数人の足音が聞こえる。まさかまさかのここで仕事(会食?)していたとは。
というか、こんなところでエンカウントする? 普通。後ろで聞こえていた会話が遠くなり、まずはホッとしたが、しかし。
「まさか和樹くんがここで食事していたとは」
乾さんはそう言いながら口をお手拭きで拭っている。
「あ、やっぱり気付いてましたよね?」
「まぁな。さて、これは少し急いだ方が良さそうか」
「そう……ですね……ああ! ゆっくり味わいたかったのになぁ、シャトーブリアン」
ぱくりと最後のステーキを頬張る。次にこんなステーキお目にかかれるのはいつなんだろうと、はぁ、とため息を漏らした。
「まぁそう残念に思うな。また連れてってやるから」
ぽんぽんと乾さんはわたしの頭を優しく叩く。乾さんは私にいつも優しい。だから甘えてしまうのだ。ああ、好きだなぁと頬が和らぐ。といっても男女の好きとかでは決してない。尊敬する人……家族に対する好きみたいな感じだ。
心が和らいでいると、それをかき消すかのように後ろから邪悪な気配を感じた。
「おい、乾。貴様なぜうちの娘とここにいるんだ」
乾さんの肩を叩きぎゅっと握りしめ、目を細めて見下ろすのは私の父、石川和樹。
「おや、和樹くん、戻ってきたのか。さっきの仕事相手はもういいのか?」
乾さんはお父さんの手を振り払いながら答える。
「俺の質問に答えろ、乾。なぜお前が真弓をこんな時間に連れ回しているんだ!」
いや、お店だから連れ回されてないし、ていうかこんな時間ってまだ二十時だし。
ツッコミどころはあれど、相手が乾さんだからそれだけで機嫌がMAXに悪いんだろうな。
はぁ〜と息を溢し、私もお父さんに振り向いた。
「私が乾さんを誘ったの! インターハイ優勝したからお祝いに鉄板焼き連れてって、って……だってお父さん、わたしが鉄板焼きに行きたいって言ったのにお母さんの意見通しちゃったんだもん! だから乾さんは何も悪くないし、なんなら私も悪くないでしょ」
「ぐっ……でも、言ってくれれば連れてってやったのに、よりにもよって乾なんかと!」
罰が悪そうな顔をしながらもお父さんは反論してくる。ていうかやっぱり乾さんだからダメなんじゃない。他の人だったらこうも言わないんだろうな。まったく。
「まぁ、いいじゃないか、和樹くん。真弓の祝いの席だ。そうかっかすることではないだろう」
「黙れ乾! 軽々しく娘の名前を呼ぶな虫唾が走る!」
「黙るのはお父さんだから。ここお店。うるさいよ」
目線を横に送るとシェフと近くにいた女性スタッフが苦笑いしているので、申し訳ない顔でペコリと頭を下げた。ほんと、お父さんがすみません。
「とにかく、帰るぞ真弓。こんな男の隣にいるな」
「はぁ? ちょっと! まだデザートが!」
「デザートくらいゆっくり食べさせてやれ」
「うるさい乾だまれ。真弓、家に帰ったらふわふわパンケーキ作ってやる」
「え? ほんと!?」
お父さんのふわふわパンケーキはすっごく美味しい。正直いいとこのカフェのケーキより優っている。お母さんも作ってくれるし美味しいのだが何が違うのか超絶品で、私の大好物の一つだ。なんか悔しいし恥ずかしいからお父さんには黙っているのだが。
「でも、シャーベット食べたかったし、乾さんに失礼……」
ちらりと乾さんを見る。私が誘って、せっかくこんないいところに連れてきてくれたのだ。いくらお父さんがデザートを作ってくれるからといってもここで帰るのは失礼すぎる。
「俺のことは気にするな、せっかく和樹くんが家に帰ってデザートを作ってくれるんだ。家族団欒を楽しめ」
乾さんはふっと目を細めて微笑んだ。
「あっ、乾さん……」
ああ、本当に優しい! お父さんは少しくらい乾さんを見習ったほうがいい、とは本人には決して言えないけど。
「じゃあ先に会計しておく」
乾さんがスタッフにすっとクレジットカードを渡す。スタッフがそれを受け取り奥に行ってしまった。
「こんなこと言いたくないが、真弓のためにありがとう」
私の肩を抱きながらお父さんはぶすりとした顔で乾さんにお礼を言った。すごく頑張ってるんだろうなぁと少し笑いそうになり、顔を逸らせ、口を押さえて堪えた。
「いいさ、今度君が酒を奢ってくれれば」
「っ、チッ」
「もう! お父さんたら……乾さん、今日は本当にありがとうございました! とっても美味しかったです」
「ああ、こちらこそいい時間だったよ。ゆかりくんにもよろしく伝えてくれ」
「誰がよろしく伝えるか」
「こら、お父さん!」
お父さんの背中を押しつつ、乾さんに会釈してお先にお店を失礼した。
そして、エレベーターの中。
「……お母さん、拗ねちゃうかな? 私もお父さんも同じお店で食事しちゃって」
「多分拗ねる、な。まぁあそこ美味しかったから今度お母さん連れてってやろうかと考えていたところだ」
こわばっていたお父さんの顔がとたんにふわりと綻んだ。さすが、お母さん大好きマン。というかデートでしか行かないのか。子供はやっぱり連れてってくれないのか。いいかげんグレるよ? って、今更な歳だし冗談だけど。
そんなこんなで二人で家に帰ると、案の定お母さんが
「二人ともそんなイイトコロでご飯食べたの? ズルい!」
とぷくりとした顔で拗ね、それを見たお父さんが
「拗ねたゆかりさんも可愛い!」
とお母さんをぎゅうぎゅうと抱きしめた。あーはいはい、もう勝手にやってくれ。
ふわふわパンケーキを催促するのはもう少し後にしてやろうと肩を竦め、私は部屋着に着替えるために自分の部屋に足を進めた。