徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
喫茶いしかわ会議の会議場もとい宴会場は、事前情報では、インテリアにこだわった店内と席数の多さ、そして何より料理の美味しさがウリで、最近若者に人気のある「お洒落居酒屋」とのこと。
予約も取りづらい人気店だが、マスターが個室を予約できたと嬉しそうに話してくれたのは、飲み会の提案があってすぐのことだった。
「マスターが一番楽しみにしてるじゃないですか」
とゆかりが堪えきれないように笑うと、和樹が隣で
「飲み会の次の日も休みにしちゃうくらいですからね」
と、困ったように笑う。
三人とも、予想よりも早くに都合が付き、予定より早い開催となった。
◇ ◇ ◇
店を閉めたのは、まだ陽の明るい十七時。数ヶ月前の同刻では闇を落としていた空も、まだ太陽が顕在している。
飲み会は最寄り駅からよっつ先の駅に近い場所で、十九時からだ。
店内の片付けもほどほどに、マスターが先に店を出る。
「二人ももうそれくらいで良いよ。明後日、全部やっておくから」
「じゃあ、現地集合でね。遅れても大丈夫だよ」と、嬉しそうに店を出るマスターの背を、和樹とゆかりは見送る。
明後日の開店準備はマスターひとりだが、本人がそう言うのであれば、もうこのくらいで良いのかもしれない。
「ゆかりさん、もう上がって良いですよ。準備あるでしょう?」
「え、でも……」
「マスターもああ言ってることですし。後は僕がやっておきますから」
「…………じゃあ、お言葉に甘えて」
「はい。ジャケットは先ほどこちらに持ち出しましたし、バックヤードにもう用はありません。僕はここにいますので、気にせずゆっくり準備していらしてください」
「……ほんとにここで待ち合わせしてお店まで一緒に行くんですか?」
「店まで行けないかもしれない、って言ったのはゆかりさんですよね?」
意地悪そうに笑って見せる和樹に、ゆかりは二の句が継げなくなる。
休憩中、予約を取れたというマスターの言葉に、三人で一つのスマホを覗き込み、その店を確認していた。どうやらその店は、最寄りの駅から少し入り組んだ場所にあるらしい。
その時、ゆかりが
「私、迷わないで行けるかなぁ」
とほろりと零したのだ。
「なら、和樹くんと一緒に来なよ」
そう言ったのはマスターだ。
「喫茶いしかわで待ち合わせして、一緒に行きましょう」
そう言ったのは和樹だ。
そうだ。そうなのだ。「迷わないで行けるかな」と、そう告げたのはゆかり自身なのだ。
「でも……えん」と、最後まで言葉を発するよりも先に「炎上はこの際、気にしないことにしましょう」と有無を言わせない完璧な笑顔で和樹に押し切られた。
そう、彼は時々、とても強引だ。
その迫力に負けて、「お願いします」と頭を下げたのは記憶に新しい。
……そうなのだ。
「喫茶いしかわで待ち合わせ」して。
「和樹と一緒に出かける」のだ。
買い出しではないのだ。
ここ最近で一番難易度の高いミッションだな、とゆかりは引きつった笑みを和樹に見せ、フロアを後にした。
◇ ◇ ◇
ゆかりが身支度を整えて化粧を直し、最後に前髪をちょちょいと整えてバックヤードから出ていくと、ロールスクリーンで閉ざされたほんの少しの隙間から、塞ぎきれなかった夕日が店内に零れていた。
閉店しているため照明の落とされた喫茶いしかわの入り口のドアにもたれるように、ジャケットを羽織った和樹が立っていた。
スマホに移された視線は、ゆかりの小さな足音に吸い寄せられるように上げられ、重なった先でゆっくりとその目を細める。