徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
出される料理は、前菜、サラダ、焼き物と、どれも見た目にも味にも手が込んでいた。繊細な中にも、この店独自のアレンジも加えられており、店が繁盛しているのも頷ける。
ゆかりは果実酒を飲み終え、その間にサワーを挟み、日本酒三種飲み比べセットに入ったところだった。
どうやら本当に酒は強いらしい。顔色一つ変えず、運んで来たスタッフの日本酒説明を熱心に聞いている。
「あ、これ飲みやすい」
当たりを引いたかのように目を輝かせるゆかりに、気付かない内に綻んでしまう。
「良かったですね」
「和樹さんも飲んでみます?」
「え、」
突然の申し出に驚きを隠せないでいると、「マスターもどうですか?」と笑顔を向ける。
そうだよな。そういう子だったよな、とごちるも、その無垢な笑顔にはどうしても逆らえない自分がいる。
「じゃあ、いただきます」と告げて差し出されたグラスは、残りあと少しというところだった。
意識していないものの、彼女が口付けたところとは離れたところから一口飲むと、彼女の言う通り、すっきりとした喉越しだ。
彼女に言われるがまま、そのグラスをマスターに渡すと、マスターも美味しそうにそれを飲み干した。
それから、日本酒三種飲み比べセットは、ゆかり・和樹・マスターの流れでグラスはまわされる。
和樹は正直、味なんかはもうあまり覚えてもいなく、この酒の醍醐味である飲み比べなんてできないでいた。
「ちょっと、席外しますね~」
ゆかりが横に置いていたバッグを手に取り、そう告げて少し恥ずかしそうに席を立つ。
ひらひらとマスターが手を振りその姿を見送ると、徐に和樹は口を開いた。
「ゆかりさん、本当に強いですね」
「だろ? しかもペース早いんだよ」
「顔に出ないですしね。こちらで調整してあげないと、まずいかもしれませんね」
「まあ、あの子はむやみやたらと飲む子じゃないけど。でもよろしく頼むよ」
飲み比べをしたその後、ゆかりは何杯かグラスを空にしていた。マスターはビールで喉を潤した後、今はハイボールを手に、先程出された地鶏の炭火焼きを堪能している。
酒を飲む上で自己管理ができていないのはもっての外だが、ゆかりはそういったタイプではない。
きちんと自分のペースを把握し、抑えるところは抑えている。人よりアルコールの分解度が高いのだろう。
けれど、もしも今後大勢の、率直に言うと、男と飲む機会がある場合は心配になる。
緩んだ口調と潤んだ目、あからさまには出ていないものの、少し赤らんだ頬。男が煽られないはずもないのだ。何かあってからでは遅いというのに。
ゆかりが戻ってきた後は、少しだけペースを落としてやろうと思いながら、和樹は手にしたジョッキを呷った。
「ゆかり、良い子でしょ」
「え」
マスターに遅れるように焼き物に箸を付けた和樹は、何とも気の抜けた声を出してしまった。
それに気付いたのか、マスターが可笑しそうに笑った。
「いつもにこにこしててさ、なにかを頼んでも嫌な顔一つしない。でも、言いたいことはちゃんと言ってくれる」
「そうですね。お客様への対応にも、愛情が感じられます」
「そう。それは、なかなかできることではないと思うんだ。人間だからね、誰しも不満を持つ時だってある」
「はい」
マスターは和樹の言葉に頷きながら、刺身に手を伸ばす。
「けれど、あの子の本来持っているもののせいなのかな。例えば、そういう態度ですら好ましく映るだろう。まあ、あの子はそういった態度はしないんだけれど」
「そうですね」
「接客される方も、一緒に働いているこちら側も、あの子が優しくて愛情深いことは見ていれば分かる。みんなにそういう対応をしてくれているからね」
「そうですね」
マスターがグラスに手をかけ一口飲むと、ゆっくりと視線が重なった。
「和樹くんもね、そうだと僕は思うんだよ」
「えっ」
「君はね、料理も接客も何もかも完璧にこなして、そのどれもが相手を思いやっての行動だ。相手がなにを望むか、なにをすれば喜んでくれるかが前提になっている。そのへんはゆかりと同じだね。でも、どこか負い目を感じている部分がある……という表現が合っているのかどうかは分からないけれど、どこか自分はそういう評価をされるのに相応しくない、と思っている節がある」
「見当違いだったらごめんね」
と、マスターは申し訳なさそうに和樹を見つめ返す。
「でもね。自分がどう思うかよりも、相手がどう思ってくれているか、というのが大切な時もあると思うんだ」
「…………」
「だって、君が店にいてくれるだけで女子高生はとても喜んでくれるだろう? それはミーハー心からくるものかもしれないけれど、あんな嬉しそうな顔、僕にだってゆかりにだって引き出せない。君にしかできないことだよ。
君が働く前から来てくれている常連の方だって、君を指名して料理を作ってほしいと望んでくれている人もいる。
子供たちだってそうだ。子供は正直だからね。優しくない人には懐かないんだよ。
君は気付いていないかもしれないけれど、君が来てくれたお陰で喫茶いしかわの雰囲気はとても華やかになった。ああ、君の整った容姿のことだけを言っているんじゃないよ?
ゆかりが柔らかくて優しい、穏やかな雰囲気を。和樹くんが温かさと思いやりをあの店にプラスしてくれた。そのことに、僕はとても感謝しているんだ」
「ありがとう」と、まるで血の繋がった親のように目を細めるマスターに、和樹は言葉を詰まらせる。