余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
ラザルは、ひとりになった。
銀刻の五人。
そう呼ばれたAランク冒険者パーティは、もう五人ではない。
斥候ネルは首を落とされ。
盾役ヘルマは泥門に沈み。
老魔術師オルドは濁白騎士に貫かれ。
聖職者イリアは偽の外気道に落ちた。
残るは、銀剣のラザルだけ。
だが。
それでも、こいつは折れていなかった。
「管理音声」
《はい》
「ラザルの状態」
《負傷中。背部裂傷、左腕に影糸痕、魔力消耗中。ただし戦闘継続能力は高いです》
「出口までの距離は」
《直線距離で近いです。ただし現在の通路構造では、到達まで三分以上》
「三分もあるのか」
《Aランク冒険者にとっては十分な時間です》
「嫌なことを言うな」
白い部屋の床に、迷宮図が浮かぶ。
ラザルは、壊れた白磁回廊の端に立っている。
出口へ向かう道は、完全には閉じられていない。
オルドの破砕魔術が、偽庭園迷路の一部を壊したからだ。
つまり、こいつは迷宮を壊して道を作った。
ただ逃げるだけではない。
迷宮の構造を読み、破壊し、出口へ近づいている。
「……強いな」
《はい》
「分かっていると言っただろうが」
ラザルは銀剣を構えたまま、ゆっくり歩き出した。
走らない。
焦らない。
血を流しながら、息を整えている。
追跡者が影から現れた。
落武者のような鎧。
灰白の刃。
帰る線を喰う、余の最強枠。
ラザルは追跡者を見た。
「お前が、この迷宮の追撃役か」
追跡者は答えない。
刃だけが、低く鳴った。
次の瞬間、銀剣と灰白刃がぶつかった。
速い。
一撃目をラザルが弾く。
二撃目を身を沈めて避ける。
三撃目に踏み込み、追跡者の胴へ斬り返す。
灰白の鎧が割れた。
《追跡者、中度損傷から重度損傷へ移行》
「下がらせるか?」
《撤退可能です》
「駄目だ」
ここで追跡者を下げれば、ラザルが走る。
ラザルはもう仲間を庇わない。
死体を運ばない。
指示も出さない。
ひとりになったことで、逆に速くなっている。
「追跡者、止めろ。殺せなくていい。止めろ」
追跡者が踏み込む。
ラザルは銀剣を斜めに構えた。
銀の刃に、淡い光が走る。
《警告。高出力剣技反応》
「技持ちか」
ラザルが低く言った。
「銀刻剣――」
床が鳴る。
「《帰路断ち返し》」
銀剣が、灰白刃を弾いた。
ただ弾いたのではない。
追跡者の「追う線」を逆に斬った。
灰白線喰いの足が、一瞬止まる。
《追跡者、追跡線干渉を受けています》
「こいつ、追跡者の能力に対応したのか!?」
《一度交戦した相手への適応速度が高いです》
追跡者がよろめいた。
ラザルはその隙に走った。
出口方向へ。
壊れた回廊。
白磁片。
泥。
戻り水。
すべてを踏み越え、一直線に進む。
速い。
Aランクの前衛が、本気で逃げる速度。
戦うためではない。
生き残るための走り。
「マネ!」
《待機中》
「誰の声でもいい、止めろ!」
霧の奥から、イリアの声が響いた。
「ラザル!」
ラザルは止まらなかった。
次にヘルマの声。
「こっちだ!」
止まらない。
ネルの声。
「出口は右!」
止まらない。
オルドの声。
「魔力反応、左じゃ!」
止まらない。
ラザルは、歯を食いしばったまま言った。
「全員死んだ」
銀剣が霧を裂く。
「だから、もう声には従わない」
「……」
白い部屋で、余は一瞬黙った。
強い。
本当に強い。
仲間の声にすら惑わされない。
では、声以外を使う。
「赤錆噛み。銀剣の鍔を噛め」
《接近困難》
「できるだけでいい」
《了解》
床下を赤錆噛みが走る。
ラザルの足元を追う。
白磁片の隙間から飛び上がり、銀剣の鍔へ噛みつこうとした。
だが、ラザルは剣を振らなかった。
足で踏んだ。
赤錆噛みが白磁床に叩きつけられる。
《赤錆噛み一体、消滅》
「くそっ」
だが、一瞬だけ足は止まった。
その一瞬を、カゲヌイが拾う。
《影縫い罠師カゲヌイ、影釘投入》
ラザルの影に黒釘が刺さる。
一本。
二本。
三本目は、銀剣で弾かれた。
ラザルは自分の影を斬った。
影釘が割れる。
だが、完全には外れない。
左足の動きが鈍る。
「影縫い大蜘蛛」
天井から、灰色の糸が降る。
ラザルは見上げもしない。
銀剣を一回転させ、糸をまとめて断つ。
だが、その糸は本命ではない。
本命は、床に落ちた白磁花粉に混じる粘糸。
踏んだ瞬間、靴裏に絡みつく。
ラザルの身体が、半歩沈んだ。
「今だ、追跡者!」
灰白線喰いが、背後から迫る。
ラザルは振り返る。
銀剣と灰白刃がぶつかる。
火花。
血。
灰。
白磁片。
ラザルの肩が裂ける。
追跡者の兜が割れる。
《追跡者、危険域》
「耐えろ!」
ラザルが叫んだ。
「銀刻剣――《帰還一閃》!」
銀剣が、一直線に出口方向へ光を伸ばした。
その光は、道を斬った。
幻を斬り、霧を斬り、白磁花粉を斬り、偽の壁を斬った。
出口の気配が、見えた。
本物の外気。
迷宮の外。
森の暗さ。
入口前に置かれた標識一号の青い光。
「まずい!」
《出口経路、一時露出》
ラザルが走る。
もう数十歩。
いや、Aランクなら十歩で届く。
出口の外には救援隊がいる。
中へ入らなくても、ラザルが出れば終わりだ。
情報が持ち帰られる。
霧灰白庭迷宮の中身が、知られる。
それだけは駄目だ。
「グズ!」
《グズ、重度損傷。即応困難》
「動け!」
余の声に、泥の奥でグズが唸った。
壊れた泥門。
割れた腕。
乾いて崩れかけた泥の身体。
それでもグズは、泥の中から這い上がった。
「グ……ズ……!」
出口前の白磁床が、黒く膨らむ。
泥門が、最後の一枚を立てる。
ラザルは止まらない。
銀剣を構えた。
「邪魔だ」
銀刻剣の光が走る。
泥門が斬られる。
グズの身体が、斜めに裂けた。
《グズ、致命的損傷》
「グズ!」
だが、グズは門だった。
門番だった。
斬られても、閉じるためにいる。
裂けた泥の両側が、ラザルの足首へ絡んだ。
止めた。
一拍。
たった一拍。
しかし、その一拍が、追跡者を届かせた。
灰白線喰いが背後から刃を振る。
ラザルは身体を捻った。
致命傷を避ける。
灰白刃は背中を裂き、肋骨を削った。
それでもラザルは倒れない。
銀剣を逆手に持ち、追跡者の胸を貫いた。
《追跡者、重大損傷》
追跡者の鎧の中から、灰が噴いた。
「相討ちにする気か……!」
ラザルは血を吐きながら、それでも出口へ手を伸ばした。
外気が近い。
あと三歩。
二歩。
一歩。
その時、入口外の青い標識が光った。
救援隊が気づいたのだ。
「反応あり!」
外の声が、かすかに聞こえた。
「誰か出てくるぞ!」
ラザルの目に、初めて安堵が浮かんだ。
ほんのわずかに。
それが、最後の隙だった。
「白磁門」
《白磁門、緊急生成》
出口の内側に、白い門が降りた。
完全な門ではない。
薄い。
脆い。
白磁庭園から奪った白磁門構造を、急造しただけの壁。
ラザルの銀剣なら斬れる。
間違いなく斬れる。
だが、斬るには一撃いる。
その一撃のために、足を止める必要がある。
「っ……!」
ラザルが銀剣を振り上げる。
その背中に、追跡者がしがみついた。
鎧の腕ではない。
灰の手。
刃ではない。
追跡そのもの。
逃げる線を喰う魔物が、最後の力でラザルの帰路に噛みついた。
《追跡者、進化条件に接触》
「今じゃない! 殺せ!」
ラザルが白磁門を斬った。
門が割れる。
外の光が差し込む。
救援隊の影が見える。
ラザルは半身を外へ出しかけた。
だが、足はまだ迷宮の中にあった。
その足を、グズの泥が掴んでいる。
その影を、カゲヌイが縫っている。
その背を、追跡者が喰っている。
その靴裏を、影縫い大蜘蛛の粘糸が捕らえている。
その剣の鍔を、死にかけの赤錆噛みが最後の一噛みで歪ませている。
ラザルは外へ手を伸ばした。
外の救援兵が、その手を掴もうとした。
だが、迷宮の内側から、戻り水が逆流した。
白磁門の破片。
泥。
灰。
血。
全部を巻き込んで、ラザルを内側へ引き戻す。
「ラザル殿!」
外の声が叫んだ。
ラザルは、最後に何かを投げた。
銀色の小片。
記録片か。
情報を刻んだ魔具か。
「赤錆噛み!」
《到達》
赤錆噛みが跳ぶ。
銀色の小片に歯を立てる。
かり。
割れた。
記録片は外へ届かず、白磁床に落ちて砕けた。
ラザルの表情が、初めて歪んだ。
怒りではない。
悔しさだった。
「……そうか」
彼は呟いた。
「帰り道を、最初から殺していたのか」
余は答えない。
答える必要はない。
ラザルは銀剣を構え直した。
もう出口は閉じ始めている。
外の声は遠ざかる。
白磁門の残骸が戻り水に呑まれる。
ラザルは、追跡者と向かい合った。
「なら、せめて」
銀剣に最後の光が宿る。
「お前だけは斬る」
追跡者が刃を構える。
余は一瞬、迷った。
追跡者を下げれば守れるかもしれない。
だが、ラザルを逃がせば終わり。
ここで殺すしかない。
「追跡者」
余は命じた。
「喰え」
銀剣が振り下ろされる。
灰白刃が突き出される。
同時だった。
銀剣は追跡者の兜を割り、胸を裂き、核に届いた。
だが、灰白刃はラザルの心臓を貫いていた。
ラザルは血を吐いた。
それでも銀剣を押し込む。
追跡者の核が軋む。
《追跡者、核損傷》
「くそっ……!」
余が叫ぶより早く、カゲヌイの影針がラザルの肘を縫った。
影縫い大蜘蛛の糸が銀剣を引いた。
グズの泥が足を沈めた。
赤錆噛みが銀剣の鍔を砕いた。
刃の圧が、ほんの少しだけ弱まる。
その瞬間、追跡者がラザルの首筋へ顔を寄せた。
顔などない。
だが、喰った。
逃げる線を。
帰還の意志を。
生還の道筋を。
ラザルの身体から、銀色の光が抜けた。
《Aランク剣士一名、討伐》
《獲得ソウル:一千百二十》
《取得:銀刻剣の折れ刃、帰路断ち返しの残滓、Aランク迷宮攻略記憶片、銀刻式帰還標識片、剣士の心臓血》
ラザルの身体が倒れた。
銀剣は半ばで折れていた。
追跡者も膝をついた。
兜は割れ、胸は裂け、核には銀色の罅が入っている。
《警告。追跡者、崩壊寸前》
「戻り水を回せ! 白磁修復構造も使え! 灰を固めろ!」
《通常修復では間に合いません》
「ならどうする!」
《進化条件を満たしています》
白い部屋に、黒い表示が浮かぶ。
⸻
進化可能個体:灰白線喰いの追跡者
条件達成:
・Aランク冒険者の帰還阻止
・帰還系剣技との交戦
・出口到達直前の獲物を討伐
・銀刻剣による核損傷
・白磁庭園区画内での追跡完遂
・戻り水、影縫い、泥門との連携追跡成功
進化候補:
《帰路喰らいの落武者》
迷宮内の「帰る意思」に反応し、撤退行動中の敵を優先追跡。
出口に近づくほど能力上昇。
標識、地図、帰還魔具に対する破壊適性を獲得。
ただし生成・維持コスト増加。
⸻
余は一秒も迷わなかった。
「進化」
《進化を実行します》
ラザルの心臓血が、追跡者の割れた核に吸い込まれる。
銀刻剣の折れ刃が、灰白の刃に溶ける。
戻り水が鎧の内側を巡り、白磁片が骨のように組み直される。
グズの泥が足元を固める。
カゲヌイの影針が、割れた影を縫う。
影縫い大蜘蛛の糸が、兜の罅を結ぶ。
追跡者が、立ち上がった。
落武者の姿はそのまま。
だが、背に折れた銀剣のような白い線が走っている。
灰白の刃には、銀色の欠片が混じっている。
兜の奥には、目ではなく、出口へ向かう道筋だけを睨むような暗い光があった。
《進化完了》
《灰白線喰いの追跡者は、帰路喰らいの落武者へ進化しました》
余は、ようやく息を吐いた。
いや、息などない。
それでも、吐いた気がした。
「勝った、か」
《Aランク冒険者パーティ、銀刻の五人。全員討伐》
白い部屋に、結果が並ぶ。
⸻
討伐結果:
Aランク斥候ネル
Aランク盾役ヘルマ
Aランク魔術師オルド
Aランク聖職者イリア
Aランク剣士ラザル
総獲得ソウル:四千百二十
主な取得物:
退路標識魔具片
斥候の影針靴
迷宮地図帳の破片
銀刻式魔力線
銀刻大盾の破損片
耐衝撃鎧片
盾役の踏ん張り骨
重装固定具
老魔術師の杖核片
破砕術式の残滓
魔力制御環
白磁解析紙片
浄化祈祷具片
白衣の聖布
聖職者の祈祷骨
清浄術式残滓
銀刻剣の折れ刃
帰路断ち返しの残滓
Aランク迷宮攻略記憶片
銀刻式帰還標識片
剣士の心臓血
損耗:
灰白庭回廊第一層、大破
白磁花粉罠、一部焼失
濁白騎士、機能停止
グズ、重度損傷
影縫い大蜘蛛の糸場、一部断裂
赤錆噛み複数損失
追跡者、進化により存続
⸻
「損害が大きいな」
《はい》
「だが、ソウルは黒字か」
《大幅黒字です》
「ならいい」
外では、救援隊が騒いでいる。
入口の外から、何度も声がする。
「ラザル殿!」
「応答を!」
「内部反応、消失!」
「撤退しろ! 中へ入るな!」
賢い。
入ってこない。
外の人間たちは、ラザルが戻りかけたことだけを見た。
白磁門の破片。
血。
割れた記録片。
そして、迷宮の奥へ引き戻されたAランク剣士。
だが、情報は持ち帰れなかった。
持ち帰らせなかった。
「入口を閉じるな」
《よろしいのですか》
「閉じれば、向こうは完全攻略隊をすぐ出す。開けておけ。ただし、中には入らせるな」
《威嚇ですか》
「違う」
余は、白い部屋の床に映る入口を見た。
外の救援隊は、入口の闇を見ている。
その闇の奥に、帰路喰らいの落武者が立った。
剣を下げ、ただ立つ。
追わない。
外へは出ない。
だが、境界の内側で、帰ろうとした者を喰った証として立つ。
救援隊の一人が後ずさった。
それでいい。
「これは看板だ」
《看板》
「ここに入ったAランクは、帰れなかった。そう知らせるためのな」
《了解》
白い部屋の中で、ダンジョン新聞の未読欄が震えた。
まだ開かない。
今は、余の迷宮を見なければならない。
壊れた回廊。
死体。
素材。
血。
泥。
灰。
白磁片。
そして、新しく立った帰路喰らいの落武者。
余は笑った。
小さく。
昔のように叫び散らす笑いではない。
勝ったと騒ぐための笑いでもない。
腹の底で、静かに熱を噛みしめる笑いだ。
「管理音声」
《はい》
「この戦闘記録を保存しろ」
《保存します》
「ラザルの攻略記憶片は解析。銀刻式帰還標識片は罠へ転用。浄化術式残滓は白磁花粉罠への耐性試験に使え」
《はい》
「グズを修復。濁白騎士の残骸は回収。影縫い大蜘蛛の糸場を張り直せ。カゲヌイは入口付近に影釘を増設」
《はい》
「それから」
《はい》
「外の救援隊が撤退したら、入口前に折れた銀剣の欠片をひとつだけ残せ」
《理由を確認します》
「人間は証拠を欲しがる」
《持ち帰らせるのですか》
「持ち帰らせる」
余は、床に映る外の人間たちを見た。
「ただし、情報ではなく恐怖をな」
白い霧が入口に流れる。
灰が舞う。
折れた銀剣の欠片が、白磁の破片の上に転がる。
帰路喰らいの落武者が、その奥で静かに立つ。
そして余は、自分の新しい迷宮の名を、もう一度胸の中で呼んだ。
霧灰白庭迷宮。
Eランクの小さな洞だった余は、Aランクの五人を喰った。
だが、終わりではない。
これで人間は知る。
この迷宮は、Aランクでも帰れない、と。
そしてロードたちも知る。
白磁庭園を喰った新興迷宮が、今度はAランクを喰った、と。
《ダンジョン新聞、号外発行準備中》
黒い紙面が、白い部屋の奥で震える。
余は笑った。
「今度は、どれだけ騒がれるのだろうな」
帰路喰らいの落武者の刃が、静かに鳴った。