余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
を置いた。
置いたからには、開ける者が必要だ。
つまり。
「人間どもはまだか」
《設置から一時間しか経過していません》
「遅い」
《通常、迷宮に宝箱を設置しても即座に冒険者は発生しません》
「なぜだ」
《畑に種を植えても即座に実はなりません》
「宝箱は畑ではない」
《噂の成長には時間が必要です》
「時間がかかるものは嫌いだ」
《ロードは待機が苦手ですね》
「敵が来れば殺せる。来なければ殺せん。非常に非効率だ」
《報酬構造の目的は殺害効率ではありません》
「分かっている!」
余は白い部屋の中央で腕を組み、壁面に映る浅層を睨んでいた。
灰霧の浅層。
そこに、一つ目の白灰匣がある。
白磁花の欠片を入れた、もっとも価値の低い箱だ。
低いと言っても、外の人間には珍しい。
白磁庭園由来の白磁花。
霧灰白庭迷宮でしか採れぬ欠片。
それが小匣に入っている。
見つけた冒険者は、きっとこう思う。
奥にはもっと良いものがあるのではないか、と。
愚かだ。
非常に愚かだ。
だが、その愚かさが必要なのだ。
「フィルエ」
「うん」
「人間は本当に箱を開けるのか」
「開ける」
「罠だと分かっていてもか」
「開ける」
「なぜだ」
「開けないと、損した気がするから」
寝台に横たわったまま、フィルエは淡々と言った。
恐ろしい理屈だった。
死ぬかもしれない箱を前にして、損得で手を伸ばす。
人間という種族は、やはり迷宮向きの生き物なのではないか。
《外縁部に反応》
「来たか!」
余は壁面に手をかざした。
霧の外側。
森の切れ目。
そこに三つの影があった。
冒険者だ。
ただし、強くはない。
銀刻の五人のような圧はない。
装備も不揃い。
革鎧。
短槍。
小盾。
弓。
そして、やたら周囲を見回している痩せた男。
「ランクは」
《推定Cランク下位から中位》
「弱いな」
《試験対象としては適切です》
「死ぬのではないか?」
《殺しすぎなければ生還可能です》
「殺しすぎなければ、か」
難しい。
非常に難しい。
殺すなと言われると、途端に罠の調整が面倒になる。
殺すならば簡単だ。
穴に落とす。
泥に沈める。
糸で吊るす。
追跡者を放つ。
終わりだ。
だが、生還させるとなると加減が要る。
余は加減が嫌いだ。
「名前は分かるか」
《会話音声を拾います》
壁面の映像が近づく。
三人の声が、霧を通して白い部屋に響いた。
「本当に入るのかよ……銀刻が戻ってこねえ迷宮だぞ」
「だからだろ。Aランクが死ぬ場所には、Aランクの装備が落ちてる」
「落ちてたとして拾えるわけねえだろ」
「奥には行かねえ。浅いところだけだ。白い花の欠片が出るって噂、聞いただろ?」
「噂っていうか、酔っ払いの寝言だろ」
「寝言でも、売れれば金だ」
余は目を細めた。
「ほう」
《噂がすでに一部発生しているようです》
「なぜだ。まだ誰も持ち帰っていないぞ」
《外縁に流出した白磁花粉片、戦後の魔力揺れ、周辺探索者の目撃情報などが混ざった可能性があります》
「人間は勝手に噂を育てるのか」
《はい》
「便利だな」
《危険でもあります》
「今回は便利な方だけ見ろ」
冒険者たちは森へ入った。
三人。
前衛が一人。
弓が一人。
斥候らしき痩せた男が一人。
痩せた男は、ずっと逃げ腰だった。
何度も後ろを振り返る。
草の揺れに怯える。
霧が濃くなるたびに足を止める。
だが、引き返さない。
「フィルエ」
「うん」
「あれか」
「あれ」
フィルエの声が、ほんの少しだけ強くなった。
「怖がり。でも、見てる。足跡も、霧も、音も。仲間が先に行きすぎると止めてる」
「生還者向きか」
「うん。たぶん、話す」
「よし」
余は指を鳴らした。
「浅層のゴブリンを下げろ。灰霧だけ濃くしろ」
《承知しました》
「ただし、音は立てさせろ。見えない場所で足音。壁の裏で爪音。遠くで笑い声」
《心理圧迫を開始します》
「殺すな。怖がらせろ」
《はい》
灰霧が動いた。
冒険者三人の周囲で、白と灰の霧が低く這う。
視界は奪いすぎない。
道は見える。
だが、横が見えない。
後ろが分からない。
今、自分たちがどこまで進んだのか、少しずつ曖昧になる。
「おい、今なんか聞こえたぞ」
「風だろ」
「風は笑わねえよ」
「黙って歩け」
前衛が苛立つ。
弓使いが喉を鳴らす。
斥候の男だけが、地面を見ていた。
「待て」
「あ?」
「戻る道、印つける。ここから霧が濃い」
「そんな暇あるか」
「帰れなくなる」
その言葉に、前衛が黙った。
よし。
あれは生き残る。
余は壁面の迷宮図に印を付けた。
「あの痩せた男を第一候補にする」
《生還対象、仮登録》
「他二人は?」
《状況次第》
「死なせるなとは言っていない」
《理解しています》
「だが全滅はさせるな」
《難度調整を行います》
冒険者たちは進む。
灰霧の浅層。
白い壁の破片が点々と転がる小道。
そこに、白灰匣は置かれていた。
あからさまではない。
岩陰に半分隠し、しかし白磁の角だけが見える。
気づく者なら気づく。
欲がある者なら、必ず近寄る。
「……おい」
弓使いが足を止めた。
「何かある」
見つけた。
余は思わず身を乗り出した。
前衛が小盾を構えたまま近づく。
斥候の男が慌てて止めた。
「待て。糸がある」
「糸?」
「箱の蓋。見えにくいけど、黒い糸」
影縫い糸だ。
よく見つけた。
余は少し感心した。
「開けるなよ」
斥候の男が言う。
「罠かもしれない」
「罠でも中身はある」
「だから開けるなって言ってるんだ」
「じゃあ、どうすんだよ」
「横から糸を切る。離れて。盾構えて。霧が出るかもしれない」
余は黙った。
こやつ、思ったより慎重だ。
「管理音声」
《はい》
「罠の霧量を二割増やせ」
《殺傷性はありません》
「分かっている。驚かせるだけだ」
《悪趣味です》
「試験だ」
斥候の男が短剣を伸ばし、影縫い糸を切った。
ぷつり。
その瞬間、白灰匣の蓋がわずかに跳ねた。
中から、灰白の霧が噴き出す。
「うわっ!」
「下がれ!」
「目が、くそ、見えねえ!」
霧が三人を包んだ。
殺しはしない。
だが、喉に絡む。
目を濡らす。
耳元で何かが囁いたように聞こえる。
そこへ、灰霧ゴブリンを一匹だけ近づけた。
一匹。
大勢ではない。
ただし、霧の向こうで足音だけを鳴らす。
ぺた。
ぺた。
ぺた。
「いる!」
弓使いが叫んだ。
「撃つな! 見えてない!」
斥候の男が叫び返す。
前衛が盾を構え、霧の中へ短槍を突き出した。
外れる。
灰霧ゴブリンは笑った。
「ギ、ギギ」
「ひっ……!」
良い声だ。
恐怖の声は、宝の価値を高める。
楽に拾った宝より、死にかけて拾った宝の方が高く見える。
人間は苦労を価値と勘違いする。
これも覚えておこう。
「中身! 中身だけ取れ!」
前衛が叫ぶ。
「馬鹿、今かよ!」
「手ぶらで帰れるか!」
やはり冒険者は箱を開ける。
斥候の男が罵りながらも、霧の中へ手を伸ばした。
白灰匣の中から、小さな白い欠片を掴む。
白磁花の欠片。
淡い光を含んだ、花弁のような素材。
「取った! 戻るぞ!」
「ゴブリンは!?」
「一匹だけだ! 構うな! 走れ!」
よし。
判断が早い。
欲を満たしたら退く。
これだ。
余が欲しかったのは、こういう人間だ。
「帰路に赤錆噛みを一匹」
《浅層に赤錆噛みを出すと危険度が上がります》
「一匹だ。噛むのは装備だけ。足は噛ませるな」
《調整します》
「ついでに、弓使いの矢筒の留め具を狙え」
《なぜですか》
「恐怖と損失の両方を与える」
《悪質です》
「それはもう聞いた」
三人は走った。
霧の中、来た道を辿る。
斥候の男が付けた印が役に立つ。
白い壁の割れ目。
折れた枝。
石の上に刻んだ小さな傷。
それを拾いながら、三人は戻る。
その横の泥から、赤錆噛みが飛び出した。
小さい。
だが、歯が赤黒い。
金属を喰うための牙が、かちかちと鳴る。
「ネズミ!」
「ただのネズミじゃねえ!」
赤錆噛みが弓使いの腰へ跳んだ。
矢筒の金具に噛みつく。
ぎちり、と嫌な音がした。
「うわあああ! 俺の矢筒!」
「捨てろ!」
「高かったんだぞ!」
「命よりか!」
斥候の男が弓使いを蹴るように押し出した。
矢筒の留め具が千切れ、矢が泥へ散る。
赤錆噛みはそれを嬉しそうに齧り始めた。
追わない。
よし。
よくできた。
「赤錆噛みを下げろ」
《まだ追跡可能ですが》
「追うな。今回は生還させる」
《承知しました》
冒険者三人は転がるように森の外へ出た。
前衛は肩で息をしている。
弓使いは矢筒を失い、半泣きだ。
斥候の男は、手の中の白磁花の欠片を見つめていた。
白い欠片。
小さい。
だが、確かにそこにある。
霧灰白庭迷宮から持ち帰った、最初の宝。
「……売れるのか、これ」
弓使いが震え声で言った。
斥候の男は答えなかった。
ただ、欠片を布で包み、胸元にしまった。
「もう二度と入らねえ」
前衛が吐き捨てる。
「あんな浅いところで、あれかよ」
「二度とごめんだ」
弓使いも頷いた。
だが、斥候の男だけは黙っていた。
森の方を一度だけ振り返る。
怖がっている。
心底、怖がっている。
それでも、その目は考えていた。
あの白い箱は一つだけだったのか。
もっと奥には何があるのか。
白い欠片が売れたら、次はどうするのか。
余には分かった。
あれは戻ってくる。
三日か。
五日か。
仲間を変えるか。
人数を増やすか。
いずれにせよ、戻ってくる。
「フィルエ」
「うん」
「あれでいいのか」
「うん。すごくいい」
「震えていたぞ」
「だからいい」
「もう二度と入らないと言っていたぞ」
「言うだけ」
「人間は嘘つきだな」
「欲があるから」
余は笑った。
白灰匣は機能した。
宝は持ち帰られた。
恐怖も持ち帰られた。
そして、噂の種も。
《報告》
「何だ」
《白磁花の欠片、外部流出第一号です》
「よし」
《同時に、霧灰白庭迷宮浅層に宝箱が存在するという情報も流出します》
「よし」
《冒険者の再侵入率が上昇する可能性があります》
「よし」
《討伐関心も上昇する可能性があります》
「それはよくない」
《報酬構造には危険関心と探索関心の両方が伴います》
「面倒だな」
《はい》
だが、悪くない。
ただ恐れられる迷宮ではなくなる。
ただ避けられる迷宮でもなくなる。
恐ろしく、危険で、死ぬかもしれない。
けれど。
白い箱がある。
珍しい素材がある。
奥には、もっと価値あるものがあるかもしれない。
そう思わせた時点で、こちらの勝ちだ。
冒険者は剣で来る。
魔術で来る。
地図で来る。
そして、欲で来る。
欲は、罠より深く人間を引きずる。
「管理音声」
《はい》
「二つ目の白灰匣を調整する」
《灰霧封じの小瓶入りのものですね》
「ああ。罠を少し変える」
《どのように?》
「開けた者ではなく、後ろにいる者の足元へ霧を流せ」
《背後不安の誘発ですか》
「そうだ。箱を開ける者だけが怖いのではない。見ているだけの者も怖いと思わせろ」
《性格が悪いです》
「迷宮だからな」
余は壁面に映る浅層を見た。
白灰匣の跡。
開いた蓋。
残った灰霧。
そこに、ゴブリンが一匹近寄り、空になった箱を覗き込んでいた。
「ギ?」
「食うなよ」
「ギギ」
「食うなと言っている」
ゴブリンは箱の角を少し齧った。
《白灰匣、軽微損傷》
「食うな!」
やはり味方の管理が一番難しい。
敵を殺すより。
宝を置くより。
生還者を選ぶより。
うちの連中に“待て”を教える方が、よほど難しい。
余は深くため息をついた。
「……次の課題は、配下に宝箱を食わせないことだな」
《Aランク査定項目には含まれていません》
「含めろ。重要だ」
白い部屋に、フィルエの小さな笑い声が落ちた。
霧灰白庭迷宮の最初の宝は、外へ出た。
そしてきっと、外で値を付けられる。
値が付けば、噂になる。
噂になれば、人が来る。
人が来れば、迷宮は喰える。
余は白い箱の残骸を見ながら、静かに笑った。
「さあ、売ってこい」
震えながら逃げた冒険者の背に向けて、余は言った。
「お前の恐怖ごと、霧灰白庭迷宮の価値にしてやる」