余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
ニル・カートとロウゼン・ハルトが死んだ翌日。
町の冒険者ギルドは、朝から騒がしかった。
。
人間たちは、まだその正式な名を知らない。
彼らはそれを、灰白庭、白箱迷宮、白庭化した旧迷靄洞などと呼んでいた。
その迷宮で、また二人死んだ。
一人は、何度も宝を持ち帰ったCランク斥候、ニル・カート。
もう一人は、Bランク下位の探索兼護衛職、ロウゼン・ハルト。
どちらも、今の灰白庭を語るうえで避けられない名前になっていた。
その二人が、死んだ。
しかも、生還した二人の証言によれば、死んだ場所は浅層奥の宝物室だった。
「灰白小宝庫」
誰かがそう呼び始めた。
その呼び名は、半日で広まった。
そこには宝がある。
そこには白い箱がある。
そこには、帰り道を重くする何かがいる。
そして、ニルとロウゼンはそこで死んだ。
ギルドの支部長は、報告書を机の上に投げた。
「低ランクの立ち入りを制限しろ」
記録官が青い顔で答える。
「もうしています。ただ、完全には止まりません」
「なぜだ」
「宝が出るからです」
部屋は沈黙した。
誰も笑わなかった。
すでに、白磁花片は売れた。
灰霧封じの小瓶は、探索者の命を助けたと噂になった。
白銀磁片は、金貨三枚相当と鑑定された。
そして、その白銀磁片を持っていたニルが死んだ。
普通なら、恐怖だけが広がる。
だが、灰白庭は違った。
恐怖と一緒に、値段も広がっていた。
支部長は低く言った。
「討伐隊は送らん」
記録官は少し驚いた顔をした。
「よろしいのですか?」
「今、討伐隊を送れば全滅する。銀刻の五人でさえ帰らなかった場所だ。半端な人数を入れても、宝と死体を迷宮に献上するだけだ」
「では、封鎖を?」
「封鎖はできん。冒険者が勝手に抜ける。商人も金を出す。素材屋も裏で買う。禁止だけでは、値段が上がるだけだ」
支部長は、机の上に置かれた小さな白い破片を見た。
白磁花片。
灰白庭から持ち帰られた、一番安い宝。
それでも、町の空気を変えるには十分だった。
「必要なのは、攻略ではない。まず、値段だ」
「値段、ですか」
「あの迷宮に潜る価値と、死ぬ危険。その境目を量る者が必要だ」
記録官は息を呑んだ。
「まさか」
「呼べ」
支部長は短く命じた。
「Aランクパーティ、を」
◇
は、討伐専門のパーティではなかった。
もちろん、弱くはない。
Aランクの名は飾りではない。
だが彼らの本領は、魔物を倒すことよりも、迷宮の価値を量ることにあった。
危険な迷宮へ入り、宝を確認し、採取路を測り、撤退点を決める。
どこまでなら入ってよいか。
どこから先は死地か。
何を持ち帰れば利益になるか。
何を欲しがれば全滅するか。
そうした線引きで名を上げてきたパーティだった。
先頭に立つのは、セリア・リンド。
細身の剣を二本帯びた女剣士であり、暁秤の隊長。
元はギルドのだった。
迷宮の死体を見て、失敗したパーティの荷物を見て、どこで判断を誤ったかを記録する仕事をしていた。
その仕事に飽きて、彼女は冒険者になった。
死んだ後に値段を付けるより、生きて戻って値段を付ける方がましだ、と言って。
盾役は、ガルド・ローク。
大盾ではなく、二枚の中盾を持つ男。
彼は以前、宝の噂だけで膨れ上がった迷宮採取熱を見たことがある。
安い冒険者が大量に入り、半分以上が帰らず、残った者も借金だけを抱えた。
だからガルドは、宝の話を嫌っている。
宝が嫌いなのではない。
宝の話を信じて死ぬ若者が嫌いだった。
は、ユーファ・ベル。
でもあり、魔道具職人でもある。
彼女は白銀磁片に強い関心を示していた。
白磁系の清浄性、灰霧、水脈、金属魔力。
本来混ざりにくい性質が混ざっている。
もし安定素材として使えるなら、魔道具の芯材が一段変わる。
ユーファにとって灰白庭は、死地である前に、未整理の素材庫だった。
のマルク・セーヴァは、聖職者とは少し違う。
回復も浄化もできるが、本職は呪いと契約の鎖を読むことだ。
銀刻の五人が帰らなかったこと。
ニルとロウゼンが宝を持ち帰り、そして死んだこと。
灰白庭の宝に、迷宮側の追跡や契約じみた痕跡がないか。
彼はそれを調べるために来た。
最後に、斥候のキト・ラウ。
ニル・カートのかつての先輩だった。
師弟と呼ぶほど濃い関係ではない。
だが、ニルがまだEランクだった頃、罠の見方、帰路印の付け方、仲間が走り出した時に止める方法を教えたのはキトだった。
ニルが死んだと聞いた時、キトは怒らなかった。
ただ、黙ってニルの最後の報告を読んだ。
そして言った。
「見すぎたな」
その言葉に、セリアは何も返さなかった。
ニル・カートは、良い斥候になりかけていた。
だから死んだ。
それが、この世界の迷宮だった。
◇
ギルドの応接室に、暁秤の五人が揃った。
支部長は、彼らの前に資料を並べる。
銀刻の五人の未帰還記録。
ニル・カートの生還報告。
ロウゼン・ハルトの同行記録。
白磁花片の鑑定結果。
灰霧封じの小瓶の使用証言。
白銀磁片の鑑定板写し。
生還者二人による、灰白小宝庫での死亡証言。
セリアは黙って読み終えた。
「依頼内容は?」
支部長は答えた。
「灰白庭の高位査定。正式名称は未確定。旧迷靄洞から変質した迷宮だ。白磁庭園の魔力混入、Aランクパーティ未帰還、宝箱出現、浅層採取物の外部流通を確認している」
「討伐ではないな」
「違う。討伐は依頼しない」
「賢明だ」
セリアは淡々と言った。
ガルドが腕を組む。
「低ランクが死に始めてるんだろ」
「死んでいる」
「止められないのか」
「完全には無理だ」
ガルドは舌打ちした。
「宝の匂いが出た迷宮は、封鎖しても抜ける。馬鹿だけじゃない。借金持ち、病人を抱えた家族持ち、名を上げたい若造。そういうのが入る」
「だから、お前たちを呼んだ」
ユーファが白銀磁片の写しを手に取った。
「これは本物?」
「素材商の鑑定では本物だ」
「量は?」
「小片のみ。ニル・カートが保持していたものは、死亡時に迷宮内へ戻ったと推定される」
「つまり、もう一度取りに行く必要がある」
ユーファの目が、少しだけ輝いた。
ガルドが睨む。
「おい」
「分かってる。欲で死ぬつもりはない。でも、これは見たい」
聖鎖師マルクは、灰霧封じの小瓶の報告を読んでいた。
「宝が、帰路罠の解除に使われた。迷宮がそれを許した可能性があります」
支部長が眉をひそめる。
「許した?」
「ええ。殺す気なら、そこで殺せたはずです。だが生還させた。宝を使わせて、噂を育てた」
部屋の空気が重くなる。
キトが、ニルの最後の報告を机に置いた。
「ニルは、少なくとも三度は利用された」
「利用?」
「最初は白磁花片。次に灰霧封じ。次に白銀磁片。あいつは宝を外へ運んだ。噂を育てた。だから、迷宮はしばらく生かした」
セリアがキトを見る。
「そして?」
「役目が終わったから殺された」
キトの声は静かだった。
怒りはない。
あるのは、理解だった。
支部長は言った。
「その判断は、迷宮側に知性があるということか」
「知性というより、運営だ」
セリアが答えた。
「この迷宮は、餌を置く。浅い場所では殺しすぎない。生還者を作り、価値を外へ流す。だが、同じ生還者が地図になり始めたら消す」
彼女は資料を閉じた。
「これは、Aランク迷宮だ」
その言葉に、支部長はゆっくり頷いた。
「ギルド本部にも、同じ意見が上がっている」
「人間側の正式分類は?」
「まだ未定だ。現地では灰白庭、白箱迷宮、銀刻帰らずなどと呼ばれている」
「名が定まっていない迷宮ほど厄介だ」
セリアは立ち上がった。
「依頼条件を確認する」
「言え」
「一つ。コア攻略義務は負わない」
「認める」
「二つ。宝の持ち帰りは二点まで。三点目以降は任意で放棄する」
ユーファが不満そうに口を開きかけたが、ガルドに睨まれて黙った。
「三つ。得た素材の一部鑑定権は暁秤に残す」
「認める。ただし危険素材はギルド管理だ」
「四つ。低ランク立入制限のため、帰還後に公表する情報はこちらで選ぶ」
支部長は少し考えた。
「都合の悪いことを隠す気か」
「逆だ。余計な欲を煽らないようにする。金貨三枚の話だけが先行すると、死体が増える」
ガルドが低く言った。
「もう増えてる」
支部長は頷いた。
「認める」
「五つ」
セリアの声が少しだけ硬くなった。
「ニル・カートとロウゼン・ハルトの死体、または遺品を見つけた場合、回収を試みる。ただし、迷宮がそれを餌にしていると判断した場合は放棄する」
キトは何も言わない。
ただ、目を閉じていた。
支部長は静かに言った。
「それでいいのか」
キトが目を開けた。
「ニルは、そこまで馬鹿じゃない。迷宮が自分の死体を餌にしているなら、たぶん、捨てて帰れと言う」
支部長は、それ以上言わなかった。
「依頼を正式発行する」
彼は机の上に依頼書を置いた。
「Aランクパーティ、暁秤。灰白庭の高位査定を依頼する」
セリアが署名した。
「受ける」
◇
その夜。
暁秤は、宿の一室で準備を整えていた。
机の上には、地図とは呼べない紙が広げられている。
旧迷靄洞時代の入口図。
白磁庭園吸収後の魔力観測線。
生還者が描いた浅層断片図。
ニルの記録。
ロウゼンの補足。
そして、灰白小宝庫の不完全な見取り図。
セリアは赤い線を一本引いた。
「ここまで」
それは、灰白小宝庫の入口手前だった。
ユーファが顔を上げる。
「宝物室に入らないの?」
「入るかどうかは現地で決める。最初の目的は、正式宝箱の紋を確認すること。次に、報酬と罠の連動を見ること。三つ目に、帰路罠の発動条件を測ること」
「宝は?」
「必要なら取る。欲しければ捨てる準備をしてから取る」
ガルドが頷く。
「宝を取る前に、捨てる合図を決めておけ」
マルクは鎖の護符を机に置いた。
「帰路罠が魂や意思に反応するなら、物を捨てるだけでは足りないかもしれません」
「どうする」
「“持ち帰る意思”を切る鎖を準備します。宝を手放すだけでなく、欲を一度切る」
ユーファが嫌そうな顔をした。
「それ、かなり不快な術式なんだけど」
「死ぬよりましです」
キトはニルの記録を読んでいた。
何度も読んだはずの紙だ。
そこには、震えた筆跡でこう書かれている。
――箱は開ける前より、持って帰る時の方が怖い。
キトは紙を畳んだ。
「ニルは、最後までちゃんと見てた」
セリアは彼を見た。
「迷うか?」
「迷わない。怒ってもいない」
「本当に?」
「怒って突っ込むなら、俺がニルより先に死ぬ」
キトは短く息を吐いた。
「あいつは、広告塔にされた。だったら俺たちは、広告じゃなく査定を持って帰る」
セリアは頷いた。
「それでいい」
窓の外では、町の冒険者たちがまだ灰白庭の話をしていた。
白い箱。
金貨三枚の小片。
霧を封じる小瓶。
帰れなかった銀刻。
死んだニルとロウゼン。
それでも、行く価値があるかもしれない迷宮。
その噂の中で、暁秤は静かに準備を続けた。
◇
同じ頃。
霧灰白庭迷宮の白い部屋で、余は外縁の足跡を見ていた。
浅泥井戸から届いた記録だ。
重い足跡。
規則正しい歩幅。
荷の重さを均等に分けた隊列。
迷宮に入る前から撤退を計算している歩き方。
「……また面倒なのが来るな」
《高位冒険者の接近予兆があります》
「Aランクか」
《可能性が高いです》
「早いな」
《ニル・カートとロウゼン・ハルトの死亡、白銀磁片の流通、正式宝箱の認識が影響しています》
「つまり、余が育てた噂の実か」
《はい》
「なら、収穫せねばならんな」
フィルエの声が、森灰観測室から届く。
「今回は、前のAランクと違うよ」
「銀刻とは違う、という意味か」
「うん。たぶん、殺しに来るより、量りに来る」
「量りに」
「宝と危険を」
余は笑った。
「なら、見せてやる」
《危険です》
「分かっている」
《宝物庫機能の使いすぎは、高位侵入者を増やします》
「分かっていると言っている」
余は、灰白小宝庫の奥に新しい線を引いた。
正式宝箱を一つ。
偽箱を二つ。
採取物を少し。
帰路罠を軽く。
そして、帰路喰らいの落武者の影だけを、さらに薄く。
ヴェルグレイヴは使わない。
夜棺白庭は隠す。
フィルエもまだ前に出さない。
今回も、余の迷宮と罠で勝つ。
「暁秤、か」
《外部情報からの推定名称です》
「死地の値段を量る者たち」
余は白い部屋の中央で笑った。
「なら、量らせてやる」
戻り水が床下で鳴る。
白磁の宝箱が、灰の霧の中で静かに蓋を閉じる。
「ただし、秤ごと喰われぬようにな」