余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
。
三層下。
骨灯りの部屋。
サナギが教えた場所は、闇市のさらに奥にあった。
余はそこを直接見ているわけではない。
の外だ。
余の壁ではない。
余の床ではない。
余の霧も、そこまでは届かない。
だが、は届いている。
サナギの代理影に貼り付けた、細い帰路の針。
それは、闇市の三層下まで沈んだ。
骨灯りの部屋。
そこは、名前の通り、骨で照らされていた。
人骨ではない。
いや、人骨も混ざっているかもしれない。
魔物の骨。
冒険者の骨。
小型迷宮のだったものの骨。
白く磨かれた骨の中に、青い火が閉じ込められている。
その灯りが、部屋を冷たく照らしていた。
中央には、黒い机。
机の上には、値札が山のように積まれている。
金貨何枚。
銀貨何枚。
取引不可。
危険。
要封印。
主確認。
破棄推奨。
そうした値札の山。
その中に、サナギは座っていた。
人間だ。
たぶん。
だが、人間らしい顔ではなかった。
皮膚が薄い。
血色がない。
目の下に黒いがあり、指先は値札の紙と同じくらい白い。
声を出す前に、値札を書くような人間だった。
フィルエが、から小さく言った。
「いた」
「サナギか」
「うん。あれ、たぶん本体」
「弱そうだな」
「体は弱い。でも、見る力が強い」
「値踏みする力か」
「うん。ああいうの、目じゃなくて値段で世界を見てる」
「嫌な見方だ」
サナギは、薄い指で一枚の札をつまんでいた。
余が売った、偽のの声。
実体はない。
マネが真似た鐘の音に、余が言葉を乗せたものだ。
⸻
黒市主の背の欠片は
まだ泣いている
⸻
サナギは、その一文を何度も見ていた。
やがて、骨灯りの一つへ札をかざす。
青白い火が揺れた。
「……偽物だ」
サナギは呟いた。
余は白い部屋で眉を上げた。
「見抜いたか」
《完全には不明です》
サナギは続ける。
「でも、偽物にしては鳴りが近い」
彼は机の下から、小さな鐘を取り出した。
黒い鐘。
ひび割れている。
その表面には、迷宮文字に似た傷があった。
サナギは、爪で鐘を弾く。
ちん、と乾いた音が鳴った。
すると、余が渡した偽の声の札が、少しだけ震えた。
サナギは目を細める。
「音は借り物。言葉は作り物。でも、元の鐘は本物に触れている」
フィルエが小さく舌打ちした。
「厄介」
「偽物だと気づかれたか?」
「偽物とは思ってる。でも、どこから作ったかを探ってる」
「マネの音まで辿れるか」
「たぶん、まだ無理。でも、何度も見せると危ない」
マネは白い部屋の隅で、自分の口を両手で押さえていた。
フィルエに怒られたからだ。
だが、我慢できなくなったのか、小さく余の声で言った。
「何度も見せると危ない」
「黙れ」
「黙れ」
「本当に黙れ!」
マネはやっと黙った。
サナギは、骨灯りの下で値札を書き始めた。
⸻
情報品:残響核音声断片
真贋:偽寄り
音源:実接触あり
黒市主背部核片との関連:未確認
取扱:秘匿
備考:黒市主に報告するな
⸻
「……報告するな?」
余は低く呟いた。
《サナギは黒市主へ情報を隠す意図があるようです》
「黒市の中で、裏切っているのか」
「たぶん」
フィルエが言った。
「でも、味方じゃない」
「分かっている」
サナギは味方ではない。
余の残響核の声を欲しがり、偽物でも買った。
黒市主を恐れながらも、情報を隠している。
つまり、自分だけの値札を作ろうとしている。
利用できる。
だが、信用はできない。
その時、骨灯りの部屋の扉が叩かれた。
三回。
弱く。
だが、サナギの顔が変わった。
「誰」
扉の向こうから、女の声がした。
「黒市主から」
サナギは、一瞬だけ目を伏せた。
机の上の札を、素早く束ねる。
余が渡した偽の残響核の声も、その束の下へ隠した。
扉が開く。
入ってきたのは、顔を黒い布で覆った女だった。
手には、小さな箱を持っている。
箱は白くない。
黒い。
だが、箱の角に、死んだ迷宮の欠片らしき石が埋め込まれていた。
フィルエが息を止める。
「また残響核?」
「いや」
余はその箱を見た。
黒市主からの箱。
中に何かがいる。
女は、箱を机に置いた。
「主が言っている」
「何を」
「霧灰白庭迷宮の値札を、勝手に書くな」
サナギの指が止まった。
黒布の女は続ける。
「主はもう見ている」
「何を」
「お前が偽値札回廊に入ったこと」
フィルエが小さく言った。
「ばれてる」
「当然か」
黒市主は甘くない。
サナギの裏切りじみた行動も、おそらく見ていた。
サナギは薄く笑った。
「勝手に見たのは向こうも同じです。迷宮が値札を偽った。私は、その偽物を拾っただけ」
「言い訳は主へ」
女が箱を押した。
「開けろと」
サナギの顔から、わずかに血の気が引いた。
「ここで?」
「ここで」
「……何が入っている」
「背の欠片の、削り」
背の欠片。
黒市主の背に埋め込まれている、大きな残響核。
サナギが欲しがっていた情報の、本物の一部。
余は思わず白い部屋で身を乗り出した。
「本物か」
《反応が極めて強いです》
フィルエが唇を噛む。
「ロード、危ない。あれ、こっちにも響く」
「見たい」
「危ない」
「分かっている。だが、見なければ分からん」
サナギは黒い箱に手を伸ばした。
震えている。
欲と恐怖の両方で。
箱を開ける。
その瞬間、骨灯りが一斉に青黒くなった。
箱の中には、小さな黒い粉があった。
ただの粉に見える。
だが、そこから音がした。
ごん。
違う。
小鐘泥廟の残響ではない。
もっと低い。
もっと深い。
地面の底で、巨大な門が閉じるような音。
残響核隔離室の小鐘泥廟が、黒い器の中で震えた。
⸻
こわい
⸻
「小鐘泥廟が怯えている」
「上位の残響核か」
サナギは黒い粉を見て、笑った。
恐怖で笑っている。
「本物だ」
黒布の女が言う。
「主からの贈り物だ」
「違う。これは首輪だ」
「どちらでも」
黒い粉が、サナギの机に広がった。
すると、サナギが隠していた余の偽の残響核の声の札が、勝手に浮き上がった。
黒い粉が、その札へ集まる。
偽物を嗅ぎ分けている。
「まずい」
フィルエが言った。
「偽声が食われる」
「食われるとどうなる」
「マネの音まで辿られるかもしれない」
「切れ」
《外部接続を切断しますか》
「いや、待て」
余は、黒い粉の動きを見た。
あれは、黒市主の背の残響核の削り滓。
つまり、黒市主本体の一部ではない。
だが、強い。
それが偽の声を喰おうとしている。
なら、逆に。
「マネ」
「マネ」
「音を一つ、置いてこい」
フィルエがこちらを見た。
「ロード?」
「偽の声を食わせる。ただし、毒を混ぜる」
「毒?」
「音の毒だ」
余は残響核隔離室の小鐘泥廟へ意識を向けた。
「小鐘泥廟。怖いだろうが、少し鳴れ」
⸻
いや
⸻
「少しでいい。お前を売らぬ。お前を渡さぬ。ただ、あの黒い粉を迷わせる音が必要だ」
黒い器は震えた。
しばらくして、弱く鳴る。
ごん。
マネがそれを真似た。
「ゴォン」
フィルエが森灰観測網を重ねる。
「音を曲げる。黒市主へ戻る道じゃなく、偽値札回廊へ向かうように」
「やれ」
マネの音。
小鐘泥廟の残響。
フィルエの森灰術。
余の偽値札回廊。
それらを一つにして、偽の声の札へ混ぜる。
黒い粉が、札を喰った。
瞬間。
骨灯りの部屋に鐘の音が響いた。
ごん。
ごん。
ごん。
サナギが耳を押さえる。
黒布の女が後ろへ下がる。
黒い粉が、机の上で渦を巻く。
そして、偽値札回廊へ向かう道を、本物の道だと誤認した。
《黒市主背部残響粉、偽値札回廊へ誘導》
「よし」
黒い粉の一部が、迷子札に触れた。
触れた瞬間、余の白い部屋に、断片が流れ込む。
黒い門。
錆びた玉座。
巨大な背骨のような橋。
黒市主の背中。
そこに埋め込まれた、大きな残響核。
名前は分からない。
だが、かすかな文字が見えた。
⸻
骸門
ろう
……
⸻
「骸門……?」
《情報断片取得》
フィルエが言った。
「たぶん、黒市主の背の欠片の元迷宮名」
「骸門牢?」
「最後が欠けてる」
骸門。
牢。
それだけでも、十分に不吉だった。
黒い粉はすぐに反応を戻した。
偽値札回廊が偽物だと気づいたのか、激しく震える。
黒布の女が叫んだ。
「サナギ、何をした!」
「俺じゃない!」
サナギは本当に慌てていた。
余は笑った。
「今回はお前ではない」
黒い粉が骨灯りを消し始める。
部屋が暗くなる。
サナギは素早く、余の偽声札の残骸をつまみ、別の骨札へ押し込んだ。
自分だけ、情報を抜いている。
黒布の女はそれに気づかない。
いや、気づく余裕がない。
黒い粉が暴れている。
サナギは小声で言った。
「霧灰白庭迷宮。聞いているなら、次は値が上がる」
余は目を細めた。
「何だと」
サナギは、こちらが聞いていると分かって言っている。
「黒市主の背の欠片。名は途中まで見えた。欲しいなら、次は本物を払え」
フィルエが低く言った。
「また取引を持ちかけてる」
「図々しい値踏み師だ」
サナギは、さらに言った。
「残響核の声、偽物では足りない。次は本物の一音。そうすれば、背の名をもっと売る」
残響核隔離室の小鐘泥廟が震えた。
⸻
いや
⸻
余は即答した。
「売らん」
サナギには聞こえない。
だが、言った。
「お前に売るものは、偽物で十分だ」
黒い粉の暴走が収まり始める。
黒布の女が箱を閉じる。
「主へ報告する」
「何を」
「サナギが不安定な音を混ぜたと」
「俺は何もしていない」
「主が判断する」
黒布の女が部屋を出ていく。
サナギは、しばらく黙っていた。
それから、机の上に残った骨札へ、震える指で値札を貼った。
⸻
霧灰白庭迷宮
偽物を売る
だが音は本物に近い
黒市主と敵対中
利用価値:極高
信用:不可
⸻
「信用不可はお前だ」
余は呟いた。
サナギは疲れたように笑った。
「信用不可同士、取引しようじゃないか」
その声を最後に、迷子札の視界が薄くなった。
《骨灯りの部屋への接続、弱化》
《取得情報:黒市主背部残響粉、骸門系名称断片》
《推定名候補:骸門牢、骸門廊、骸門楼》
《サナギ、継続接触意思あり》
「骸門……」
余は白い部屋で、その文字を見つめた。
黒市主の背に埋め込まれた大きな残響核。
小鐘泥廟が怯えるほどの強い死骸。
その名の一部が見えた。
骸門。
それは、黒市主の弱点へ繋がる名かもしれない。
だが、そのために小鐘泥廟の本物の声を売るつもりはない。
「管理音声」
《はい》
「小鐘泥廟の残響核をさらに保護しろ」
《ソウル消費:300》
「許可」
《現在保有ソウル:21,370》
黒い器の中で、小鐘泥廟が弱く鳴った。
⸻
ありがとう
⸻
「取引だ」
余は言った。
「お前は情報を出す。余はお前を売らない」
⸻
うん
⸻
フィルエが、また少しだけ笑った。
「ロード、やっぱり優しい」
「違う」
「取引?」
「取引だ」
マネが余の声で言った。
「取引だ」
「お前はもう少し静かに取引しろ」
白い部屋に、小さな笑いが戻る。
だが、その奥で、余は骸門の文字を見つめ続けた。
黒市主の背。
骸門。
サナギ。
骨灯りの部屋。
偽物の取引。
闇市の中で、少しずつ線が伸びていく。
「黒市主」
余は低く呟いた。
「お前が死んだ迷宮を着るなら、余はその縫い目を探す」
白い部屋の床に、黒い門の断片が浮かんだ。
「骸門。その名の続きを、必ず暴いてやる」