余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
は死んだ。
赫槍のは勝った。
その事実だけなら、彼らは英雄だった。
死んだ迷宮を体に縫い込み、闇市の奥で迷宮を商品として扱っていた怪物を、Aランクパーティ四人が倒した。
槍は折れかけ、盾は砕け、魔力は尽き、足は裂けている。
それでも、勝った。
普通の戦場なら、ここで終わりだ。
倒れた敵。
息を荒くする勝者。
仲間同士の短い確認。
そして撤退。
だが、ここは普通の戦場ではない。
の中だ。
勝利も、余の腹の内側にある。
「狩れ」
余が命じた瞬間、の霧が変わった。
黒市主が死んだことで、の黒い檻は崩れかけていた。
だが、完全には消えていない。
黒い門のが、床と壁に焦げ跡のように残っている。
赫槍の灯は、その隙間を見ていた。
レオハルトが折れかけた槍を杖のようにつく。
「……来るぞ」
ミラが膝をついたまま、顔を上げた。
「何が?」
「迷宮だ」
その言葉は正しかった。
今までは、黒市主が敵だった。
だが、これからは迷宮そのものが敵になる。
バズが砕けたを持ち直した。
盾の中央には大きな亀裂。
左腕は垂れ、肋骨も折れている。
それでも、彼は前に出た。
「レオ、ミラを連れて下がれ」
「お前が残る気か」
「いつものことだろ」
シオンは片足を引きずりながら、投げ針を指に挟んだ。
「普通の帰路は無理。黒市主が開けた骸門の裂け目、まだ死んでない。あそこを抜ければ外層へ跳べるかもしれない」
フィルエが白い部屋で目を細めた。
「ロード。あれ、まずい」
「分かるのか」
「うん。帰路じゃない。黒市主が作った“回収路”の残り。迷宮の出口じゃないから、帰路喰らいが少し噛みにくい」
「つまり、あいつらは余の出口を使わずに逃げる気か」
「うん」
「させるか」
赫槍の灯は、まだ死んでいない。
黒市主に勝った後でも、逃げ道を探している。
しかも普通の帰路ではなく、黒市主の骸門残滓を利用するつもりだ。
やはり強い。
やはり帰してはならない。
「シオンからだ」
《対象:シオン》
「足を止めろ。あいつが逃げ道を見る」
灰霧の奥で、ハイハネが羽を広げた。
未成熟の霧喰い大蛾。
だが、その追跡粉はもう十分役に立つ。
ハイハネが霧を吸う。
そして、白灰の粉を吐いた。
粉は霧に混じり、シオンの裂けた足へ絡む。
シオンはすぐ気づいた。
「粉!」
彼は上着を裂き、足を払う。
判断が早い。
だが、そこへカゲヌイが入る。
影縫いカゲヌイ。
新たに得たが、シオンの足影を縫った。
「っ!」
シオンの動きが止まる。
完全停止ではない。
一拍。
それだけ。
だが、その一拍で、が三体、槍を揃えて突き出した。
シオンは笑った。
「遅い」
投げ針が三本飛ぶ。
湿骨兵の関節へ。
一体の膝。
一体の肘。
一体の首。
湿骨兵三体が崩れかける。
「Aランクの斥候は、片足でもこれか」
《湿骨兵三体、損傷》
「構わん。押せ」
損傷した湿骨兵は、崩れながらも前に出た。
骨が砕けても、止まらない。
シオンが二本目の投げ針を構えた瞬間、マネの声が霧の中に響いた。
それは、レオハルトの声だった。
「シオン、右だ!」
シオンの目が、ほんの一瞬だけ右へ動いた。
本物ではないと、すぐに気づいただろう。
だが、反応はした。
その瞬間、カゲヌイの二本目の影鎖針が入る。
今度は、彼の投げ針を持つ手の影へ。
「しまっ――」
湿骨兵の槍が、シオンの腹を貫いた。
それでも、シオンは最後の針を投げた。
針はカゲヌイの影へ飛ぶ。
カゲヌイが退くより早く、針が影を裂いた。
《カゲヌイ、軽度損傷》
「最後まで厄介な」
シオンは血を吐きながら笑った。
「レオ……骸門を、使え」
その言葉を最後に、湿骨兵の槍が彼の胸を貫いた。
《Aランク斥候兼投擲手:シオン、討伐》
《獲得ソウル:1,090》
《取得:裂標針、骸門残滓読解片、片足撤退術の記憶、投擲精度の残滓》
一人目。
だが、喜ぶ暇はない。
レオハルトが、シオンの言葉を聞いていた。
骸門の裂け目を使う。
やはり、あれが逃走路だ。
「骸門残滓を閉じろ」
《骸門牢獄由来の残滓です。完全閉鎖には時間がかかります》
「時間はない」
フィルエが言った。
「私がずらす」
「無理をするな」
「少しだけ」
「その少しが毎回大きい!」
フィルエは答えず、を骸門の裂け目へ伸ばした。
裂け目は黒い。
迷宮の出口ではなく、黒市主が持ち込んだ回収路の破片。
そこを通られると厄介だ。
フィルエがその“道の見え方”を少しずらす。
真っ直ぐに見える裂け目が、実際には半歩ずれる。
レオハルトが気づく。
「迷宮が道をずらしてる!」
ミラが苦笑する。
「まだやる気なの、この迷宮」
「ここまで来て、逃がす気があるわけないだろ」
レオハルトはミラを支えようとした。
だが、バズが前に出る。
「俺が止める」
「バズ」
「三歩は持たせる」
「足りない」
「じゃあ五歩だ」
バズは笑った。
砕けた重祈盾を構える。
そこへ、泥が押し寄せた。
グズ。
泥門番長ではない。
進化した門将。
Aランク盾役ガルドを喰って得た、門を塞ぐ力。
グズは泥の奥から現れ、巨大な門槌を構えた。
「グ……ズ……!」
その声が、骸門誘導室に重く響く。
バズが笑う。
「でかいな」
グズが門槌を振る。
バズが盾で受ける。
衝突。
白磁床が割れた。
バズの両足が沈む。
だが、彼は倒れない。
「重祈盾・!」
盾の亀裂から、祈りの火が漏れる。
黒市主戦で消えかけた灯。
それを、バズは最後の防御に変えた。
グズの泥門が止まる。
「まだ押し返すか」
《対象バズ、極度の負傷状態でも防御性能維持》
「なら、正面から折る」
グズがさらに泥を盛る。
泥門が、壁ではなく山になる。
バズは歯を食いしばる。
肋骨が折れている。
腕も限界だ。
だが、祈りの盾はまだ立っている。
バズが叫んだ。
「レオ! 行け!」
「行かせん」
余は命じた。
「グズ、塞げ」
泥が横へ広がる。
バズを押し潰すのではない。
レオハルトたちの道を塞ぐ。
バズはそれを見て、盾を投げた。
砕けた重祈盾を、泥門の中心へ。
盾が泥の中で光る。
「重祈盾・!」
盾が杭になる。
泥門を一瞬だけ固定する。
グズの動きが止まった。
バズは、その隙に素手で泥門へ突っ込んだ。
押す。
両腕で。
砕けた肋骨で。
祈りの残りで。
泥塞門将グズと、真正面から押し合う。
すごい。
本当にすごい。
だが、もう盾はない。
赤錆噛みが、泥の中から這い上がる。
盾ではない。
バズの鎧の留め金でもない。
祈祷具を繋いでいた鎖。
そこを噛む。
かり。
灯杭の光が揺らぐ。
グズの門槌が、横から入った。
バズは避けない。
避けられない。
門槌が彼の脇腹を潰した。
それでも、彼は笑った。
「五歩……稼いだぞ」
次の門槌が、頭部を叩き潰した。
《Aランク重装僧兵:バズ、討伐》
《獲得ソウル:1,420》
《取得:重祈盾片、灯壁の残火、僧兵踏ん張り骨、盾杭術式の残滓》
二人目。
道は塞がった。
だが、バズが稼いだ五歩で、レオハルトとミラは骸門の裂け目へ近づいていた。
ミラはもう立っていない。
レオハルトが片腕で支えている。
それでも、彼女の杖には火が残っていた。
「ミラ」
「分かってる」
「逃げるぞ」
「逃げられたらね」
ミラは、こちらの罠を見て笑った。
疲れた顔で。
でも、目は燃えている。
「この迷宮、火を怖がってる」
「怖がってはいない」
余は低く言った。
だが、ミラの火は厄介だ。
浄火。
死骸にも、残響核にも、影にも効く。
もし十分な魔力が残っていれば、こちらの宝物庫罠も焼かれかねなかった。
だが今のミラは、限界に近い。
なら、そこを突く。
「火返し宝箱を起動」
《未完成機構です》
「ユーファの鑑定返しを応用しろ。火の価値を返せ」
《危険です》
「やれ」
骸門誘導室の壁に、半ば壊れた正式宝箱が浮かび上がる。
蓋は開いている。
中身はない。
ただ、箱の内側に灰白の紋が光る。
ミラが即座に気づいた。
「反射箱!」
彼女は火を止めようとした。
しかし、止めるには遅い。
骸門の裂け目を開くため、彼女はすでに浄火を放っていた。
「炎環術・!」
細い炎の輪が、骸門の裂け目を焼き開く。
だが、その火の一部が、火返し宝箱へ吸われた。
箱が赤く光る。
そして、同じ火を返す。
ただし、浄火ではない。
灰霧と白磁花粉を混ぜた、濁った反射炎。
ミラは杖で受けた。
「っ、ああ!」
杖が割れる。
炎が彼女の肩を焼く。
それでも、ミラは倒れない。
「ふざけるな……私の火を、汚すな!」
最後の魔力を絞る。
火返し宝箱がさらに光る。
まずい。
あの女、反射されると分かっていて、箱ごと焼き切るつもりだ。
「折剣濁白騎士」
《展開》
白磁偽財殿から、が歩き出す。
セリアの双剣片を組み込んだ、宝物室守護騎士。
折れた白剣と灰剣を構え、ミラへ向かう。
レオハルトが前に出ようとする。
だが、ミラが止めた。
「行って」
「ミラ」
「行けって言ってるの!」
ミラの火が大きくなる。
「炎環術・!」
炎が彼女自身を包む。
折剣濁白騎士の剣が炎に入る。
白剣が焼ける。
灰剣が溶けかける。
だが、騎士は止まらない。
ミラの杖が完全に砕ける。
火返し宝箱が反応し、最後の炎を一部奪う。
その奪った炎を、折剣濁白騎士の白剣へ流す。
白剣が、汚れた浄火をまとった。
そして、ミラの胸を貫いた。
ミラは笑った。
血を吐きながら。
「……最悪。私の火で、私を焼くなんて」
そのまま、白い炎に包まれて倒れた。
《Aランク炎術師:ミラ、討伐》
《獲得ソウル:1,510》
《取得:浄火輪の残滓、炎環術式片、焼けた杖核、火返し反応記録》
三人目。
残るはレオハルトだけ。
槍使い隊長。
黒市主を貫いた男。
仲間三人を失い、槍も折れ、片腕も血に染まっている。
それでも、彼は立っていた。
骸門の裂け目は、まだ少し開いている。
ミラが最後に焼いたからだ。
そこへ走れば、外層へ抜けられる可能性がある。
レオハルトは走った。
余は、少しだけ感心した。
仲間の死を見て、叫ばない。
立ち止まらない。
復讐に寄らない。
生きて帰ることを選んだ。
Aランクの隊長だ。
だから、最後に一番厄介だ。
「帰路喰らい」
《展開》
灰霧の奥で、帰路喰らいの落武者が刃を鳴らした。
ただし、今回の帰路は普通ではない。
骸門の裂け目。
黒市主の回収路。
だが、レオハルトはそこを“帰る道”として見ている。
ならば、喰える。
落武者が現れる。
灰白の鎧。
欠けた兜。
帰路を見つめる眼のない顔。
レオハルトが槍を構えた。
折れた槍。
それでも構える。
「最後に武者か」
帰路喰らいが無言で刃を上げる。
レオハルトは笑った。
「いい。分かりやすい」
踏み込む。
速い。
黒市主との戦いでボロボロなのに、まだ速い。
「赫槍技・灯残し(あかりのこし)!」
折れた槍の先から、赤い残火が伸びた。
槍の長さを補う火の穂先。
それが、帰路喰らいの刃とぶつかる。
火花。
灰霧。
白磁の欠片。
レオハルトは一度、二度、三度と突く。
帰路喰らいは受ける。
ただの正面戦ではない。
帰ろうとする意思へ、刃を伸ばす。
レオハルトの足元の影が、骸門の裂け目へ向いている。
そこを斬る。
レオハルトが歯を食いしばる。
「っ、足が……!」
帰路そのものを斬られている。
だが、彼はまだ進む。
強い。
本当に強い。
「フィルエ」
「うん」
「道をずらせるか」
「一回だけ」
「やれ」
フィルエが床に手をつく。
森灰術・道違え(みちたがえ)。
骸門の裂け目が、レオハルトの目には半歩近く見える。
実際には半歩遠い。
そのズレで、彼の踏み込みが少しだけ狂う。
レオハルトは気づいた。
「またか!」
それでも、槍を突く。
帰路喰らいの肩を裂いた。
《帰路喰らいの落武者、軽度損傷》
「まだ届くか」
そこへ、マネが声を出した。
ミラの声だった。
「レオ、行って」
レオハルトの足が止まった。
ほんの一瞬。
彼はそれが偽物だと分かっていたはずだ。
それでも、止まった。
仲間の声だからだ。
その一瞬に、帰路喰らいの刃が彼の帰還意思を喰った。
足元から、骸門の裂け目へ向かう赤い線が消える。
レオハルトは、外へ抜ける道を見失った。
「……やるな、迷宮」
彼は笑った。
「勝った相手を、帰さないか」
余は白い部屋で答えた。
「当然だ」
届かない。
だが、言った。
「ここは余の迷宮だ」
レオハルトは最後に槍を構えた。
逃げ道を失っても、折れない。
だから、正面から終わらせる。
泥塞門将グズが背後の道を塞ぐ。
折剣濁白騎士が左から迫る。
カゲヌイの影鎖針が足元を縫う。
ハイハネの霧が視界を塞ぐ。
帰路喰らいの落武者が、正面に立つ。
レオハルトは一人で、全部を見た。
そして、笑った。
「赫槍の灯、隊長レオハルト」
彼は折れた槍を掲げた。
「ここまでだ」
帰路喰らいの刃が振り下ろされる。
レオハルトの槍が、それを迎え撃つ。
最後の一撃。
槍が砕けた。
刃が胸を通った。
レオハルトの体が、膝から崩れる。
《Aランク槍使い隊長:レオハルト、討伐》
《獲得ソウル:1,860》
《取得:赫槍の折れ槍、灯貫きの記憶、隊長判断片、骸門突破記録》
静かになった。
骸門誘導室には、黒市主の残骸。
赫槍の灯の死体。
折れた槍。
砕けた盾。
焼けた杖。
投げ針。
そして、灰白の霧。
白い部屋に、結果が表示される。
⸻
赫槍の灯討伐結果:
シオン
獲得ソウル:1,090
バズ
獲得ソウル:1,420
ミラ
獲得ソウル:1,510
レオハルト
獲得ソウル:1,860
赫槍の灯合計獲得ソウル:5,880
黒市主討伐獲得ソウル:134,500
最終戦合計獲得ソウル:140,380
戦闘前保有ソウル:30,150
黒市主討伐後保有ソウル:164,650
赫槍の灯討伐後保有ソウル:170,530
⸻
余は、その数字をしばらく見ていた。
170,530。
異常な数字だ。
今までとは違う。
迷宮として、一段どころではなく、何段も跳ねた数字。
だが、骸門誘導室は壊滅寸前。
残響核汚染は濃い。
フィルエはまた反動を受けている。
帰路喰らいも、折剣濁白騎士も、グズも、損傷している。
勝利は大きい。
だが、傷も深い。
《戦闘損耗》
⸻
骸門誘導室:損傷率92%
骸門牢獄残響汚染:極大
フィルエ:命脈反動、中
帰路喰らいの落武者:軽度損傷
泥塞門将グズ:軽度損傷
折剣濁白騎士:中度損傷
湿骨兵三体損壊
ハイハネ:疲労
カゲヌイ:軽度損傷
正式宝箱系罠:複数破損
⸻
「修復にいくらかかる」
《初期封じ込めに20,000。完全修復と汚染隔離に追加で35,000以上》
「高いな」
《骸門牢獄由来の残響汚染が大きいためです》
「だが、払える」
《はい》
払える。
黒市主を喰ったから。
赫槍の灯を喰ったから。
余の迷宮は傷ついた。
だが、傷ついただけ強くなる材料を得た。
「管理音声」
《はい》
「骸門牢獄の残響を、完全には消すな」
《危険です》
「分かっている」
《汚染が残ります》
「隔離する。利用する。黒市主が着ていた死骸を、今度は余が檻に入れる」
《隔離区画が必要です》
「作る。後でな」
フィルエが小さく言った。
「ロード」
「何だ」
「終わったね」
「終わった」
黒市主は死んだ。
赫槍の灯も死んだ。
墓銭拾いも、卵市場も、サナギも、闇市そのものも残っている。
だが、黒市主はもういない。
余に値札を付けた男は、余の迷宮の中で死んだ。
その体に埋め込まれていた多くの残響核も崩れ、ソウルになった。
完全な終わりではない。
「白骨書記」
白骨書記が、骨筆を構える。
「記録しろ」
⸻
黒市主、討伐。
赫槍の灯、全滅。
骸門牢獄残響、回収対象化。
闇市本流、指導者を喪失。
霧灰白庭迷宮、保有ソウル:170,530。
⸻
「よし」
余は白い部屋の中央で、ゆっくり息を吐いた。
勝った。
とても大きな勝利だ。
だが、浮かれすぎるな。
SSSランク迷宮は勇者に消された。
SSランク迷宮は一人の冒険者に消された。
黒市主も、Aランクパーティも喰ったが、それでも上には上がいる。
だからこそ、今は修復だ。
強化だ。
骸門牢獄の残響をどう扱うか、考えねばならない。
夜棺白庭の奥で、白磁の棺が一度だけ鳴った。
こつり。
ヴェルグレイヴはまだ眠っている。
余は、そちらを見て言った。
「まだ起こさん」
そして、骸門誘導室の残骸を見下ろす。
「今回も、余の迷宮で勝った」
黒市主の黒い値札が、灰になって崩れた。
余は静かに笑った。
「勝利すら、持ち帰れぬ場所。それが霧灰白庭迷宮だ」