余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
白い霧の外で、地面が鳴っていた。
最初は遠い雷のようだった。
次に、地響きになった。
それから、の外縁そのものが震え始めた。
白い部屋の壁面には、外部反応が次々と浮かんでいる。
赤ではない。
黒だった。
魔物の反応が多すぎて、表示が黒く潰れている。
《外縁部に大規模魔物群》
《通常侵入規模を超過》
《外部接触範囲、拡大中》
《浅層入口、外壁側自然隙間、上部霧層、戻り水外縁、同時接触》
「……管理音声」
《はい》
「数は」
《推定不能》
「推定しろ!」
《外縁接触反応、十万規模》
白い部屋が、静かになった。
十万。
冒険者の群れではない。
討伐隊でもない。
Aランクパーティでもない。
のような単独の怪物でもない。
十万の魔物。
それが今、霧灰白庭迷宮の腹を叩いている。
ゴブリン。
オーク。
狼型魔物。
虫型魔物。
飛行種。
死体獣。
泥を引きずる魔物。
角を持つ獣。
それらが押し合い、潰し合い、踏み越え合いながら、白い霧へ流れ込んでいる。
そして、その中心にいた。
金色の目。
未成熟な角。
灰緑の体。
腰に吊るした銅鐘。
魔神ゴブリン・ガルザヴェイン。
Sランク魔物。
まだ育ちきっていない、最上位ゴブリン。
「人間どもめ」
余は、低く言った。
《魔物軍勢は、人為的に誘導された可能性があります》
「可能性ではない。これは押し付けられたのだ」
外縁の反応には、火の残り香が混じっていた。
の匂い。
人間の鐘。
王都側から流された圧。
明らかに自然な侵入ではない。
王都の連中は、自分たちで受けきれない魔物の軍勢を、余の迷宮へ流した。
腹立たしい。
非常に腹立たしい。
だが、同時に。
余の腹の奥が、熱くなった。
十万の魔物。
それは災害だ。
だが、ここは迷宮だ。
迷宮で死んだものは、余のものになる。
人間だろうが、魔物だろうが、侵入し、倒れ、命を落とせば、ソウルは余の腹へ流れ込む。
十万の軍勢。
十万の脅威。
そして、十万の餌。
「管理音声」
《はい》
「出し惜しみはなしだ」
《戦闘方針を確認します》
「全力で戦う。浅層も中層も、宝物庫も、泥も、霧も、骨も、糸も、蛾も、全部使う。宝箱が壊れても構わん。採取物が潰れても構わん。区画が傷ついても構わん。今は、十万を喰う」
《は》
余は、一瞬だけ黙った。
夜棺白庭。
古血のヴァンパイア、ヴェルグレイヴが眠る場所。
最終防衛機構。
最悪の切り札。
だが、まだだ。
「起こすな」
《承知しました》
「だが、夜棺白庭の周囲に魔物を一匹たりとも近づけるな。あそこを刺激すれば、余が起こす前に勝手に起きるかもしれん」
《夜棺白庭、隔離強化》
「フィルエ!」
「見てる」
から、フィルエの声が返った。
眠そうな声ではない。
戦う声だ。
「外の流れが変。魔物たちは自分で選んで入ってるんじゃない。押し込まれてる」
「人間に流された」
「うん。でも中心のあれは違う。あれは、自分でこっちを見てる」
「ガルザヴェインか」
「金色。ゴブリン。でも、ゴブリンじゃないみたい。まだ育ちきってないのに、すごく強い」
「Sランク魔物だ」
「それだけじゃない」
フィルエの声が、少し低くなる。
「あれ、周りのゴブリンを変えてる。近くにいるだけで、ゴブリンが上へ引っ張られてる」
「最上位ゴブリン、か」
余は、壁面の奥に映る金色の目を見た。
まだ外縁だ。
まだ浅層に深く入ってはいない。
だが、あれはこちらを見ている。
白い霧の奥を。
迷宮の腹を。
余を。
「強い奴と戦いたい顔をしているな」
《顔からの推定ですか》
「気配で分かる」
あれは、王ではない。
まだ完成した魔神でもない。
飢えた怪物だ。
強いものを探している。
戦いを求めている。
そして今、余の迷宮に入ってきた。
「よい」
余は言った。
「ならば、まず教えてやる」
《何を》
「ここは、ただの森ではない」
白い部屋の床に、迷宮全体の図が広がった。
浅層。
灰霧回廊。
戻り水湿地。
。
。
。
霧喰い大蛾育成温室。
残響音響室。
宝物庫中枢補助核。
夜棺白庭。
すべてが、今、戦場になる。
「白骨書記」
が、白骨書記室から顔を出した。
骨筆を二本持っている。
「侵入者台帳を戦争用に切り替えろ。個体ごとの記録は不要だ。種別、数、死亡地点、獲得ソウルを優先」
白骨書記は、かた、と顎を鳴らし、床へ書いた。
⸻
戦争台帳へ移行。
個別記録を簡略化。
大量死亡処理を優先。
⸻
「ゴブリン食害記録は後だ」
白骨書記は、一瞬止まった。
そして、非常に不満そうに、ゴブリン食害記録棚へ伸ばしていた骨筆を引っ込めた。
「その反応は何だ」
《白骨書記は記録優先度変更に不満があるようです》
「今は戦争だ!」
◇
最初に動いたのは、霧だった。
灰白の霧が外縁へ広がる。
普段なら、冒険者の視界を奪い、足音を狂わせ、恐怖を育てる霧。
だが、相手は一人二人ではない。
数十でもない。
十万だ。
怖がらせる霧では足りない。
群れを壊す霧に変える。
「霧濃度、最大」
《浅層全域、灰霧濃度上昇》
「白磁花粉を混ぜろ。ただし即死毒ではなく、目と鼻を潰せ。匂いも、視界も、最初に壊す」
《実行》
霧が変わった。
白いだけではない。
灰が混じる。
白磁花粉が混じる。
戻り水の湿りが混じる。
最初に入ったゴブリン群が、霧の中で咳き込んだ。
「ギ、ギギッ!」
「ギャ!」
「ギ、ギイイ!」
目を押さえる。
鼻を掻く。
方向を失う。
後続のゴブリンが、それを踏み潰して進む。
狼型魔物は匂いを頼りに走ろうとして壁に頭を打ちつける。
オークが苛立って棍棒を振り回し、味方のゴブリンをまとめて潰す。
虫型魔物が互いの殻に噛みつく。
浅層入口で、魔物同士の衝突が始まった。
押し込まれる。
止まれない。
見えない。
嗅げない。
だから、ぶつかる。
倒れる。
踏まれる。
潰れる。
《浅層初期混乱、発生》
《魔物同士の衝突死、圧死、霧中迷走死を確認》
《死亡推定:一万二千四百体》
《獲得ソウル:148,800》
白い部屋へ、いきなり大きな数字が流れ込んだ。
148,800。
今までなら、一戦の大戦果と呼べる数字だ。
だが、これはまだ最初の混乱だけだ。
「入ったな」
《はい》
「これが戦争か」
《はい》
「悪くない」
余は笑った。
魔物が死ぬ。
大量に死ぬ。
ソウルが流れ込む。
迷宮の床下が、熱を帯びたように震えている。
だが、笑ってばかりはいられない。
十万の軍勢は、まだ押し寄せている。
◇
上部霧層へ、飛行種が殺到した。
地上の魔物が詰まれば、空から入ろうとする。
当然だ。
飛行種は、白い霧の上を越えようとした。
だが、そこにハイハネがいた。
霧喰いの未成熟個体として生まれ、補充日と卵狩りの戦いを越えた、灰霧の蛾。
今はまだ、完全な成体ではない。
それでも、外部追跡で役に立ち、卵市場を見つけた。
その羽は、もう霧灰白庭迷宮の目の一つだった。
「ハイハネ、上層霧へ」
育成温室の奥で、ハイハネが羽を震わせた。
ふぁさ。
灰白の霧が、上へ流れる。
飛行種たちの翼に、白灰の粉が付く。
ただの粉ではない。
霧を重くする粉。
光を鈍らせる粉。
方向をずらす粉。
飛行種の羽ばたきが乱れた。
一体が別の飛行種へぶつかる。
二体が絡み合って落ちる。
落ちた先には、影縫い大蜘蛛の糸。
さらに後続が巻き込まれる。
空の流れが崩れた。
それでも、数が多い。
飛行種は次から次へ入ってくる。
「ハイハネだけでは足りん」
《霧喰い大蛾卵群、孵化率上昇中》
「強制孵化は」
《可能。ただし未成熟個体になります》
「十万相手に成熟を待てるか。孵せ」
《霧喰い大蛾卵群、六個を強制孵化》
育成温室で、卵が割れた。
一つ。
二つ。
三つ。
まだ湿った羽を持つ霧喰い大蛾たちが、次々と這い出す。
弱い。
戦闘力は低い。
だが、霧を食える。
粉を撒ける。
空を乱せる。
ハイハネが羽を震わせる。
ふぁさ。
ふぁさ。
ふぁさ。
未成熟の大蛾たちが、それに合わせて羽を動かす。
上部霧層が、灰白の粉で満ちた。
飛行種が落ちる。
糸に絡む。
湿骨兵の槍に貫かれる。
戻り水へ沈む。
《飛行種落下、影糸捕縛、湿骨兵処理を確認》
《死亡推定:三千百体》
《獲得ソウル:93,000》
白骨書記が骨筆を走らせる。
⸻
第一空層戦果:
飛行種落下・影糸捕縛
獲得ソウル:93,000
霧喰い大蛾群、有効
⸻
その直後、管理音声が告げた。
《霧喰い大蛾ハイハネ、進化条件を達成》
「もうか」
《大量飛行種へ追跡粉を付与。霧喰い大蛾群を統率。進化可能です》
「やれ」
《進化を実行します》
育成温室から、灰白の光が広がった。
ハイハネの羽が大きくなる。
未成熟だった体が急激に伸びる。
羽の縁に白磁粉のような模様が走り、胴体には灰霧の筋が入る。
霧を食うだけではない。
霧を導く。
群れを導く。
粉を導く。
ハイハネは、ただの蛾ではなく、霧層の指揮個体へ変わっていく。
《霧喰い大蛾ハイハネは、ハイハネへ進化しました》
ハイハネが羽を広げた。
ふぁさ。
その一音で、上部霧層の流れが変わる。
落ちる飛行種の位置が、こちらの望む場所へ寄っていく。
影糸へ。
湿骨兵の槍列へ。
戻り水の深い場所へ。
「第一進化だ」
《記録します》
白骨書記が即座に書いた。
⸻
戦闘中進化一:
ハイハネ
霧喰い大蛾 → 灰霧追導蛾
⸻
「その調子で、全部記録しろ」
白骨書記は、かた、と顎を鳴らした。
◇
地上では、泥が動いた。
グズは、中層手前に置いている。
だが、その泥核は浅層へも流せる。
普段なら、消耗を避けるために小規模にしか使わない。
だが、今は出し惜しみなしだ。
「グズ、外縁泥を全部起こせ」
「グ……ズ……!」
迷宮の奥から、低い声が返った。
浅層の床が湿る。
戻り水が泥を練る。
白磁片を含んだ灰色の泥が、通路の下から湧き始めた。
ゴブリンが沈む。
狼型魔物が足を取られる。
オークが膝まで沈み、怒って棍棒を振り回す。
だが、泥は棍棒で殴っても消えない。
沈む。
絡む。
重くする。
泥魔物の一部は耐えたが、白磁粉を含んだ泥に触れた瞬間、体表が固まり、動きが鈍る。
そこへ湿骨兵が入った。
湿った骨。
泥を纏った肋骨。
白磁片の盾。
戻り水の上で戦う兵たち。
最初は十体。
修復して十体。
戦場生成で増やしたものを合わせ、すでに十五体。
彼らが、泥の中から槍を突き出す。
沈んだ魔物の喉を突く。
腹を突く。
目を突く。
倒れた魔物を、泥の奥へ押し込む。
魔物が死ぬ。
また死ぬ。
さらに後続がその上を踏もうとして、同じ泥へ沈む。
《戻り水湿地外縁、魔物死亡多数》
《死亡推定:四千六百体》
《獲得ソウル:184,000》
ソウルが、さらに流れ込む。
184,000。
白い部屋の床下が、強く震えた。
数字が膨れ上がっていく。
だが、湿地側にも問題が出る。
《警告》
《死体堆積により、戻り水湿地外縁の処理能力が低下》
《湿骨兵の移動経路、一部塞がれています》
「死体を沈めろ」
《戻り水処理、過負荷》
「なら湿骨兵に運ばせろ」
《湿骨兵、数不足》
「今作れ!」
《戦場死体を素材に湿骨兵を追加生成可能》
「使え。ソウルも使ってよい」
《ソウル消費:3,000》
《湿骨兵二十体、戦場生成》
泥の中で、骨が立った。
ゴブリンの骨。
オークの骨。
獣の骨。
虫の殻。
そこへ戻り水と白磁片が絡む。
不揃いだ。
生前の種もばらばら。
だが、迷宮の兵になるには十分だった。
二十体の湿骨兵が、泥の中から立ち上がる。
合計三十五体。
まだ足りない。
十万にはまるで足りない。
だが、流れを作るには足りる。
湿骨兵は、死体を運ぶ。
死体を沈める。
通路を塞ぐ山を崩す。
落ちた飛行種を槍で固定する。
狼型魔物の足を絡め取る。
浅層の泥は、ただの罠ではなくなっていた。
戦場そのものになり始めていた。
《湿骨兵群、戦闘記録蓄積》
《進化条件、進行中》
「まだか」
《もう少し必要です》
「ならもっと働け。今日は死体に困らん」
◇
外壁側から、虫型魔物の群れが侵入を始めた。
小型の甲虫。
鎌を持つ蟲。
白い霧を嫌がらず、むしろ霧を切り裂くように進んでくる。
影縫い大蜘蛛が糸を張る。
だが、虫型魔物の一部はその糸を噛み切った。
「影糸が切られている」
《虫型魔物により影糸損傷》
「カゲヌイ」
《待機中》
「群れ全部を止めるな。先頭だけでいい。影を縫って詰まらせろ」
《実行》
カゲヌイが影に沈んだ。
次の瞬間、壁を登る虫型魔物の先頭群、その影に黒い針が刺さる。
一体が止まる。
その背に、後続がぶつかる。
さらに後続が積み重なる。
虫の列が崩れた。
壁から落ちる。
落ちた先に、ハイハネが導いた霧が流れる。
灰白の粉を吸った虫型魔物が、方向を失う。
互いを敵と誤認し、噛み始める。
甲虫が鎌虫を切り、鎌虫が小型虫を裂き、裂かれた虫の体液でさらに虫が狂う。
《虫型魔物同士討ち、大規模発生》
《死亡推定:八千九百体》
《獲得ソウル:178,000》
「同士討ちでも入るか」
《迷宮内での死亡として処理されています》
「素晴らしい」
敵同士で殺し合い、それでもソウルは余に入る。
実に迷宮向きだ。
だが、戦場はすぐに次の問題を吐き出す。
ガルザヴェインが、銅鐘を鳴らした。
ごん。
魔物の動きが変わった。
灰霧の濃い道を避ける。
泥が深い場所を避ける。
死体が積み重なった場所を踏み台として使う。
落ちた飛行種の死骸を、狼型魔物が橋にする。
「対応してきた」
フィルエの声が鋭い。
「ロード。あれ、迷宮の流れを見てるわけじゃない。でも、どこで多く死んだかを見て、安全な線を作ろうとしてる」
「仲間の死を地図にしているのか」
「うん」
「ゴブリンのくせに、嫌なことをする」
だが、ガルザヴェインの判断は正しい。
死体が山になれば、そこは踏み台になる。
魔物は死体を気にしない。
むしろ、利用する。
ならば、その死体を罠にする。
「安全そうな死体山を作れ」
《戻り水死体罠を形成します》
「いかにも踏み台にしやすくしろ。そこへ誘え」
浅層の一角に、死体の山ができる。
ゴブリン。
狼型。
飛行種。
虫型。
オーク。
いかにも固そうで、踏み越えられそうな山。
ガルザヴェインの鐘に従った魔物たちが、そこへ向かう。
死体を踏む。
その下に、戻り水。
白磁粉を混ぜた泥。
影糸。
踏み込んだ瞬間、死体山が崩れた。
踏み台ではない。
蓋だった。
戻り水が一気に口を開ける。
オークが沈む。
狼型魔物が流される。
進化しかけのゴブリンが、数百単位で呑まれる。
虫型魔物が泥の中で固まり、後続を巻き込む。
そこへ、湿骨兵が槍で押し込む。
ハイハネが霧を流し、逃げ道を隠す。
カゲヌイが影を縫う。
魔物の群れは、死体の踏み台ごと、泥の腹へ落ちた。
《戻り水死体罠、成功》
《死亡推定:六千二百体》
《獲得ソウル:279,000》
白い部屋に、莫大なソウルが流れ込んだ。
279,000。
重い。
厚い。
黒い。
だが、力だ。
迷宮の床下が、歓喜するように震える。
いや、震えたのは余かもしれない。
「……管理音声」
《はい》
「現在保有ソウル」
《計算中》
白骨書記が、骨筆を走らせる。
戦争台帳の数字が積み上がる。
⸻
初動戦果:
浅層混乱圧死
死亡推定:一万二千四百体
獲得ソウル:148,800
飛行種落下・影糸捕縛
死亡推定:三千百体
獲得ソウル:93,000
戻り水湿地外縁
死亡推定:四千六百体
獲得ソウル:184,000
虫型魔物同士討ち
死亡推定:八千九百体
獲得ソウル:178,000
戻り水死体罠
死亡推定:六千二百体
獲得ソウル:279,000
初動死亡推定合計:三万五千二百体
初動獲得ソウル合計:882,800
戦闘前保有ソウル:29,730
湿骨兵追加生成消費:3,000
現在保有ソウル:909,530
⸻
909,530。
桁が変わった。
黒市主を喰った時も大きいと思った。
だが、これは違う。
十万の軍勢を相手にした戦争収支。
ただの討伐ではない。
迷宮の腹へ、大量の命が雪崩れ込んでいる。
「……これはもう、迷宮運営ではないな」
《戦争です》
「ああ」
余は笑った。
「戦争だ」
だが、喜びだけでは終わらない。
三万五千以上を初動で削った。
それでもまだ、六万以上が残っている。
そして中心には、魔神ゴブリン・ガルザヴェイン。
彼は、浅層の奥からこちらを見ていた。
多くの魔物が死ぬのを見た。
霧が殺すのを見た。
泥が呑むのを見た。
死体山が罠になるのを見た。
そして、笑った。
「……イル」
声が、霧を震わせる。
「ツヨイ……イル」
ガルザヴェインが、銅鐘を鳴らした。
ごん。
彼の周囲のゴブリンたちが、一斉に震える。
進化しかけている。
目が金色に濁り、爪が伸び、筋肉が膨れる。
ガルザヴェインは、仲間を失っても怯えない。
むしろ、戦場を見て育っている。
「ロード」
フィルエの声が、静かに届く。
「あれ、奥へ来るよ」
「分かっている」
「止める?」
「いや」
余は迷宮図を見た。
浅層で軍勢を削る。
中層でさらに削る。
宝物庫で強化個体を潰す。
泥塞門将グズをぶつける。
折剣濁白騎士をぶつける。
帰路喰らいの落武者をぶつける。
それでも、あいつは来るだろう。
強い奴と戦うために。
ならば、誘う。
「ガルザヴェイン用の道を作る」
《危険です》
「知っている」
《魔神ゴブリンを深部へ誘導することになります》
「知っている」
《最悪の場合、コア付近まで到達します》
「そこまで来させる」
《……確認します。意図的ですか》
「意図的だ」
白い部屋に、わずかな沈黙が落ちた。
管理音声すら、一瞬止まった気がした。
《理由を》
「あれは、ただ殺すには惜しい」
余は、金色の目を見た。
「最上位ゴブリン。十万を率いた未成熟の魔神。強い者を求めている。ならば、ただ罠で潰すより、余の迷宮の強さを見せる」
「ロード」
フィルエが言った。
「説得する気?」
「ああ」
「危ないよ」
「危ない」
「コア近くまで来るかもしれない」
「来るだろうな」
「それでも?」
「それでもだ」
余は、白い部屋の中央で言った。
「あのゴブリンは、王になりたいのではない。強さを求めている。なら、霧灰白庭迷宮の強さを見せる。配下を見せ、罠を見せ、死を見せ、ソウルの流れを見せる」
《契約を視野に入れていますか》
「そうだ」
魔神ゴブリン・ガルザヴェイン。
最終的には、仲間にする。
ただし、今はまだ敵だ。
敵として迎え、敵として削り、敵として奥へ来させる。
そして、コアの前で選ばせる。
戦い続けて死ぬか。
この迷宮の中で、さらに強くなるか。
「まずは、試す」
余は迷宮図に印を置いた。
泥塞門将グズの気配。
折剣濁白騎士の剣気。
帰路喰らいの落武者の刃音。
骸門残響隔離層の黒い門の微反応。
そして、最後にコア近くの白い圧。
夜棺白庭は隠す。
ヴェルグレイヴは起こさない。
だが、強いものの気配を点々と置く。
一本道ではない。
戦いの匂いで誘導する。
「フィルエ」
「うん」
「道ではなく、戦いの気配を置け」
「分かった」
森灰観測網が動く。
浅層の奥から中層へ、目に見えない線が作られていく。
ガルザヴェインは、そこを嗅ぐだろう。
読むだろう。
来るだろう。
金色の目が、霧の奥へ向いた。
そして、彼は歩き出した。
進化しかけのゴブリン群を従えて。
オークの上位個体を従えて。
黒い狼を従えて。
巨大な虫型を従えて。
浅層で三万以上を失いながら、それでも奥へ。
奥へ。
「来い」
余は、白い部屋で告げた。
「十万の軍勢も、未成熟の魔神も、全部まとめて相手をしてやる」
白骨書記が、戦争台帳の最後に新しい一行を書き加えた。
⸻
魔神ゴブリン・ガルザヴェイン、深部誘導開始。
⸻
余は、それを見て静かに笑った。
ここからが、本番だ。