余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
スタンピードから、一カ月が過ぎた。
王都は、灰白庭をSランク相当迷宮として指定した。
人間側での呼び名は、まだ揺れている。
灰白庭。
白箱迷宮。
銀刻帰らず。
白庭化した旧迷靄洞。
だが、扱いは決まった。
Aランク以上の冒険者であっても、王国とギルドの許可証がなければ侵入禁止。
Bランク以下は、そもそも論外。
素材商も、闇市関係者も、未許可探索者も、封鎖線から先へ入ることは禁じられた。
もっとも。
禁じられたからといって、人間が来なくなるわけではない。
むしろ、増えた。
Sランク迷宮。
その言葉は、恐怖であると同時に、欲の匂いでもある。
Sランク迷宮には、良い素材がある。
良い宝がある。
十万の魔物の残骸があるかもしれない。
魔神ゴブリンの痕跡があるかもしれない。
Aランク二組と再査定調査隊が残した装備があるかもしれない。
そう考える者は、いくらでもいた。
そして、ロードにとって、侵入者が来ること自体は悪いことではない。
殺せばソウルになる。
装備は素材になる。
恐怖は噂になる。
欲は、次の獲物を呼ぶ。
だから、来るなとは思わない。
むしろ来い。
ただし、余の都合のよい場所で死ね。
深部を見るな。
最奥を見るな。
見たなら、帰すわけがない。
◇
朝。
で、フィルエは目を開けた。
迷宮の中に朝日は差さない。
でも、フィルエには外の朝が分かる。
森から流れてくるマナが軽くなる。
土の下の虫が動き始める。
葉の裏から水滴が落ちる。
封鎖線の騎士たちが、眠そうな足音で交代する。
そういう音が、森灰観測室には薄く届く。
フィルエは、白灰色の柔らかい床に座ったまま、壁に背を預けた。
肩のは、もう痛まない。
ロードとの繋がりは、以前よりずっと自然になっていた。
迷宮の音は近い。
でも、慣れた。
ゴブリンが変なところで小便した音まで拾うのは、まだ慣れない。
「ロード」
《何だ》
「外縁に三人。無許可」
《ランクは》
「たぶんCランク二人、Dランク一人。偽造許可証なし。採取袋だけ大きい」
《餌だな》
「うん」
《深部へ向かう気配は?》
「ない。浅層で魔物素材を探すつもり。魔神素材って言ってる」
《出るわけがないだろう》
「でも、人間は“あるかも”で来る」
《便利な言葉だな、“あるかも”》
「ロードの“餌”と似てる」
《似ていない》
「似てる」
フィルエは、目を閉じたまま浅層の霧を動かした。
三人の無許可冒険者が、白い霧へ足を踏み入れる。
彼らは怯えていた。
けれど、袋は大きい。
手には採取器具。
腰には銀の小瓶。
黒い血でも拾うつもりなのだろう。
もちろん、拾わせるわけがない。
《浅層で処理するか?》
「一人は帰す?」
《なぜ》
「噂用。Sランク指定後でも、浅層で骨片くらいは拾えるって話を流せば、また来る」
《悪くない》
「残り二人は?」
《霧を見ても戻らないなら沈めろ》
「うん」
灰霧が少し濃くなる。
白磁片の反射が、浅層の奥に小さな光を作る。
それは魔神素材ではない。
ただの灰白採取物だ。
でも、人間の目には何か高価な欠片に見える。
三人のうち、一人が止まった。
「やめよう」と言った。
残り二人は進んだ。
欲が強い。
フィルエは戻り水を動かした。
進んだ二人の足元が、ぬるりと沈む。
悲鳴。
短い戦闘音。
骨が鳴る。
かた。
それで終わり。
戻ろうとした一人は、尻餅をついて逃げた。
袋には、白磁花片が一つだけ入っている。
安い。
でも、外では話になる。
「二人死亡。一人帰る」
《獲得ソウルは》
《無許可侵入者二名死亡。獲得ソウル:2,800》
《白磁花片一つ、外部流出予定》
《浅層恐怖噂、微増見込み》
《よし》
ロードの声は、満足そうだった。
人間が入ってくる。
死ぬ。
ソウルになる。
時々、一人だけ帰って噂を運ぶ。
Sランク迷宮になっても、迷宮の基本は変わらない。
ただ、腹が大きくなっただけだ。
◇
フィルエの朝の仕事は、外縁観測から始まる。
封鎖線。
無許可侵入者。
偽造許可証持ち。
闇市素材狩り。
貴族の私兵らしき者。
迷宮素材の匂いに釣られた野良魔物。
それらを、森灰観測網で見る。
次に、浅層。
の配置。
灰白採取物の残量。
宝匣運びゴブリンが箱を噛んでいないか。
霧走りゴブリンが外へ出ようとしていないか。
泥門補助ゴブリンが、グズの泥に埋まって遊んでいないか。
今日も二匹、埋まっていた。
「グズ」
フィルエが呼ぶと、中層から低い返事が来る。
「グ……ズ……」
「泥門補助の二番と六番、吐き出して」
「グズ」
ぽん。
ぽん。
泥の中から、ゴブリンが二匹吐き出された。
「ギャッ」
「ギギッ」
泥まみれで転がる二匹。
その瞬間、から、低い声が響いた。
「ドロ、アソブナ」
二匹のゴブリンは、即座に地面へ伏せた。
フィルエは少し笑った。
魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェイン。
彼は完全に回復していた。
アレク・ヴァイスとの戦いで受けた白銀の傷は、もう傷ではない。
戦歴として残っているだけだ。
胸の白銀痕。
腕の斬撃痕。
脇腹に刻まれた帰天一閃の跡。
それらは、によって彼の力の一部になっている。
魔神練兵窟も安定した。
も馴染んだ。
ガルザヴェインの魔神性は、外へ漏れていない。
彼はもう、隠すために慌てる存在ではない。
深部の強敵迎撃役。
ゴブリン系統の戦王。
ロードの許可で戦う、Sランク迷宮の契約戦力。
そういう役割に落ち着いていた。
ただし、ゴブリンへの命令は今でも効きすぎる。
「ハコ、クウナ。ナメルナ。カジルナ。モテ。マモレ」
この命令のおかげで、宝箱食害は激減した。
ロードはそのことだけで、ガルザヴェインを契約してよかったと思っている節がある。
◇
昼前、フィルエは白骨書記室へ寄った。
白骨書記は、今日も骨筆を走らせていた。
台帳が増えた。
戦争台帳。
Sランク到達記録台帳。
ゴブリン育成台帳。
宝箱食害記録。
無許可侵入者処理記録。
浅層報酬流通記録。
最近は、Sランク化後のソウル効率記録も増えている。
「白骨書記」
かた、と顎が鳴る。
「一カ月のソウル収支、まとまった?」
白骨書記が、少し誇らしげに骨板を差し出した。
フィルエはそれを白い部屋へ転送する。
すぐに、ロードの声が響いた。
《出せ》
壁面に表示が浮かぶ。
⸻
《Sランク迷宮特性:》
Sランク到達により、迷宮内で死亡した存在のソウル回収効率が上昇。
低位存在:微増
中位存在:大幅上昇
高位存在:技、執念、記憶片を含めて回収可能
Aランク以上の存在は、死亡時の精神状態、到達深度、戦闘内容により獲得ソウル量が大きく変動。
⸻
《一カ月間の侵入者処理記録》
無許可低中ランク冒険者:
死亡:三百十八名
獲得ソウル:572,400
C〜Bランク混成素材狩り:
死亡:百四十六名
獲得ソウル:876,000
闇市系素材狩り団:
死亡:七十四名
獲得ソウル:444,000
Aランク冒険者・Aランク相当護衛:
死亡:九名
獲得ソウル:1,215,000
野良魔物、封鎖線から流入した外部魔物、迷宮内残留魔物処理:
獲得ソウル:290,600
一カ月追加獲得ソウル合計:3,398,000
⸻
《一カ月間のソウル消費》
浅層再整備:280,000
白灰匣、浅層報酬補充:160,000
魔神練兵窟維持:220,000
深部重要区画整備:300,000
深部秘匿維持:260,000
配下修復、通常維持:410,000
一カ月消費ソウル合計:1,630,000
差し引き増加ソウル:1,768,000
前回時点の保有ソウル:9,615,480
現在保有ソウル:11,383,480
⸻
《……よし》
ロードは満足そうだった。
《よく死んだな、人間ども》
「嬉しそう」
《嬉しいに決まっているだろう。Sランク迷宮になってから、魂魄捕集域の効率が良い。低ランクはともかく、Bランク以上はかなり美味い》
「Aランク九名も来てたんだ」
《正式なAランク冒険者ばかりではない。闇市護衛、偽造許可証持ち、元Aランク、Aランク相当の傭兵などだ》
「みんな死んだ?」
《深部手前に来た者は全員殺した。浅層で使えそうな噂を持たせる者だけは帰した》
「運営してるね」
《当然だ。来る者は餌だ。ただし、餌に厨房を覗かせるな》
フィルエは少し笑った。
厨房。
ロードは最近、その表現を気に入っている。
浅層は食堂。
中層は罠場。
深部は厨房。
最奥は、絶対に見せてはいけない貯蔵庫。
分かりやすいような、分かりにくいような。
◇
午後、フィルエは魔神練兵窟へ向かった。
ガルザヴェインは、中央広場にいた。
完全回復した彼は、以前よりも落ち着いて見える。
もちろん、見えるだけだ。
強い者が来ればすぐ戦いたがる。
でも、勝手に出ない。
ロードの許可を待つ。
待てば戦える、と覚えたからだ。
その周囲では、ゴブリンたちが訓練していた。
泥門補助ゴブリン。
霧走りゴブリン。
影罠補助ゴブリン。
宝匣運びゴブリン。
魔神練兵窟候補生。
一カ月で、かなり形になった。
まだ転ぶ。
まだ喧嘩する。
まだ箱を見て一瞬だけ口を開ける個体がいる。
だが、噛まない。
舐めない。
食わない。
それだけで進歩だった。
「ガルザヴェイン」
「フィルエ」
「今日、Aランク相当の侵入者はいない」
「ツマラナイ」
「昨日いたでしょ」
「ヨワカッタ」
「Aランク相当だよ」
「ヨワカッタ」
フィルエは首を傾げた。
「アレクと比べてる?」
ガルザヴェインは、胸の白銀傷を見た。
「アレク、ツヨカッタ」
「うん」
「キロク、マモッタ。カエロウ、シタ。ツヨカッタ」
「まだ覚えてるんだ」
「オレ、オボエル」
ガルザヴェインは、少しだけ静かになった。
以前の彼なら、強い敵を倒した記憶は、ただ戦いの興奮として残っただろう。
今は違う。
アレクが何を守ろうとしたか。
なぜ帰ろうとしたか。
それを、まだ考えている。
フィルエはそれを見るのが嫌いではなかった。
怖い魔神が、少しずつ迷宮の形に馴染んでいる。
それは危険だけれど、どこか面白い。
「今日のゴブリンは?」
「ドロ、ヨワイ。キリ、マアマア。ハコ、ヨイ」
「宝匣運び、褒めてる?」
「ハコ、クワナイ。エライ」
「うん。偉い」
近くで宝匣運びゴブリンが、白灰匣を頭に乗せて歩いていた。
誇らしげだった。
フィルエは少し笑った。
◇
夕方近く。
フィルエは、深部へ向かった。
魔神練兵窟からさらに奥。
コア前防衛区画よりは外側だが、浅層や中層の侵入者が偶然来られる場所ではない。
。
ガルザヴェインが最初にロードと契約した場所。
そこは、今では重要区画になっていた。
白磁の床には、うっすら金色の線が残っている。
灰霧は薄く、戻り水も静か。
壁には、あの戦いの時についた亀裂がまだ少しだけ残っている。
その中央に、木が生えていた。
三日前に、芽が出た。
誰も植えていない。
最初は、白磁床のひびから赤い小さな芽が出ていただけだった。
それが三日で3mほどの高さになった。
幹は赤みを帯びた金色。
葉は表が深い赤、裏が淡い金。
枝には、赤と金が混ざったような丸い実が生っている。
甘い香りがした。
ただの果実の匂いではない。
命そのものが蜜になったような匂い。
フィルエは、その木の前で足を止めた。
「今日も甘い」
《匂い漏れは?》
「深部内だけ。外には漏れてない」
《よし》
ロードの声は、落ち着いている。
最初に見つけた時はかなり騒いだ。
けれど、三日経って、封鎖もできた。
周囲には影軍縫いカゲヌイの影糸。
グズの遠隔泥門。
白骨書記の監視札。
ハイハネの匂い隠し霧。
ガルザヴェインの戦王圧によるゴブリン接近禁止。
深部重要区画として、しっかり守られている。
ここまで来る侵入者がいれば、全力で殺せばいい。
それだけだ。
《管理音声、再確認》
《名称:エリラの実》
《分類:》
《用途:エリクサー調合素材の一つ》
《完全なエリクサー作成には、五つの神級素材が必要》
《エリラの実は、その一つです》
《通常摂食も可能》
《味覚的価値:極めて高》
《摂食許可:非推奨》
「非推奨って書き方、弱い」
《では、摂食禁止に変更します》
《摂食許可:禁止》
フィルエは少し笑った。
「ロード、食べたい?」
《価値確認のために一つくらい、とは思った》
「それ、食べたいってこと」
《違う》
「違わない」
白骨書記が、いつの間にか横にいた。
骨板を見せる。
⸻
エリラの実管理記録:
実の数:七個
成熟中:三個
未成熟:四個
落果:なし
鳥害:なし
虫害:なし
ゴブリン接近:なし
ガルザヴェイン接近:許可範囲内
ロード試食未遂:警戒継続
⸻
《最後の項目を消せ!》
白骨書記は、かた、と顎を鳴らした。
消さなかった。
フィルエはまた笑った。
ガルザヴェインも来た。
彼は完全回復した巨体で、エリラの木の前に膝をつく。
以前のように食べたそうに見ているわけではない。
見張っている。
守っている。
「キ、ダイジョウブ」
「うん」
「アマイ」
「食べないでね」
「タベナイ」
「偉い」
「オレ、マモル」
ガルザヴェインの声は真面目だった。
この木は、魔神契約跡に生えた。
彼にとっても、何か意味があるのかもしれない。
フィルエは、木へ手をかざした。
触れない距離で。
温かい。
エリラの木の内側には、いろいろなものが混じっている。
十万の命。
ガルザヴェインの魔神性。
ロードとの契約線。
迷宮のSランク化。
アレクの帰りたいという願い。
マルクの記録。
オルフェンの祈り。
エリシアの氷。
死んだ者たちの残滓。
それらが、なぜか甘い実になっている。
「この木、治すために生えてるんだね」
《推定ではありますが、生命回復、状態復元、魂魄安定に関する高位素材反応を確認しています》
「エリクサーって、すごい?」
《完成品であれば、どんな怪我や状態異常でも完治させるとされています》
「死んだ人は?」
《死者蘇生は確認されていません》
「そっか」
フィルエは少しだけ、アレクのことを思い出した。
帰れなかった人。
記録を守った人。
ガルザヴェインに傷を残した人。
彼は戻らない。
でも、彼の何かは迷宮に残った。
そして、その残ったものが、この木に少しだけ混じっている気がする。
「ロード」
《何だ》
「この実、いつか使う?」
《使う時が来ない方がよい》
「でも、あると安心?」
《……そうだな》
ロードは少しだけ黙った。
《フィルエ》
「うん」
《お前に何かあった時、これは使えるかもしれん》
「私?」
《命脈契約者だからな。余の損失だ》
「損失」
《そうだ。損失だ》
フィルエは笑った。
「便利な言葉」
《便利な言葉で何が悪い》
「悪くない」
ガルザヴェインが横から言った。
「フィルエ、シナナイ。ロード、コマル」
《その通りだ》
「私も困る」
三者の答えが、少しだけ重なった。
エリラの実が、枝の上で静かに揺れた。
赤と金の光。
甘い匂い。
Sランク迷宮の深部に生えた、神級素材の木。
それは恐ろしく貴重で、外に知られれば間違いなく争いを呼ぶ。
でも、今は静かだった。
ただ、フィルエの一日の終わりに、甘く香っているだけだった。
◇
夜。
フィルエは森灰観測室へ戻った。
外では、また一組の無許可冒険者が封鎖線の遠くをうろついている。
浅層では、昼に逃げ帰った冒険者が落とした銀の小瓶を、白骨書記が分類している。
グズは泥門を閉じている。
ハイハネは羽を畳んで眠っている。
ガルザヴェインは、エリラの木の見張りを終えて魔神練兵窟へ戻った。
ロードは、エリラの実をどう保管するか、まだ管理音声と話している。
フィルエは、柔らかい床に横になった。
今日もいろいろあった。
無許可冒険者が来た。
二人死んで、一人逃げた。
一カ月のソウル収支を確認した。
ゴブリンが泥から吐き出された。
ガルザヴェインは完全に元気だった。
エリラの実は、今日も甘かった。
「ロード」
《何だ》
「明日も、冒険者来るかな」
《来るだろう》
「嬉しい?」
《当然だ。ソウルになる》
「うん」
《ただし、エリラの木まで来たら殺す》
「そこまで来られたらね」
《来させん》
「うん」
フィルエは目を閉じた。
森の音。
迷宮の音。
骨の音。
泥の音。
霧の音。
遠くで、エリラの実が熟していく音。
Sランク迷宮になっても、日々は続く。
恐ろしい戦いの後にも、こういう一日がある。
人間は欲で来る。
迷宮は喰う。
配下は育つ。
木は実る。
フィルエは、そのことを少しだけ嬉しく思った。
白い霧の奥で、エリラの実が一つ、赤金色に光った。