余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
泥の大門が、深部手前で閉じていた。
それは、ただの泥門ではない。
泥塞大門将グズの泥核から伸ばした、準本体級の遠隔門。
白磁片を含んだ灰泥。
戻り水で練った重い門扉。
内側には、湿骨軍列の骨梁。
表面には、赤錆噛みの牙粉。
影には、影軍縫いカゲヌイの針。
霧には、灰霧追導蛾ハイハネの灰白粉。
深部へ向かう道を、門そのものが一つの迷宮のように塞いでいる。
余は白い部屋で、その防衛図を睨んでいた。
「二層だ」
《はい。エリラの木封鎖圏まで、残り二層》
「分かっている。さっき聞いた」
余は腕を組んだ。
「だから、ここで止める」
《深部手前防衛、展開中》
「泥門、骨梁、影針、灰霧粉。全部重ねたな」
《はい》
「よし。ここで止める。ここで止まれば問題ない。まだ大丈夫だ。まだ――」
言いながら、余は壁面を見た。
白い霧の奥から、天蓋の猟犬が来る。
六人。
空糸のロウエン。
値星眼のセラ。
風壁師のドラン。
獣嗅ぎのミト。
歌癒しのノア。
星落術師のアゼル。
全員、生きている。
浅層を越えた。
戻り水湿地外縁を越えた。
赤錆核を罠ごと処理して回収した。
白磁偽財殿外周の罠群を焼き払った。
偽果樹園すら突破した。
しかも、こちらの罠を見て、嗅いで、値踏みして、解いて、素材まで持っていった。
そして今、深部手前の大門へ向かっている。
余は、努めて落ち着いた声を出した。
「ここで止める」
《はい》
「止まるはずだ」
《はい》
「止まれ」
《命令対象が異なります》
「分かっている!」
森灰観測室から、フィルエの声がした。
「ロード、声が少し早い」
「早くなどない」
「早い」
「……少し早いかもしれん」
「焦ると罠が雑になる」
「分かっている。だから今、きちんと止める準備をしているのだ」
そうだ。
ここで止める。
エリラの木までは、まだ二層ある。
まだ見えない。
まだ匂いも完全には届いていない。
セラの右目も、赤金の星をはっきり掴んではいない。
まだ大丈夫だ。
まだ。
◇
天蓋の猟犬は、泥の大門の前に立った。
ミトが最初に鼻を鳴らす。
「泥。骨。水。金属を噛む粉。影。霧。全部いる」
ドランが肩を回した。
「盛り合わせだな」
ノアが門の前で低く歌う。
声が泥門へ染み込み、低い反響が返ってきた。
「探音歌――門鳴り」
ごう、と門が鳴った。
ただの泥ではない。
中に骨梁がある。
戻り水が流れている。
どこかで、赤錆噛みの牙粉がかちかちと小さく鳴った。
「中、空っぽじゃない。骨で支えてる」
アゼルが小天蓋を開く。
青黒い半球が頭上に浮かび、星が並んだ。
「焼くと爆ぜそう」
セラが右目を細める。
「正面の白い筋、見える?」
「見える」
ロウエンが答える。
「でも、見えすぎる」
セラは頷いた。
「わざと見せてる。あそこを狙わせたいんだと思う」
ドランが笑う。
「じゃあ、狙わない」
「正解」
ロウエンは指を少し動かした。
空糸が伸びる。
泥門の表面ではなく、その左右の白磁壁へ。
門そのものを切らない。
門が立っている場所を支えている壁の結び目へ、見えない糸を滑り込ませる。
「空糸技――門脇解き」
白磁壁の内側で、細い結線がほどけた。
泥門が、ほんの少し傾く。
すぐに戻り水が動く。
傾きを補正しようと、門の内部へ流れ込む。
アゼルが小さな星を落とした。
「星落術――支星」
星は門を焼かない。
戻り水の補正流だけを打つ。
水が乱れる。
門がまた傾く。
ドランが両腕を広げた。
「風壁術――逆扉」
透明な風の壁が、泥門の正面に生まれた。
押すのではない。
まず、吸う。
風が泥門の表面を手前へ引く。
泥門は、内側の骨梁で耐えようとする。
そこへ、ミトが走った。
壁を蹴る。
白磁片を踏む。
泥門の側面へ、獣のように張りつく。
「爪牙技――骨筋抜き」
短爪が、門の隙間へ入った。
骨梁の一本を引っ掻き切る。
門が大きく軋む。
その瞬間、影が落ちた。
カゲヌイの影針。
狙いはミトの影。
だが、ノアの歌が先に触れた。
「沈黙歌――針眠り」
影針の意図が、一拍鈍る。
その一拍で、ミトは壁から飛び退いた。
ロウエンの空糸を足場にして、仲間の横へ戻る。
門がさらに歪む。
ドランが笑った。
「押すぞ」
ロウエンが短く答える。
「今」
ドランの風壁が、向きを変えた。
吸っていた風が、一気に押す風へ変わる。
「風壁術――門返し!」
泥の大門が、内側から裂けた。
爆発ではない。
崩落でもない。
構造をほどかれ、支えを切られ、補正水を乱され、風で逆に返された門が、自分の重さで横へ倒れた。
ごう、と重い音がした。
準本体級の遠隔泥門が、道を塞ぐ役目を果たせないまま倒れる。
◇
白い部屋で、余は叫んだ。
「グズの門がああああ!」
《準本体級遠隔泥門、崩壊》
「見れば分かる!」
中層の奥で、グズが低く唸った。
「グ……ズ……!」
「待て! お前の本体はまだ出すな! 出すなと言っている! お前まで出て壊されたら余が本当に困る!」
《ロードに肉体的涙腺はありません》
「比喩だ! 今そういうことを言うな!」
壁面の表示が更新される。
《侵入者、深部手前防衛第一層を突破》
《エリラの木封鎖圏まで、一層半》
「一層半!?」
余は思わず叫んだ。
「一層半だと!? 今ので止めるはずだっただろうが! 二層あっただろう! どこへ行った、半層!」
《泥門層が突破されたためです》
「報告ではなく止め方を言え!」
《次防衛層:白磁庭残骸層》
「起動! 今すぐ!」
《起動済み》
「もっと起動しろ!」
《白磁庭兵、湿骨軍列支援部、白磁花粉、灰霧層、影針網、全て展開中》
「それで止まるのだな!?」
《保証はできません》
「保証しろ!」
《不可能です》
「管理音声!」
「ロード」
フィルエの声が割り込む。
「落ち着いて。次がある」
「次しかないのだぞ!」
「だから、次を雑にしないで」
余は息を吸った。
必要ないが、吸った気がした。
「……分かっている」
本当に分かっている。
焦って全部を投げ込めば、天蓋の猟犬はそれを解く。
六人は、罠を一つのまとまりとして見ている。
泥門だけではない。
泥門を支える壁、水、骨、影、霧、音。
全部を見て、役割分担で解いてくる。
だから、次は殺す罠ではなく、止める層にする。
目的を薄める。
足を遅らせる。
視界を乱す。
時間を奪う。
その間に、エリラの木の秘匿をさらに――
《警告》
「何だ!」
《値星眼反応、上昇》
「……もう?」
《対象セラ、赤金価値方向への感知を継続》
「まだ見えていないな?」
《明確な視認には至っていません》
「ならよい。まだよい。まだ大丈夫だ。まだ……」
フィルエが小さく言った。
「ロード、同じこと言ってる」
「黙れ」
◇
泥門の向こうには、白磁庭残骸層が広がっていた。
崩れた白い柱。
半分だけ残った庭園の小路。
泥に沈んだ白い花壇。
戻り水に浸った石像。
白磁庭園の清らかな残骸と、スタンピードの灰と骨が混じった場所。
美しい。
だが、汚い。
白い。
だが、死の匂いがする。
天蓋の猟犬が足を踏み入れると、花壇から白磁花が咲いた。
白い花弁が開く。
花粉が舞う。
それは毒ではない。
眠り粉でもない。
記憶を薄める粉だった。
自分がなぜここへ来たのか。
何を探しているのか。
どこへ帰るつもりなのか。
それを、一瞬だけ曖昧にする。
目的を薄める。
欲を薄める。
帰路を薄める。
人間は、目的を失うと弱くなる。
だが、ノアの歌が先に響いた。
「名呼び歌」
彼女は、仲間の名を歌った。
ロウエン。
セラ。
ドラン。
ミト。
アゼル。
ノア。
そして、リーネ。
その名が出た瞬間、六人の足取りが戻る。
白磁花粉が彼らの記憶を薄めようとしても、歌が名前を結び直す。
誰が誰であるか。
誰のために来たのか。
何を拾うために来たのか。
その芯が、歌で固定される。
ドランが前へ出た。
「風壁術――花散らし」
風が回り、白磁花粉を吹き払う。
だが、吹き払われた花粉は灰霧と混じり、白い光を乱反射させた。
アゼルの小天蓋が揺れる。
「反射が多い。星が散る」
セラは右目を押さえた。
「価値の星も散る。偽の光が多い」
ミトが鼻を鳴らす。
「甘い匂い、でも混じってる。偽物じゃない。少しだけ、本物の端」
余は白い部屋で硬直した。
「今、何と言った」
《ミト、エリラ由来と思われる甘香を微弱感知》
「なぜ漏れた!」
《泥門崩壊により深部空気層が乱れた可能性》
「グズの門が崩れたせいか! いや、グズは悪くない! 悪いのはあいつらだ!」
セラが霧の奥を見る。
右目に銀の星が浮かぶ。
その奥で、ほんの少しだけ、赤金の光が揺れた。
まだ遠い。
まだ形はない。
だが、前よりもずっと強い。
「近い」
セラが言った。
「さっきより、ずっと」
ノアの声が静かになる。
「リーネに使える?」
「分からない」
セラは嘘をつかなかった。
「でも、神薬系の可能性はかなり高い」
その言葉で、天蓋の猟犬の空気が変わる。
ロウエンが空糸を張り直す。
ドランが風壁を厚くする。
ミトが低く構える。
アゼルが小天蓋を広げる。
ノアの歌が強くなる。
彼らは、前へ進む。
エリラへ向かって。
余は壁面に向かって叫んだ。
「進むな! そこで止まれ! 止まれと言っている!」
《外部に音声は届いていません》
「届かせるな! いや、届いても止まらん! くそ!」
◇
白磁庭残骸層の石像が動いた。
半分崩れた女神像。
白い騎士像。
獣の像。
それらが白磁根と骨で繋がれ、ゆっくり立ち上がる。
白磁庭兵。
未完成の守護兵だが、深部手前の防衛戦力としては十分なはずだった。
さらに、背後に湿骨軍列の骨槍が並ぶ。
白磁庭兵が前へ。
湿骨軍列が後ろから支える。
白磁花粉が舞う。
灰霧が反射する。
影が揺れる。
複合防衛層。
これで止める。
止めなければならない。
「止まれ……止まれ、止まれ、止まれ」
余は無意識に呟いていた。
ガルザヴェインが魔神契約跡で言った。
「ロード」
「まだだ!」
「チカイ」
「分かっている!」
「エリラ、マモル」
「分かっていると言っている!」
「オレ、イツ?」
「……まだだ。まだ待て。ここで止まるかもしれん。いや、止まれ。止まってくれ」
フィルエが小さく言った。
「ロード、願いになってる」
「うるさい!」
◇
天蓋の猟犬は、白磁庭兵を見た。
ロウエンが言う。
「正面戦闘」
ドランが笑った。
「ようやくまともに殴れるな」
「まともではない」
セラが即座に言う。
「首の裏、膝、胸の白い点。そこが結び目」
ミトが頷く。
「匂いもそこ。生きてる根が集まってる」
ノアの歌が強くなる。
「戦歌――猟犬拍」
六人の心拍が揃う。
呼吸が揃う。
動き出す瞬間が揃う。
アゼルの小天蓋が濃くなる。
「星落術――庭割星」
星が落ちた。
一体目の白磁庭兵の頭部を砕く。
白い破片が飛ぶ。
中から戻り水が噴き出す。
それをロウエンの空糸が横へ逃がす。
ミトが二体目の背後へ回る。
「爪牙技――芯噛み」
短爪が首の裏へ入る。
白磁根の結び目を裂く。
二体目が崩れる。
三体目が骨槍と同時に拳を振るう。
ドランの風壁が拳を受ける。
ロウエンの空糸が骨槍の軌道をずらす。
セラが叫ぶ。
「右膝、白点!」
ミトが飛ぶ。
爪が入る。
膝が崩れる。
アゼルの小星が追撃し、胸の中核を撃ち抜く。
白磁庭兵三体。
短時間で崩れた。
《白磁庭兵、全損》
《湿骨軍列支援部、損耗》
白い部屋で、余は絶叫した。
「何でだ!」
《弱点を特定されています》
「なぜ分かる!」
《セラ、ミト、ロウエンの連携によるものと推定》
「推定ではなく止めろ!」
《止まりません》
「止めろと言っている!」
《不可能です》
「管理音声!」
表示がさらに更新される。
《白磁庭残骸層、防衛崩壊》
「崩壊!? 崩壊とは何だ! まだ三体しか出していないぞ!」
《白磁庭兵三体、全損》
「三体全部!? 一体くらい足を止めろ!」
《侵入者、前進継続》
《エリラの木秘匿圏まで、一層未満》
「一層未満……?」
余は、一瞬、言葉を失った。
そして、叫んだ。
「近い! 近い近い近い! もう見えるだろうが! いや、見るな! 見るな、セラ! 右目を閉じろ!」
「ロード、相手に聞こえてない」
「聞こえなくても言う! 見るなああああ!」
◇
セラは、白磁庭兵の崩れた向こうを見た。
右目が強く光る。
そして、彼女は初めて息を呑んだ。
「……見えた」
ロウエンが即座に振り向く。
「赤金か」
「見えた」
セラの声は震えていた。
「本物」
ノアの歌が一瞬だけ止まりかけた。
「神薬系?」
セラは右目を押さえた。
血涙が一筋、頬を伝う。
それでも、笑った。
「神薬系どころじゃない」
白い部屋で、余の意識が凍った。
「見るな」
セラは、霧の奥を見ている。
木そのものは、まだはっきり見えない。
だが、赤金の星が見えた。
命の果実。
エリラの実。
「見るな……」
余の声は、白い部屋の中だけに落ちる。
セラは震える声で言った。
「これ、エリクサー素材かもしれない」
その瞬間。
余は完全に取り乱した。
「見るなああああああ!」
白い部屋が震えた。
フィルエが息を呑む。
白骨書記が骨筆を落とす。
魔神契約跡で、ガルザヴェインが立ち上がる。
「ロード」
余は叫んだ。
「ガルザヴェイン!」
「ワカッタ」
「待て、いや待つな! いや、場所が近い! 木から離せ! 絶対に実を取らせるな! だが木を傷つけるな! ああもう、分かるな!?」
ガルザヴェインは、金色の目を燃やした。
「エリラ、マモル」
魔神進軍鐘が鳴る。
ごん。
深部の霧が、黒く震えた。
天蓋の猟犬は、その音を聞いた。
ミトが叫ぶ。
「来る! 強いの!」
ロウエンが空糸を広げる。
「全員、戦闘陣形!」
セラは、なおも赤金の星から目を離せなかった。
「ロウエン」
「何だ」
「あれ、絶対に必要」
ロウエンは、短く答えた。
「分かった」
その声に、迷いはなかった。
「取る」
白い霧の奥で、黒い魔神性が膨れ上がる。
ロードは白い部屋で、ほとんど叫び続けていた。
「駄目だ駄目だ駄目だ! 近い! 近すぎる! ガルザヴェイン、止めろ! 全力で止めろ!」
そして。
魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェインが、エリラの木を背にして現れた。
赤金の実が揺れる、その手前に。
Sランクパーティー《天蓋の猟犬》の前に。