余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
天蓋の猟犬が去った後、余はしばらく白い部屋で黙っていた。
静かだった。
深部も、浅層も、森灰観測室も。
ただ、エリラの木の赤金色の実だけが、何も知らないように揺れていた。
実は残っている。
一つも奪われなかった。
そこだけ見れば、守れた。
だが、違う。
見られた。
値星眼のセラに見られた。
獣嗅ぎのミトに匂いを拾われた。
ノアに、リーネという眠る仲間へ繋がる希望として認識された。
ロウエンは、取ると決めた。
あの猟犬どもは、戻る。
必ず戻る。
「管理音声」
《はい》
「今の余に足りないものは何だ」
《撤退阻止能力》
「他には」
《高位パーティー連携分断能力》
「他には」
《価値感知対策》
「他には」
《空間移動、風壁、歌、星落術、嗅覚、空糸への個別対策》
「他には」
《ガルザヴェイン単独依存の危険性》
「……十分だ」
《まだあります》
「聞きたくない」
白骨書記が、そっと骨板を出した。
⸻
追加課題:
エリラの木周辺で大規模戦闘が発生した場合、果実および木本体への損傷危険。
⸻
「それが一番聞きたくなかった!」
だが、事実だった。
天蓋の猟犬は、エリラの実を取りに来る。
ガルザヴェインは守る。
すると、また木の前で戦うことになる。
前回は、それで済んだ。
だが次も同じでは駄目だ。
エリラの木の目の前まで来られてから戦うのでは遅い。
見られる前に止める。
匂われる前に逸らす。
価値を確信される前に迷わせる。
そして、もし到達されたなら、木を背にする戦いではなく、木から引き剥がした場所で殺す。
「方針を変える」
余は言った。
「次は、エリラの木の前で戦わせない」
《承知しました》
「戦場を作る。あの猟犬どもが、そこを通らなければならないようにする」
《専用迎撃区画ですか》
「そうだ」
フィルエが森灰観測室から声を送ってきた。
「ロード、落ち着いてる」
「落ち着いた。もう十分取り乱した」
「うん。すごかった」
「忘れろ」
「無理」
「忘れろ」
白骨書記が書く。
⸻
ロード、天蓋の猟犬初回侵入時、顕著に取り乱す。
⸻
「お前も忘れろ!」
◇
余は迷宮図を広げた。
浅層。
中層。
白磁偽財殿外周。
深部手前白磁庭残骸層。
魔神契約跡。
そして、エリラの木。
これまでの構造は、冒険者を奥へ誘い、欲を深め、罠で削り、最後に殺すためのものだった。
Aランクには、それでよかった。
低ランクや無許可素材狩りにも、それで十分だ。
だが、天蓋の猟犬には違う。
奴らは、欲があっても踏みすぎない。
罠を見れば分解する。
素材を見れば価値を測る。
帰り道を常に残す。
そして、仲間が重傷になっても、全員で逃げる。
ならば。
「帰るための力を、前提から崩す」
《具体案》
「帰路を奪うのではない。帰路を作らせる。そして、その帰路そのものを檻に変える」
《高位設計です》
「やるしかない」
余は五つの取引品を見た。
偽星幕の種。
重泥霧の胞子。
逆星骨。
反響喰いの薄膜。
連結焼きの火灰。
6,800,000ソウルを使って買ったものだ。
高い。
非常に高い。
だが、惜しんでいる場合ではない。
「新規区画を作る」
《名称を設定してください》
「まだだ。まず機能から決める」
余は、深部手前と魔神契約跡の間にある余白区画を指した。
エリラの木へ向かう正規の深部導線から、少し横にずらした場所。
ここに作る。
見た目は、エリラの木へ続く道に似せる。
赤金の気配を薄く流す。
甘い匂いも、ほんの少しだけ混ぜる。
セラとミトが「本命に近い」と判断する程度に。
だが、本物ではない。
そこに、天蓋の猟犬を誘導する。
「偽星幕を使う」
《はい》
「エリラの木の価値反応を薄め、迎撃区画に似た赤金反応を置く」
《値星眼対策》
「そうだ。だが、完全な偽物では駄目だ。セラは見抜く。だから、本物の周辺反応を少しだけ借りる」
フィルエが言った。
「エリラの木、嫌がらないくらい?」
「そうだ。木を疲れさせるな」
《微量反応転写であれば可能》
「次に重泥霧」
《空間および風への重さ付与》
「ドランの風壁とロウエンの空糸を鈍らせる。だが、最初から重くするな。気づかれる。連携が強まる瞬間に重くしろ」
《連結焼きの火灰と連動可能》
「よし」
「反響喰いの薄膜は?」
《ノアの歌への対策》
「帰犬歌と命継ぎを同時に使わせる。その時、二つの歌の意味を少しずらす」
フィルエが少し心配そうに言った。
「歌を壊すと、ノアが壊れるかも」
「殺しすぎるな、だろう?」
「うん。ノアが変に覚醒すると怖い」
「分かっている。殺す時は殺す。だが、目的はまず連携を崩すことだ」
《登録》
「逆星骨は、アゼルの星落術へ」
《落下点歪曲、衝撃吸収》
「ただ防ぐな。星を受けて、別の罠の起動に使え」
《星力転用ですか》
「できるか」
《逆星骨と白骨書記の記録術を組み合わせれば、限定的に可能》
「やれ」
白骨書記が骨筆を構えた。
やる気だ。
こいつは、記録と罠が絡むとやる気になる。
◇
問題はガルザヴェインだった。
魔神戦王ゴブリン・ガルザヴェイン。
前回は、よく守った。
本当によく守った。
ドランを重傷にし、エリラの実を取らせなかった。
だが、重傷も負った。
そして、パーティー全体を殺すことはできなかった。
彼一人に任せるには、相手が悪い。
ガルザヴェインは、魔神練兵窟の中央に座っていた。
傷は治り始めている。
完全ではない。
だが、闘傷成長によって、傷跡は経験に変わっていく。
「ガルザヴェイン」
「ロード」
「次は、お前一人で受けるな」
「オレ、マモル」
「守るのはよい。だが、守り方を変える」
「カエル?」
「違う。戦場を変える」
余は魔神練兵窟に、天蓋の猟犬の動きを映した。
ロウエンの空糸。
ドランの風壁。
セラの目。
ミトの足。
ノアの歌。
アゼルの星。
「見ろ」
ガルザヴェインは、黙って見た。
「こいつらは一人ずつではない。六人で一匹の獣だ」
「ロク、ヒトツ」
「そうだ。お前が拳を振るうと、ドランが受ける。ドランを押すと、ノアが支える。ノアを狙うと、ロウエンが糸でずらす。糸を切ると、アゼルが星を落とす。星を避けると、ミトが足を噛む。セラが弱い場所を見る」
「メンドウ」
「そうだ。非常に面倒だ」
「ドウスル」
「一人を倒すのではない。繋がる瞬間を壊す」
ガルザヴェインは少し考えた。
「ツナガル、トキ、ナグル」
「そうだ」
「ロク、ヒトツ。ヒトツ、ワル」
「そうだ」
理解が早い。
アレクと戦った後、ガルザヴェインは明らかに変わった。
ただ殴るのではなく、意味を考えようとしている。
それが頼もしく、少しだけ恐ろしい。
「次の戦いでは、お前を最後まで出さないわけではない。だが、最初から突っ込ませもしない」
「マツ」
「そうだ。待つ。そして、余が作った場所で出る」
「バショ」
「猟犬を誘い込む場所だ」
「ソコ、タタカウ」
「そうだ。お前はそこで戦え。エリラの木の前ではない」
ガルザヴェインは、エリラの木の方角を見た。
「エリラ、マモル」
「そのために、木から離れた場所で戦う」
「ワカッタ」
よし。
分かっている。
たぶん。
いや、今回は本当に分かっている気がする。
◇
新しい区画の形成が始まった。
消費ソウルは大きい。
《新規迎撃区画基礎形成:1,200,000》
《偽星幕定着:300,000》
《重泥霧循環路:260,000》
《逆星骨埋設:220,000》
《反響喰い薄膜展開:240,000》
《連結焼き火灰散布:310,000》
《合計消費:2,530,000》
《現在保有ソウル:2,053,480》
「また減ったな……」
《はい》
「かなり減ったな……」
《はい》
「だが、必要経費だ」
《はい》
白骨書記が書く。
⸻
エリラ防衛関連総消費:9,330,000
⸻
「合計を書くな! 心が痛い!」
《心臓はありません》
「黙れ!」
だが、仕方ない。
ソウルはまた稼げる。
人間が来るからだ。
無許可侵入者は後を絶たない。
Sランク指定されてなお、浅層に入りたがる馬鹿はいる。
中層を目指す素材狩りもいる。
闇市も動いている。
だが、エリラの木は替えがきかない。
守るためなら使う。
使わなければ、奪われる。
そして、奪われれば終わりだ。
「区画名を決める」
《はい》
新しい空間が、ゆっくり形を取っていく。
見た目は、美しい。
白い庭園。
赤金の光。
遠くに見える一本の木の影。
だが、その木は偽物だ。
近づくほど、足元の空気は重くなる。
歌は少しずつ意味をずらされる。
星は骨に吸われる。
糸は泥霧に絡む。
六人の連携が強まるほど、連結焼きの火灰が熱を帯びる。
そして、中央には広い円形の戦場。
ガルザヴェインが暴れても、エリラの木には影響しない距離。
だが、天蓋の猟犬には、そこが本物へ続く最後の庭に見える。
「名は」
余は少し考えた。
猟犬を誘う庭。
価値を偽る幕。
帰る力を燃やす場所。
「偽天猟庭」
《偽天猟庭、登録》
白い部屋が低く鳴った。
偽天猟庭。
天蓋の猟犬を迎えるための、新しい腹。
◇
フィルエは、偽天猟庭を見ていた。
「ロード」
「何だ」
「きれい」
「罠だ」
「でも、きれい」
「きれいな罠ほどよい罠だ」
「それ、ロードっぽい」
「褒めているのか」
「うん」
フィルエは、森灰観測室からさらに奥を見た。
本物のエリラの木は、偽星幕に包まれ、静かに実を揺らしている。
今日の実は百三個。
そのうち十個だけ採取した。
残りは九十三個。
最後の一個どころか、十分に残してある。
木の状態は安定。
甘い香りは深部から外へ漏れていない。
ただ、天蓋の猟犬の記憶の中には、もうその香りが残っている。
だから次は、記憶と戦うことになる。
「フィルエ」
「うん」
「エリラの木の様子を毎日見ろ。少しでも嫌がる様子があれば、偽星幕を調整する」
「分かった」
「採取は一日十個まで。非常時以外増やすな」
「分かった」
「ガルザヴェインが見張る時は、実を食わせすぎるな」
「一日一個?」
「いや、戦闘後の回復時のみだ」
魔神練兵窟から声がした。
「ロード」
「何だ」
「イッコ、ホシイ」
「却下」
「マモル」
「守った報酬として、今日だけ一個だ」
「ワカッタ」
フィルエが笑った。
「甘い」
「誰が」
「ロード」
「違う。士気管理だ」
「便利な言葉」
「便利な言葉で何が悪い」
◇
その夜、ダンジョン新聞の取引欄から追加の小さな紙が届いた。
黒い紙ではなく、灰色の短冊。
差出人は井守だった。
⸻
《井守より》
買ったな。
なら、次は使い方だ。
道具を買っただけで勝てるなら、古いロードはみな死んでいない。
Sランクパーティーは、一度見た罠を覚える。
二度目は対策してくる。
だから、新しい罠を置くだけでは足りない。
一度目に見せた自分の弱さを、二度目の餌にしろ。
お前は逃がした。
奴らは「次は取れる」と思っている。
その思い込みを殺せ。
⸻
余は、その短冊を何度も読んだ。
「一度目に見せた弱さを、二度目の餌にしろ」
確かに、天蓋の猟犬は思っているだろう。
ガルザヴェインを動かせば、エリラに届く。
ドランさえ耐えれば、セラが実を取れる。
ノアが命を繋げば、全員帰れる。
ロウエンの空糸で、深部からでも脱出できる。
そう思っている。
だから来る。
なら、それを使う。
「管理音声」
《はい》
「偽天猟庭には、わざと前回と同じ弱点を置け」
《意図は》
「セラに見せる。ミトに嗅がせる。ロウエンにほどかせる。アゼルに焼かせる。ノアに歌わせる。ドランに受けさせる」
《その後》
「その瞬間を焼く」
《連結焼きの火灰を連動》
「そうだ。あいつらが“前回と同じように突破できる”と思った瞬間に、罠を反転させる」
《登録します》
フィルエが静かに言った。
「ロード、悪い顔」
「顔はない」
「でも悪い」
「迷宮だからな」
余は、白い部屋の中央で笑った。
天蓋の猟犬。
お前たちは強い。
ああ、強かった。
余の罠を解き、配下を押し返し、魔神戦王の爪を受け、それでも全員で逃げた。
だからこそ、次はその強さごと喰う。
お前たちの連携。
判断。
帰る力。
仲間を守る力。
すべてを、余の腹で逆に使う。
「一カ月後だ」
余は言った。
「それまでに、余も変わる」
偽天猟庭の白い枝が、霧の中で静かに揺れた。
その奥で、本物のエリラの実が赤金色に光る。
守るべきものは決まっている。
殺すべき相手も、もう決まっている。
次に天蓋の猟犬が来た時。
余は、逃がさない。