余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
魔神覇王ゴブリン・ガルザヴェインが、白い霧の奥から現れた。
脇腹から、黒い血が流れている。
肩の傷も開いていた。
胸には先ほど受けた盾撃の痕が残り、覇王化したばかりの魔力の流れも乱れている。
立っているだけで、脚が震えていた。
それでも。
ガルザヴェインは、血まみれのフィルエと、最後の実が残るエリラの木を背にするように、五人の前へ立った。
「フィルエヲ」
呼吸が乱れる。
それでも、拳を上げる。
「ハナセ」
ドグル・ハインの鎖に拘束されたフィルエが、顔を上げた。
「ガルザヴェイン……」
「ダイジョウブ」
大丈夫ではない。
フィルエにも分かった。
余にも分かっている。
「ガルザヴェイン、下がれ!」
余は契約線を通して叫んだ。
「今のお前では勝てない!」
「ワカル」
「なら戻れ!」
「イヤダ」
ガルザヴェインは、余の命令に逆らった。
フィルエを守るために。
エリラの木を守るために。
ガスト・ロウガが、大きな拳を鳴らした。
「立つのもやっとじゃねえか」
シアン・ヴェルクが眼鏡越しにガルザヴェインを観察する。
「表面の傷は塞がっています。でも、体内の魔力の流れが壊れている」
ミレイア・ゾルドが笑った。
「さっきの戦闘で力を使い切ったのね」
「なら、捕獲できるかもしれないな」
ドグルが鎖を揺らす。
レオルド・ヴァンゼルは、最後の一個へ伸ばしていた手を下ろした。
「殺す前に、価値を確かめる」
ガルザヴェインの金色の目が細くなる。
「オレ、オマエラノ、モノ、チガウ」
「お前が決めることではない」
レオルドが、赤黒い長剣を抜いた。
刃に浮かぶ赤い光が、三日月のように曲がる。
「強い物は、強い者が持つ」
「チガウ」
「何が違う?」
「オマエ、ツヨクナイ」
ガストの笑みが消えた。
ミレイアも眉を動かす。
レオルドだけが、薄く笑った。
「なら、確かめてみろ」
◇
「ドグル」
レオルドが命じる。
「女を押さえていろ。実の採取も続けろ」
「了解」
フィルエの腕に巻きついた鎖が、さらに強く締まった。
「っ……!」
「やめろ!」
余の声は、断響結界の外へ漏れない。
五人には届かない。
ガルザヴェインには届く。
そして、フィルエの痛みも届く。
ガルザヴェインの足元で、白い床が砕けた。
「ハナセ!」
彼の巨体が消えた。
速い。
傷つき、魔力を失っているとは思えない踏み込み。
最初に狙ったのはドグルだった。
フィルエを拘束している男。
「覇王拳――砕城!」
黒い拳が、ドグルの胸へ迫る。
だが、その前へガストが割り込んだ。
「剛拳技――岩王受け!」
両腕を交差し、全身へ灰色の魔力をまとわせる。
拳と腕が衝突した。
轟音。
ガストの両足が床へ沈む。
腕の皮膚が裂ける。
「ぐっ……!」
ガストの顔から余裕が消えた。
「弱っていて、これかよ!」
ガルザヴェインは止まらない。
右拳を受け止められたまま、左の肘をガストの側頭部へ振るう。
ガストが頭を下げる。
肘が髪をかすめた。
その背後から、シアンが滑り込む。
「そこ」
短剣が、ガルザヴェインの右膝裏へ入った。
深くはない。
だが、先ほどの戦いで傷ついていた場所を正確に狙われた。
「グッ!」
ガルザヴェインの膝が沈む。
ミレイアが指を向けた。
「炎術――焼鎖!」
細い炎が、鎖のようにガルザヴェインの脇腹へ巻きつく。
塞がりかけていた傷を焼く。
肉の焦げる音。
黒い血が熱で弾けた。
「ガルザヴェイン!」
「マダ!」
魔神覇王が咆えた。
「魔神覇王吼!」
重い声が、区画全体を震わせる。
ガストが吹き飛ぶ。
シアンの体が横へ流される。
ミレイアの炎鎖が散る。
ドグルの鎖も、大きく揺れた。
フィルエを拘束していた部分が、一瞬だけ緩む。
「今だ、フィルエ! 離れろ!」
フィルエは、傷ついた脚へ力を入れた。
鎖から腕を抜こうとする。
だが、ドグルがすぐに気づいた。
「逃がすかよ」
鎖を引く。
フィルエの肩が後ろへ捻られた。
「っああ!」
「フィルエ!」
ガルザヴェインが振り返った。
その一瞬だった。
レオルドが間合いへ入る。
「戦いの最中に、余所を見るな」
赤黒い剣が、ガルザヴェインの胸を斜めに裂いた。
「赫月剣技――半月断ち」
黒い血が大量に飛ぶ。
ガルザヴェインの巨体が揺れた。
「グアアッ!」
レオルドは剣を返す。
今度は、首。
ガルザヴェインが腕を上げて受けた。
戦傷覇装が、腕の古傷を鎧に変える。
赤黒い刃が止まった。
「ほう」
レオルドの目が光る。
「傷で受けるか」
「オレノ、キズ」
ガルザヴェインは、刃を腕で挟んだ。
「オレノ、チカラ」
「なら、その傷ごと斬る」
レオルドの魔力が膨れ上がる。
赤黒い刃が、戦傷覇装へ食い込む。
アレクの白銀傷。
天蓋の猟犬に刻まれた傷。
ルオの一撃を受けた痕。
黒冠隷命に抗った傷。
それらが光り、刃を止める。
だが。
今のガルザヴェインには、鎧を維持する力が足りない。
光に亀裂が走った。
「ガルザヴェイン、離れろ!」
「イヤダ!」
ガルザヴェインは剣を挟んだまま、額をレオルドの顔へ叩き込んだ。
鈍い音。
レオルドの鼻から血が噴く。
「隊長!」
ガストが叫ぶ。
レオルドが二歩下がった。
初めて、その顔から笑みが消えた。
「……この状態で、俺に血を流させるか」
ガルザヴェインは、崩れそうな脚で踏みとどまる。
「オマエ、ヨワイ」
「言ったな」
レオルドの目に、冷たい殺意が宿った。
◇
「全員で削れ」
レオルドが命じた。
「殺すな。立てなくしろ」
「遊んでいいんですか?」
ガストが笑う。
「好きにしろ。ただし、とどめは待て」
四人が同時に動いた。
シアンが消える。
正面ではない。
ガルザヴェインの視界の端を、何度も出入りする。
短剣が、腱と傷口だけを狙う。
一撃。
左足。
二撃。
右肩。
三撃。
脇腹。
深く斬らない。
動きを少しずつ奪う。
「覇王爪――裂軍!」
ガルザヴェインが爪を振るう。
黒い斬撃が、シアンの逃げ道ごと裂く。
シアンの外套が切れた。
胸へ浅い傷が走る。
「っ!」
「シアン!」
「大丈夫です」
シアンは後退しながら、目を細めた。
「弱っています。でも、技の範囲は広い」
「なら、狭めればいいわ」
ミレイアが両手を広げる。
「炎術――炎葬檻!」
ガルザヴェインの周囲に、炎の柱が八本立った。
柱同士が火の壁で繋がる。
広い爪技を振るえば、炎が内側へ倒れ込む構造。
ガルザヴェインは爪を止める。
その背後から、ドグルの鎖が飛んだ。
首。
両腕。
腰。
三方向へ絡みつく。
「捕まえた!」
ガルザヴェインが鎖を掴む。
「覇王掴み!」
鎖に流れる魔力を爪へ引っかける。
握る。
一本が砕けた。
二本目も。
だが、三本目を砕こうとした瞬間、ドグルが反対の手を引いた。
フィルエを拘束している鎖だ。
「動けば、こいつの肩が外れるぞ」
ガルザヴェインの手が止まった。
フィルエの腕が、背中側へ強く引かれている。
「ガルザヴェイン、気にしないで!」
「ダメ」
「戦って!」
「フィルエ、イタイ」
ガストの拳が、止まったガルザヴェインの腹へ入った。
「剛拳技――獣砕連打!」
一発。
二発。
三発。
同じ傷へ。
ガルザヴェインの巨体が、拳を受けるたびに揺れる。
四発目で、黒い血を吐いた。
五発目で、片膝が床についた。
「やめろ!」
余は叫んだ。
ガストには届かない。
「立てよ、覇王様!」
六発目。
胸。
「弱い魔物を率いて、王になった気分か?」
七発目。
顎。
「お前も結局、迷宮の中でしか威張れねえんだよ!」
八発目。
脇腹。
焼かれ、斬られ、何度も開いた傷へ拳がめり込む。
「ガルザヴェイン!」
余は、構造を動かそうとした。
床を沈める。
壁を出す。
ガストとガルザヴェインを分ける。
だが、シアンが床の動きを読む。
「右へ!」
五人が一斉に移動する。
白磁壁が空振りし、逆にガルザヴェインだけを囲いかける。
「止めろ!」
余は自分で壁を崩した。
何をしても、フィルエとガルザヴェインを巻き込む。
五人は、そのことまで利用している。
◇
その間にも、最後の実は残っていた。
一個。
赤金色の実が、低い枝で揺れている。
レオルドが、それを見た。
「ドグル」
「はい」
「採れ」
「やめて!」
フィルエが叫ぶ。
ドグルは片手でフィルエの鎖を握り、もう片方の鎖を木へ伸ばした。
鎖の先端が、最後の実へ近づく。
「ガルザヴェイン!」
フィルエが叫ぶ。
魔神覇王は、ガストに殴られながら顔を上げた。
最後の実が見えた。
「エリラ……」
ガルザヴェインの額に、覇王の光が浮かぶ。
「まだ動くのか?」
ガストが笑う。
「動くな!」
余は叫んだ。
「もういい! 木よりお前が大事だ!」
「イヤダ」
ガルザヴェインが、床へ両手をつく。
「ギル、ギギ、マモッタ」
黒い血が、指の間から流れる。
「フィルエ、マモッタ」
脚へ力を入れる。
「ロード、マモリタイ」
巨体が上がる。
「ダカラ」
片膝を上げる。
「マダ、タツ」
ガストが拳を振り下ろす。
ガルザヴェインは、その拳を額で受けた。
血が飛ぶ。
それでも立つ。
「魔神覇王吼!」
咆哮が、至近距離で炸裂した。
ガストの巨体が吹き飛ぶ。
炎葬檻の柱が揺れる。
ドグルの鎖が大きく逸れ、最後の実を取り損ねた。
ガルザヴェインは、残った鎖を引きちぎる。
シアンが背後へ迫る。
振り返らない。
カゲヌイもいない。
ハイハネも。
グズも。
皆、余が下がらせている。
それでも、ガルザヴェインはシアンの気配を読んだ。
肘を後ろへ叩き込む。
シアンの短剣と衝突する。
短剣が折れた。
肘がシアンの胸へ入る。
「がっ!」
シアンが白い床を転がる。
ガルザヴェインは、次にミレイアへ向かう。
「来ないで!」
炎が放たれる。
「炎術――灼流!」
炎の奔流がガルザヴェインを包む。
黒い皮膚が焼ける。
だが、止まらない。
「戦傷覇装!」
過去の傷が光る。
炎を受けた場所。
焼かれた場所。
天蓋の猟犬との戦いで火灰を浴びた記録。
それらが鎧となり、炎を押し分ける。
ガルザヴェインの拳がミレイアへ迫る。
「隊長!」
ミレイアが叫ぶ。
赤黒い斬撃が横から入った。
「赫月剣技――血月墜!」
レオルドの剣が、ガルザヴェインの右肩へ食い込む。
刃だけではない。
上から巨大な重圧が落ちる。
ガルザヴェインの体が、白い床へ叩きつけられた。
床が大きく陥没する。
「グアアアアッ!」
右肩の骨が砕けた。
ガルザヴェインの拳が、床へ落ちる。
戦傷覇装の光も、ついに消えた。
「今だ!」
ドグルの鎖が、両腕と両脚へ巻きつく。
ガストも戻ってくる。
ガルザヴェインの背中へ足を乗せた。
「今度こそ寝てろ」
踏みつける。
傷ついた肩が床へ沈む。
「ガルザヴェイン!」
フィルエが泣きながら叫ぶ。
「もういい! もう戦わないで!」
「マダ……」
「もういい!」
「フィルエ……」
ガルザヴェインは顔を上げようとする。
ガストが後頭部を蹴った。
顔が床へ叩きつけられる。
「もういいって言われてるぞ」
もう一度。
「聞き分けろよ、魔物」
三度目。
黒い血が、白い床へ広がる。
「やめろ!」
余の声は届かない。
ただ、ガルザヴェインには届いている。
「もう立つな! 余の命令だ!」
「ロード……」
「立つな!」
「ゴメン……」
ガルザヴェインの指が、床を掻いた。
だが、もう力が入らない。
「マモレナカッタ」
「違う!」
「フィルエ……エリラ……」
「お前は守った!」
「デモ……」
「もういい! だから休め!」
ガルザヴェインの金色の目が、少しずつ閉じていく。
最後に、フィルエを見た。
「ゴメン」
そのまま、動かなくなった。
《ガルザヴェイン、戦闘不能》
《生命反応あり》
《重傷》
生きている。
だが、戦えない。
迷宮の最後の戦力が、倒れた。
◇
レオルドは、倒れたガルザヴェインを見下ろした。
「全快なら、面倒だったな」
シアンが胸を押さえながら起き上がる。
「今の状態でも、私の肋骨が二本折れました」
ガストも口元の血を拭う。
「俺も腕が痺れてる」
ミレイアの外套は、炎を押し分けられた時の熱で一部焦げていた。
ドグルの鎖も、三本が破壊されている。
五人は勝った。
だが、重傷のガルザヴェイン一体に、無傷では済まなかった。
それでも。
「大したことなかったな」
ガストは、倒れたガルザヴェインの顔を蹴った。
「やめて!」
フィルエが叫ぶ。
「もう動かないでしょ!」
「だから蹴れるんだろ」
もう一度、足を上げる。
「ガスト」
レオルドが止めた。
「時間を使うな」
「ちぇっ」
「実を回収する。女も運べ」
ドグルが頷く。
最後の実へ鎖を伸ばした。
「やめて……」
フィルエの声が震える。
鎖の先端が、赤金色の実を包む。
「お願い……」
枝から実が離れた。
《エリラの実、残存数:ゼロ》
白い部屋に、警告が響いた。
《警告》
《エリラの木、結実維持条件喪失》
《枯死反応、開始》
「……あ」
フィルエが、木を見た。
赤い葉の色が薄くなる。
金色だった裏葉が、灰色へ変わり始める。
赤金色の幹から、光が消えていく。
枝が、ゆっくり下がった。
「いや……」
フィルエの瞳から、涙が落ちる。
「いや……いや……!」
木へ這っていこうとする。
ドグルが鎖を引いた。
フィルエの体が後ろへ引きずられる。
「離して!」
「採取は終わった」
「返して!」
「何を?」
「最後の実!」
ドグルは、最後の一個を空間収納具へ投げ込んだ。
暗い空間が閉じる。
「返してえええっ!」
フィルエの声が、断響結界の中で響いた。
木の葉が、一枚落ちる。
赤ではない。
灰色になった葉。
白い床へ、音もなく落ちた。
「……余が」
白い部屋で、余は呟いた。
「余が道を開いた」
配下を守るためだった。
実は戻ると思った。
数個取れば帰ると思った。
それが。
木を枯らした。
フィルエを傷つけた。
ガルザヴェインを倒させた。
「余が……」
《ロード》
管理音声が呼ぶ。
「黙れ」
《しかし――》
「黙れ!」
余の声が白い部屋を震わせた。
◇
レオルドは、枯れ始めた木を見ても何も感じていない。
「本当に枯れたか」
ミレイアが葉を拾う。
「急速に生命反応が落ちています」
「なら、あの女の話は本当だったわけだ」
シアンが言う。
「惜しかったですか?」
レオルドは肩をすくめる。
「実は全部取った」
「木を持ち帰れなくても?」
「今ある物で十分だ」
フィルエが、血まみれの顔でレオルドを睨んだ。
「最低……」
「何?」
「あなたたち、最低」
ガストが拳を振り上げる。
「まだ殴られ足りねえか?」
「待て」
レオルドがフィルエの顎を掴んだ。
傷ついた顔を左右へ向ける。
「多少腫れているが、治せる」
「顔は傷つけすぎない方がいいですね」
ドグルが言う。
「珍しい種族を集めている貴族を何人か知っています」
「売るの?」
ミレイアがフィルエを見る。
「この子を?」
「高く売れるなら」
「なら、傷は治してからね」
「商品価値が下がるからな」
フィルエの顔から、怒りの色すら消えた。
理解できないものを見る目だった。
「私を……売る?」
「殺されるよりいいだろ」
レオルドは平然と言った。
「買い手次第では、綺麗な服も食事も与えられる」
「私は、ここにいる」
「もう木は枯れた」
「それでも」
「ここへ残って何になる?」
フィルエは、倒れたガルザヴェインを見る。
傷ついた配下たちが隠れている方向を見る。
そして、見えない余へ顔を向けるように、白い部屋の方角を見た。
「私の帰る場所」
レオルドは、鼻で笑った。
「帰る場所は、強い者が決める」
ドグルへ顎を動かす。
「運べ」
「了解」
太い腕が、フィルエの体を抱え上げた。
「離して!」
傷ついた手で抵抗する。
拳でドグルの胸を叩く。
力が入らない。
ドグルは気にも留めない。
「暴れるな」
フィルエを肩へ担ぐ。
折れた肋骨へ肩が当たり、フィルエが苦痛に息を詰まらせた。
「っ……!」
「フィルエ!」
余は叫ぶ。
声は彼女へ届く。
「すまない!」
「ロード……」
「必ず助ける!」
何を使って。
誰が。
ガルザヴェインは倒れた。
配下たちは戦えない。
ヴェルグレイヴは目覚めない。
余には腕がない。
それでも。
「必ずだ!」
言うしかなかった。
約束するしかなかった。
「だから、今は耐えろ!」
フィルエは、苦しそうに目を開けた。
「……うん」
弱い返事だった。
◇
五人が、エリラの木の区画から出ようとする。
ドグルの空間収納具には、百八十七個の赤金色の実。
肩には、拘束されたフィルエ。
後ろには、枯れ始めたエリラの木。
白い床には、倒れたガルザヴェイン。
レオルドが、最後に振り返った。
「帰りに残った魔物を狩るか?」
ガストが嬉しそうに聞く。
「時間があればな」
「果実も女も手に入れたんだ。少しくらい遊んで帰ろうぜ」
「出口までの状況を見て決める」
ミレイアが断響結界を維持したまま歩き出す。
シアンが前へ。
レオルドとガストが中央。
ドグルがフィルエを担ぎ、後ろを歩く。
白い門へ向かう。
「止めろ……」
余は、最深部の闇へ意識を叩きつけた。
「ヴェルグレイヴ!」
反応はない。
「起きろ!」
静寂。
「フィルエが連れていかれる!」
何も動かない。
「今しかないんだぞ!」
《反応なし》
「役立たずがああああっ!」
余の叫びが、誰もいない白い部屋へ響く。
五人の足音は止まらない。
フィルエが、ドグルの肩越しに手を伸ばす。
余の方へ。
ガルザヴェインの方へ。
枯れ始めた木の方へ。
だが、何にも届かない。
◇
その時だった。
白い迷宮全体が、わずかに震えた。
「……何だ?」
レオルドが足を止める。
ミレイアが顔を上げた。
「魔力反応?」
シアンの眼鏡に、強い光が走る。
直後。
眼鏡の片方に亀裂が入った。
「なっ……!」
「どうした」
「測れません」
「何?」
「大きすぎる……!」
余も、その気配を感じた。
入口。
いや。
もう入口ではない。
浅層。
中層。
深部。
順番に通っていない。
一つの魔力が、白い迷宮の中を一直線に走ってくる。
罠を避けるのではない。
罠が反応するより早く通り過ぎる。
白い霧が、後から吹き飛ぶ。
グズの泥が驚いたように揺れる。
ハイハネの羽が、かすかに持ち上がる。
マネが、小さく呟いた。
「ルオ……?」
余は、声を失った。
そうだ。
この気配を知っている。
龍神系統高位個体。
災害級常連。
果物が好きで。
フィルエに懐き。
ガルザヴェインと組み手をする、お調子者の少年。
「ルオ!」
余は叫んだ。
声つなぎの契約は、まだない。
外へ直接呼びかけることはできない。
だが、今。
ルオは、自分から来た。
◇
断響結界が、突然ひび割れた。
「結界が!」
ミレイアが両手を上げる。
「何もしていないのに……!」
透明な膜へ、外から何かが触れたわけではない。
ただ、近づいてくる存在の魔力に耐えられず、勝手に割れ始めた。
ぱき。
ぱきぱき。
そして。
結界が砕けた。
白い霧の向こうから、一人の少年が歩いてきた。
淡い銀青の髪。
金色の瞳。
人間の少年に見える姿。
だが、いつもの笑顔はない。
手には、フィルエへ渡すつもりだったのだろう。
外の赤い果物が入った袋を持っていた。
袋が、少年の手から落ちる。
果物が白い床へ転がった。
ルオ・ゼルファニアは、最初に枯れ始めたエリラの木を見た。
次に。
血まみれで倒れているガルザヴェイン。
そして。
ドグルの肩へ担がれたフィルエを見た。
腫れた頬。
血に濡れた口元。
曲がった指。
焼かれた手。
力なく垂れた腕。
その姿が、ルオの金色の瞳へ映る。
少年の呼吸が止まった。
一瞬。
別の光景が、その目の奥を横切った。
赤い血。
動かない手。
自分を守るように倒れた女。
その向こうに立つ、黒い影。
母親。
魔王。
消えかけていた記憶が、フィルエの姿と重なった。
ルオの首筋から、白銀の鱗が浮かび始める。
一枚。
二枚。
頬へ。
肩へ。
金色の瞳孔が、縦に細く裂けた。
いつもの明るい声ではなかった。
低い。
震えている。
怒りと。
殺意で。
「……何やってんだ」
五人が、少年を見る。
ガストが眉をひそめた。
「何だ、このガキ」
ルオは、ゆっくり顔を上げた。
その金色の目には、もう笑みの欠片もなかった。
「何やってんだ、てめぇら」