余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
討伐隊を喰った翌日、冒険者は来なかった。
翌々日も来なかった。
三日目も、入口の前に立つ者はいた。
だが、入ってこなかった。
「……」
余は白い部屋で、入口を見ていた。
迷靄洞の外。
森縁。
街道から少し外れた湿った地面。
そこに、人間が杭を打っていた。
白帰杭ではない。
もっと太い、ただの木杭だ。
縄を張り、札を垂らし、赤い印をつけている。
その外側に、革鎧の男が二人。
さらに少し離れて、弓持ちが一人。
奥には、荷車。
荷車には水袋、食料、予備の杭、そして油壺。
「管理音声」
《はい》
「これは」
《封鎖です》
「うむ」
分かっていた。
だが、実際に見ると腹が立つ。
人間どもは、迷靄洞へ入らなくなった。
入れば帰れない。
なら入らず、入口を見張る。
近づく冒険者を止める。
情報を集める。
いずれ焼くか、埋めるか、もっと大きな戦力を待つ。
それが人間側の答えだった。
「……卑怯ではないか?」
《合理的です》
「余の餌が来ない」
《はい》
「最悪だな」
《はい》
強くなった。
討伐隊を殺した。
ソウルも増えた。
グズは進化した。
ミルも迷見ゴブリンになった。
影縫い大蜘蛛もいる。
なのに、敵が入ってこない。
これでは殺せない。
殺せなければソウルが増えない。
ソウルが増えなければ、迷宮は育たない。
「……強くなりすぎても飢えるのか」
《はい》
「理不尽だな」
《迷宮運営ですので》
腹立たしい。
だが、これが次の壁だ。
中へ来た者を殺すだけでは足りない。
外から塞がれれば終わる。
なら、外へ手を伸ばすしかない。
その日の昼、若い冒険者が二人、迷靄洞へ近づこうとした。
余は少し期待した。
久しぶりの餌だ。
だが封鎖の兵が止めた。
「ここから先は立ち入り禁止だ」
「迷宮に入るだけだぞ」
「入った討伐隊が帰ってない」
「じゃあ俺たちが――」
「死ぬだけだ。帰れ」
若い冒険者は不満そうだったが、結局戻っていった。
「……おい」
《はい》
「余の餌を返したぞ」
《はい》
「殺してよいか」
《現在の迷宮影響圏外です》
「くそ」
届かない。
そこが問題だった。
迷靄洞は洞窟の中なら強い。
入口周辺なら、湿りも少しは効く。
だが、封鎖兵たちは一定距離を保っている。
入ってこない。
近づきすぎない。
それだけで、余の手はかなり鈍る。
「外に手を伸ばす方法」
《新規機能候補があります》
「出せ」
白い部屋の床に表示が浮かんだ。
⸻
【外縁滲出】
効果:迷宮内の湿り・微霧・方向感覚の乱れを入口外周へ薄く漏らす
範囲:入口から外へ数十歩程度
消費ソウル:120
維持費:一日あたり20ソウル
注意:外界では効果が不安定。日光・風・浄化札に弱い
⸻
「高い」
《外への干渉ですので》
「維持費もある」
《はい》
「だが、やらねば飢える」
《はい》
現在ソウルは443。
使える。
だが軽くはない。
外縁滲出を開けば323。
維持費もかかる。
失敗すれば大損だ。
「……」
余は入口の外を見た。
封鎖兵が笑っている。
迷宮へ入らず、余の餌を追い返している。
あいつらは、安全だと思っている。
迷宮は中だけのものだと。
「管理音声」
《はい》
「やる」
《外縁滲出を解放しますか》
「解放」
《ソウル120消費》
《現在ソウル:323》
ソウルが削れる。
同時に、入口の湿りが外へにじみ出した。
最初は、本当にわずかだった。
洞窟の冷たい息が、森の地面を撫でる程度。
封鎖兵は気づかない。
草が湿る。
木の根元に薄い霧がかかる。
地面の小さなくぼみに、迷靄洞の匂いが溜まる。
「……弱いな」
《初期状態です》
「これで迷わせられるか」
《単独では困難》
「なら、組み合わせる」
余は白帰杭の残骸へ意識を向けた。
討伐隊が持ち込んだ、帰るための杭。
今は迷靄洞の中で折れ、濡れ、迷宮の一部になっている。
その白い光の残滓を、外縁の霧へ少しだけ混ぜる。
《白帰杭残滓の外縁利用》
「できるか」
《不安定ですが可能》
「やれ」
入口の外、霧の中に、白いちらつきが一つ生まれた。
光ではない。
光の記憶だ。
人間が“帰れる”と思いたがる白。
それが霧の奥で、ほんの一瞬だけ揺れる。
「よし」
余は低く言った。
「帰る道のふりをしろ」
夕刻。
封鎖兵の一人が、霧に気づいた。
「おい、入口前、霧が出てる」
「洞窟なら普通だろ」
「昨日より濃い」
「近づくなよ。札を足す」
男が浄化札を持って、縄の内側へ入った。
まだ迷宮内ではない。
だが外縁滲出の範囲内だ。
「……来た」
《はい》
「まだ殺せぬ」
《はい》
「中へ寄せる」
男は札を杭へ貼ろうとした。
その時、霧の奥で白いちらつきが揺れた。
男の手が止まる。
「……何だ?」
白帰杭の残滓。
帰路の光に似た白。
討伐隊が使ったものと同じ系統の色。
封鎖兵は、迷宮の中で何があったか知らない。
だが、白い杭の話くらいは聞いているのだろう。
帰路を固定する道具。
それに似た光。
「中に、杭が残ってるのか……?」
男が半歩近づいた。
「近づくな!」
後ろの兵が叫ぶ。
「分かってる!」
分かっている。
だが見てしまった。
見れば確かめたくなる。
霧が足元を撫でる。
地面の傾きが、ほんの少し分かりづらくなる。
入口の位置が、近く見えたり遠く見えたりする。
「……札だけ貼って戻る」
男はそう言った。
だが、その“戻る”方向が、すでに一歩ずれていた。
外縁迷霧が、男の背後の縄を薄く隠す。
代わりに、入口側の岩肌を少し明るく見せる。
帰るつもりで、近づく。
それが迷靄洞の外周戦術だ。
「もう少し」
《はい》
男が札を貼ろうとした瞬間、足元の泥に靴が沈んだ。
迷宮内ほどではない。
だが、外の地面にしては湿りすぎている。
「っ」
身体が前へ傾く。
反射で、男は入口側の岩へ手をついた。
その手は、もう迷靄洞の口の内側に入っていた。
「捕まえろ」
鼠が走った。
細穴からではない。
入口の暗がりから飛び出し、男の足首を横切る。
「うわっ!」
男が完全に洞窟側へ倒れ込む。
その影を、影縫い大蜘蛛が縫った。
足が止まる。
半身は外。
半身は中。
だが、それで十分だ。
「グズ」
「ギィィッ!」
湿棍ゴブリンが暗がりから出た。
封鎖兵の顔が青ざめる。
「おい! 引け! 引っ張れ!」
外の兵が縄を投げる。
男はそれを掴もうとする。
だが、手を伸ばした瞬間、ミルが入口の暗がりに立った。
男にだけ見える位置。
じっと見る。
「ひっ……!」
男の手が止まった。
縄を掴むか。
ミルを見るか。
足を抜くか。
叫ぶか。
その一瞬で、グズの棍棒が男の胸を叩き潰した。
《侵入者一名死亡》
《獲得ソウル:31》
《現在ソウル:354》
「……一つ」
外で叫び声が上がる。
「入るな! 引け! 全員下がれ!」
「今、何が――」
「下がれって言ってんだ!」
封鎖兵たちは後退した。
正しい。
実に正しい。
だが、死体はもう迷靄洞の中だ。
ソウルも得た。
封鎖している人間を、外から中へ引き込んで殺した。
初めてだ。
「管理音声」
《はい》
「成立したな」
《はい》
「外で迷わせ、中で喰う」
《新戦術として記録します》
封鎖部隊は、すぐに距離を取った。
入口からさらに離れ、縄の位置を後ろへ下げる。
浄化札を増やす。
霧の中へ近づかない。
それでも完全撤退はしなかった。
仲間が死んだのだ。
逃げ帰れば、上に報告せねばならぬ。
だが、近づけば死ぬ。
人間たちの判断は、そこで割れていた。
「管理音声」
《はい》
「もう一人いけるか」
《警戒上昇。困難です》
「無理はしない」
《妥当です》
今は一人で十分。
外縁迷霧の初運用としては成功だ。
しかも、人間側はまだ何が起きたか分かっていない。
霧か。
泥か。
光か。
何かに引っ張られたのか。
ゴブリンが来たのか。
全部少しずつ正しい。
だから報告はぼやける。
それがいい。
縫い影蜘蛛の正体も、大蜘蛛の位置も、ミルの一者視認も、まだ外には漏れていない。
死んだからだ。
口がない者は報告しない。
「……やはり殺すのが一番確実だな」
《はい》
ただし、問題も残った。
外縁迷霧は弱い。
札を増やされれば削られる。
風が強い日は使いにくい。
維持費もかかる。
そして一度使えば、人間は距離を取る。
「一日20ソウルか」
《はい》
「今は払える」
《はい》
「だが、ずっとは駄目だ」
《外周戦術の強化が必要です》
その時、ダンジョン新聞が震えた。
交流欄ではない。
地域短報だ。
⸻
【地域短報】
・迷靄洞封鎖部隊に死者一名
・迷宮外縁での転倒後、入口内へ引き込まれた模様
・詳細不明
・人間側、封鎖線を後退
・迷靄洞、外縁干渉の疑い
⸻
「……早いな」
《観測されています》
「まあ、死体を喰ったからな」
《はい》
外縁干渉の疑い。
そう書かれた。
つまり、ロード社会にも見られている。
交流欄がすぐ動いた。
⸻
・“朽縄井戸”井守:お、外へ滲ませたね
・“玻璃宮の姫”:雑ですが、初手としては悪くありませんわ
・“灰冠のロード”:外へ出る時は、外の理で削られる。覚えておけ
・“赤泥蟻穴”:湿ったの、外はそう甘くない
⸻
最後の一文に、余は少し苛立った。
「うるさいぞ、若い牙」
《返信しますか》
「する」
⸻
・“迷靄洞”:外が甘くないなら、甘くなるまで湿らせる
⸻
送ってから、少しだけ気分が良くなった。
だがすぐに、別の通知が来た。
赤泥蟻穴からの個別投函だった。
⸻
【“赤泥蟻穴”より】
“外に手を出したなら、外の獲物は早い者勝ちだ。封鎖兵を喰えると思うな。外周は俺の牙が先に届く”
⸻
「……」
余は新聞を見つめた。
赤泥蟻穴は、迷靄洞周辺の外周にも偵察を出している。
人間側の封鎖に反応している。
つまり、外の餌を狙っているのは余だけではない。
人間。
迷靄洞。
赤泥蟻穴。
三者の盤になった。
「管理音声」
《はい》
「赤泥蟻穴は敵か」
《競合相手です》
「味方ではないな」
《はい》
「だが、人間側の封鎖を崩すという点では」
《利害が一部重なります》
「うむ」
直接協力する気はない。
だが、赤泥蟻穴が外周で暴れれば、人間の封鎖線は乱れる。
乱れた人間を、余が迷わせて中へ引き込めるかもしれない。
逆に、余が霧で人間を崩せば、赤泥蟻が喰うかもしれない。
奪い合いだ。
「……面白くなってきた」
《はい》
◇
夜。
外縁迷霧は薄く入口前に漂っていた。
封鎖線は後ろへ下がり、人間たちは焚き火を増やした。
火。
光。
煙。
札。
縄。
外の道具が、迷宮の外に並んでいる。
余の手はまだ届きにくい。
だが、ゼロではなくなった。
それだけで大きい。
岐れの灯間では、ミルが入口側を見ていた。
マネはその真似をしている。
グズは傷を抱えたまま棍棒を磨いている。
影縫い大蜘蛛は、折れた白帰杭と濡れた記録板の影に糸を張っていた。
「聞け」
余は配下へ声を落とした。
「これからは、中だけでは足りぬ」
湿りが揺れる。
「外で迷わせ、中へ引きずり、ここで喰う」
灯りが揺れる。
「封鎖など、餌の置き方が変わっただけだ」
蜘蛛が影で動く。
「余の迷宮は、入口の外にも滲む」
ミルが静かにこちらを見た気がした。
グズが低く唸った。
マネはよく分かっていない顔をしていた。
それでいい。
今はまだ始まりだ。
その時、森側からフィルエの投函が来た。
⸻
【フィルエより】
“外へ滲むのは、残響核の筋にも近い。でも気をつけて。外に広げすぎると、迷宮じゃないものまで混ざる”
⸻
「……また危ない話を」
《はい》
「だが、今は後だ」
《はい》
今は残響核より、餌だ。
封鎖を破る。
人間を中へ引き込む。
赤泥蟻穴に獲物を奪われない。
そしてソウルを増やす。
余は白い部屋から、外の封鎖線を見た。
焚き火の赤。
札の白。
縄の黒。
その向こうに、赤泥蟻の小さな痕跡。
そして入口前に漂う、余の湿った霧。
「次は」
余は静かに言った。
「封鎖線そのものを迷わせる」
洞窟の中だけでは終わらない。
迷靄洞は、外へ滲み始めた。