電線ジャングル迷宮都市の電線はなくならない
朝、宿の机の上に、ノートと製図用紙が、並んでいた。
レナは、ノートを開いて、昨日書いた二行を、もう一度、見た。
粉を形にする。
量産機構を作る。
二行の下に、白い余白が、広がっている。
レナは、ペンを、握り直した。
頭の中には、昨日のテレビの映像があった。
候補として絞ったのは、トルティーヤ。ピザ。クッキー。
どれがいちばん量産しやすいか。
トルティーヤは、素材が手に入らない。あの薄さを最初から狙うのは難しい。クッキーは、小さすぎる。ピザは——丸い生地。中間くらいの厚みと大きさ。
何より、画面の中で生地がふっくらと膨らんで、とてつもなく美味しそうに見えた。
(……ピザに、しよう)
レナは、製図用紙の左上に、ペンを、走らせた。
目標:ピザの量産化
本社開発部三年目の手癖で、まず、型番を、考える。
AGM-FP-001(Food Processor, 試作型)
書きながら、レナは、少しだけ、笑った。
(……量産化、って書いちゃった)
(……まだ、一個も、作ってないのに)
職業病だった。AGマギクラフト・コーポレーションの開発部では、企画はすべて量産化を前提に組み立てる。試作一個で終わる案件は、原則、企画として通らない。
それが当たり前の文化の中で生きてきた。
レナは、ペンを、止めなかった。
「フェネク」
『はい、レナ』
「ピザ、作るのに、必要な工程って、何だと思う?」
フェネクは、机の脇で、光学センサーを、ぴ、と、一度、点滅させた。
『データによると、生地を作る、伸ばす、具材を乗せる、焼く、の四工程です』
「うん」
『具材は、何になさいますか』
「後で考える」
『……了解しました、レナ』
レナの脳内で、四工程のうち三つに機械が割り当てられた。
混ぜる機械。伸ばす機械。焼く機械。
具材は、人力。というか、後回し。
材料は、迷うことなく小麦粉だった。
迷宮都市の市場で、普通に手に入る地元の素材だ。
レナは、製図用紙に、書いた。
試作一号機:攪拌機(粉と水を混ぜる)
頭の中にあるのは、人工魔石工場の直径三メートルの攪拌タンク。
あれを頭の中で、卓上サイズに縮めていく。
垂直軸。回転羽根。容器。駆動部。
(……組める)
レナは、ノートを、閉じた。
「フェネク、工房、行こう」
『了解しました、レナ』
***
工房の大扉は、半分だけ、開いていた。
レナが顔を覗かせると、奥は、しんとしていた。バルトが、いない。ヘルマンも、いない。作業台の上に、走り書きの紙が、一枚だけ、置いてあった。
三番街と七番街の中継、まとめて保守。三日は戻らねえ。茶菓子棚は、好きにしろ。
レナは、紙を、二度、読んだ。
(……三日)
(……一人で、使える)
胸の奥で、何かが、ぱちんと、火を点した。
「フェネク」
『はい、レナ』
「私たち、ここを、好きに、使っていいって」
『了解しました、レナ』
「実験室、誕生」
『了解しました、レナ』
レナは、鞄を作業台の隅にでんと置き、作業員のエプロンを腰に巻いて、ジャンク棚の前に立った。
ジャンク棚は、工房の壁三面を占めている。
古いリレー、巻き直しの済んだコイル、被覆を剥がれた銅線、用途不明の金属片、誰のものでもないネジ、用途を忘れた小型のモーター。
ヘルマンのおじいさんから受け継がれている、三代分のヴァイス工房の地層。
レナは、片端から漁った。
小型モーター。二回りほど大きいモーター。軸受け。ステンレスのボウル(大きさは、五合炊きくらい)。木の板(厚みも、サイズも、ちょうどいい)。配線。スイッチ。それから――
「フェネク、これ、何の羽根?」
レナが、棚の奥から引っ張り出したのは、湾曲した、薄い、金属の羽根だった。三枚で一組。中央に軸を通すための穴が開いている。
フェネクは、光学センサーで、二秒間、観察した。
『魔導扇風機の、低速ファンです。AGM-AC-7、二十年前のモデル』
「うちのか」
『はい、レナ』
「……ほうほう」
レナは、羽根を、しばらく、眺めた。
二十年前の、自社モデル。昨日、おばあちゃんが持ち込んだ、AGM-TV-3Cと、同じ時代。同じ会社の、同じ年代の、別の機種の、別の部品。それが、ヴァイス工房のジャンク棚の奥で、誰にも気づかれずに、二十年、眠っていた。
(……うちの会社の、子だね)
声には、出さなかった。
ヘルマンが、二十年前、何のために、この羽根を、ここに残しておいたのか。修理に使った余りなのか、壊れた扇風機ごと引き取って、使える部品だけ、抜いたのか。それは、レナには、分からない。けれど、確かに、ここに、あった。
二十年、待っていた、みたいに。
(……攪拌、しよう)
レナは、羽根を、作業台に置いた。
組み立ては、二時間で、終わった。
木の板を、台座にする。
中央に垂直の軸受け。軸を通して上端にモーター、下端に羽根。
ステンレスのボウルが、ちょうど羽根をすっぽり覆うサイズに収まった。
蓋は、丸い木の板を削って、軸が通る穴を開けて作った。
スイッチを、入れる。
ヴーン。
低い、控えめな唸り。羽根が、ボウルの底で、ゆっくりと、回り始めた。
「動いた」
『動きました、レナ』
レナは、製図用紙の右下に、書いた。
試作一号機、稼働確認
***
宿に戻ったのは、昼を、少し過ぎたころだった。
机の上に、攪拌機を、どんと、置く。狭い宿の部屋で、いきなり、邪魔だった。
レナは、市場で買ってきた小麦粉の袋を、両腕で抱えて、戻ってきていた。ついでに、塩と、水筒。水は、宿のキッチンの蛇口で、汲んだ。
「フェネク、水って、これくらい?」
レナは、計量カップに水を注ぎながら、聞いた。
『データに、適合する分量がありません』
「適当?」
『適当です、レナ』
「……了解」
レナは、小麦粉の袋を、抱え直した。
ここで、レナは、量を、間違えた。
職業病で、頭が、量産スケールに、なっている。一回の試作は、ちゃんと量を作って、ばらつきを見る。それが、本社の文化。レナの手は、無意識に、小麦粉の袋を、傾けた。
ざああ、と、袋の中身が、ほとんど全部、ボウルに、入った。
「……あ」
『……レナ』
「うん」
『分量、多くないですか』
「……多いね」
『やり直しますか』
「……このまま、行く」
レナは、塩を、つまんで、振りかけた。水を、慎重に、注いだ。蓋を、被せた。
スイッチを、入れる。
ヴーン。
羽根が、ボウルの中で、回り始めた。蓋のおかげで、粉は、飛び散らない。粉と水が、ぐるぐると、混ざっていく。
レナは、覗き穴から、中を、見た。
最初は、粉と水が、ばらばらに、踊っていた。それが、だんだん、まとまっていく。塊が、できる。塊が、もう少し大きな塊に、なる。さらに、まとまる。
(……いい感じ)
レナは、もう少し、回した。
塊が、ボウルの底で、ごろん、と、重く、転がる音が、聞こえ始めた。
(……あれ?)
羽根が、塊の重みで、唸り始めた。モーターの音が、一段、低くなった。
レナは、慌てて、スイッチを、切った。
蓋を、開ける。
ボウルの中に、直径五十センチほどの、大きな、固い、生地の塊が、鎮座していた。
「フェネク」
『はい、レナ』
「これ、ピザの生地に、するには、デカすぎない?」
『デカすぎます、レナ』
「……」
『……』
「まあ、いいや、伸ばせば」
レナは、塊をボウルから両手で取り出した。ずしりと重かった。
***
レナは、塊を、机に置いた。
宿のキッチンから、麺棒代わりの、ジャムの瓶を、持ってくる。瓶を、塊の上に、押し当てる。ぐっ、と、力を入れる。
塊は、ほとんど、動かなかった。
(……あれ?)
両腕で、体重を、かけてみる。表面がわずかに凹む。ただ、それだけ。塊の中心まで、力が伝わらない。
(……固い)
(……これ、固すぎない?)
水分が、抜けていない。練りすぎたせいで、生地が、自分の重みで、ぎゅっと、固まっている。表面だけが、わずかに、湿っていて、中は、ほとんど、岩。
レナは、もう一度、瓶を、押し当てた。
塊は、ふん、と、動かなかった。
レナは、瓶を、両手で持って、上から、体重を、預けた。
塊は、ふん、と、動かなかった。
レナは、机に、両肘をついて、両足を、踏ん張った。
塊は、ふん、と、動かなかった。
(……無理)
(……非力)
(……私、力、ないんだった)
レナは、瓶を、置いた。
机の上の塊が、無言で、居座っていた。
「フェネク」
『はい、レナ』
「これ、私の腕力じゃ、伸ばせない」
『伸ばせませんね、レナ』
「……」
『……』
「機械を、作ろう」
『了解しました、レナ』
レナは、ノートを引き寄せて、書いた。
試作二号機:圧延機(生地を伸ばす)
***
工房に、戻ったのは、夕方だった。
塊は、宿の机の上に、放置した。逃げない、と分かっていた。
ジャンク棚の、最下段。埃の積もった、棚の奥。レナは、しゃがんで、奥を、覗き込んだ。
「フェネク、ライト、貸して」
フェネクの肩の小さなライトが、ぱ、と灯った。
棚の奥の暗がりの中に、小さな、手回しの圧延機が、横たわっていた。直径十センチほどの、二本のローラー。間隔調整の、小さなねじ。手回しの、ハンドル。全体が、薄い錆を、被っている。
レナは、両手で、引っ張り出した。
「フェネク、これ、何?」
『データにあります。電線被覆圧延機。100年以上昔の製品です』
「ひょっとして、お祖父さんの」
『はい、レナ』
「……」
『……』
「勝手に、使って、いいかな」
『ヘルマン様は『好きに使え』と仰っております』
「あれは、茶菓子棚の話だよ」
『拡張解釈、可能と判断します』
「……ふふ」
レナは、圧延機を、作業台に乗せた。
錆とりスプレーと布で丁寧に錆を拭く。
軸受けに油を差す。
ローラーを手で回してみる。
最初は、ぎ、ぎ、と、引っかかる音がしたが、油が回ると、ぐる、ぐる、と、滑らかに、動き始めた。
(……生きてる)
初代ヴァイスが、まだこの工房を始める前からある製品。たぶん初代の手で、電線の被覆を何度も何度も伸ばしたもの。それが今、レナの手のひらの下で、またくるくる回っている。
(……手で回してたら、私の腕力じゃ、また同じことになる)
レナは、ハンドルを外した。軸の端に、ジャンク棚から拾ってきた小型のモーターを合わせる。
AGM規格の、旧型ヒーター素子用のモーター。十分なトルクが、ある。
軸とモーターを、カップリングで繋ぐ。配線を、引く。スイッチを、つける。
整備とモーター化が、終わったのは、深夜過ぎだった。
工房の天井で、作業灯が、ぶうん、と、低く唸っていた。バルトのいない工房は、いつもより、広く、感じた。
レナは、圧延機を、よっこいしょ、と持ち上げた。
「重い……」
『お持ちします、レナ』
「……ありがとう」
フェネクと半分ずつ持って、宿まで運んだ。
電線天蓋の下を、二人でゆっくり歩いた。
夜の電線は、いつものように薄暗く、唸っていた。
宿の机の上に、圧延機を、置いた。机の隅で、固い塊が、まだ、無言で、居座っていた。
試作二号機、整備・モーター化完了
レナは、ノートに、書き加えて、それから、ベッドに、倒れ込んだ。