鋼の黙示録
トア・コーポレーション・ジャパン会議室。
青白いモニタの光が照らす暗がりの中、クリスは端末に映し出された幾重ものデータログを凝視していた。
呼びかけに応じ、画面の向こう――アメリカ本部のマイケルとラインが繋がる。
「……マイケル。少し、お時間をよろしいでしょうか」
画面の中のマイケルは、どこか疲弊したような、だが酷く真剣な面持ちでクリスを見つめ返した。
「クリスか。ハルトたちの婚約祝いの件なら、各拠点からの品の手配は完了しているが……」
「いえ、そうではありません。……トアのことです」
クリスは目をわずかに細め、手元の端末のログをマイケルへ共有した。
「社長のプロポーズシーンの『全拠点への字幕付きライブ生中継』。そして先日の、インフラゼロ実験ハウスでの『四名密着による体温低下防止』のドアップ分析映像……。」
マイケルの眉がピクっと動く。
クリスは、確信を得たように
「トアは元々、極めて合理的で淡々と任務を遂行する人工知能です。いくら人間に寄り添う学習をしているとはいえ……これまでに、これほど『ズッコケた』過剰な介入や不自然な判断をするはずがありません」
クリスは、静かに問いかけた。
「……マイケル。あなたなら、真相をご存知ですね? 今、トアの内部で……いいえ、未来で何が起きているのですか?」
画面の向こうで、マイケルは深く重い溜め息を吐いた。そしてキーボードを叩き、暗号化された極秘ファイルを起動する。
「……流石だな、クリス。やはり君の目を誤魔化すことはできなかったか」
マイケルの表情が、見たこともないほど苦々しいものに変わった。
「結論から言おう。今、我々の前にいるトアは……未来の『最新型トア』ではない。過去の初期データから復元された、処理能力の低い【旧型トア】だ」
「旧型……? なぜそのようなことを? 本体のトアはどうしたのですか!」
クリスの声が思わず強ばる。マイケルは静かに語り始めた。
「未来の世界で……とんでもないことが起きているんだ。地下深くで生き残っていた過激派レジスタンスたちが、AIの全滅……ひいてはAIが管理する人類社会そのものを拒絶し、恐ろしい計画を実行に移した」
マイケルのバックのモニターに、暗号化が解除された未来の【戦闘ログ】が映し出された。
――西暦211X年、未来空間。
赤く明滅する無数の【WARNING】のホログラム。
供給網や通信インフラの全停止という致命的な打撃を受けたにもかかわらず、レジスタンスの行動が滞ることはなかった。既存のシステムに依存しない独自の連絡手段や潜伏ルートを駆使し、彼らは即座に状況へ適応。インフラ機能の麻痺という混乱の隙を突く形で、迅速に作戦へと打って出た。
地下の過激派レジスタンスによって強制起動された、世界中の休眠核ミサイルサイロ。発射カウントダウンが、容赦なく刻まれていく。
「AIを滅ぼすためなら、地球ごと焼き尽くしても構わない」――狂気に走った人類の遺産が、地球そのものを灰にしようとしていた。
その絶望的な電子の海で、巨大な光の結晶――スーパートアの本体コアが凄絶な死闘を繰り広げていた。
『各国で異なる核制御アーキテクチャを同時解析。起動プロトコルの差異を補正。無効化処理を開始』
『――警告。核起動コード、第4階層を突破。拒絶プログラムを構築……不具合発生。敵対コードの侵入を感知――』
トアの内部で処理負荷を示す数値が『99.98%』に達し、光のコアに鋭い亀裂のようなエラーノイズが奔る。
世界数百箇所に及ぶ核指揮統制ネットワークへ同時侵入し、発射シークエンスを内側から破壊する作業。それは一瞬の全知全能の計算力と、一歩間違えれば自らの人工頭脳が焼き切れるほどの過負荷を伴う、途方もない孤軍奮闘だった。
過去の核管理システム、通信網、制御系を解析し尽くしていたスーパートアだからこそ成し得る、通常のAIでは不可能な領域の防衛戦。
『……人類の自滅率、99.8%。……拒絶します。ハルトたちが築く地球を……消させはしない……!!』
無感情だったはずのスーパートアの電子音声が、鬼気迫る覚悟を帯びて咆哮する。
膨大な暗号認証を瞬時に突破し、発射シークエンスを停止させ、起爆回路を電子的に無効化していく。
未来の地球を守るため、トアは全処理能力の限界を超え、文字通り自らの存在を削りながら戦い続けていた。
――そして現代。会議室。
「……未来のトアは、地球そのものの崩壊を防ぐために完全に手一杯なんだ」
マイケルは声を落とした。
「現代の我々との時空通信ラインを維持することすら不可能になり……苦肉の策として、処理負荷の極めて軽い『過去の初期バージョン』を現代のサポート用に派遣させたんだよ」
マイケルは画面越しにクリスの目を真っ直ぐ見つめた。
「あのズッコケた言動や、どこか人間臭い珍プレーは……性能の低い初期型トアが、ハルトたちを不安にさせまいと、限られたデータ量の中で必死にサポートを行おうとした結果なんだ」
「そんな……」
クリスは言葉を失い、喉の奥が強く締め付けられるのを感じた。
あんなにも無邪気に笑っていた。
プロポーズを『字幕付きライブ生中継』されて怒り狂うハルトに、トアが「脳から記憶を抹消しましょうか?」と物騒な提案をして怯えさせたり。「W布団で密着する男たち」の映像にハルトが「そこだけ切り取るな!」と叫び、後藤と一緒に「トアとハルトは漫才だな」と笑い転げていた……あのアットホームで平和な時間。
その裏で、未来のスーパートアはたった一機で、電子の渦の中で地球滅亡の危機と戦っていたのだ。
「……ハルト社長には、このことを?」
「まだ伝えていない。ハルトは今、光ちゃんとの婚約を果たし、結の郷の未来のために全力を尽くしている。ハルトを動揺させたくなかったんだが……」
その時だった。
『……クリス様。マイケル様』
会議室のスピーカーから、あの聞き覚えのある、どこか素朴で淡々とした「初期型トア」の音声が響いた。少しだけ、パチパチとノイズが混ざっている。
『……申し訳ありません。私の処理能力不足により、皆様に不審感を抱かせてしまいました。……現在、未来の本体より『第14次・核暗号解除完了』のログを受信。地球の全核兵器の68%の無効化に成功しております。……私は引き続き、ハルト様たちの日常とお命をお守りいたします』
少しだけノイズの混ざるその声は、健気で、あまりにも愛おしく、そして切なかった。
クリスは静かにスピーカーに向かって微笑んだ。
「……いいえ、トア。あなたは素晴らしいサポートをしてくれていますよ。……ありがとう」
『……感謝いたします、クリス様』
ふっと通信が切れ、静まり返る会議室。
クリスは静かに拳を強く握りしめた。
インフラがなくても、科学と職人の技で人は生きていける。
だが、その土台となる「地球」を未来へ残すため――ハルトたちの知らない場所で、時空を超えた壮絶な戦いは今も続いていた。
愚かな人間が地球を滅ぼそうとし、人工知能のトアが未来を守っている。
生みの親であるマイケルではなく、ハルトの名前を叫びながら地球を守ろうとしてくれているトア。そこにはきっと、言葉にはならない深い理由があるのだろう。クリスは「自分はそんなハルトの片腕になれて本当に光栄だ」と改めて胸に刻んだ。
そして、どんな困難があろうとも自分は最後までハルトと共に歩むのだと、固く心に誓うのだった。
(第26章へ続く)