鋼の黙示録
沖縄から戻ったクリスと美琴を迎え、結の郷はあたたかな祝福の空気に包まれていた。
「美琴さん。お帰りなさい。すっごく綺麗だから待ち受けにしちゃった♡」
と光はウエディングドレス姿の美しい美琴とモデルのようなクリスの写真が映ったスマホを見せた。
「光ちゃんたら‥」
美琴は少し照れくさそうに微笑み、クリスは愛おしそうに美琴の肩へそっと手を添えている。
「式も旅行も、本当に行ってよかったわ。ハルト、光ちゃん、背中を押してくれてありがとう」
「お二人とも本当におめでとうございます」
光が弾けるような笑顔を見せ、ハルトも嬉しそうに頷いた。
そこへ、クリスがふと思い出したように口を開く。
「そういえばハルト。沖縄にいる間、トアから要請を受けて結の郷に必要な人材へ連絡を取っていたんです。本日、その方が到着する予定です」
「新婚旅行中に連絡するなんて、ほんとトアは容赦ないなぁ〜。で、どんな人なの?」
「将来、医薬品が手に入らなくなる時代に備えてスカウトした漢方専門の薬剤師です。非常に優秀で天才的な方なんですが、かなり癖のある方でして‥‥」
クリスが珍しく苦笑いを浮かべると、てんとう虫通信からトアの声が響いた。
『補足します。行動や言動に多少の偏りは見られますが、人間性および健康面には全く問題ありません。今後の人類の持続において極めて必要な人材と判断しました』
「トア……その言い方、逆に不安になるんだけど」
ハルトが引きつった笑いを浮かべていると、道の向こうからひとりの女性が歩いてきた。
小柄でどこか親しみやすく、くりっとした目が印象的なチャーミングな女性だ。
「あ、こんにちは〜! ここが結の郷ですか?」
にこやかに手を振る可愛らしい姿に、ハルトは「なんだ、優しそうな人じゃないか」と胸を撫で下ろした。
「初めまして、私トア・コーポレーション・ジャパンの‥」と挨拶を始めたハルト。
……が、次の瞬間だった。
女性の視線が、棚田と草を食んでいるヤギたちに注がれた。
ピクッと眉が跳ね、可愛らしい瞳が爛々と怪しい光を放ち始める。
「……嘘でしょ!? なんですかあの豊かな棚田! あぜ道に野生の葛とツユクサが群生してる宝の山……! え、ちょっと待って、あそこにいるのってヤギ!? ヤギのミルクがあるんですかー!?」
「え?」
ハルトが握手しようと出した手がそのままの状態で、女性は歓喜の声を上げると、ハルトたちを押しのけ、棚田のヤギたちに向かって猛スピードですっ飛んで行った。
「きゃーっ! 山羊乳は身体を温めて気血を補う最高の滋養薬なのよーっ! おっぱい見せてーっ!!」
「うわあああぁぁ!? なんだなんだこの女ぁぁっ! 俺のヤギに怪しい手を出すなーーっ!!」
ヤギたちを揉みくちゃにされそうになった後藤が、なりふり構わずパニック状態で叫びながら追いかけていく。
呆然と立ち尽くすハルトたちの横で、クリスが静かに頷いた。
「言ったでしょう。癖がある、と‥‥」
クリスとハルトは、眉間に指をやり、これから先にどんな波乱が待ってるかと思うと、トアの人選がバグってないか?と一抹の不安を感じるのだった。
◇
「——というわけで、漢方専門薬剤師の百草 えま(もぐさ えま)です! えまちゃんって呼んでくださいね!」
ひと暴れしてヤギたちの毛並みと乳房の張り具合をチェックし終えたえまは、満足そうな満面の笑みで自己紹介をした。
後ろでは、後藤がハァハァと息を荒らしながら、ヤギたちを庇うように抱きかかえてえまを警戒している。
「あの、百草さん……ヤギたちがびっくりしちゃいますから」
「あ、すみません! 興奮しちゃって! だって、こんな極上の生薬(薬草)と、完璧な動物性の補気薬が揃ってるなんて夢のようじゃないですか!」
えまはキュートな笑顔のまま、マシンガントークを再開した。
「桑畑の予定地も拝見しました! 桑は葉も、枝も、果実も、根の皮も、全部が一流の漢方薬になるんです! 桑葉茶は血糖値を抑えて風邪予防にもなるし、ヤギのミルクと合わせれば、冬場の体力維持に最高の薬膳スープが作れます!」
「ぜ、全部薬になっちゃうんだ……」
ハルトが圧倒されていると、美琴がふっと微笑んだ。
「でも、とても頼もしいわ。これからの体調管理や病気予防、ぜひえまさんにアドバイスしていただきたいです」
ヤギを抱えた後藤が、まだ少し不満そうに「……まぁ、知識は本物みたいだな」と呟く。
「はい! 薬草とヤギのためなら何でもします! さぁ後藤さん、さっそく棚田のあぜ道の雑草……あ、違った、貴重な生薬たちの採取に行きましょう!!」
「えっ、今から!?」
「当たり前です! 日が暮れちゃいますよ〜!」
えまに腕を引っ張られ、後藤は棚田へと連れて行かれた。
「ふふ、結の郷がますます賑やかになりますね、ハルトくん」
「あはは……そうだね。すごく心強いよ(ちょっと不安だけど)」
『ハルト・クリス。マイケルが呼んでいるので会議室に集まって下さい』
ハルトとクリスは、岡山市に向かった。
会議室。
マイケルがモニターに映っていた。
「クリス結婚おめでとう!!やはり日本に行かせて正解だったな。美琴さんという最高の伴侶を手に入れられて本当に良かったよ」
「ありがとうございますマイケル」
少し間を置いて
「私や姉たちは、いつも空虚な表情で、毎回違う女性と一緒にいる君を心配していたんだ」
「心配をおかけしていたんですね。すいませんでした。今は、美琴に出会えて本物の愛を知り幸せです」
柔らかい笑みを浮かべるクリスにマイケルは安堵の表情を浮かべる。
「クリスとミコ姉の赤ちゃんなら絶対可愛いと思うなぁ〜」
とハルトが口にすると、急にてんとう虫通信からトアの機械音が割り込んだ。
『クリスおよび美琴の遺伝子データを解析完了。両者の表現型から推測される次世代個体の容姿および知能指数の期待値は極めて優秀です。しかし、遺伝子保存の観点において、不定期かつ確率論的な性行為に依存する現状の繁殖プロセスは著しく効率性を欠きます』
ハルトの顔が一瞬で真っ赤になる。
「トア!! 人間なんだから動物みたいに繁殖の時期だけじゃ無いんだよ! 愛情表現なんだから!! って、まさかそれも監視してるのか!?」
トアは機械音声のまま続けた。
『肯定します。種族の存続および遺伝的多様性の維持は最優先タスクです。ハルトに関しても、光の排卵周期、基礎体温、ホルモンバランスを24時間常時モニタリングし、受精成功確率が最大化する最適なタイミングをアラート通知するシステムを構築済みです。すべてお任せください』
「は⁈」
ギョッとして口をポカンと開けるハルトを見て、マイケルが慌てて助け舟を出した。
「トア、その部分は本人達に任せよう。過度なモニタリングはストレスホルモンを分泌させ、かえって妊娠率を低下させる原因になる。人間はとてもデリケートだからね」
『了解しました。生体ストレス因子の増加リスクを考慮し、アラート機能の運用は一時保留とします。……しかしマイケル。あなた方夫妻の年齢および生理学的データから推測するに、今後の生殖可能性はほぼゼロに等しい数値を示しています。シルデナフィルを服用してまで継続されるその求愛行動は、エネルギー消費の観点から見て極めて非効率的と考えられますが?』
「トア!!」
甥の前で、夫婦生活を暴露され、マイケルも顔を真っ赤にして叫んだ。
(そうなんだ。円満な夫婦って色々大変なんだな‥)ハルトは、少し不安になる。
マイケル、クリス、ハルトの三人は居心地の悪さが限界突破し、マイケルは耐えかねてトアの通信音量を強引にOFFにした。
静まり返ったモニターの向こうで、マイケルがコホンと咳払いをしてハルトの方を向く。
「……ハルト、本当にありがとう。これで私達は他人ではなくなったね。私も嬉しいよ」
「俺もマイケルの身内になってくれて本当に光栄です。」
「あ、そうそうガブリエルが麻酔薬に難航してるようなんだ。」
「そうなんですね。でもゆっくりで大丈夫と伝えて下さい。まだ30年近くありますし」
「そうだね。他の薬を優先させてもらうように話しておくよ」
「はい」
波乱に満ちた会議が終わり、ハルトとクリスはどっと押し寄せた疲労感に肩を落とすのだった。
翌日
結の郷にやってきて早々、百草えまは薬草採取とヤギの観察(と後藤との攻防)に明け暮れ、すっかり馴染んでいた。
作業小屋の軒下でハルトとクリスは、後藤に向けて現状の報告を行っていた。
「……というわけで後藤。ドイツのガブリエルに頼んでいる麻酔薬なんだけど、向こうの状況も厳しくて開発が難航しているみたいなんだ」
ハルトが神妙な面持ちで語ると、後藤は腕を組み、眉間に皺を寄せた。
「麻酔薬か……。大怪我や手術が必要になった時に麻酔がないのは致命的だからな。なんとかならないのか?」
「彼は植物学と薬学の天才ですが、現場での実証実験や、代替となる生薬素材の調達に限界があるのでしょう。この局面を打破できる手立てがあればいいのですが……」
クリスが言葉を濁した、その時だった。
すぐ近くで薬草を干していたはずのえまが、ピクンと耳を跳ねさせた。
「……ちょっと待ってください」
「え?」
えまは手に持っていた乾燥葛根を放り投げると、猛烈なダッシュで三人の間に割り込んできた。
「今『ドイツのガブリエル博士』って言いました!? あの植物アルカロイドと薬用ハーブ抽出の革新的な論文を書いた、あのガブリエル博士ですか!?」
「え、あ、うん。そうだと思うけど……」
ハルトが引き気味に頷いた瞬間、えまはハルトの手を両手でガシッと掴み、鼻息荒く身を乗り出した。
「私をドイツに連れて行ってください!!」
「はいっ!?」
「西洋ハーブと植物学の最高峰であるガブリエル博士の知識に、私たちが持つ東洋の生薬——華岡青洲の麻酔技術や、曼陀羅華、草烏頭の配合データを組み合わせれば、より安全で実用的な麻酔薬が完成する筈です!ガブリエル博士の論文は全部暗記してます! 彼と直接議論できるなら、私、地球の裏側まで飛んでいきます!!」
目を爛々と輝かせて畳みかけるえまの熱量に、ハルトと後藤は完全に圧倒されていた。
「で、でもえまちゃん! 結の郷に来たばかりだし、それに生薬のサンプルだって国際検疫や持ち出しの許可が厳しいんじゃ……」
「ハルト、その点なら問題ありません」
慌てるハルトを制し、クリスがスマートに口を開いた。
「サンプルは乾燥・精製済みの研究用試薬として、トアと私のルートで正式な検疫証明と輸送許可を取得できます。それに、彼女の提案は極めて理にかなっている」
クリスは顎に手を当て、深く頷いた。
「ガブリエルは類稀なる天才ですが、非常に気高い癖のある研究者です。ですが、同じ領域を極めた『本物の天才』同士であれば、性別も国境も越えて瞬時に意気投合するはずです。移動ルートと安全の確保なら、完璧に手配できます」
てんとう虫通信からもトアの音声が流れた。
『同意します。検疫手続きおよび輸送ルートの承認を完了しました。百草えまの同行による麻酔薬完成の確率は 89.4% に上昇します』
「トアまで……! クリスがそこまで言うなら、分かったよ。気をつけて行ってきてくれるかい?」
「はいっ! 任せてください!」
◇
出発の日の朝。結の郷の広場には、検疫済みの生薬サンプルを厳重にパッキングしたリュックを背負ったえまの姿があった。
ヤギを抱えながら見送りに来た後藤が、どこかホッとしたような、けれど複雑な顔で鼻を鳴らす。
「行ってらっしゃい。」
後藤はニッコリ笑いながら
「これで、ようやく平和になるな」
「後藤さん、ヤギのミルクの搾乳と保存管理、教えた通りにお願いしますね! 帰ってきたらチェックしますから!」
「はいはい。ドイツが気に入ったら当分居着いてくれてイイからな。ま、珍しいハーブでも見つけたら送ってくれ。棚田で育てとくよ。」
後藤は、よほど疲弊したのか?
皮肉たっぷりなセリフを言ったのだが、えまは瞳を輝かせ。
「後藤さん……! 大好きです!(※薬草を育ててくれる意味で)」
「は?何言ってんの?」
赤くなる後藤の横で、美琴がくすっと微笑みながら、小さな包みをえまに手渡した。
「えまさん、道中のお弁当よ。身体を温めるハーブとおにぎりが入っているわ。無理だけはしないでね」
「美琴さん……ありがとうございます! 最高の麻酔薬と一緒に、美琴さんのお肌に効く海外の薬草知識も絶対に持ち帰ってきますね!」
「ふふ、楽しみに待っているわ」
クリスが通信端末を掲げ、合図を送る。
「準備は整いました。健闘を祈ります、えま。ガブリエルによろしく」
「はい! 行ってきます、みんな!」
背中のリュックを揺らしながら、百草えまはとびきりチャーミングな笑顔で手を振り、風のようにドイツへと旅立っていった。
(34章へ続く)