レン
六月の終わり。
窓の外では、じっとりした雨が降っていた。
レンは机にうつぶせになりながら言った。
「はあ……」
宿題は終わった。
ゲームもした。
本も読んだ。
なのに、なんだか体が重い。
「雨ってさあ。ずっと降ってると退屈だよなあ」
すると、机の上のスマートスピーカーが突然震えた。
「たいへんだー!」
聞き慣れた声が飛び出す。
次の瞬間、小さな妖精ことはがぽんっと現れた。
髪の間から「水」「無」「月」の文字がぱらぱら落ちる。
「レン! レン! 水無月が消えそう!」
「え?」
「水無月だよ!」
「六月?」
「ちがう! ちがう! 半分ちがう!」
ことはは空中をぐるぐる回った。
「六月でもあるけど、おもちでもある!」
「おもち?」
「そう!」
レンは首をかしげた。
「六月がおもち?」
「だから水無月!」
「意味わかんない」
「ぼくも半分しかわかんない!」
ことはは胸を張った。
「えらそうに言うなよ」
その日の夕方。
買い物から帰った母さんが、小さな包みを机の上に置いた。
「そういえば今日、水無月買ってきたよ」
「えっ」
レンは思わず声を上げた。
包みを開く。
白い三角形のお菓子だった。
上には赤い小豆がのっている。
「これが水無月?」
「六月の終わりによく食べるお菓子なんだって」
母さんはそう言って台所へ向かった。
ことはは目を輝かせた。
「いたー!」
「言葉?」
「うん!」
ことはが水無月に近づくと、ふわりと古い文字が浮かび上がった。
『夏越』
『祓』
『無病息災』
知らない言葉ばかりだ。
「なんだこれ」
「うーん……昔の人の気持ちかな」
ことはは珍しく静かな声で言った。
レンは水無月を一口食べた。
もちもちしている。
小豆はほんのり甘い。
「おいしい」
「でしょ!」
「でもなんで三角なんだろ」
その瞬間。
ことはの髪から『氷』という文字がぽろりと落ちた。
「氷?」
レンがつぶやく。
すると文字がふわっと広がった。
昔。
冷蔵庫なんてなかった頃。
夏の氷はとても貴重だった。
山奥の氷室にしまわれた氷は、都の人でも簡単には手に入らない。
暑い夏を元気に越せますように。
病気になりませんように。
そんな願いを込めて、人々は氷を口にしたかった。
でも氷は高価だった。
そこで。
氷の形をまねた三角のお菓子を作った。
それが水無月。
気がつくと、レンはいつの間にか立ち上がっていた。
「じゃあ、この三角って氷なのか!」
「たぶんね!」
ことはも興奮して羽をぱたぱたさせる。
文字が部屋中を飛び回った。
「じゃあ小豆は?」
レンが聞く。
すると今度は『厄』という文字が現れた。
「昔はね、小豆には悪いものを追い払う力があるって考えられてたんだって」
「へえ」
「だから元気に夏を越せますようにって」
ことはは小豆を見つめた。
「願いをのせたんだね」
雨はまだ降っていた。
でもさっきより暗く見えなかった。
レンは最後の一口を食べた。
「六月って、ただ暑くなるだけの月じゃなかったんだな」
「うん」
ことはがうなずく。
「昔の人は夏が来るのを少し怖がってたのかも」
「だから願った?」
「そうかも」
ことはの髪から、今度は小さな文字が一つ落ちた。
『越』
レンはその字を指で追った。
越える。
乗り越える。
夏を越す。
病気を越す。
毎日を越す。
昔の人も、今の人も。
みんな同じだったのかもしれない。
スマートスピーカーの上で、ことはが満足そうに寝転がった。
「水無月、おいしかったなあ」
「お前、食べてないだろ」
「言葉を食べたの!」
「またそれか」
レンが笑う。
窓の外では雨が少しだけ弱くなっていた。
六月の終わりの風が、そっと部屋を通り抜けた。