悪役令嬢は世界のバグを修正する
礼堂跡地に、
奇妙な静けさが降りていた。
つい先ほどまで、
命令が飛び交い、
制御格子が軋み、
騎士たちの足音が石畳を打っていた場所とは思えない。
戦闘は止まっていた。
決着がついたわけではない。
誰かが勝ったわけでも、
誰かが敗れたわけでもない。
ただ、
この場にいる全員が、
次に何をすべきか分からなくなっていた。
神殿側の陣列では、
監査官たちが低い声で言い争っている。
「制御ログを再確認しろ」
「局所権限の原因を特定しろ」
「上層への報告を優先すべきです」
冷静を装った声色の奥に、
隠しきれない焦燥が滲んでいた。
彼らは命令する側であり、
混乱する側ではなかったはずだ。
その前提が崩れている。
騎士団は動かない。
剣を構えた者も、
盾を上げた者も、
その姿勢のまま停止していた。
前へ出る命令もなく、
退く許可もない。
訓練された兵ほど、
曖昧な状況では動けなくなる。
鋼の列は、
まるで置き去りにされた彫像の群れだった。
教師たちはその隙を逃さなかった。
「一年生を東棟へ!」
「負傷者を優先して運んで!」
「振り返るな、急げ!」
抑えた声で生徒たちを誘導し、
礼堂跡地から少しずつ遠ざけていく。
表向きは秩序維持。
だが実際には、
この異常の中心から子どもたちを離すための行動だった。
広場の中央。
ルシアンは剣を下ろしていた。
刃はまだ鞘へ戻されていない。
だがその切っ先は地を向き、
先ほどまでの敵意はもうそこにない。
彼の視線は、
目の前の少女ではなく、
その先にある何かを探していた。
騎士としての姿勢は崩れていない。
それでも、
この男が今までと同じ命令では動かないことだけは、
誰の目にも明らかだった。
その数歩先で、
レティシアは立ったまま空を見ていた。
呼吸はまだ浅い。
肩には疲労が残り、
指先もわずかに震えている。
それでも彼女は倒れない。
白い制御格子が薄く残る夜空を、
じっと見上げていた。
まるで、
この場にいる誰よりも先に、
次に来るものの気配を感じているかのように。
そして礼堂跡地で、
唯一自然に動いているものがあった。
風だ。
止められていた夜気が、
崩れた石柱の間を抜け、
草を揺らし、
騎士たちの外套をはためかせる。
レティシアの髪が静かに流れる。
誰かが小さく息を呑んだ。
世界はまだ壊れていない。
だが、
元には戻ってもいなかった。
この静寂は終息ではない。
何かが始まる直前の、
あまりにも深い沈黙だった。