この作品について
二〇二六年十一月、中国から届いた一通の「事前通知」は、友好的な体裁を装っていた。軌道を失った宇宙デブリが日本近海に落下する――そう告げられた物体の正体は、精密に軌道計算された百発を超える誘導弾だった。迎撃は間に合わず、一部は四国の防衛施設と市街地に着弾する。
中国は「事前に通知した通り、デブリの落下である」と繰り返すのみで、非を認めない。中東情勢の泥沼化に手一杯の米国は、同盟国としての明確な後ろ盾を示さず、「自国の防衛は自国で」と突き放す。国際社会の反応も鈍く、事態はうやむやのまま処理されていく。
だが、この一夜が持つ意味は、誰も止められなかった。「日本には、いつでも同じことができる」という事実だけが、静かに、しかし確実に世界中の投資家に共有されたのだ。円が背負っていた「安全」という神話は音もなく崩れ、そこから終わりの見えない円安が始まる。
物価は上がり続け、日銀の利上げは常に後手に回る。都内の一室で暮らすサラリーマン一家は、パンから米へ、外食から自炊へと、静かに生活を切り詰めていく。為替アナリストは、政府がインフレによって国の借金を実質的に目減りさせようとしているのではないかという、誰も口にしたがらない仮説にたどり着く。霞が関の一官僚は、増税も緊縮も選べない政治の果てに、その「選択肢」へとなし崩しに流れ着いていく現場を、内側から見つめている。
そして、ある日ネット上に広まった一つの「暗合」――主要人物たちの誕生日が、揃って七月五日であるという都市伝説が、国全体の不安に火をつける。国会は空虚な答弁を繰り返し、テレビとYouTubeはその沈黙を「何かの証拠」として煽り立てる。国民は銀行に殺到し、金地金を買い求め、資産を国外へ逃がそうとする。
崩壊は、誰か一人の悪意から始まったわけではない。ほんの小さな「遺憾」の一言と、うやむやにされた説明責任の積み重ねが、静かに、そして後戻りできない場所まで、この国を運んでいった――。