【完結】冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます
ルシアン嬢が、お父上の行方を探しに、隣国へと発ってからというもの、私はなんとなく毎日に物足りなさを感じていた。
いつもそばで笑顔を見せてくれていた彼女がいない、ただそれだけのことなのに……。
(いつからだろう? 気づけばルシアン嬢、君のことばかり考えている)
それでも、私は彼女の無事を祈りながら日々、真面目に仕事をこなしていく。
『リチャード様、この港とお母様を、どうかよろしくお願いいたします』
発つ際に、私を信じ託してくれた彼女の言葉が、今も耳の奥に残っている。その時私は、何があっても守り抜くと心に誓った。
ただ、一つだけ心配なことがあった。それは残されたルシアン嬢の母君のことだ。
普段はとても気丈に振る舞っていらっしゃるが、時折、ふと手を止めてはどこか遠くを見つめている。その顔は、とても元気がなく、寂しげな表情だった。
(無理もない……最愛の夫が行方不明な上に今度は大切な娘までが危険な隣国へ向かってしまったのだから。……私だって、彼女のことがまったく頭から離れない。母君と同じだな……そうだ! アルベールに手紙を出して、ルシアン嬢の様子を見に行ってもらおう。前回、一緒にカラク氏のところへも伺った仲だ、彼ならきっと力になってくれるはずだ)
────
ルシアン嬢が発ってから、ずいぶんと日が経ったある日のことだった。
応接室にいた母君の元へ、一通の手紙が届けられた。差出人の名はどこにも書かれていない。
不審に思った私は、行儀が悪いとは思いながらも、横からそっとその手紙を覗き込んでしまった。そこには、何やらたった一言、短い言葉が書き記されているようだったが、私からは何と書かれているかまでは読み取れなかった。
しかし次の瞬間、驚くべきことが起きた。
手紙を読んだ母君の顔が、みるみると、信じられないほど元気になった。
そのあまりの変化に、私は思わず呆然としてしまった。あれは一体、何だったのだろう? 絶望を希望に変える、何か『魔法の言葉』でも書かれていたのか? 気になって尋ねてみたが、母君は悪戯っぽく微笑むだけで、上手に話をされてしまった。
「さあ、リチャード様! あの二人が無事に帰ってきた時に驚くような、立派な港を作り上げましょう!」
そう言って、妙に張り切り出された。
私は、ひとまずは元気になられた母君の姿を見て安心したので、それ以上、詮索することはしなかった。
(……それにしても、おかしいな。アルベールに手紙を出してからずいぶん経つが、一向に返事が来ない。こんなことは今まではなかった……。いつもなら、すぐに返事をくれるはずなのだが)
そんな、親友の不自然さを気にしていたある日のこと。
私がいつものように、完成間近の港を見回っていた時、突然、私のいとこであり侯爵令嬢であるステファニーが、大勢の供を連れて港へとやって来た。
「リチャード様、最近はすっかり社交界にもお顔をお出しになりませんのね」
ステファニーは、建設途中の港の様子を何故か面白くなさそうにして、眉をひそめた。
「ああ。今は港の完成まで、しっかりとこの目で見届けなければならないのでね」
「あら。そのようなお仕事、下の者にすべて任せておけばよろしいのに。侯爵家の次期当主たる者が、このような場所にいつまでもいるものではありませんわ」
「そうはいかない。今の私には、ここで見届けなければならない理由がある。……彼女のためにも」
「あら、あの男爵令嬢はいないのですか?」
ステファニーが、探るように周囲を見渡した。
「ああ、ルシアン嬢なら、今は諸用で隣国に行っている」
私がそう答えた瞬間、ステファニーは何か含み笑いをした。
(やはり、レイモンド伯爵が仰っていた通りだわ。あの女、本当にこの国にいないのね!)
彼女は急に距離を詰めて甘い声で誘いかけてきた。
「でしたら今週末にある舞踏会、私をエスコートしてくださらないかしら? リチャード様のお仕事に、とても有益な方々をご紹介いたしますわよ?」
「いや、遠慮しておく。彼女が帰ってくるまで、私はしっかりとこの港を見守らなくてはならない。それに私は、ルシアン嬢以外の女性をエスコートする気はないからな」
きっぱりと言い放った私の言葉に、ステファニーは悔しそうに顔を歪めた。
「な! あんな成金男爵令嬢の、一体どこが良いのです!? リチャード様、あの女と婚約してから、すっかり変わってしまわれましたわ。ただの書類上だけの婚約者ではありませんか!」
「私は、別に何も変わってなどいない。いつだって、目の前にある真実しか見ないようにしているだけだ。それに彼女は私のれっきとした婚約者だ!」
「もう知りませんわ!」
ステファニーは激怒し、踵を返した。お供の者たちを従え、足早に去っていく彼女の後ろ姿を見送りながら、私は思わずため息を吐いた。
(こちらのことはもう、放っといて欲しいものだ)
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その頃。王都にあるレイモンドの書斎では、ステファニーから『ルシアンが本当に不在だった』という報告を受けた伯爵が満足げに口元を歪めていた。
(フフフ……やはり、商会長の奴、手紙に書いてあった通りあの二人を確実に始末したようだな)
『これでいい。ノートル男爵と娘のルシアンは消えた。残されたのは、元伯爵家のお嬢様育ちの妻だけだ。あの女に莫大な商会や資産を管理できるはずがない。融資計画など間違いなく混乱するだろう』
レイモンドは机の上に広げた計画書を眺め、口元を歪めた。
(男爵の資産が正式に相続されるまでには時間がかかる。その間にダッフル侯爵家は資金繰りに窮するはずだ)
『港の建設には莫大な費用がかかる。完成が近づくにつれ、各所への支払いも一斉に発生する。その際に、一時的に私が立て替えてやると言えば、奴らも飛びつくに違いない。そして借用書はこちらのものだ。返済できなければ港の利権を差し出させる。それですべてお終いだ』
(さてと……用済みとなったあの商会長、いずれは始末せねばならんが、その前に、もう少しだけ働いてもらうとしよう)
すべてが思い通りに進んでいると信じ切ったレイモンドは、勝利を確信したように笑った。
「ハハ! 待っていろ、ダッフル侯爵! お前たちが苦労して築いたその港、すべて我が物にしてやるわ!」
誰もいない書斎に、レイモンドの不気味な笑い声が響き渡るのだった。