【完結】冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます
東の隣国、アルファンブラ帝国。
一行は船酔いに苦しむ者もいたが、なんとか無事に辿り着いた。出発前に、リリアーナはこの国の第二王子に嫁いだ姉へ手紙を送り、到着予定を知らせていた。
長旅の疲れも見せず、真っ先にタラップを駆け下りたのは公爵令嬢リリアーナだった。
彼女の目に飛び込んできたのは、豪奢な装飾が施された王家の馬車の前で待つ、一人の美しい女性だった。
「お姉様!」
「ああ、リリアーナ! よく来てくれたわね。会えて本当に嬉しいわ」
この国へ嫁いだリリアーナの姉は、駆け寄ってきた妹を優しく抱きしめた。
数年ぶりの再会を果たす姉妹の姿は、周囲を明るい雰囲気に変えた。
姉は妹との再会を喜んだ後、同行者であるノートル男爵やルシアンたちを優雅な一礼で出迎えた。
実は、両国の言葉を完璧に話せるのは、この国に嫁いで数年が経つ姉と、子供の頃から語学を学んできたルシアンの二人だけだった。そのため、ここからの案内や交渉のすべては、ルシアンの通訳を通して進められることになる。
一行が案内されたのは、豪華で美しい帝国の王宮だった。
現在、国王夫妻は避暑のため王都を離れ、留守にしていたので、国政を預かっているのは、リリアーナの姉の義兄にあたる第一王子だった。
謁見の間へと通されたノートル男爵は、少しの物怖じもせず、ルシアンの完璧な通訳を介して、第一王子へ互いの利益になる提案をした。
「我が国はオーク材をご提供します。その見返りとして、若い技術者たちに貴国の造船技術をご教授いただきたい」
第一王子は、興味深そうにその提案に耳を傾けていた。
ノートル男爵の熱意を流暢な帝国語で伝えるルシアンの姿に、王子は感心して答えた。
「なるほど、悪くない提案だ。ならば、我が国の造船技術者をそちらの国へ直接派遣しよう。現地で実際に船の造り方を指導させた方が、技術の習得も早かろう」
第一王子の快諾に、ノートル男爵の目元が緩む。
ここで第一王子が、一つの懸念を口にした。
「しかし、オークの巨木を我が国まで運ぶとなると、相当な人手と輸送費がかかるのではないか?」
その言葉を待っていたとばかりに、ノートル男爵が語り出す。それをルシアンが流暢な帝国語で通訳していく。
「ご心配には及びません、王子殿下。伐採したオークを何十本もに組み、川を下って河口の港まで運ぶことができます。幸いその川は幅が広く、流れもまっすぐです。そして、港に届いた丸太をそのまま大型船へと積み替え、貴国へと運ぶ計画になっております」
完璧に計算された無駄のない輸送ルートの説明に、第一王子は「ほう……!」と感嘆の声を漏らした。それならばコストを最小限に抑えて大量のオーク材が運べる。
そして、ルシアンは父と事前に打ち合わせていた『最大の切り札』を微笑みながら提示した。
「さらに、第一王子殿下。現在、我が国ではダッフル侯爵家の領地に最新鋭の港を建設中でございます。この大事業を成功させるための我が方からの誠意として、貴国の貿易船がその新しい港を使用する際の入港料は、しばらくの間、すべて『無料』とさせていただきますわ」
「何……!? 我が国の船の入港料を無料に、だと?」
第一王子の目が輝いた。完成間近の最新鋭の港を無料で使えるとなれば、帝国側の商人たちにとっても計り知れない莫大な利益になる。王子はすっかり満足し、不敵に笑った。
「素晴らしい手際と、破格の条件だな。ならば、我が国としてもそれに応えねばなるまい。そちらの船の復路(帰り道)には、我が国が誇る『香辛料』などを破格の値で提供しよう」
男爵の物流提案と、ルシアンが提示した「リチャードの港の入港料無料」という切り札が、第一王子から「香辛料の破格の取引」という利権を引き出した。
ノートル男爵と商会長が興奮を抑える中、ルシアンは凛とした姿でさらなる提案をした。
「第一王子殿下。素晴らしいご決断に感謝いたします。つきましては、わたくしからも、この巨大な造船・貿易事業をより有益に、かつ確実に成功させるための画期的なご提案させてくださいませ」
「ほう? 聞いてみよう」
ルシアンはにっこりと微笑み、あの大物の大貴族たちをも唸らせる画期的で合理的な投資話を披露した。
「一隻の巨大な船を丸ごと購入するには、莫大な資金が必要になりますわ。万が一、その船が嵐で沈めば損失は計り知れません。そこで、船の所有権を『十六分割』、あるいは『二十四分割』にして、複数の貴族や大商人、そして王室で権利を持ち合うのです」
「……船の権利を、分割するだと?」
第一王子の目が鋭く光った。ルシアンは堂々とした態度で続ける。
「はい。一人が出す資金は少なくて済み、万が一の沈没の際も、損失は自分が持つ権利の分だけで済みます。つまり『リスクの分散』ですわ。これならば、王室の予算を圧迫することなく、同時に何隻もの船を効率的に運用することが可能になります」
謁見の間が静まり返る。
両国の言葉が分かるリリアーナの姉は、ルシアンが語ったあまりにも先進的な投資話に、驚きのあまり持っていたグラスを落としそうになった。
そして第一王子は僅かの沈黙の後、突如、豪快な笑い声をあげた。
「ハハハハ! 素晴らしい! まさか、他国の、それもこれほど若い令嬢から、我が国の財政に安定をもたらすような画期的な策が聞けるとは夢にも思わなかったぞ!」
第一王子は椅子から立ち上がり、ルシアンを感嘆の目で見つめた。
「ノートル男爵、そなたの娘は、ただの美しい通訳ではないな。……よし、この同盟、全面的に受け入れよう! 我が国の総力を挙げて、最高の技術者をそちらへ送ると約束しよう!」
ルシアンの機転と知略が、帝国の権力者を唸らせた瞬間だった。
本国ではレイモンド伯爵が『男爵たちは死んだ。あの港の利権を奪ってやる』と高笑いをしているその裏で、ルシアンたちは国境を越え、リチャードが守る港を武器にして、両国に多大な利益を生む『国家規模の貿易ルート』を成立させたのだった。