【完結】冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます
アルファンブラ帝国の第一王子殿下の歓迎舞踏会がいよいよ来週と迫る中、ノートル男爵邸のルシアンのもとに、リチャードからの贈り物と手紙が届けられた。
手紙の内容は、『当日は自分がエスコートをするので、侯爵家の馬車で迎えに行くから待っていてほしい』という、彼の並々ならぬ決意が込められたものだった。
そして、その贈り物をルシアンが開けると、中に入っていたのは、リチャードの瞳と全く同じ色をした、深く澄んだ青のドレスだった。
「まあ、なんて素敵なお色なのかしら! まるで、港の向こうに広がる、海と同じお色だわ!」
その言葉をそばで聞いていた両親は、同時に深い、深いため息をこぼした。
「やれやれ……。リチャード殿も本当に可哀想に。娘には、彼の真意がこれっぽっちも伝わらないようだな」
「本当にね。ルシアン、そのドレスのお色は、リチャード様の瞳のお色だとは思わないの?」
母親が呆れ半分に尋ねると、ルシアンは不思議そうに小首を傾げて「嫌ですわ、お母様」と笑った。
「これはいま、リチャード様が港のお仕事に精力的に取り組んでいるからこその、海のお色なのですわ! 本当に生真面目なリチャード様らしいですわ」
完璧に的外れな娘の答えに両親は顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。
しかし、ルシアンはすぐに少し困ったような表情を浮かべ、手紙を見つめる。
「ですが、当日は第一王子殿下の通訳という重要なお仕事がありますから、わたくしは一足早く王宮の控えの間へ入らなくてはなりませんの。リチャード様には、その旨をお伝えしてお迎えを辞退する手紙をすぐにお送りしなくては」
そして、とルシアンは心の中でいつものように考えを巡らせる。
(……それに、こんな時にわたくしがダッフル侯爵家の馬車に乗ってエスコートなんてされてしまったら、いつものように周囲の貴族たちから『借金で侯爵家を縛り付けている成金』だって言われてしまいますわ。それでは、せっかく港の事業を軌道に乗せて頑張っていらっしゃるリチャード様のプライドを傷つけてしまいますもの。やはり当日は、直接王宮でお会いする方がよろしいですわね)
リチャードへの気遣いが相変わらず斜め上に働くルシアンだった。
一方で、ルシアンからの丁重な内容で、そういうわけですので『王宮でお会いいたしましょう』と、返事を受け取ったリチャードは、自室でがっくりと肩を落としていた。
こうなったら恋敵である帝国の王子を現地で迎え撃つべく、リチャードは人知れず闘志を燃やして当日に備えるのだった。
そして迎えた、歓迎舞踏会当日。
きらびやかな光に包まれた王宮の舞踏会場には、華やかな装いの貴族たちが集まっていた。
周囲の貴族たちは、一階級上の領地持ちになったノートル男爵家への激しいやっかみを口にしていた。
しかし、その裏では、多くの貴族たちが、実はノートル家に多額の借金をしているという現実がそこにはあった。
この日、壁際で会場を見渡していたルシアンの父、ノートル男爵は、今までとは全く違う強い思いを胸に秘めていた。
今までは、ルシアンの幼い日の『助けてくれた素敵なお兄さんと結婚するの』という可愛い夢を叶えてやるため、(その相手が侯爵家嫡男だったため)死にものぐるいで事業を大きくしてきた。
娘が社交界で肩身が狭くならないよう、周囲の貴族たちへあえて安い金利で資金を融通し、リスクを負ってまで機嫌を取ってきたのだ。
だが、今となってはもう、その必要はどこにもない。
リチャードの心は、借金など関係なく既にルシアンへと真っ直ぐに向けられている。そして何より、今の娘は周囲の雑音などに一切動じない、とても強い鋼の心、いや、ただ無関心なだけなのかもしれないが。だから父は迷わず強い態度で臨むつもりだった。
(もう、今までのように周囲のくだらない噂を、黙って聞き流してやる義理は毛頭ないな)
あれほど我が家がリスクを背負って金を貸してやったというのに、その貴族の娘たちは、相変わらず自分たちの贅沢な生活が誰のおかげで成り立っているかも考えず、ルシアンへ汚い言葉を浴びせている。
守るべき娘が強くなった今、父親である自分もまた、ただの優しい商人である必要はなかった。いざとなれば、我が家の財力を以て全員脅かして引きずり下ろしてやろうとすら思っていた。
その時、高らかなファンファーレが会場全体に鳴り響いた。
アルファンブラ帝国第一王子殿下のお出ましだった。
会場の注目が一斉に向けられる中、王子の傍らには、リチャードから贈られた深く澄んだ青のドレスに身を包んだルシアンが、通訳として控えていた。
その姿は、高貴な王子に一歩も劣らないほど、会場の誰よりも光輝いている。
「まあ……なんて美しいの……」
「あのドレス、本当によく似合っているわ」
誰もが感嘆のため息を漏らす中、まずは国王陛下が歓迎の挨拶を述べ、いよいよ華やかな舞踏会の幕が開けた。
するとその瞬間、帝国の第一王子が、当たり前のようにルシアンの手を取ってファーストダンスへと誘ったのだ。
主役である帝国の王子から突然指名されたルシアンに、会場の貴族たちは驚きを隠せない。
彼女は即座に流暢な帝国語で「わたくしは通訳の身ですので」と辞退の言葉を告げたが、王子はそんな言葉は一切無視をして、楽しそうにルシアンの手を引き、会場の中心へと強引に引っ張っていってしまった。
「……仕方がありませんわね。これも外交のお仕事の範囲ですわね」
そう言って、諦めつつ、優雅に踊り出すルシアン。
しかし、その光景を見た周囲の令嬢たちの目は、嫉妬で醜く吊り上がった。彼女たちは口々に酷い言葉を浴びせ始める。
「見てご覧なさい、あの成金の娘。お仕事にかこつけて、帝国の王子殿下にまで色目を使うなんてはしたない」
「本当ですわ。ダッフル侯爵家を借金漬けにして婚約者の座を奪い取った、強欲な女ですもの。今度は帝国の王子を騙すつもりかしら?」
その醜い噂の仕掛け人は、ルシアンを睨みつけながらも、勝ち誇ったように笑っている。
そう、彼女はステファニー侯爵令嬢。
「ふむ。ずいぶんと楽しそうな会話をなさっているようだな。お嬢さんがた」
背後から響いた冷徹な声に、令嬢たちがビクッと肩を揺らして振り返る。
そこには、いつの間にか彼女たちの父親である貴族たちを引き連れた、ノートル男爵が立っていた。
男爵は笑顔を浮かべていたが、その目は凍りつくほどに冷たい。
「ノ、ノートル男爵……!? お父様、どうしてここに……」
青ざめる令嬢たちの前で、男爵は引き連れてきた貴族たちを冷たく見据え、言い放った。
「あなた方の大切な娘たちは、我が娘に対してずいぶんな言いようのようだ。今までは社交界の平穏のために黙って見過ごしてやっていたが……どうやら、もうその必要はなくなったらしい」
男爵の放つ圧倒的な威圧感に、貴族たちは冷や汗を流してガタガタと震え出した。男爵は懐から手帳を取り出すような仕草をしながら、淡々と言い放つ。
「なんなら、次回からの我が家からの資金提供の延長はお断りし、現在お貸ししている分も、法に則ってすべて今月中に引き上げさせてもらいましょうかね」
「なっ……!? そ、それだけは御勘弁を!!」
貴族たちが悲鳴を上げる中、男爵は冷酷な商人の顔で令嬢たちを見下ろした。
「貴女方が今こうして、綺麗なドレスを着て、高価な宝石を身につけ、社交界に淑女のふりをして出入りできているのは一体どうしてか、その足りない頭でよく考えた方がいい。私も、大切な娘をここまで酷く言われては、もう我慢の限界なんでね。それとも何か? 私の娘が、あなた方に何か悪いことでもいたしましたかな?」
男爵の放つ怒りの言葉に令嬢の一人が恐怖で父親にすがりついた。
「お、お父様……! 何とか言ってくださいまし! この成金が、私にこんな無礼を」
「黙れ、この愚か者がっ!!」
父親は娘の手を振り払い、真っ青な顔で怒鳴りつけた。
「一方的にお前たちが悪いと思わないのか!? お前が毎月どれだけの宝飾品を買い漁っていると思っているんだ!」
「あ、あら……? お父様こそ、いつも家で『あの成金男爵が、運良く領地を持ちおって』と苛立ちながら仰っているではありませんか……っ!」
娘の余計な暴露に、その貴族は心臓が止まりそうな顔になり、慌ててノートル男爵に向かって這いつくばる勢いで頭を下げた。
「も、申し訳ありません、ノートル男爵! もう二度と、娘も、私自身もこのような無礼な口は叩きませんので……! どうか、どうか資金の融通の継続だけは、打ち切らないでいただきたい……!」
他の貴族たちも、我が家が破産してたまるかとばかりに、一斉に男爵に向かって必死に頭を下げ、謝罪の言葉を並べ立てた。
彼らは全員、これ以上ここにいては破滅だと悟り、泣きべそをかく娘たちの腕を強引に引っ張って、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
一瞬にして周囲の取り巻きを失い、ぽつんと会場に取り残されたステファニー侯爵令嬢は、あまりの光景に呆然と立ち尽くしていた。
そんな彼女のそばに、ダッフル侯爵と、リチャードの親子が近づく。
「……ステファニー嬢。君が浅はかにも彼女たちをけしかけたせいで、彼女たちの家はこれから、ノートル男爵家からの怒りを買って大変な目に遭うんだぞ」
リチャードの冷たい言葉に、ステファニーは顔を引きつらせた。
「そ、そんなこと、私のせいでも何でもありませんわ……っ!」
彼女はプライドをズタズタにされ、涙目になりながら、そそくさと悔しそうにその場から立ち去った。
(本当にいつも最後は逃げ出すくせに懲りないな)
リチャードがため息を吐く。
一段落した会場で、残されたノートル男爵、リチャード、そしてダッフル侯爵の三人が並ぶ。
ノートル男爵は、未だにルシアンを思い、会場の娘と王子を見つめているリチャードを振り返り、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「リチャード殿。私はね、やはりルシアンと君が、生涯を共に連れ添うことを心から望んでいるよ」
「え……? 男爵、それは……」
思いがけない言葉にリチャードが目を見開くと、男爵は少し肩をすくめて苦笑した。
「あの子は商売の頭は天才的に働くが、悲しいかな、恋だの愛だのといった浮いた話とは全く無縁でね。まあ……私の育て方が少々、仕事の方に偏りすぎたせいもあると反省しているのだが」
その言葉は、リチャードの胸にこれ以上ないほどの勇気と喜びをもたらした。
ルシアンの父親から、正式に背中を押されたのだ。リチャードは深く一礼し、力強く誓った。
「見ていてください、男爵。いつか必ず、彼女を本気で振り向かせてみせます」
その固い決意に、両家の父親と、少し離れた席で見守っていたルシアンの母親は、温かい苦笑いを漏らした。
ダッフル侯爵は、息子の背中を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……我が息子も、もし私の妻が生きていたら、あそこまで恋に不器用な男には育っていなかったのかもしれませんな」
そんな男たちの熱い駆け引きや、舞台裏で密かに進められていた実家の反撃のことなど、肝心のルシアンは露ほども知らずにダンスに振り回されていた。
(それにしても、この第一王子殿下のステップ、少々激しすぎやしませんこと!? これではドレスの裾を踏んでしまいそうですわ!)
海の向こうからやってきた破天荒な王子に完全に振り回されながら、ルシアンはただひたすらに、通訳としての責務とドレスを死守することだけを考え、ダンスのステップに気を取られていた。
(折角リチャード様から頂いたドレスの裾が汚れてしまいますわ)
やはりどこまでもルシアンはルシアンだった。