【完結】冷徹侯爵様、お気の毒なので『円満な婚約解消』して差し上げます
第一王子とのファーストダンスを終え、戻ってきたルシアンのもとへ、すぐさま駆けつけるリチャード。
王子を睨みながらも真剣な表情の彼は、とりあえず王子に向かって丁寧に頭を下げ、片言の帝国語で歓迎の意を伝え、自己紹介をする。
それはお世辞にも決して流暢とは言えない帝国語だった。そして挨拶を終えると今度はルシアンに向き直る。
「ルシアン。……今度は、婚約者の私と、踊ってもらえないだろうか」
彼はこの日に備え、直前に帝国語を猛勉強してきたのだ。そう、たったこの一言を王子の前で、彼女に告げたいがために。
いつもは『ルシアン嬢』と呼ぶ彼女のことを、あえて王子の前で呼び捨てにし、なおかつ自分が彼女の婚約者であると王子にアピールしたかったのだ。
突然、リチャードの片言の帝国語を聞き、ルシアンは、一瞬きょとんとしたが、そのあと驚きに目を丸くした。
「リ、リチャード様……? いつの間に帝国語を学ばれましたの?」
「いや……その、今話した言葉しか話せないんだ」
ルシアンに真っ直ぐ見つめられると、リチャードは途端に耳まで真っ赤にし、バツが悪そうに俯いてしまった。
そんな二人の様子を興味深そうに眺めていた第一王子は、ルシアンに向かって「何? 君には婚約者がいるのか?」と帝国語で問いかけた。
ルシアンは王子に向き直ると、同じく帝国語で少し照れながら答えた。
「はい。実は訳あって、彼とは書類上の婚約者という形なんです。だって殿下、見ての通り彼はとても素敵な方でしょう? わたくしのような成金の男爵令嬢では、本来なら到底釣り合いが取れる相手ではないのです。こちらの方は立派な侯爵家の嫡男様ですから」
ルシアンはちらりとリチャードを見つめて優しい笑みを浮かべた。
「彼は誰よりも優しく、責任感の強い方なのです。ですから、形だけの婚約者であるわたくしにも、いつもこうして気遣いをしてくださるのですわ」
ルシアンとしては『私を気遣って本当の婚約者のフリをしてくれている』といつもの斜め上の解釈からだったのだが、それを王子は可笑しそうに笑った。
「彼のあの、私を睨みつける目を見ていると、とてもそんな風には見えんがな。……それより、彼が待っている。行って来なさい」
「よろしいのですか? 本日、わたくしは殿下の通訳という仕事として参加していますのに」
「構わないさ。これだけ堂々と『婚約者だ』と名乗られては、君をこの場に縛り付けるわけにはいかないからな」
王子はそう言って苦笑いをすると、肩をすくめた。
「それに……頼みもしないのに、こちらの国は君以外にも妙な通訳をつけてきているからな」
そんな王子とルシアンの流暢なやり取りを、リチャードは『二人は一体何を話しているんだ……?』と、面白くなさそうに見つめていた。
リチャードの行動を、彼女は頭の中でルシアン流に分析する。
(折角リチャード様が、これだけたくさんの人目がある中で勇気を出してお誘いくださったのですもの。ここでお断りしてしまったら、周囲に『成金の娘に袖にされた』と受け取られてしまい、却って彼のプライドに傷をつけ、恥をかかせてしまいますわね。ここは婚約者役として、完璧にエスコートされて差し上げなくては!)
彼への配慮の方向性が、今回もすこぶるトンチンカンな方へと向いてしまった。
「では王子殿下、お言葉に甘えて一曲だけ踊って参りますわ」
ルシアンはそう告げて一礼すると、待たせていたリチャードの前に歩み寄り、彼の手をそっと取った。
その瞬間、リチャードの顔にこれ以上ないほどの喜びが浮かんだ。
二人は自然と、舞踏会場の輪の中心へと移動し、音楽に合わせて軽やかに踊り出した。リチャードはルシアンをしっかりとリードしながら、ずっと気になっていた疑問を口にする。
「ルシアン嬢、さっきは王子と何を話していたんだ?」
「はい、ただ、本日は通訳というお仕事で参加しているのに途中で抜けてしまい申し訳ありません、と謝罪いたしましたの。そうお伝えしたら、王子殿下も『婚約者が相手では仕方ない』とお許しをくださいましたわ」
ルシアンの言葉を聞き、リチャードは自分の我が儘で彼女の仕事を邪魔してしまったことに気づき、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「すまなかった、ルシアン嬢。私の我が儘で、無理なことを言ってしまって……」
口では反省の言葉を述べながらも、リチャードの表情は、どこか嬉しさと楽しさを隠しきれていなかった。
王子の前で『ルシアンの婚約者』として認められ、こうして彼女と踊れている事実が、彼の男としての独占欲を満たしていたのだ。
だが、そんな二人を会場の陰から、物凄い形相で睨みつけているステファニーの姿があった。
取り巻きをすべて失い、一人ぽつんと残された彼女は、フロアで仲睦まじくステップを踏む二人を見つめていた。
「何よ、あの女……っ! 帝国の第一王子と踊ったかと思えば、今度はリチャード様とも……! 何であの成金の娘ばかりが、あんなに目立つのよ……!」
激しい嫉妬をルシアンにぶつけるステファニーだったが、もちろん、ダンスのステップに夢中な二人はそんな彼女の妬みに気づくはずもなかった。
ダンスが終わり、リチャードも『婚約者』としての最低限の面目が保てたことで、ひとまずは納得した。彼はこれ以上彼女の仕事を邪魔してはならないと己に言い聞かせ、名残惜しそうにしながらも、ルシアンを再び王子のもとへと送り届けるのだった。
ルシアンが第一王子の待つ席へと戻ると、そこでは国が用意した公認の通訳を介して、国王陛下が王子に何やら熱心に話しかけている最中だった。
しかし、ルシアンの姿を見るなり、国王はあからさまに気まずそうな顔をした。
「……では、滞在をゆっくりと楽しんで欲しい」
とだけ告げると、言い訳をするようにそそくさとその場を去っていってしまった。
残された王子は、国王にぴったりと張り付いていた国のお抱えの通訳を睨みつけ、冷たい声で言い放った。
「ルシアン嬢が戻った。もう君は必要無いから、外してくれたまえ」
その通訳は、実は国王から『王子に張り付いて、話の内容を逐一こちらに報告しろ』と命令をされたスパイのような存在だった。だが、帝国の第一王子にこれほど冷たく拒絶されては退散するしかなかった。
邪魔者が完全に消えたのを確認してから王子は呆れつつも、先ほど国王が持ちかけてきた提案の内容をルシアンに話し始めた。
「さっきな、君の国の国王が、今回のオーク材の提供の見返りとして、我が国の『造船技術の提供』を求めてきたのだよ。いち男爵家個人とではなく、この国(王家)と直接技術提携を結んだ方が、帝国にとってもより確実で強固なものになる、とかなんとか言ってな」
ルシアンは眉をひそめた。やはり、王家はノートル男爵家の利権を横から掠め取ろうと動いてきたのだ。
しかし、王子は至って冷静に、国王の真意を分析した。
「だが、私はそこまで愚かではない。国王とそんな技術提携を結べば、いずれ『軍船の造り方も教えろ。さもなくばオーク材は渡さない』と脅してくるだろう。あの国王は欲深い男だ。私は人を見る目には自信がある。あの男は信用できん。だから国王にははっきりと言っておいた。私が約束したのはノートル男爵であって、この国ではない。約束した技術は、男爵にだけ渡すとな」
王子のその言葉は、我が家の利権を守るため、そして王家を牽制するためにこれ以上ないほど心強い追い風となるものだった。
(お父様、わたくしが出るまでもありませんでしたわ。王子はとても聡明な方ですもの)
ルシアンは満足げに微笑むのだった。