水属性の魔法使い
ジェルダンでの逗留を楽しむナイトレイ王国の者たちと違って、なすべき仕事を抱えた西方教会の者たちがいる。
彼らが街中に確保した拠点にて。
「シオンカ侯爵は大陸南部にいるのか」
「はい。近年、この暗黒大陸南部は経済の衰退が激しくなっておりました」
「ミトリロ鉱石の供給が途絶えていたからな。その報告は受けていた」
ステファニアの報告に頷くグラハム。
ミトリロ鉱石は、ほぼ暗黒大陸南部でのみ採掘されるのだが、西方教会が使ういくつかの錬金道具の重要部品として加工されていた。
しかし、ここ十年、西方諸国に新たに輸入されてこないというのは、グラハムの元にも情報として届いていたのだ。
一説には、クラーケンの巣が大陸南部の沖合にできたからだと言われていたが……。
「クラーケンの巣がいくつかできたのも事実ではあります。ですが、街そのものが消滅しているようです」
「その背後に、ヴァンパイアたちがいると」
「はい。ここ百年、西方諸国での遭遇数が少なかったのは……」
「ヴァンパイアの多くが、暗黒大陸に流れてきていたということか」
グラハムは顔をしかめて頷く。
可能性としては考えていた。
西方諸国から移動するとしたらどこか。
中央諸国はかなり遠い。
だが暗黒大陸なら、船に乗れば辿り着ける。
だから大陸北沿岸部は注視し、エンゾンを大司教に据えたりもしたのだ。
しかし、ヴァンパイアを目撃した報告は無かった。
まさか、大陸南部にいたとは。
「実は、アドルフィト枢機卿は大陸南部からも情報を集めていたそうなのですが、その中に……」
ステファニアが、そこで言いよどむ。
「構わん、全て話せ」
「はっ。暗黒大陸南部にシオンカ侯爵がいるのは確実なのですが、それ以外にもヴァンパイアが」
「それは、シオンカ侯爵の配下ではなく、ということか?」
「はい。公爵級の可能性があるそうです」
「公爵……だと?」
この報告には、さすがのグラハムも驚く。
ヴァンパイアの公爵ともなれば、ほとんど伝説上の存在だ。
侯爵ですら、とても人では太刀打ちできないが、それでも倒した記録はある。
しかし、公爵は……別格。本当に別格。
侯爵の一つ上、というものではない。
爵位一つの違いだが、侯爵と公爵では天と地ほどの差がある……と言われている。
「記録として残る公爵は九人。そのうちの誰だ?」
「先ほどエンゾン大司教とも話したのですが、可能性として最も高いのはロズニャーク公爵であろうと」
「ロズニャーク公爵ゾルターン。火属性か……」
グラハムが思い切り顔をしかめる。
めったにないことだ。
しかし、これは当然。
厄介な相手である。
「シオンカ侯爵と伯爵以下、数百人程度なら問題ない戦力を連れてきている。しかし火属性の公爵はな……」
攻撃力、破壊力の大きさという点では、火属性魔法は強い。
しかも公爵級の火属性攻撃魔法など……。
「どれほどか想像もできんな」
さすがのグラハムも、公爵級のヴァンパイアと戦ったことはない。
知られている限り、世界でも九人、その全員が眠りについていると言われているからだ。
「ゾルターンも、眠りについている可能性は高いが……」
「そうなのですか?」
「伝え聞く伝承によると、苛烈な公爵だ。常に先陣に立つ。起きていれば、あるいはシオンカ侯爵の上位者というのであれば、教会への襲撃はゾルターンが率いていただろう」
「もしそんなことになっていたら……」
「我々は、生きてはいなかったな」
顔をしかめるステファニア、皮肉な笑みを浮かべるグラハム。
「まあ、いい。ゾルターンが大陸南部にいるのだとしても、眠っているというのなら手を出さなければいいだけだ。今回の我らの標的は、教皇庁を襲撃したシオンカ侯爵だからな」
「はい」
そこははっきりさせておかねばならない。
有象無象が相手なら、ついでに倒すという選択肢もあるだろう。
だが、ヴァンパイアの公爵は有象無象の類ではない。
将来、戦うことになったとしても、こちらの有利な状況に引き込んでの決戦でなければいけない。
「シオンカ侯爵を倒すとして……大陸南部に行かねばならん。暗黒大陸中央部には入っていけない以上、海路だ。ミトリロ鉱石の一大採掘地の入口だったニュートン港は、今では使い物にならないという報告があったはずだ。その沖合にもクラーケンが巣を作った。さて、どうしたものか」
グラハムが考え込む。
「新たに開発された『例の錬金道具』なら、クラーケンの集団にも対抗できるのではありませんか?」
「ああ、そのはずではある。対クラーケン用の錬金道具だからな。しかし、あれで制圧しきれなかった場合、怒り狂ったクラーケンたちによって艦隊が沈むぞ。どうしてもとなれば仕方ないが、できれば使わずに済ませたい」
「なるほど」
ステファニアが頷く。
しばらく考えて、グラハムは呟いた。
「西回りか」
「西回り?」
「基本的に、暗黒大陸南部と北部は、大陸東の沿岸部を航行して繋がっていた。ニュートン港も、南部の東沿岸だ。だが、遠回りになるが、大陸の西側を通る航路も存在はする」
「あまり聞いたことがありません」
正直にステファニアは言う。
「大陸南部から、北部の沿岸部、さらに西方諸国までの輸送航路として考えると、東側よりも遠回りになるからな。我々西方諸国の人間にとっては、あまりなじみのない航路だ」
「なるほど」
「遠回りであり、しかも島……無人島が多い」
「それはまずいことなのですか?」
「無人島は、海賊の拠点になっていることがある。夜の警戒を怠れん。それはつまり、休息が十分ではなくなるということで、起きている間にミスを誘発しやすくなる。疲れが抜けないのはまずいな」
グラハムが答える。
無言のままステファニアも頷いた。
休息の重要性は知っている。
「いくつか大きな街もあるが、航路として使うにはちょうどいい距離にないらしい。そうなると、航海中の食料の確保……いや、それ以上に飲み水の確保が大変になる」
「大陸西側は、西方教会の布教はそれほど広がっていないと聞きました」
「北沿岸部に比べれば、広がっていないと言える。だが、小さくとも教会は多くあるし、布教に熱心な聖職者たちもいる。ここ百年でかなり広がってはいるが……」
グラハムは考え込む。
理性では、西回りしかないことは理解している。
しかし感情が、その方法を支持しない。
多くの情報がグラハムの下には集まってくる。
その中には、暗黒大陸西部の情報もある。
その多くは、今回の討伐には関係ないものであるが、中には関係しそうなものもある……理性では、それらを考慮しても西回りで行くべきだと判断できる。
だが、やはり感情が揺れる……。
そんな悩める上司を見て、ステファニアは目先を変えてみた。
東でも西でもない、真ん中は?
「どうしても、大陸中央部を抜けるのはダメなのでしょうか」
「そもそも情報が無い。行って戻ってきた者がいない。西岸で進めば、海から見えるかもしれんな。確か中央部は、西側に張り出してきていたはずだから」
「中央部が西側に張り出してきている?」
ステファニアが首を傾げる。
グラハムの表現の意味が分からないからだ。
グラハムはそれ以上詳しくは説明せず……。
「西回りを行くことになるだろうから、その時に見ればいい」
そう言った。
「他に、報告すべきことはないか」
「寄港しているナイトレイ王国の一行ですが、目的の一つにミトリロ鉱石を手に入れるというのが入っているそうです」
「ほぉ……」
ステファニアの報告に、グラハムは一瞬考えたが、すぐに解けた。
「リョウ殿がブレスレットなどを手に入れていたな。あれの量産化を考えたか」
「隠蔽に使うブレスレットですか? 私は詳しくは知りませんが、ミトリロ鉱石が重要な部品の一つだと聞いたことがあります」
「そうだ。ミトリロ鉱石は、暗黒大陸でしか採れないと言われている。しかもここ十年、輸出がほとんど止まっていて、西方諸国にも入ってきていない」
グラハムは再び考える。
今度は、少し長かった。
「不確定要素を入れるのは、あまり望ましくない。それは分かる」
そんな呟きがグラハムの口から漏れる。
ステファニアは無言のままだ。
グラハムが何を考えているのか分からない。
そういう時は、彼女が口を出すべき時ではない。
「理性では望ましくないのだが、感情では話を持っていくべきだと言っている……自分の心が一番難しいな」
グラハムはそう言うと、苦笑した。
そして一つ頷く。
「ナイトレイ王国の一行を誘ってみる」
「え? ヴァンパイア討伐にですか?」
グラハムの言葉に、驚くステファニア。
だが、ステファニアも一瞬で理解した。
ナイトレイ王国の一行は、味方にすれば頼もしい戦力だ。
率いるアベル王の力量は知らないが、ロンド公爵……ただ一人で万軍を蹴散らすかもしれない。
アリーナでの戦いで、それだけ強烈な印象を受けた。
とはいえ……。
「受けてもらえるでしょうか?」
「さてな……。ミトリロ鉱石の入手も、絶対、今でなければならない、というわけではないだろう。国王と筆頭公爵自らが赴いている今回、危険な場所に行くのは……本人たちはともかく、周りが止めるはずだ」
「同感です」
ステファニアは頷く。
グラハムは覚えている。
王都の路上で、ローマンと一対一を繰り広げたアベル王を。
当時は王でなかったとはいえ、自ら先陣を切っていくのを当然と思っている人物だと見た。
仲間の後ろにいて指揮を執る……そんなタイプではないと。
危険だと分かっている地域だからこそ、自分が赴く……そういうタイプだと。
「まあ、行ってみなければ分からんな」
「聖下?」
「直接会いに行く。彼らは王宮か? あるいは宿を?」
「昨晩は王宮での晩餐会があったそうですが、船に戻って休まれたそうです」
「スキーズブラズニルは、よほど居心地が良いと見える」
グラハムは笑いながら言った。