徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
彼女に他意はないことはわかってる。
だが。
「ゆかりさん」
「あれ? なんで不穏な響きで名前を呼ばれてるの」
「いくら僕がゆかりさん好みのイケメンじゃないからって、簡単に男を家に誘わないでくださいよ」
「え、好みよ、和樹さんめっちゃ好み。すっごくイケメン、世界一!」
雑なヨイショに、ブハッと噴きだす。ここまで色気なく言えるものだろうか。
「名古屋のイケメンよりも?」
「えー……比べるのは難しいなあ、だって種族違うし」
「なんです、種族? 属性が違うとかそういうの?」
和樹はぐるぐると考える。僕が人畜無害系なら、そいつは危険なにおいのする闇属性なのか。さっきゆかりさんは、なんて言っていた。頼りがいがあってクールでぶっきらぼうで、でも優しくて時々笑う? なんだその高倉健は。幸せの黄色いハンカチでも振っていればいいのか、それとも雪の中見送ればいいのか。
「ううん、種族。だって和樹さんはホモ・サピエンス、彼は類人猿だから」
「ルイジンエン」
イケメン類人猿……どこかで聞いたことあるな。たしか数年前に出した写真集でイケメンゴリラとして話題になった類人猿が……あれはたしか名古屋の動物園にいたのではなかっただろうか?
「大胸筋すごかったですよ、見ます?」
ゆかりが差し出す画面から、ダンディ・ゴリラが穏やかな眼差しで和樹を見つめていた。
◇ ◇ ◇
「ゆかり、それは止めときなさい」
「なんで?」
和樹が十四時前に喫茶いしかわに足を運ぶと、カウンターを挟んでゆかりと女性が顔を突き合せてた。
「こんにちは、ゆかりさん」
「あ、こんにちは和樹さん」
にこやかに挨拶をしたゆかりが、あ! と女性の方を向く。
「この人が喫茶いしかわのイケメンレアキャラ・和樹さんだよ」
「ああ、驚異の童顔イケメンだっけ」
なるほどねえ、確かに。と女性が和樹を上から下までザッと眺めた。
「確かにイケメンさんだわ、ゆかりが言うのも分かる」
頷く彼女に同調してゆかりもうんうんと首を振る。
「ゆかりさん?」
「あれ、なんだかまた不穏な響きで名前を……」
「誰が驚異の童顔ですか。あなたこそロリ顔とか言われてるくせに」
「わ、私はメイク次第でお姉さんになれますもん。和樹さんはメイクしたって美人度があがるだけ……アタタタタタやめてやめてやめて」
頭が割れる~! と叫ぶゆかりの顔面を片手でつかみながら、和樹はにこやかに笑った。
「ゆかりさん、なんて?」
「すみません、和樹さんはとっても大人の男性です」
「そうでしょう、僕はれっきとしたアラサー男子ですからね、そろそろ加齢臭も気になる年頃なんですよ」
「え、和樹さんからならバラの香りが漂いそう」
「嗅いでみますか」
「嫌です~」
再び手を顔に近づけると、ゆかりはぴょんと飛び退いた。
そのままにらみ合っていると、クスクスと笑い声が聞こえる。
「和樹さんだっけ、ゆかりを許してやって。それから私も不躾なこと言ってしまってごめんなさい」
「あ、いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」
を装備して頭を下げる。
「ゆかりさんのお友達なんですね」
「ええ、大学からの」
「名古屋にも一緒に旅行に行ったんです」
「ああ、イケメン鑑賞ツアー……」
「ゆかり、あんた何言ってんのよ」
アハハ、とゆかりが軽く笑う。
「そういえば、何を止めろとおっしゃってたんですか? さっき入ってきたときに聞こえたんですが」
ゆかりと彼女は顔を見合わせてから、「それが!」と声をそろえた。
「ゆかりがイケメンゴリラの腕枕を買うって言うんですよ」
「だって、すっごく良さそうなのよイケメンゴリラ君のたくましい腕枕。大きいし大胸筋も付いてるし腕もふわふわっぽいし」
「イケメンゴリラ君の腕枕?」
理解できない響きに困惑していると、彼女が携帯を操作して、画面を和樹の方に向けた。
「うわっ」
インパクトの大きな画像に思わず声が漏れる。
想像以上にリアルなイケメンゴリラの腕枕だった。イケメンゴリラがドヤ顔で腕枕している。傍らにブランデーグラスがないのが不思議なぐらいダンディだ。
これを、ゆかりが買いたいと?
これの腕に頭を乗せて、大胸筋に頬を寄せると?
「ゆかりさん、これほしいんですか」
「すっごくほしい!」
ダメです。
思わず言いかけて、口を押さえる。
「ダメよ!」
代わりに彼女がそう言ってくれた。だが、その理由は和樹のものとはかけ離れていた。
「いい、ゆかり。男を連れ込んだときにこれがベッドにあったらどうするの、どうなるものもどうならないわよ?」
「ちょっと、連れ込むって、変なこと言わないでよ!」
「考えてもみて、私たちもいい年よ? 合コンに行ってお持ち帰りする場合だってされる場合だってあるでしょ? やる気満々な男だって、ベッドにゴリラがいたら萎えるわよ、そうでしょ和樹さん」
「は!?」
突如話を向けられて和樹はらしくもなく狼狽えた。
「い、いやそれは……どうか、な……?」
ゆかりの部屋に、知らない男が一緒に入るのを想像する。色欲に満ちたその男が、ゆかりを引きずり込もうとしたベッドにはドヤ顔のイケメンゴリラ……
「……ブハッ」
和樹は思い切り吹き出した。
「いや、良いと思います。すごく……グフッ、ッぜひ買った方が、良いと思います」
「なんで笑ってるんです?」
「なんでって…ぶぐッ」
笑いを抑えようとしても抑えきれない。
和樹は、カウンターに突っ伏すと、思いきり笑い出した。
「ちょ、ちょっと和樹さん?」
笑い転げるイケメンというレアなシチュエーションに毒気を抜かれたのか、イケメンゴリラの腕枕の話題はいつの間にか忘れ去られていた。
◇ ◇ ◇
数週間後。
「そういえば、結局あの枕はどうしたんですか」
「もちろん買いました」
「それでは毎日腕枕で……?」
「嫉妬深い彼氏がズタボロにしてしまって、儚い命でした」
「彼氏……?」
「届いた日にちょうど、旅行に行くお友達から預かった猫ちゃんがいてね。ちょっと目を離したすきに残念なことになってて。もう、一度も腕枕できなかった~!」
がっくりと肩をおとすゆかり。
「まあまあ、ゆかりさんにもそのうち本物の腕枕が現れますよ」
おかしそうにクスクス笑う和樹からツンと顔をそらす。
「本物はいらない、あれ寝心地悪いもの」
幼い頃、父にしてもらった腕枕を思い出してゆかりは言った。
「は?」
誰の腕枕ですか。本物の腕はいらないんですか? え、腕枕できない?
思わず自分の上腕二頭筋を切なく眺めてしまう和樹だった。