徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
「杵は重いですから、餅は僕がつきます」
「私だって鍛えてますもん。大丈夫です!」
「素早くついた方が、得点が高いはずです」
「和樹さんはそう言いますけど、お餅をつくのは力任せにする必要はないんですよ。振り上げた杵を、重力に逆らわずに戻すだけでいいんです」
珍しく理屈で返してくるゆかりに、和樹はむっと唇を曲げた。
「ゆかりさんは、僕が力任せにしかできないっていいたいんですか」
「そんなつもりじゃ。ただ、私は毎年つく係をやってきたから、ちゃんとできるって言いたかったんです」
和樹の眉がぴくりと上がった。
「……ゆかりさんがつく係なら、合いの手はマスターが?」
「ううん。マスターは以前餅つきで腰痛になっちゃったことがあって。酒屋の佐久間さんがしてくれました」
「……そうですか」
溜め息混じりに返す和樹に、ゆかりの肩がびくりと震えた。
餅つき大会のための作戦会議をしよう。そう誘ったのは和樹の方だった。
「良いですね!」
即答したゆかりは、確かに嬉しそうだった。
なのに閉店後に始めた話し合いは平行線を辿り、気がつけばかつてないほどにぎくしゃくとした空気が、二人きりの喫茶いしかわの店内に漂っていた。
一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。和樹はただ、ゆかりが喜ぶ顔を見たかっただけなのに。
「……もう遅いですし、また明日話し合いましょう」
そう嘆息混じりに言うと、今日の話し合いを終わらせた。餅つき大会は四日後だ。きっとゆかりさんだって明日にはいつも通りの笑顔を見せてくれるはずだと信じて。
◇ ◇ ◇
思い立ったが吉日という言葉がある。そうと決めた日に決行するべきという、先人のありがたい教えである。
和樹は真っ暗な窓外を見つめながら、ぼんやりとそんな言葉を思い出していた。
ゆかりと喧嘩別れ(?)をした翌日、二十七日。喫茶いしかわのドアを開けた和樹は、瞬時に悟った。
──ゆかりさん、まだ昨日のことを引き摺ってるな。
話すタイミングはあったのに、和樹はそれを流した。ゆかりが引き摺ってるなら、また平行線になるだけと思ったからだ。
ゆかりも同じ想いだったのか、餅つき大会の話題は上がることなく、朝からのシフトだったゆかりは和樹の注文品を提供すると、そそくさとシフトを上がっていった。
状況が変わったのはその晩だ。
新人の凡ミスが発覚した。凡ミスのくせにやたらと影響の大きいやらかしの尻拭いで働きに働かされ、ようやく帰路につけたのは二十九日もあと数分で終わりという時間だった。つまりは餅つき大会の前日……正確には大会開始数時間前だ。
『本業が立て込んでて、しばらくそちらに伺えないかもしれません』
という和樹の雑な連絡に
『わかったよー頑張ってね!』
と返信をしてくれたのはマスターだけで、ゆかりからの返事はスタンプ一つのみだった。
結局あれから一度も話をできていないし『しばらく伺えないかも』なんて曖昧なことを言ってしまったから、和樹は餅つき大会に来ないと思っているかもしれない。
連絡を取ろうと、携帯に伸びた和樹の指が止まった。
もう日が変わる時間だ。連絡を取るにしても、朝になってからの方が良いだろう。
そう考えたら急激な睡魔に襲われた。何しろ一昨日から一睡もしていないのだ。布団に倒れ込むと、和樹はそのまま気絶するように眠りに落ちた。
◇ ◇ ◇
失態だ。いくら寝てないとはいえ、大会開始一時間前に目が覚めるなんて!
枕元の携帯に表示された時刻を、愕然とした顔で見つめた和樹は、慌ててブランに餌をやり、シャワーを浴びると愛車に飛び乗った。
年末年始の買い出しのためか、街はいつもより混み合っていた。裏道を縫うようにして愛車を走らせる。
「駐車場は……ここなら一台分余ってるな」
狭く変わった形のスペースだから、皆敬遠したのだろう。
どこのパーキングも満車の中、一台空いたスペースに流れるように愛車を止めると、神社への道を走る。
ゆかりへの連絡は、未だ出来ていなかった。
神社への登り坂を駆け上がりながら、ゆかりはもう酒屋のサクマと参加するつもりでいるかもしれないな、と考える。連絡をしていないのだから、そうであっても仕方ない。
辿り着いた先で『もうサクマさんと参加することにしちゃいました』と言われることを想像して、胸の奥がじわりと痛むのを、知らぬふりで和樹は駆けた。階段を上がって細い参道を進み、手水舎を曲がると広場に辿り着く。紅白幕で囲われたそこに、見覚えのある顔触れを認めて、和樹は足を止めた。
「和樹くん、遅いよ!」
「すみません、マスター」
「ほらほら。喫茶いしかわの番は最後にしてもらったから、準備をしておいで」
「えっ」
「あーっ! やっと来た! 遅いですよ、和樹さん!」
ひょっこりと奥から顔を出したゆかりは、白い三角巾に割烹着を着ている。『料理のための恰好』は喫茶いしかわで見慣れているはずなのに、なぜだかいつもより眩しく見えて、和樹はそっと目を反らした。
「ゆかりさん。どうして」
「ん? 一緒に出るって話でしたよね? だから来たんじゃないんですか?」
あっけらかんと言うゆかりに、和樹は唖然とする。
「いや、そうですけど。連絡できずにいたから、てっきりもう、誰かと組むことにしてしまったかと思ってました」
僕が来なかったら、どうするつもりだったんですか。
遅れたのは自分だというのに、そう問い詰めたくなる。マスターは腰痛で戦力外だし、餅つきは一人ではできないのに。
「和樹さんが来なかったら、棄権だったかなぁ」
「っ、そんな」
やはり何でもないことのように言うゆかりに、和樹は眉を寄せる。店縛りの対抗試合と銘打ってるとはいえ、緩いルールでの大会だ。酒屋のサクマと組むことだって出来たはずなのに。
「出たかったんじゃなかったんですか、ゆかりさん」
あのとき「勝てるかも!」と言っていたゆかりの目は本気だった。優勝賞品を狙ってたんじゃなかったのか。
「……だって」
「はい?」
「和樹さんとだから、出たかったんですよ」
まるで秘密を打ち明けるみたいに、和樹の耳元に顔を近づけ囁くゆかりは、耳まで真っ赤で。とくとくと心臓の音が早まる。胸の中に暖かいものが広がって、和樹はごくりと唾を飲んだ。
来年の今頃は喫茶いしかわには通えないという感傷も、最後になるだろう餅つき大会の誘いを直前まで忘れられていたことも、ゆかりのためと思って始めた計画で他ならぬ彼女とギクシャクしてしまったことも、去年のゆかりの相方が自分以外の男だったことも。
すべてがちっぽけなことに思えてきた。
ああくそ、手放したくないな。
そう思ってしまったあとに、手放さなくてはならないと初めから決めつけていたことに気がつく。もちろん、よく目にするゆかりのフラグクラッシャーぶりを考えると並大抵の努力では手に入る気はしないが可能性はゼロでないのだ。
「ごめん、ゆかりさん。ちゃんと話しておけば良かった」
「私こそ、変な意地を張ってごめんなさい」
「話し合いはなんらできてませんけど」
「やるからには優勝を狙っていきましょう!」
二人、目を合わせてにんまりと口角を上げる。これでこそ、いつもの二人だ。
「大きく出ましたね?」
「ふふ。和樹さんと二人なら、百人力ですもん」
その一言が、信頼しきった視線が、どれほど和樹の心を震わせるか。きっとゆかりは気がついていない。けれど今はそれでいい。
「行きましょう、ゆかりさん」
「……っ!?」
伸ばした手に、なぜかさらに赤面されて、和樹は首をかしげながらもゆかりの手を取る。
「ひゃあ!?」
「ゆかりさん?」
「なっ、なんでもないですっ! がんばりましょう!」