徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
地元の商店街では、節分にはお客さまに豆を入れた小さな袋をお渡ししている。それは喫茶いしかわも例外ではなく、節分に来店したお客さまにはご注文の品をお出しする時に添えている。
ただし、商店街で配るのは煎り大豆だが、喫茶いしかわでは落花生(殻付き)だ。手間やらボリュームやら、店で食べていく時の食べ合わせやらを考えてのことだが、両方食べたい人たちには好評なようだ。
最近では、よく見かけるようになったデカ盛りグルメ番組の影響で、「豆を歳の数食べるときに、十個ごとに味変するのよ」なんて言うお客さまがかなり増えた。
◇ ◇ ◇
ゆかりと和樹の関係性が今のようになる前は。
「ふふーん。今年の節分はお店に和樹さんがいるから、落花生は多めに用意してもらったんですよ」
「何を仰います、ゆかりさんこそ日を追うごとにファンを増やしてるじゃないですか」
「そんなことないですよ。お客さまが増えているのは、マスターに続いて和樹さんもがっちりハートも胃袋も掴んでるからですよ!」
喫茶いしかわの看板娘はどういうわけか自分に向けられる好意にめっぽう鈍い。特に独身男性常連客から向けられるねっとりした視線にはほぼ気付いていない。もしくは斜め上の華麗な勘違いを披露する。
常連客JKの恋バナには普通に反応していることを考えると、恋愛音痴というわけでもないようなのにも関わらず。
「でもこれ、ちょっとごった煮感が出すぎちゃいましたよね」
「うーん……こればかりは、喫茶店の宿命とでもいますか……」
「ですね」
節分。すなわち、バレンタインデーの十一日前、もしくは十二日前。現在喫茶いしかわはバレンタインフェア真っただ中なのである。ゆえに本日は豆とチョコレートが飛び交っているのだ。
「お客様が満足してくれれば、それで良いんだよ」
今日ばかりはごった煮でも良いじゃないかと楽しそうに笑って言ったマスターは、商店街のイベントの実行委員になっているため、早々に和樹とゆかりに店を任せて出かけて行った。「終わったら帰っていいからね」と言っていたから、喫茶いしかわには戻らずにイベント終了後は片付けが終わり次第実行委員の打ち上げと称して飲みにでも行くのだろう。
「そうだゆかりさん。僕、恵方巻作ってきたんですよ。閉め作業終わったら、一緒に食べませんか?」
「わ、本当ですか!? 和樹さんのお手製なんて、最上級に美味しいの確定じゃないですか! とっても楽しみです」
「ちなみに普通に海鮮の恵方巻と、酢飯の酢のかわりにレモン汁を使って牛肉の甘辛煮を巻いたものと、真ん中にイチゴを巻いたロールケーキの三本です」
「はあぁん、なにそれ……素敵すぎますぅ」
頬を染めてうっとりと瞳を溶かすゆかり。
ゆかりには、実はどんな口説き文句よりもクサい台詞よりも美味い食べ物が効くと知っている独身男性は、ほとんどいないだろう。
今日は節分。豆とチョコレートが飛び交う一日が終わった後で二人は仲良く恵方巻を頬張った。
ただし、笑顔を浮かべつつ無言で同じ方向を向き、ゆかりの入れた渋いお茶をお供にして。
食べ終わった後のゆかりの、恵方巻の感想という名のマシンガントークを、和樹はにこにこと聞いていた。
◇ ◇ ◇
さて、今年の節分は。
鉄火巻き、かんぴょう巻き、かっぱ巻きの細巻き三種がハーフサイズになって子供たちの前に置かれている。
「えーと、今年の恵方は……だから、よし、こうね。ふたりとも、こっち向いて。それで黙ったまま最後まで食べきるのよ」
「はーい! いっただっきまーす!」
パン、と両手を合わせて細巻きにかぶりつく子供たち。それを横目に台所でお茶を入れる。
子供たちには煎茶は少し渋すぎるので、玄米茶を。すぐ飲めるように、ややぬるめで。
ガチャリとドアが開くと、少し焦ったような和樹が入ってきて、ホッと息をついた。
「なんだ……恵方巻食べてたからか」
「あら、和樹さん。おかえりなさい」
「ゆかりさん、ただいま。玄関開けてもシーンとしてたからビックリしたよ」
「うふふ。ごめんなさい。和樹さんも食べますか? 恵方巻。子供たちにこのお茶渡したら用意しますから、少し待ってね」
「うん。ありがとう」
和樹はしゅるりとネクタイをゆるめながら笑顔を見せた。
「はい、どうぞ」
コトリと小さな音を立て、恵方巻と渋めに入れた煎茶が和樹の前に置かれた。
和樹には太巻きを三種類用意してある。
刺身を数種類まとめたもの。
卵や桜でんぶ、野沢菜の漬物、干し椎茸のしぐれ煮などを使ったもの。
大判エビフライが真ん中に入ったもの。
「いただきます」
ばくりばくりと豪快に食べる和樹。太巻きはあっという間に胃の中に収まってしまった。
ぽかんとしていた子供たちの目がしだいにキラキラしていく。
「おとうさん、すごい。たべるのはやい」
大きく咀嚼して、ズズッと音を立ててお茶を飲むと、和樹はふうっと大きく息を吐いた。
「ごちそうさまでした。ゆかりさんのお手製はいつも美味しいですね」
「あ、ありがとうございます」
「……あっ! ゆかりさんが食べ始める前で良かったです」
「……あ。危なかったぁ」
「おかあさん」
「ん? なぁに?」
「らいねんは、ぼくもえびフライまきたべたい」
「あ、わたしも!」
「ふふ、そっか。わかった。来年はお父さんとお揃いにしようね」
「うん!」
「やったぁ! あ、わたし、じぶんのおさらおかたづけする。おとうさんのもやってあげる」
「ぼくも」
「うん、ありがとう。お願いするね」
「さ、私も早く食べちゃおっと」
ゆかりが自分のぶんの恵方巻を持って、さっき調べた恵方を向くと、目の前には和樹がいた。ぱちくりとまばたきを二回する。が、やはりそこには和樹がいた。
「……どうしたんですか?」
「いやぁ、せっかくだから恵方巻を頬張ってリスみたいになった可愛らしいゆかりさんを存分に堪能させていただこうかと」
「そ、そんなもの見なくていいですよ!」
少し赤くなってそう抗議するが、和樹はまったく聞く耳を持たない。
しかたなくゆかりは、自分が食べてる間に話しかけてくることだけは禁止して恵方巻を食べ始めた。ほんのり赤くなりつつ視線をあちこちにさ迷わせながら、いつもより時間がかかったものの、なんとか恵方巻を食べ終える。
和樹はその間、満面の笑顔を浮かべつつゆかりを至近距離でじっくりと眺めたり暑(苦し)い視線でじーっと見つめたり。
節分を大いに楽しんだのだった。