徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
子供たちに洗濯物を任せたゆかりは昨日の夏野菜を大きめの一口大に刻んでいく。こんもりと野菜を盛ったざるが次々とダイニングテーブルにおかれていく。
キッチンにやってきた子供たちは、オクラの塩ずりや、にんにくや玉葱の皮をむくのを手伝ってくれた。ゆかりは包丁でとうもろこしの実をそぎ取り終わり、次の野菜に取りかかった。
「ただいま」
ガチャリと扉を開けて帰宅した和樹が顔を出した。
「おとうさん、おかえりなさい!」
「うん、ただいま」
笑顔で和樹を迎えてくれたこどもたちに和樹も笑顔を返す。ゆかりが振り返る。
「おがえりださい、和樹ざん。ずびっ」
「ゆ、ゆかりさん!?」
ぼろぼろと涙を流すゆかりにびっくりする。慌てて駆け寄ると、原因が判明した。
「あ……玉葱」
「今日の玉葱はとっても目にしみました~」
こくりと頷きぼやくゆかり。
「ちょうど終わったところなので、代わってくれなくて大丈夫ですよ」
泣いたのがちょっと悔しいのか唇を少し尖らせながら、そう一言付け加えた。和樹は苦笑しながら手持ちのハンカチをポンポンとあててゆかりの涙を吸い取った。
鍋にオリーブ油、そこににんにくを炒めて香りを出し、玉ねぎを炒め透き通ったらトマトと塩を加え煮崩れるまで火にかけ、簡易トマトソースを作る。隣のコンロでフライパンを火にかけ、野菜を一種類ずつ丁寧に炒め、必要に応じて軽く塩を振ってから次々とトマトソースの鍋に入れていく。
深底のフライパンで作る一回食べ切りなら、さすがのゆかりも一種類ずつなんて手間のかかることはしない。まとめてフライパンに入れて、フライパン対応のアルミ箔を上からかぶせて蒸し焼きにしてトマトソースと合わせるだけだ。でも大きな鍋でこれだけの量を作るなら、しっかりと美味しいものを作りたい。そういえば、どこかの料理番組で有名フランス料理店のシェフが「ラタトゥイユは野菜のジャムである」って言ってるのを聞いた気がするけど、誰がどこで言ってたんだったかしら。そんなことを考えながら、ゆかりは手を休めずに野菜を炒め、次々とトマトソースに投入していった。
鍋いっぱいになった野菜をさっと混ぜ合わせて白ワインを投入。その上にローリエとタイムを乗せ、ふたをして二十分ほどコトコトと、時々かき混ぜながら野菜の水分で煮る。
ラタトゥイユを蒸し煮している間に、底の広いフライパンに油をひき、鶏むね肉(和樹が厚みを揃えて塩コショウまで下拵えしてくれた)を皮目から焼いていく。落とし蓋の上に重石がわりの皿を重ねてフライパンの底面に皮目を押し付け、パリパリにするのだ。
焼き上がるまでに、ざるなどの洗い物を片付けてしまおうとしたら、和樹がほとんど終わらせてくれていた。
「わ、すみません。洗い物押し付けちゃった」
「押しつけられてませんよ。ゆかりさんが食事の支度をしてくれている間に、残りの家事を僕が分担しただけ。夫婦の共同作業です」
「はい。ありがとうございます。とっても助かります。あ……ねえ、和樹さん」
くすっと笑ってゆかりは和樹に向かって両手を広げる。和樹は表情を溶かし両膝をついてゆかりの腕の中におさまると、ゆるく背中に手を回す。風呂にでも入ったかのように長く息を吐き出した。
「あ~~~~~っ。ふかふかのゆかりさんの胸と優しい腕に癒されます。それにゆかりさんの心臓の音は落ち着きますね」
和樹はゆかりの腰をがっちりとホールドしながらすりすりと頬をゆかりに押し付ける。
「ふふ、和樹さん、いいこ、いいこ」
ゆかりは和樹の頭に緩く左腕を回し、右手でゆったりと和樹の頭を撫でている。
和樹はゆかりの胸に顔を押し付けながら、小さく穏やかな声でぽつぽつと語る。
「……ゆかりさん、今日のお弁当ありがとうございました。すごく美味しかったし、とってもがんばれるメッセージもついてたし。今日の仕事はあまり気が進まない内容だったんですが、それなのに幸せな気分のまま仕事できたんです。本当に嬉しかった」
「んふふふ、作戦成功ですね。お気に召したようでなによりです。子供たちのメッセージは? あとで声かけてあげてくださいね」
「はい」
「さ、夕方のハグタイムは終了です。そろそろ離れてくださいな。ちょうど鶏肉返すタイミングですし、お鍋もかきまぜないと焦げ付いちゃう」
ゆかりが和樹の背中をポンポンと叩いて促すと、和樹はいかにも“渋々”離れたのを隠さず、思わず失笑した。
ゆかりはフライパンの鶏肉を返し、ラタトゥイユは蓋を外して鍋底をかき混ぜる。ラタトゥイユはもう少し煮詰めて水分を飛ばしたい。ふたを外したまま火力を上げた。それまでよりも多めにぽこりぷくりと泡が立つ。ぐつぐつと音を立てる鍋からは大量の湯気が立っている。
和樹はダイニングテーブルを拭き、食卓の準備を始める。
子供たちが競うようにキッチンに飛び込んできた。
「お父さん、お母さん、おふろそうじおわった! ごはんまだ!?」
「まぁだだよ~。でももうちょっとでできるから。お肉がひっくり返したところで、まだちゃんと焼けてないの。ちょっとだけ待ってて」
「そっか。すっごくいいにおいしてるもんね」
揃って子供たちが深呼吸すると、ぐうと腹が鳴った。
「はははは! いっぱいお手伝いしたから腹が減ったんだろう。たくさんお手伝いしてお母さんを助けてくれたって聞いたぞ」
「うん」
和樹が膝をついてわしゃわしゃと頭を撫でると、左右からぎゅうっと抱き着いてきた子供たちが和樹をプレスする。和樹はそんな子供たちの背中に腕を回してぎゅうっと抱きしめる。
「ぐえっ、お父さん力つよすぎ!」
「あ、ああ、すまない」
「お父さんがあんなにぎゅうってするのはお母さんだけだと思ってた」
「ん? そうか?」
「うん。……たまになら、いっぱいぎゅってしていいよ。つぶされちゃうのはこまるけど」
「はは、ありがとう。今日のおにぎりも、ありがとう」
「あ、おてがみよんだの?」
「読んだ。嬉しかったよ。お父さん、いつもよりうんとお仕事がんばれた」
「ほんと?」
「えへへへ」
嬉しそうにへにゃりと表情を崩す真弓と進を見ていると顔立ちは僕似だけどこの表情はゆかりさん……そう、なめらかプリンを食べた直後の顔にそっくりだなと和樹は思う。
ゆかりは煮詰まったラタトゥイユを一口、味見する。きょろりと視線を巡らせてから塩をひとつまみ加え、コショウを多めに振ってざっくりと混ぜた。
「よーし、完成! あとは盛り付けるだけだから、すぐできるよ」
「やったー! わたし運ぶよ!」
「ぼくも、ぼくもやる!」
「じゃ、お願いしようかな」
ゆかりは焼き上がった大きめの鶏肉一枚を一口サイズに切る。パリパリに焼いた皮がいかにもな音を立てて切れると、それだけで美味しそうだ。それを半分ずつ平皿に盛り付ける。真ん中にチキンをでんと乗せ、ソースがわりのラタトゥイユをたっぷりと。ごはんは小さい椀につめたものをひっくり返してお子様ランチ風のプレートにした。子供たちの目がキラキラしている。
「はい、どうぞ。足りなかったらおかわりあるし、他のものが食べたかったら作り置きもあるからね」
「うん、このお野菜のやつ、あのお鍋いっぱいに作ったんでしょ?」
「そうよ。だから明日はこれと焼いたベーコンと、さっきスーパーで買ったスパゲッティでお昼ごはんにしまーす」
「やった! ベーコン、カリカリがいい!」
「任せて」
次は大人の分だ。大きい鶏肉は和樹の分。小さいのはゆかりの分。さすがにお子様ランチな盛り付けはしない。そもそも量が違う。
鶏肉を食べやすいサイズに切る。和樹の一口は大きめにカットしていく。ちょっと迷って、いただきもののオシャレなカレー皿にラタトゥイユを盛り付け、その上にチキンを乗せる。もちろんパリパリの皮を上にして。
その間に、和樹がごはんの盛り付けなどをしてくれていて、最後に盛り付けたゆかりのチキン&ラタトゥイユの皿も、ゆかりが鍋に蓋をしている間に和樹がするりと運んでくれた。
「よし、食べよう。いただきます」
「いただきます!」
全員で声を揃えていただきますと手を合わせてから、おもむろに箸をとった。