徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
「できましたよ~」
それらを両手に、リビングのテーブルで大人しく座って待っていた和樹の前に、一個ずつ説明しながら料理を並べる。
「鮭の出汁茶漬けと、揚げ出し豆腐! もう夜遅いから、これだけで我慢してください」
料理を見た瞬間、ふお、と珍しい声を漏らした和樹に顔を覗き込むと、料理に釘付けになって目を輝かせていた。それを見て、おお、とゆかりも目を輝かせる。子どもみたい、と内心嬉しくなりながら、そんなにお腹を空かせているならこれ以上待たせるのも申し訳ない。急いでカウンターに用意していた蓮華と箸を和樹の前に置いた。
「いただきます!」
召し上がれ、というゆかりの声を待たず、和樹は箸を手に取って、ご飯の上の鮭を解し始めた。いつもより性急な和樹に「あらら、よっぽどお腹が空いてたのね」とゆかりは小さく笑い、お茶を取りにキッチンへと立った。
この一ヶ月、海外へと渡っていた和樹。もともと日本食が好きな和樹だが、海外ではあまり日本食を食べることができなかった。会食だなんだと入っている仕事中に食の選り好みなどしている場合ではない。
しかも会食以外は手軽なジャンクフードばかりが増え、それが長期間続くとなれば、仕事の内容よりも自分の体に合わない食生活のほうがよほど辛く、ストレスだった。
ゆかりが簡単なものだけど、と心配していたお茶漬けと揚げ出し豆腐だが、今の和樹にとっては何物にも敵わないご馳走だった。
麦茶を手にゆかりがリビングに戻ると、和樹が茶碗を大きく傾け、お茶漬けをかきこんでいた。その食べっぷりに圧倒されながら、和樹の前に麦茶を置いて、向かいに腰かけた。もの珍しそうに、和樹がお茶漬けをかきこむのを眺める。白米をかきこみ、だし汁を飲んで、はふ、と小さく息を吐く間もお箸は揚げ出し豆腐に伸びていて、小さく切られた豆腐は一口で和樹の口の中に放り込まれた。もぐもぐと動く和樹の口の中、とろりと溶ける衣に包まれた柔らかな豆腐はあっという間に消えていく。
「……良い食べっぷり」
気付けばゆかりは思わず声に出していた。それを聞いて、夢中でご飯を食べていた和樹の手がぴたりと止まる。じっとこちらを見ていたゆかりにやっと気付いたのか、ごくん、と口の中のものを飲み込む。そして恥ずかしそうに鼻にかいた汗を拭いながら、離さずにいたお茶碗を初めて置いて、麦茶を一口飲んだ後、こほんとひとつ咳払いをした。
「ごめん……つい、うまくて……がっついた」
「ええ? 別に謝ることじゃないですよ。美味しそうに食べてくれて、嬉しいです!」
そう笑うゆかりに、和樹はうん、とやはりまだ恥ずかしそうに頷いて、今度はゆっくり揚げ出し豆腐を口に入れた。ゆっくりと咀嚼する和樹に、別にいいのに、とゆかりは心の中でちょっとだけ残念に思いながら、そうだ、と和樹の顔を覗き込んだ。
「そうだ。明日の朝ごはん、何食べたいですか?」
なんでもリクエストしてください、と笑うゆかりに、和樹はぱちぱちと数回瞬きをして、小さく噴き出した。
「もう朝ごはんの話?」
「だって、起きてから聞いてたんじゃ、遅いじゃない」
「朝からリクエストを聞いてもらえるなんて贅沢だな」
「お仕事を頑張ってる旦那さまに、ご褒美です。ただし子供たちと一緒に朝ごはんを食べるのが条件ですよ。あの子たち、お父さん帰ってくるのずっと楽しみにしてたんですから」
ゆかりの言葉に、和樹は嬉しそうに頬を緩める。
そうだなぁ、と考え込むように目を伏せたかと思うと、すぐにまた思い出したようにふ、と小さく笑い出した和樹に、ゆかりは首を傾げた。
「なんですか?」
「いや、なんだか……うん。そうだなぁ」
和樹は言いながら、茶碗を口元に近付けて、唐突に食事を再開した。
そして、茶碗で顔を隠すようにご飯をかきこむ寸前、独り言のように呟いた。
「幸せだなぁ、って」