徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
こんちゃっす。
私の名前は中川柚希。二十七歳。彼氏なし。
私は営業職に就いており、長田さんは私の直属の上司だ。
そんな長田さんの上司であり私の上司でもある石川和樹さん。
彼はとんとん拍子で昇進に昇進を重ねた社内トップレベルの出世頭。以前より取引先に赴くことは少なくなり、現在はデスクで書類と格闘している。
そんな石川さんには奥様がいる。
目の下には隈を定住させ、鬼のような顔で平気で部下の腕を捻りあげることもある怪力ゴrんんっ……失礼。あれほどのワーカホリックに、奥様がいるなんて……。
長田さんから聞いた時は驚いた。
なんでも、石川さんが入り浸っていた喫茶店の店員で、その時に知り合ったそうな。
結婚したのは数ヶ月前。つまりはバリバリ新婚というわけ。
まあ、石川さんはその奥様のことを凄く溺愛している。
あの優しさなんて欠片もない常に冷静沈着&冷酷の石川さんが!?
「その体たらくでよく機密情報が扱えるな」
が口癖の石川さんが!? これは長田さんも言われたことがあるらしい。ま、私はまだ言われてないけど!
「……中川。全部声に出てるぞ」
マジすか。
「それでよく機密情報が扱えるな」
長田さんに言われたよ。なんかショック!
「石川さんの奥様、今も変わらず喫茶店で働いてるんですよね?」
「ああ。喫茶いしかわという店だ」
伝え忘れてたけど私が今いるのは休憩室。長田さんから「ほら」と缶コーヒーを貰った。
あざーす。
「へー。今度行ってみよっかな」
「石川さんにバレたら大目玉だ。バレないように変装しろよ」
「うぃーす」
長田さんのこういうトコほんと好きだわー。
あ、恋愛感情はないよ?
「長田さんは石川さんの奥様に会ったことあるんで?」
コーヒーの封を開けて口に入れると、後味がちょっと酸っぱかった。うん、安物だね!
「まあ何度かな。いい人だぞゆかりさん」
ふむふむ……そうか。ゆかりさんというのか。
鬼の石川さんが溺愛して、長田さんの評価もいい……なんか興味湧くなー。
「どんな人なんですか?」
興味本位で聞くと、なぜか長田さんにジトッとした目で見られた。え、私なんかした?
「彼女になにかする気か? それとも、なんだ? 石川さんの好み聞いて愛人とか狙ってるのか?」
なんでそうなるねん!? あれだよな! 長田さんてすっごく優秀なのにその真面目さで時々変な方向に頭行くよな!
「なんでですか。言っときますけど私のタイプは短髪黒髪、スポーツ刈り一択ですから」
「特殊なタイプだな……まあ、いいか。どんな人か……そうだなぁ……一言で言うなら芯が強いところかな」
芯が強い? どういうことだ?
「ゆかりさんはどちらかと言うと天然で鈍感なところがあって……それがまた愛らしいんだと石川さんはよく言っているが」
なんか本人不在なのに惚気られたんだけど。
「でもたまに鋭い。こちらが話さなくてもちゃんと事情を分かってくれるんだ」
「それ、仕事で家を空けがちかつ話せることの少ない我々のような仕事をしてる者の妻としては最高ですね」
身内にも仕事の内容は語らない。それ故に結婚しても離婚なんてザラだ。だけど話さなくても理解してくれるなんて、なんて凄い人なんだろうか。
「でもゆかりさんも石川さんのことをちゃんと愛してる。石川さんもゆかりさんのことを愛してる。結ばれるべくして結ばれた二人だな」
「なるほど」
ゆかりさんは、こんな言い方は酷いかも知れないけど、私たちの職場にとっては都合がいい人だ。
でも石川さんはそれだけでゆかりさんと結婚した訳じゃない。あの溺愛っぷりを見ていればわかる。
一週間前のことだ。
私、長田さん、他の職場の人間が昼休憩している時(もはや昼とはいえない時間だった気はするけど)みんなはコンビニやカップラーメン……売っている既製品でテキトーに昼を済ませていた。私もそんな一人。
あー……仕事終わんねー。つーか口の中渇きすぎてやばい……うっサンドイッチが飲み込めねぇ! ちょっ誰かお水プリーズ!
ツナサンドを喉に詰まらせている時だった。
ガチャ……と扉が開いた。その主は石川さん。
鬼の石川さん。職場のエース。怪力ゴリラ。
数多の二つ名を持つその人の顔は……緩みに緩みきっていた。
これはたまーに見られる光景だ。それでもレアだけど、でも普段の恐ろしい形相からは考えられないような顔してる。
そして、その手には常にお弁当が風呂敷に包まれて抱えられていた。
鼻歌まじりに現れた石川さんは自分のデスクに座ると、ニコニコとその風呂敷を解いていく。私は水を飲んでふーっと息を吐き、上司の弁当箱を覗きにいった。
「石川さん。今日のお弁当の中身は?」
これは私がいつもしている行動だ。
上司がニコニコとお弁当を持っている時は覗きに行っている。
石川さんも私のこの行動には馴れたそうで、特に気にした様子はなかった。
「お、中川。覗きに来たな?」
というかむしろ歓迎されてる?
いや、自慢したいんだろう。
「今日、朝出るとき彼女が「今日は和樹さんの好きなものばっかり詰めてみましたー!」って笑顔で言ってたんだ。マジ可愛かった」
うわー……わざわざ声変えて奥様の真似したよ。高い声出さないでくださいよ気持ち悪い。そしてなんか惚気られたし!
「へー。んなことより早く開けてくださいよ」
「お前……スルースキル長田より上なんじゃないか? ……ま、いいか」
石川さんがパカッとお弁当の蓋を開ける。
「おぉっ」
私は思わず感嘆の声。
お弁当の中身は、真っ白な白米。少し焦げ目がついた卵焼きと金平ごぼう。レンコンの煮物にきゅうり漬け。メインかな? 鰆の西京焼き。それと白米の上にはごま塩と梅干し。ん? このボトルはお茶か?
「石川さん。このボトルは?」
「それは味噌汁だ」
味噌汁!? 和食オンリーかよ。すげーな石川さんの奥様。
石川さんも感動してるし……つーか涙ぐんでるし!
「うっう……っ俺の大好きな和食じゃん……朝早くに起きてお弁当作ってくれて、そしてあの笑顔で行ってらっしゃいって……俺の奥さんマジ天使!」
そこまで言うかー……溺愛っぷり半端ないんですけど! えーこれまじで石川さん? どっかの誰かが変装してんじゃねぇの?
「冷食ないって凄いですね」
普通はめんどくさいから冷食入れてたりするもんなのに……全部手作り。すごっ!
「もぐ……んぐもぐ……それにゃ!」
食べながら喋らない! 汚い!
しかも「それな」ってなんだよ! アンタ三十路のオッサンだろ! なにJK語使ってんだよ!
「あー……幸せー……」
……うわ、周りの職場が石川さんのことすっげー羨ましそうに見てる! ただでさえ手作りに飢えてる人たちが幸せそうな上司に見せつけられてる!
なんて上司だ!
結局私たちは石川さんが味噌汁を飲み干し丁寧に手を合わせて「ごちそうさまでした!」と言うまで石川さんのことをずっと見続けていた。
「凄かったですよ……私石川さんがJK語使ってるの初めて聞きました」
「感想そこか?」
強火日本男児な性格の石川さんにJK語使わせるなんて……マジ奥様マジすげー。
「会ってみたいなー」
そんなことをポツリと漏らすと、「じゃあ会うか?」と長田さんは言った。
「え?」
長田さんは携帯を取り出すと、私に見せてくれた。
メール? 送り主は……『ゆかりさん』。
石川さんの奥様からだ。
「えっ長田さん……石川さんの奥様と浮気してたんですか!?」
うっそだろ長田さん! それがバレたら石川さんに抹殺されますよ!?
「んなわけないだろ! メールの内容をよく見ろ」
内容……?
『長田さんこんにちは!(*•ω•)ノ
そしてお仕事お疲れさまです。ゆかりです。
和樹さん、今朝バタバタしててお弁当忘れて行ったので今から届けに行きます。
お手数お掛けしますが、迎えにきて貰っても宜しいですか?(。_。*)』
なんと可愛らしいメールでしょう!
私、顔文字なんて何年も使ってないや……。
「ということだ。……お前も来るか?」
「是非!」
私はテンション高めでまっずいコーヒーを飲み干した。