徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
会社の入口のあたりで待っていると、石川さんのお弁当の風呂敷と大きな風呂敷を抱えた可愛らしい女性がひとり。あの人がゆかりさんだろうか?
「ゆかりさん」
長田さんが声を掛けると、ゆかりさんがパッと顔を明るくした。
なにあれ可愛い。
石川さんが惚れるのもわかるわー。可愛いわー。天使かよ。
「長田さん! ……と……?」
おっと。私も名前を名乗らねば!
「部下の中川といいます」
「中川さん! とっても美人さんですね!」
屈託のない笑みで言われた。性格も天使だ!
「言ってくださればご自宅までお迎えに行きましたのに」
「そんな! お忙しいのに頼めませんよ! あっ……お仕事お疲れさまです長田さん、中川さん!」
ゆかりさんから「お疲れ様です」って言われた!
可愛い! なんだよもう! 女神かよもう!
私が(表情には出さず)内心荒ぶっていると、ゆかりさんが二つの風呂敷を差し出してきた。
一方は石川さんのお弁当だろうが……もう一つのは?
「二つ……ですか?」
「大きい方は皆さんでどうぞ! と言っても大したものではありませんが……」
「そんなお気遣いまで……では有難くいただきます」
長田さんが二つの風呂敷を受け取る。
私は無言でゆかりさんの手を掴む。
「ゆかりさん……」
「中川さん?」
「私と結婚し「ゆかりさんッ!」……チッ」
邪魔が入ったか。
後ろを見ると石川さんが息を荒らげて立っていた。
「和樹さん!」
「どうしてここに…………って中川。お前何してる」
私がゆかりさんの手を掴んでる状況に石川さんは絶対零度の目を私に向けた。
わー。こわーい(棒読み)
ちなみに長田さんは知らん顔。
「何って……ちょいとゆかりさんに求婚を」
「うるさい! お前なんかにゆかりさんを渡してたまるか!」
うるさいって……貴方が聞いてきたんでしょうが。
愛しきゆかりさんは石川さんに連行されてしまった。
「ゆかりさ~ん!」
私の渾身の泣き真似を見てゆかりさんが私を可哀想に思ったのか石川さんにプンプン怒る。
「和樹さん! 中川さんが可哀想です! 女の子にはもっと優しくしてください!」
ゆかりさん!(感動! じ~ん!)
でもごめんねゆかりさん! 私もう女の子って年齢じゃないの! 二十七なの! アラサーなの!
そしてこれ泣き真似なの!
「ゆかりさん、中川のアレは泣き真似だよ」
あれ、バレてた?
「それに僕が優しくするのはゆかりさんだけでいーのっ」
うわ! 甘い! 甘いよ! アラサー現在彼氏なしにはキツすぎる甘さだよ!
私は戦線離脱した。次は長田さんのような対応取ろう、うんそうしよう。
「それよりもどうしてココに?」
「えっと……和樹さん朝バタバタしてたでしょ? お弁当忘れてたから届けにきたの」
ゆかりさんが敬語崩れるの可愛いな。
石川さんは私に向けた狂気の顔から一変し、穏やかな眼差しをゆかりさんへ向けた。
「そっか。ごめんね。でも次からは歩いてこないで。長田とかに迎えに行かせるから」
「えっ石川さん私行きますよ?」
「長田頼んだぞ」
「はい」
「無視しないでくださいっ!」
それでも甘い雰囲気は絶えず。
こりゃ完全に二人の世界だわ。私と長田さん忘れられてるわ。
「ゆかりさん。またしばらく帰れなくなるかも。寂しい思いさせてごめんな」
突然始まったラブシーン。
石川さんが愛おしげにゆかりさんの頬を撫でる。
ゆかりさんも目元を潤ませて石川さんの手に擦り寄るように手を重ねた。
「和樹さんの帰りをブランくんと一緒に待ってますね。お仕事頑張って」
二人は互いに顔を寄せる。
ちょっとここ職場なんですけど!
なんてツッコミはできず、長田さん共々顔を背けた。
お願いだからあんまりハードなのはやめてくれよ!
そう願いながらしばらく待つ。
チュッチュッ……
「ちょ……か、さ……んっ」
「もうちょい」
チュ……チュク……チウ……
「んっは……も……ぅ……やめっ……んんっ」
「必要な充電時間だから」
チュク……チュ、チュ……ヂュッ……ッ
「ひゃあっ」
「ふふ……可愛いねゆかり」
あー! ダメだ! もう我慢できん!
長田さんの制止を振り切りバッと後ろを見る。
石川さんとゆかりさんは案の定キスしていたし、舌を差し込んでいる最中だった。
「邪魔すんなよ」
石川さんの顔には「空気読めよ」と書いてあったけど知るかーっ!
「ここ職場なんですけど! なんでこの場所で嫁に手出してんですか!」
「嫁だからさ」
ドヤ顔すんなムカつく!
「そーゆーのは家に帰ってからやってくださいよ!」
「仕事が忙しいのはお前もよく知ってるだろ? でも溜まるもんは溜まるんだよ」
「はい! 下ネタ禁止! ゆかりさんの耳に入ってますからその口閉じて!」
「俺とゆかりは現在子作り中だから大丈夫」
「知らねーし! アンタの頭の中が大丈夫じゃねーよ!」
はぁ……はぁ……思わず敬語を忘れてしまった。素の私が出てしまった。
スルースキルよりもツッコミスキルの方が上がってる気がする……。
「ま、まあ石川さん……仕事も溜まっていることですしゆか……奥様からお弁当は届けていただけましたから戻りましょう」
「……わかった。じゃあ、ゆかりさん。また電話します」
「はい! 和樹さんまたね! 長田さんも中川さんもお仕事頑張ってください!」
「ありがとうございます。中川も行くぞ」
「……へーい」
「石川さん。これお弁当です」
「ああ。……それはなんだ?」
石川さんが大きな風呂敷を指さす。
「我々への差し入れだそうです」
その時、石川さんの顔が歪んだ。
とっても面白くなさそうな顔。
つまりは奥様の料理を他の男に食べて欲しくないんだろうけど、ゆかりさんの思いを考えたら部下に食べるな! とは言えない複雑な感情……独占欲たけー。
「心配しなくても石川さんの部下は貴方の恐ろしさを知ってるんで、間違ってもゆかりさんに手を出すなんてことしないと思いますけど?」
と、私が言うが納得いってない様子の石川さん。
「分かってるよ。でも気に入らないんだよ」
めんどくせ……こんなめんどくさい男に好かれたゆかりさんって幸せなのか?
……いや、あの笑顔見たら幸せ以外考えられないか。
ゆかりさんからの差し入れで職場が湧いた。
ちなみに中身はおにぎりと漬物。
塩むすびから梅干し、おかか、たらこ…………と選り取りみどりで、みんな喜んで、涙を流しながら食べていた。
「うおおおおおうめぇぇぇぇぇぇえ!」
「このおかか最高!」
「あー塩が身体に染みるー!」
それを石川さんは顔を顰めて見ていたけど、制止することはなかった。
「石川さんの奥さん…………どうだった?」
私が梅干しおにぎり(めっっちゃ美味い!)を食べているとき長田さんがおにぎりを食べながら聞いてきた。
答えなどとうに決まっている!
「そうですね」
「石川さんの奥さんはマジ天使でした!」
「……は?」