徒然とはいかない喫茶いしかわの日常
それからゆかりはすぐに子供たちの一行と出会えた。嬉しそうにゆかりに飛びついてくる。引率は叔母さん――飛鳥ちゃんのお母さんかと思っていたが、後藤先生だった。後藤先生はパラソルのもと休憩をしていた。
「ゆかりお姉さんだ! さっき飛鳥ちゃんから聞いて、会いたかったんだ~!」
「あら本当? ありがとうね! 後藤先生、こちら海の家からの差し入れなので、良かったらみんなで飲んでくださいね」
「こりゃあ有難い! すまんね、いつも」
「サクラちゃんも良かったら、冷たいお水あるから飲んでね」
パラソルのもと横になっていたサクラは小さく「ありがと」と一言告げて、水を口にした。
手伝ってくれた店主の息子は後藤たちに挨拶をしていた。
「というか、ゆかりさん凄く焼けましたね」
オレンジジュースを受け取った子がそう告げた。
「ほんとだ! ケツのところ少し白いぞ!」
ちょうど彼らの目線にあったお尻に対して別の子が叫んだせいか、全員の視線が――
「コラ! 大声でそんなこと言わない!」
「飛鳥ちゃん、いいよ別に。それにしても、凄く焼けたわねぇ」
ゆかりも自分で確認するように、下の水着に指を少し入れ浮かせてしまった。
「ゆかりお姉さんすごく焼けてるね! 和樹お兄さんみたい」
「え~? あんなに焼けてないよー。日焼け止め塗っているけど、これはちゃんとローション塗らないと痛くなりそう……」
「ろ、ローションっ!?」
店主の息子が驚いたように叫んだのだが、男の子は日焼けしたあとにローションなんて塗らないかと変な納得をしてしまった。
「ほら、日焼けした後ちゃんとケアしないとしばらく痛むからね。お風呂上りにね、冷蔵庫で冷やしたローション塗ると、とっても気持ちイイの」
「――キモチがイイ……」
なぜ復唱されたのかわからないが、わからないままでいると飛鳥がゆかりの手を引っ張った。
「ゆかりお姉ちゃんって、今日ずっと海の家でお手伝い?」
「もうほぼお手伝いは終わったの。だから、飛鳥ちゃんたちとちょっと遊んでから旅館に帰ろうかなと。ほら、先生一人で引率大変じゃない? 和樹さんは……ほら、ハーレム作り上げていたから役に立たないだろうし、私で良かったら一緒に遊んだりごはん食べたりしよう?」
「――誰が、役立たず、ですって」
地を這うような声が聞こえ、ここら一体の温度が下がったような気がしたのは気のせいであってほしい。
「誰が、役立たずですって?」
「か、和樹さん」
心なしかボロボロになってしまった和樹が現れておののく。
同じく店主の息子も一歩引いていた。
「和樹さんが役立たずだなんて、ねぇ~そんな酷いこと誰が言ったのかな~~?」
「ゆかりお姉ちゃん今言ってたじゃん」
「ほぉ」
「飛鳥ちゃんってば! 裏切らないで!」
「ゆかりさんは、僕を見捨てた上に役立たず呼ばわりですか。酷いです……。最近僕のまかないも食べてくれないし、つれない態度をとって、ゆかりさんは僕のことが嫌いなんですか?」
「ちょ、ちょっと! 本当に炎上します! そんなこと言うのやめてください!」
力の限り叫びそうになったが、この男の口を閉じさせねばならないと咄嗟に和樹の口に手を当ててしまった。
「和樹さんは目立つのです! 発言や行動の一つ一つ気を付けていただきたいです!」
わかっていますか!? と力強く見上げて言うと、彼の目が急に優しくなってしまった。
「では、僕のことが好きってことで良いですか?」
「厄介だなこの人……!」
その点に関しては飛鳥も苦笑して、ゆかりの手を引っ張った。
一応助けてくれる意志はあるらしい。
「和樹さん、さっきのお姉さんたち良いの?」
「そうだそうだ! バインバインの姉ちゃんたちのハーレム!」
「ば、バインバイン……あのね、僕はそんな不誠実な人間じゃないし、今日は君たちの引率に来たんだよ?」
和樹は子供たちと目線を合わせるように屈んでいたが、ゆかりの手首を持って引き寄せた。
いや一体なぜだ。
「ですから、君はもう戻っていただいて大丈夫ですよ」
店主の息子に対して和樹は、厄介なお客が来たときにやる笑顔をしていた。
ゆかりは今一つわからないまま、このまま和樹がいてくれるなら自分も退散しようと思っていたところだ。
「じゃ、じゃあ、ゆかりさん戻りませんか? 俺らまだ飯食ってないし」
「そうねえ。和樹さん戻ってきてくれたなら、私戻りますね?」
「――ゆかりさん、もう手伝いは終わったのでは?」
「どこから聞いていたんですか!? ほぼ終わっただけであって、まだ終わっていませんからね?」
遠くから和樹の姿を見つけた女性たちが、こっちへ来るのが見えてしまった。
ゆかりは和樹の手を振り払い、店主の息子の手を掴んで
「じゃっ! みんな、また喫茶いしかわでね!」
と叫んでその場を後にした。
「――和樹さん、顔」
「いたって普通の顔だよ、飛鳥ちゃん」
どこが普通の顔だよ、と飛鳥は思った。
真夏の太陽のもと、手を振り払われ、別の男の手をとったゆかりを見つめる和樹の顔は人を三人くらい殺してそうなものであった。
和樹は心底面白くなかった。
本日はすべてのオフが重なっていた。
日々気の抜けない生活をしているが、和樹はようやく顔を出せた喫茶いしかわのマスターからゆかりが海の家で手伝いをしていると小耳に挟んだ。
なんとなしにその海に行こうとすれば、偶然なのかよく喫茶いしかわを訪れる子供たち一行と鉢合わせたので、理由もそれらしく共に行動をしていた。
「ゆかりお姉ちゃん、鈍感だから大丈夫だと思うよ」
「――何がかな?」
「アバンチュール的なこと」
「――あったらあったで僕は困ってしまうな」
「……顔が怖すぎるよ」
たしかに石川ゆかりは鈍感だ。
自分に対しての魅力をわかっているのかわかっていないのか……。
自分が女性に取り囲まれてしまったときに、近くにいた可愛らしい水着を着た彼女は、和樹より十歳も年下の少年の前でビキニをズラしていた。さっきもパンツの部分を大胆に直していて、その姿に柄にもなく頭に血が上った。
どう考えてもあの少年はゆかりに気を持っている。
彼女はそんな軽い女ではないし、そんな目で見ていることが許せなかった。
なぜ許せないかという気持ちを明らかにはしないが。そういうことだ。
さっきから海の家の近くにいれば、看板娘は普段の力をいかんなく発揮しており、海水浴に来ている男性客の目を奪っている。
ゆかりの笑った顔が可愛いことぐらい自分がよく知っている。
そのうえ、普段隠された肉付きの良い零れそうな胸と薄い腹、張りのある臀部に目を奪われないはずがなかった。
細い首筋に揺れるフィッシュボーンテールも頑張ったのであろう、器用に結われていた。
もう三十路が見えているのに枯れることもなく学生のような感想を抱いたことに悲しみも覚えた。
女性に関して困ったことはないのだが、あの人だけは困ったことだらけであった。
無謀にも和樹はまた一人でゆかりのもとへ向かっていった。あの揺れる魚の尻尾を掴まねばならなかった。
家族中心のエリアを抜けようとすると、グリーンのネオンカラーの水着を着たゆかりを見つけた――のだが、目にした瞬間自分でも驚くほど速く動いた。
彼女は見知らぬ女性に髪の毛を引っ張られて、挙句の果てに見知らぬ男性の元に突き飛ばされていたのだ。
「――何を、しているんです」
「か、かずきさ……」
ゆかりは信じられないものを見上げるしかなかった。
海の家に戻る途中、店主の息子は買い出しを頼まれて急いで戻っていった。
ゆかりはゆっくり戻ってきてもいい旨を伝えられ、一人でとぼとぼと歩いていた。
白いキャップだけではあまり日除けにならず、水分もあまりとっていないせいなのか、和樹に出会ってしまったことが原因なのか、頭がくらくらしていた。
「はあ……和樹さんだって、悪い気しないわけないじゃん」
誤解以外の何物でもないが、彼はジェントルマンなので女性を手荒に扱うこともないし、笑顔でそれを諫める手段も知っている。
ため息を吐いたところで、帽子のつばで気づかなかったが二人組の女性と男性が立ちはだかった。
素直に「すいません」と言って避けようとすると、避けきれずに男性の一人にぶつかってしまった。
「あなた、さっきからあのイケメンと一緒にいるけど、なんなの? 彼女なの?」
とんでもないタイプの言いがかりに遭遇してしまった――!
漫画や映画でしか見たことない展開だと思ったが、そういえば喫茶いしかわでも似たようなことがあるわと思い出し、極めて冷静になってしまった。
「いえ、そんな未来も現実もないです」
「はあ? ずっと言い寄っていて邪魔なの! 私たちあの人と遊びたいのに、アンタが邪魔ばっかりするの迷惑」
「い、いえ……邪魔なんかしてないですし、むしろ私としてはお姉さんたちと遊んでくれた方が」
何の言い訳かもわからないことを口走ると、ゆかりの態度が癪に障ったのか一人の女性がゆかりの髪を掴んだ。
「い、いたっ……!」
「お姉さんさ、“相手”ほしくない?」
真っ赤な唇が三日月みたいに歪み、乱暴に引っ張られたせいか帽子が落ちてしまった。
痛みで涙が浮かんだのと、ようやく見えた男性たちの「色」を含んだ表情にこれから何が起こるのかわからないわけではなかった。
折れた魚の尻尾が音を上げる。
「――へぇ、意外と可愛いじゃん?」
「体も柔らかそうだし、お姉さん海の家の接客も可愛かったよ」
手が伸びてきた瞬間、そのまま体を突き飛ばされた。
なぜ自分はこんな理不尽な目にあっているのだろうか。
声をあげたくても、周りの目も怖いし、何より子供たちに見られたくなかった。