余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
白杭は、まだ迷宮の腹の中で震えていた。
北側偽脈の空芯。
戻り水が流れ込み、白砂が沈み、赤錆噛みが固定金具を齧ったあの場所で。
人間側から奪った白杭が、ゆっくりと灰色に染まっている。
《白杭一本、解析継続中》
「まだ終わらぬのか」
《白杭内部に封迷圧の芯があります。無理に砕くと、周辺の戻り水が一時的に停止する恐れがあります》
「それは困る!」
思わず声が裏返った。
いかん。
最近、少し王らしくなってきたと思っていたのに、白杭一本でこれだ。
だが仕方ない。
戻り水は、今の迷靄洞の命綱だ。
封鎖隊を食い、測量を狂わせ、白砂を嘘に変える主力。
それが止まれば、余はまたただの薄暗い洞窟に戻る。
「……慎重にやれ」
《了解》
白い部屋の床には、北側の断面図が浮かんでいた。
白杭は、まるで骨のように迷宮の中へ刺さっている。
その周囲を戻り水が舐める。
赤錆噛みが、金具だけを削る。
灰灯喰い蟲が、白い封迷圧の残り火を吸う。
影縫い大蜘蛛の糸は、杭の影だけを薄く留めている。
抜けないように。
暴れないように。
食えるところから、少しずつ。
『ロード』
フィルエの声が、契約糸から届いた。
『外、動いた』
「早いな」
『聖杭技師が、回収の準備をしてる』
「回収?」
《捕獲された白杭を、外部から共鳴させて引き抜く術式と思われます》
「そんなことができるのか!」
《白杭同士が同じ封迷圧で鍛えられている場合、可能性はあります》
「聞いていないぞ!」
《今、初めて観測しました》
「なら仕方ない!」
余は監視面を切り替える。
迷宮入口の外。
そこには、白い天幕と杭列が並んでいた。
聖杭技師がいた。
本人だ。
白杭を肩に置き、弟子たちに短く指示を出している。
若い測量士もいた。
少し離れた場所で、報告板を抱えて立っている。
顔色は悪い。
だが、目だけは北側ではなく、迷宮入口を見ていた。
あいつは分かっている。
今から何が起きるか、全部ではなくとも、嫌な形で分かっている。
「フィルエ、聞こえるか」
『少しだけ』
「拾え」
『うん』
契約糸が震えた。
外の声が、白い部屋に細く流れ込む。
「……迷宮は杭を飲んだ。ならば腹の位置が分かる」
聖杭技師の声だ。
「北側が中心であるかどうかは、もはや問題ではない。奪われた白杭と迷宮内部の水脈が繋がっている。その線を引き戻す」
弟子が問う。
「戻せますか」
「戻せなくとも、迷宮の腹を裂ける」
余は固まった。
「……腹を裂く?」
《危険です》
「分かっている!」
白い部屋の床に、警告が走った。
《外部共鳴反応、検知》
《捕獲白杭、振動開始》
北側の白杭が震えた。
じん、と。
戻り水の流れが乱れる。
白砂が跳ねる。
影縫いの糸がきしむ。
杭の中に残っていた白い圧が、外の杭列へ向かって鳴り返している。
「まずいまずいまずい……!」
『ロード』
「分かっている! 慌てていない!」
《慌てています》
「黙れ!」
だが、叫んだ瞬間、余は見た。
白杭から外へ伸びる共鳴線。
まっすぐだ。
あまりにもまっすぐ。
聖杭技師は、迷宮の中に手を突っ込んでいる。
確かに危険だ。
だが逆に言えば。
その手首は、迷宮側からも掴める。
「……管理音声」
《はい》
「共鳴線は、道か」
《追跡者にとっては、道として扱える可能性があります》
「よし」
余は笑った。
喉の奥で、焦りがまだ残っている。
だが、頭は動き始めた。
「灰刃追跡者」
奥で、刃が鳴る。
「その白い線を覚えろ。外へ繋がる道だ」
《迷宮外への直接追跡は不可能です》
「外までは行かなくていい。線に触れている人間まででいい」
《封線追い、変形可能》
「やれ」
灰刃追跡者の気配が、北側へ沈んだ。
落武者のような影が、白杭の周囲に立つ。
刃を構える。
斬る相手は人間ではない。
線だ。
「カゲヌイ」
《待機中》
「共鳴線の影を縫え」
《線の影は不安定です》
「一瞬でいい。引かれる力を止めろ」
《了解》
「影縫い大蜘蛛。白杭に糸を巻け。ただし本体ではなく、杭が震える空間ごとだ」
天井から、黒く湿った糸が降る。
白杭に触れる寸前で止まり、周囲の空気を絡めるように輪を作った。
杭の震えが鈍る。
外の共鳴が、少しだけ詰まる。
「赤錆噛み」
壁裏で、小さな歯音が響く。
「金具ではなく、今度は白杭の表面を一口だけ齧れ」
《危険です。赤錆噛みへの負荷が大きいです》
「一口でいい。封迷圧の味を覚えさせろ」
数匹の赤錆噛みが、白杭へ近づいた。
迷ったように鼻を動かす。
白杭は金属ではない。
だが、金具の芯に混じる白い圧がある。
赤錆噛みの歯が、白杭の表面に触れた。
ぎり。
一匹が弾けるように後ろへ転がった。
口元から灰色の煙を吐く。
「死んだか!?」
《生存。変質反応あり》
赤錆噛みの歯が、赤錆色から灰白色へ変わっていく。
小さな体が震える。
目が白く濁る。
そして、もう一度白杭へ噛みついた。
ぎりり。
今度は、白杭の表面に細い傷が入った。
《赤錆噛み一部個体、派生変質》
《仮称:白錆噛み》
「白錆噛み……!」
《赤錆噛みが白杭の封迷圧を微量摂取し、白杭・白砂・封迷金具への噛みつき適性を獲得した派生個体です》
「よし、よしよしよし!」
これは大きい。
新しい魔物を一から買ったのではない。
既存の赤錆噛みが、敵の道具を食って変わった。
迷宮らしい進化だ。
「白錆噛み、共鳴線の根元を齧れ!」
小さな灰白色のネズミが、白杭に群がった。
封迷圧の線が、ちりちりと乱れる。
外で、聖杭技師の眉が動いた。
「……噛まれたな」
弟子が顔を上げる。
「何がですか」
「杭だ。迷宮が、杭を食っている」
聖杭技師は白杭を握り直した。
周囲の杭列が鳴る。
ちりん、ちりん、と。
測水鐘に似た音。
だが、もっと硬い。
もっと白い。
その音に、若い測量士が肩を震わせた。
「下がれ」
聖杭技師が言う。
「回収では足りない。焼く」
弟子たちが、一斉に白布を解いた。
そこにあったのは、細い杭ではない。
白い楔。
短く、太く、刃のような形をしている。
《新規器具を確認》
「何だ、あれは」
《白杭の破砕用楔と思われます。刺した杭を外部から割り、周辺の迷宮組織を焼く道具と推定》
「最悪ではないか!」
聖杭技師が、白い楔を地面に打ち込んだ。
外から、共鳴線に沿って白い火が走る。
入口を越え。
通路の土を抜け。
北側の白杭へ向かう。
焼かれる。
戻り水ごと。
白杭ごと。
北側偽脈ごと。
「グズ!」
入口の泥が盛り上がった。
泥門番長ゴブリンが、棍棒を引きずって現れる。
「入口の楔を潰せ!」
「グオオッ!」
グズが外へ出ることはできない。
迷宮の外では、力が落ちる。
だが、入口の内側に刺さった共鳴の響きなら叩ける。
グズは棍棒を振り上げ、入口床を殴った。
どごん。
泥が跳ねる。
共鳴が歪む。
外の楔そのものは壊せない。
だが、迷宮に入ってくる白い火の足場を泥で汚せる。
「もう一度!」
「グオッ!」
どごん。
入口の床が泥に沈む。
白い火が、泥の中で一瞬鈍った。
「カゲヌイ、今だ!」
影縫い罠師の針が、白い火の影を刺した。
一瞬。
本当に一瞬だけ。
火の影が地面に縫い止められる。
「追跡者!」
《封線追い、斬撃》
灰刃追跡者が、白杭の横で刃を振った。
白い火そのものは斬れない。
だが、火が通ってきた線は斬れる。
共鳴が、ぷつりと切れた。
外で悲鳴が上がった。
聖杭技師の弟子が一人、膝をついた。
手に持っていた白い楔が、灰色にひび割れている。
「師匠、線が返って――」
言い終わる前に、その手元から灰色の水が吹いた。
血ではない。
戻り水だ。
迷宮の中を流れていたはずの水が、共鳴線の切れ目から逆流した。
弟子の腕を濡らす。
白い手袋が灰色になる。
「離せ!」
聖杭技師が叫ぶ。
だが遅い。
灰刃追跡者の圧が、線を伝って弟子の影に触れた。
刃そのものは外へ出ない。
だが、追跡の印は届く。
弟子の足元の影が、ひとつ遅れて動いた。
若い測量士が叫ぶ。
「その人を杭列から離してください!」
聖杭技師が振り返る。
「なぜ分かる」
若い測量士は答えない。
答えられない。
迷宮で見たからだ。
灰刃追跡者が、線を読むところを。
逃げ道の終わりに立つところを。
「離せ!」
今度は、聖杭技師自身が弟子の襟を掴んで引いた。
直後。
弟子がいた場所に、灰色の斬痕が走った。
地面が浅く割れる。
外だ。
迷宮の外なのに。
完全ではないにせよ、追跡者の刃圧が線を通って届いた。
《追跡者、封線干渉成功》
「よし!」
余は拳を握った。
《ただし迷宮外干渉は極めて不安定です。連続使用は不可》
「一度で十分だ!」
外の部隊が乱れる。
弟子が一人、腕を押さえて倒れる。
白い楔がひび割れる。
杭列が鳴り止む。
聖杭技師が、迷宮入口を睨んだ。
若い測量士は、その横で震えている。
だが、彼は何も言わなかった。
迷宮が共鳴線を逆に噛んだこと。
白杭を食い始めていること。
追跡者の圧が線を伝うこと。
それらを、すべて言えば助けになったかもしれない。
だが彼は、一拍遅れた。
その一拍で、弟子は腕を失いかけた。
余は見ていた。
「今、わざと遅れたな」
《可能性があります》
『うん。迷った。でも、言わなかった』
若い測量士は、完全に味方ではない。
だが、もう完全な敵でもない。
沈黙が、迷宮側へ傾き始めている。
聖杭技師は撤退を命じた。
早かった。
怒りに任せて突っ込む男ではない。
弟子を回収し、割れた楔を捨て、杭列を畳ませる。
ただし、去り際に若い測量士の方を見た。
「君は、何かを知っているな」
若い測量士は黙っている。
「迷宮の中で何を見た」
「……戻り水を」
「それだけではない」
若い測量士は、迷宮入口を見た。
そこには、泥がある。
グズが叩いた泥。
白い火を鈍らせた泥。
その奥で、誰かが見ているような気配。
若い測量士は、目を伏せた。
「分かりません」
「そうか」
聖杭技師は、それ以上問い詰めなかった。
だが、疑いは消えていない。
むしろ濃くなった。
若い測量士は、もう人間側に戻っても安全ではない。
迷宮の中でも安全ではない。
どちらにも居場所がない。
だからこそ、落ちる。
《外部共鳴、停止》
《捕獲白杭、安定》
《白錆噛み、三体生存》
「三体か」
《赤錆噛み七体に変質反応。うち四体は封迷圧に耐えられず休眠。三体が活動可能》
「十分だ」
白い部屋の床に、新しい表示が浮かぶ。
⸻
派生個体登録候補:
白錆噛み
由来:
赤錆噛みが白杭の封迷圧を微量摂取し、白杭・白砂・封迷金具への噛みつき適性を得た派生個体。
役割:
白杭固定具の劣化。
白砂器具の破損。
封迷圧の細線への干渉。
聖杭技師系装備への対抗。
注意:
白杭本体を長時間噛ませると自壊の危険あり。
⸻
「登録しろ」
《登録にはソウルを消費します》
「いくらだ」
《三体の安定登録に、二十四》
「高い!」
《特殊派生個体です》
「……払う」
《登録完了》
白い部屋の奥で、ソウルが減る。
痛い。
だが、必要経費だ。
敵の主力装備を噛める魔物は、今後必ず効く。
「よし。白杭は?」
《封迷圧の一部を消化。新規罠構造を形成可能》
「出せ」
⸻
新規罠案:
《灰杭返し》
概要:
敵の白杭・封迷杭が迷宮内部へ刺さった際、戻り水と白錆噛みによって杭の封迷圧を汚染。
杭を封印具ではなく、迷宮側の逆流路・追跡路・偽反応源として利用する。
必要条件:
戻り水の近接。
影縫い補助。
白錆噛み一体以上。
灰刃追跡者の封線追いと相性良。
⸻
「採用だ」
《正式採用しますか》
「する」
白い部屋の床下で、戻り水が鳴った。
白杭はもう、ただの敵の武器ではない。
迷宮の歯になった。
刺されたら痛い。
だが、噛み返せる。
その夜。
白い部屋に、紙の擦れる音がした。
余は顔を上げる。
「何だ」
《ダンジョン新聞です》
「この忙しい時にか」
《号外を含みます》
「読む」
白い床の上に、黒い文字の新聞が広がった。
ロードだけが読める紙。
人間には届かない、迷宮側の情報網。
最初に目に入った見出しは、余のことではなかった。
⸻
【Bランク迷宮・葦骨沼、討伐隊を撃退】
救助に来た第二隊まで沼地へ誘導。
新戦術《助けに来る者を主食にする》が注目を集める。
⸻
「嫌な戦術だな」
《参考になります》
「するなとは言っていない」
次の見出し。
⸻
【Sランク迷宮・黒鐘霊廟、勇者一行により消滅】
鐘鳴りの即死階層を突破され、コア破壊。
上位迷宮にも“勇者対策の再検討”を求める声。
⸻
余は黙った。
Sランクでも消える。
攻略されれば、終わり。
ロードも、迷宮も、存在ごと消える。
分かっていたことだ。
だが、新聞の文字で見ると、白い部屋の温度が少し下がる。
「……Sでも死ぬか」
《はい》
「なら、余はSでは足りぬ」
《目標を更新しますか》
「最初からだ」
余は新聞をめくった。
最後の見出しで、手が止まる。
⸻
【白磁庭園、周辺の低位迷宮を吸収】
白磁系ロードによる“庭園化”拡大中。
霧・灰・湿地系迷宮との相性不良が報告されるも、侵蝕速度は高い。
次の標的地域について、複数ロードが警戒。
⸻
白磁庭園。
敵対ダンジョン。
人間側ではない。
迷宮を喰う迷宮。
白い庭を広げるロード。
余は新聞の文字を見下ろした。
北側では、奪った白杭が灰色に沈んでいる。
入口では、グズが泥に棍棒を立てている。
奥では、灰刃追跡者が新しい線を覚えている。
白錆噛みが、白い歯を鳴らす。
「来るなら来い」
余は言った。
声は、思ったより低かった。
「人間の杭も、敵迷宮の庭も、余の腹で噛み砕いてやる」
戻り水が、床下で静かに笑うように鳴った。