余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
マルク・セーヴァのは、白い部屋から見ても異様だった。
ただの鎖ではない。
魔力でもない。
祈りでもない。
それは、人間が迷宮の中で「帰る」という概念に形を与えたものだった。
聖鎖・。
その白い鎖は、床を這い、壁を伝い、霧を貫き、入口方向へ伸びている。
帰路を固定する術。
撤退のための術。
そして、帰路喰らいの落武者にとっては、餌そのものだった。
「管理音声」
《はい》
「帰路喰らいを出す」
《完全展開ですか》
「いや、まだだ。まず影で喰わせろ」
《承知しました》
灰白の影が、白磁床の上に落ちる。
落武者の影。
刃だけが、霧の中で揺れた。
聖鎖はすぐに反応した。
白い鎖が震え、影刃に絡みつこうとする。
マルクはすでに、帰路喰らいをただの追跡者ではないと理解していた。
「セリア、あれは退路に食いつく魔物です」
「分かっている」
「なら、退路を餌にします」
セリア・リンドが双剣を構え直した。
「餌?」
「はい」
マルクは、聖鎖を二本、三本と増やした。
一本は入口へ。
一本は偽の曲がり道へ。
一本はの崩れた壁へ。
さらに一本、の割れた宝箱へ。
帰り道を複数作ったのではない。
帰路喰らいに、どれが本物か選ばせるための囮だ。
「こいつ、帰路を釣り餌にしたぞ」
《高度な対追跡術式です》
「人間のくせに!」
《Aランク聖鎖師です》
分かっている。
分かっているが、腹が立つ。
帰路を固定するだけでなく、帰路そのものを囮にする。
マルク・セーヴァは、こちらの魔物の性質を見抜きつつある。
だからこそ、帰せない。
「フィルエ」
「うん」
「偽の聖鎖を見分けられるか」
「見える」
フィルエが白磁床の上に立っていた。
が、彼女の足元から薄く広がっている。
傷はまだ完全ではない。
だが、動きは鋭い。
以前より、迷宮の流れに深く溶けている。
白磁床を踏むたび、灰色の線が伸びる。
戻り水が、彼女の視界に従って揺れる。
フィルエは、もうただ外から迷宮を見る存在ではない。
の内側から、迷宮を見ている。
「左奥の鎖が本物」
「入口へ伸びている鎖ではないのか」
「違う。入口の鎖は強すぎる。見せるための鎖。戻りたい気持ちは、左奥に隠してる」
「よし」
余は即座に命じた。
「帰路喰らい、左奥だ」
《対象変更》
落武者の影が、入口へ伸びる白い鎖を無視した。
そして、白磁偽財殿の崩れた壁へ伸びる細い鎖へ刃を向ける。
マルクの顔が変わった。
「見抜かれた」
セリアが動く。
「暁秤剣・」
双剣が、二筋の朝日のように走った。
影刃へ向かう斬撃。
ただ斬るのではない。
影と実体の境目を断つ剣技だ。
落武者の影が、半分裂けた。
《帰路喰らいの落武者、影展開損傷》
「強いな!」
《セリア・リンド、Aランク隊長です》
「知っている!」
セリアは止まらない。
一歩踏み込み、二本の剣を交差させる。
「暁秤剣・」
白磁床に刻まれた罠線が、まとめて断たれた。
戻り水の流れが乱れる。
灰霧が割れる。
白磁花の根が切れる。
その隙に、マルクの聖鎖がさらに深く帰路へ食い込む。
この二人、連携が良い。
セリアが罠を斬り、マルクが退路を縫う。
ユーファやキトがいなくても、まだ崩れない。
「フィルエ、セリアを止められるか」
「少しだけなら」
「少しでよい」
フィルエの目が灰色に光った。
「森灰術・枝返し(えだがえし)」
白磁床の隙間から、灰色の枝が伸びた。
木の枝ではない。
森のマナと灰と戻り水を混ぜた、細い流れだ。
それがセリアの足元へ絡もうとする。
セリアは即座に斬った。
一本。
二本。
三本。
すべて斬った。
だが、枝返しは斬られるための術だった。
斬られた灰の枝が、霧になって散る。
セリアの視界に、細かな灰が入った。
ほんの一瞬。
彼女の右剣が半拍遅れる。
「今」
フィルエが言った。
カゲヌイが影から出た。
影縫いカゲヌイ。
その手に、新しい影針が握られている。
ただの針ではない。
聖鎖の影を縫うための、細く白い影を帯びた針。
「刺せ」
《、試行》
影針が、マルクの聖鎖の影へ刺さった。
聖鎖そのものではない。
鎖の下に落ちる、白い影。
そこを縫った。
マルクの眉が跳ねる。
「鎖の影を――」
聖鎖が一瞬だけ重くなった。
それで十分だった。
帰路喰らいの落武者の影刃が、左奥へ伸びた本命の鎖に届く。
白い鎖を噛む。
噛んだ瞬間、聖なる音が白い部屋にも響いた。
澄んだ鈴のような音。
だが、すぐに灰色の錆音へ変わる。
《聖鎖、捕食開始》
「マルク!」
セリアが叫び、双剣で落武者の影へ突っ込む。
だが、フィルエがまた動いた。
「森灰術・根迷い(ねまよい)」
白磁床に、いくつもの偽の根が浮かぶ。
物理的な根ではない。
踏めば滑る幻の根。
見えるのに、そこには何もない。
だが、Aランクの剣士ほど反射で避ける。
セリアの足が、一歩だけ横へ逃げた。
それで、落武者への到達が遅れる。
「フィルエ、良い!」
「褒めるのは後」
フィルエの声は少し苦しそうだった。
無理をしている。
だが、止まらない。
の線が、白い部屋の床で淡く光る。
余のコアから、フィルエへ、迷宮の力が流れている。
同時に、フィルエの疲労も少しだけこちらへ返ってくる。
「っ……」
《ロード生命領域に微弱な反動》
「構わん。続けろ」
マルクは、聖鎖を食われながらも退かなかった。
逆に、鎖を自分の腕に巻きつける。
「聖鎖・」
彼の腕から血が流れた。
血が白い鎖へ染み込む。
聖鎖が太くなる。
帰路喰らいの刃を押し返すほどに。
《聖鎖強度、上昇》
「自分の血で強化したのか」
《はい》
「人間もなかなか無茶をする」
マルクの顔は青い。
だが、目は死んでいない。
「セリア、私が退路を固定します。あなたは、必ず外へ」
「却下」
「隊長命令でも?」
「暁秤は、一人で値を持ち帰るためのパーティじゃない」
「では、二人で」
「そのつもり」
良いやり取りだ。
だが、帰さない。
「カゲヌイ、もう一本」
《影鎖針、残数一》
「使え」
カゲヌイの二本目の影鎖針が、聖鎖の影へ刺さる。
マルクはそれを読んでいた。
白い鎖を跳ね上げ、影をずらす。
影針は外れた。
「外したか」
《失敗》
「いや、違う」
フィルエが言った。
「外したんじゃない。外させた」
「どういう意味だ」
「鎖の影が、動いた。だから本体の鎖は薄くなった」
その通りだった。
影を逃がすために、マルクは本体の聖鎖の一部を緩めた。
そこを、帰路喰らいは逃さない。
灰白の刃が、緩んだ聖鎖へ深く食い込んだ。
噛む。
噛む。
白い鎖が、灰に染まる。
《聖鎖、崩壊開始》
マルクが膝をついた。
だが、そこで終わらない。
彼は最後の術式を唱えた。
「聖鎖・」
白い鎖が輪になる。
帰路喰らいの影刃を取り囲む。
そして、落武者の影ごと縛ろうとした。
自分が死んでも、こちらの切り札の性質を封じるつもりだ。
「させるか!」
余は叫んだ。
「フィルエ!」
「見えてる」
フィルエの灰色の目が、さらに深く光る。
「森灰術・見誤りの」
セリアの視界ではない。
マルクの鎖が見ている帰路をずらした。
断罪環は、落武者の影を閉じ込めるはずだった。
だが、その輪の内側に、一瞬だけ偽の帰路が生まれる。
そこに、鎖が反応した。
閉じる場所を誤った。
帰路喰らいの影刃は、断罪環の外へ滑る。
そして、聖鎖の根元へ届いた。
噛み砕く。
白い鎖が、音もなく砕けた。
マルクの胸に、同じ形の亀裂が走った。
「……見事」
それが、彼の最後の言葉だった。
帰路喰らいの落武者の灰白刃が、聖鎖ごとマルクの胸を貫く。
《Aランク聖鎖師:マルク・セーヴァ、討伐》
《獲得ソウル:1,480》
《取得:聖鎖の断片、契約読みの残滓、浄化鎖片、命脈観測の破片》
マルクが倒れた。
四人目。
暁秤は、残り一人。
セリア・リンドだけになった。
だが、その瞬間、白い部屋に別の通知が走った。
《帰路喰らいの落武者、新特性条件を達成》
《取得特性:帰鎖喰い(きさぐい)》
《効果:聖鎖、帰還標識、撤退術式、契約型退路への捕食適性が上昇します》
「よし」
余は低く言った。
同時に、別の通知も浮かぶ。
《影縫い罠師カゲヌイ、技能変質》
《新技能:》
《効果:鎖、紐、糸、退路術式の影を短時間縫い止めることが可能になります》
「カゲヌイもか」
影の奥で、カゲヌイが静かに針を掲げた。
言葉はない。
だが、確かに強くなっている。
「よくやった」
余は短く言った。
そして、セリアを見る。
◇
セリア・リンドは、一人になった。
キトが死んだ。
ガルドが死んだ。
ユーファが死んだ。
マルクも死んだ。
暁秤は、彼女だけになった。
だが、彼女の目はまだ折れていない。
それどころか、静かだった。
怖いほど静かだった。
セリアは、倒れたマルクの聖鎖の断片を見た。
ユーファの割れた魔導板を見た。
ガルドの沈んだ泥を見た。
キトの血が消えた床を見た。
そして、自分の双剣を構え直した。
「……帰るつもりは、なくなったか」
余は呟いた。
《対象セリア・リンド、帰還意思低下》
「なら、帰路喰らいは効きにくいな」
《はい》
「ならば、別で殺す」
フィルエが少し息を乱していた。
「ロード」
「下がれ」
「まだ」
「下がれ。ここからは近づくな」
「でも」
「命令だ」
フィルエは黙った。
少し不満そうだったが、森灰網を薄く引いた。
助かった。
十分すぎるほど助かった。
ここからは、セリアの剣域だ。
巻き込まれれば、フィルエでも危ない。
セリアが歩く。
走らない。
静かに、白磁床を踏む。
彼女の周囲で、罠線が斬られていく。
灰霧が裂かれる。
影糸が切れる。
戻り水の流れが、剣圧で押し返される。
「暁秤剣・」
セリアの足元に、赤い線が浮かんだ。
彼女自身の命を秤にかける技だ。
危険な罠ほど、彼女の剣が先に反応する。
危険度を斬る。
そんな馬鹿げた剣技だった。
「……本当にAランクは面倒だな!」
《極めて高い危険回避能力です》
「落ち着いて解説するな!」
セリアは、こちらへ向かってきている。
白い部屋へではない。
コアへでもない。
灰白小宝庫の制御核へ。
そこを斬れば、この一帯の宝物庫機能が一時停止する。
彼女は、死ぬ前に迷宮の価値を下げるつもりだ。
なんて嫌な女だ。
「濁白騎士を出せ」
《濁白騎士は旧戦闘で機能停止後、再構成途中です》
「出せる部分だけでいい」
《不完全展開》
白磁偽財殿の奥から、壊れかけた濁白騎士が現れる。
片腕は未修復。
胸には亀裂。
剣も欠けている。
だが、まだ戦える。
セリアはそれを見て、わずかに目を細めた。
「白磁騎士の残骸か」
濁白騎士が剣を振る。
セリアは受けない。
双剣で流す。
胸の亀裂へ、正確に剣を入れる。
一撃で、濁白騎士の上半身が半分裂けた。
《濁白騎士、大破》
「早すぎる!」
だが、濁白騎士は囮だ。
本命は、セリアの双剣。
彼女が濁白騎士を斬った瞬間、白磁の破片が双剣に絡みつく。
砕けた濁白騎士の体が、双剣の刃へまとわりつく。
「今だ、赤錆噛み!」
《展開》
赤錆噛みが床下から飛び出す。
狙いはセリアの腕ではない。
双剣の鍔。
留め金。
柄の補強。
だが、セリアは片方の剣を捨てた。
即座に。
迷いなく。
赤錆噛みは捨てられた剣へ群がる。
セリアは残った一本で、赤錆噛み二体を斬った。
《赤錆噛み二体、死亡》
「判断が速い」
《はい》
「だが、片剣になった」
セリアは、捨てた剣を見ない。
未練がない。
やはり、Aランクだ。
しかし、双剣士が片剣になった。
それだけで十分だ。
「影縫い大蜘蛛。上からではなく、下から」
《実行》
白磁床の亀裂から、黒い糸が走る。
セリアの足首へ。
彼女は跳んだ。
跳んだ先に、戻り水の薄い膜がある。
フィルエが、小さく指を動かした。
森灰の根が、その水膜をわずかにずらす。
セリアの着地位置が、半歩だけ狂った。
「フィルエ!」
「これくらいなら」
「無理するなと言った!」
「少しだけ」
セリアの足が一瞬沈む。
そこへ、帰路喰らいの落武者が影から刃を伸ばす。
しかしセリアは、帰ろうとしていない。
だから刃の食いつきが浅い。
彼女は片剣で影刃を弾いた。
そのまま踏み込み、灰白の影を斬る。
《帰路喰らいの影、損傷》
「本体は出すな」
《はい》
セリアは止まらない。
宝物庫制御核へ向かう。
もう少しで届く。
そこを斬られるのはまずい。
「グズ!」
グズが、泥の奥から現れる。
進化したばかりの門将。
泥門番長ではない。
門を塞ぐ将。
巨大な門槌を構え、セリアの前に立ちはだかる。
「グ……ズ……!」
泥の門が、白磁床の上に立つ。
セリアは初めて足を止めた。
「さっきの泥か。進化したか」
言い当てた。
本当に嫌な女だ。
セリアは片剣を構え直す。
「暁秤剣・」
剣に、薄い赤光が宿る。
泥門ごと斬るつもりだ。
「グズ、受けるな。塞げ」
泥塞門将グズは、門槌を横へ倒した。
受けるのではなく、床ごと塞ぐ。
セリアの足場を消す。
泥門が正面に立つのではなく、彼女の進路全体を閉じる。
セリアの剣が泥を裂く。
だが、裂いた先にも泥。
さらにその奥にも泥。
泥の層。
門の層。
ガルドを喰って進化したグズは、ただ押し合うだけではなく、道そのものを塞ぐようになっている。
「やるな、グズ」
《泥塞門将グズ、安定稼働中》
セリアの足が止まった。
ほんの一秒。
その一秒で、濁白騎士の砕けた残骸を動かす。
ただし騎士としてではない。
白磁の鎖として。
砕けた鎧片が、セリアの捨てた双剣の一本へ絡む。
それを、泥の中から持ち上げる。
彼女の視線が、初めて揺れた。
自分の剣。
捨てたはずの剣。
それが、濁白騎士の残骸に取り込まれようとしている。
セリアは反射で斬った。
自分の剣ごと、白磁鎧片を。
その瞬間、もう一本の剣に赤錆噛みが届いた。
柄の補強金具を噛む。
かり。
セリアは即座に柄を捨てようとした。
だが、今度は遅い。
カゲヌイの影鎖針が、彼女の剣影を縫っていた。
セリアの片剣が、半拍だけ手に残る。
赤錆噛みが鍔を砕く。
剣のバランスが崩れる。
その一瞬に、泥塞門将グズの門槌が横から入った。
セリアは腕で受けた。
骨が折れる音がした。
それでも彼女は倒れない。
「……見事だ」
セリアは言った。
誰に向けた言葉か分からない。
だが、その目はまだ死んでいない。
片腕が折れ、双剣の片方を失い、もう片方も歪んだ。
それでも彼女は、折れた腕を押さえず、最後の踏み込みを見せた。
宝物庫制御核へ。
最後に、それだけを斬るつもりだ。
「帰路喰らい、違う。帰路ではない。今、あいつが見ているのは――」
フィルエが叫んだ。
「宝物庫の核!」
そうだ。
帰路ではない。
目的線。
それもまた、道だ。
帰る道ではなく、壊す道。
帰路喰らいの落武者は、まだその線を喰えない。
なら、別のもので止める。
「フィルエ、見えるか」
「見える」
「ずらせ!」
フィルエが、両手を白磁床についた。
命脈紋が強く光る。
余のコアにも反動が来る。
痛い。
だが、今は構わない。
「森灰術・道違え(みちたがえ)」
セリアが見ていた宝物庫制御核の位置が、半歩ずれた。
正確には、ずれたように見えた。
セリアの剣は、目標を斬るはずだった。
だが、刃は核の横を裂いた。
白磁床が割れる。
宝物庫機能が軋む。
だが、核は無事。
その直後、泥塞門将グズの泥門が背後から閉じる。
カゲヌイの影鎖針が、セリアの足影を縫う。
影縫い大蜘蛛の糸が、残った剣へ絡む。
赤錆噛みが、最後の金具を噛み砕く。
そして、砕けた濁白騎士の白磁片が、セリアの双剣片を飲み込んだ。
白い刃が、彼女の胸を貫いた。
濁白騎士の残骸が、最後に騎士の形を取り戻した一撃だった。
《Aランク隊長:セリア・リンド、討伐》
《獲得ソウル:1,720》
《取得:セリアの双剣片、危険査定官の記憶、Aランク隊長判断片、死地値踏みの記録、暁秤の隊章》
セリアの体が崩れ落ちた。
暁秤は、全滅した。
白い部屋に、深い沈黙が落ちた。
余は、長く息を吐いた。
「……勝ったな」
《はい》
「全員、喰ったな」
《はい》
《Aランクパーティ《暁秤》全員討伐を確認》
床に戦果が表示される。
⸻
討伐結果:
キト・ラウ
獲得ソウル:940
ガルド・ローク
獲得ソウル:1,180
ユーファ・ベル
獲得ソウル:1,360
マルク・セーヴァ
獲得ソウル:1,480
セリア・リンド
獲得ソウル:1,720
合計獲得ソウル:6,680
戦闘前保有ソウル:22,070
現在保有ソウル:28,750
損耗:
赤錆噛み三体死亡、二体損傷
正式宝箱一基破壊
白磁偽財殿、損傷率31%
影針複数損耗
影糸多数断裂
濁白騎士、大破
泥塞門将グズ、軽度損傷
フィルエ、命脈反動あり
⸻
「フィルエは」
《命脈反動がありますが、生命維持に問題なし》
「フィルエ」
「……うん」
声は弱い。
だが、生きている。
「無茶をしたな」
「少しだけ」
「かなりだ」
「でも勝った」
「……そうだな」
余はそれ以上責めなかった。
責める資格はない。
助けられた。
かなり助けられた。
もしフィルエがいなければ、マルクに命脈契約の奥をもっと見られていた。
セリアに宝物庫制御核を斬られていたかもしれない。
フィルエは、強い。
改めて、そう思った。
《進化および強化処理を開始します》
「来たか」
《泥塞門将グズは進化済みです。追加安定化処理を行います》
《影縫い罠師カゲヌイ、新技能:影鎖針を正式登録》
《帰路喰らいの落武者、新特性:帰鎖喰いを正式登録》
《迷宮宝物庫機能、新特性:鑑定返しを正式登録》
「濁白騎士は」
《セリアの双剣片、濁白騎士残骸、白磁騎士固定芯、死地値踏みの記録を使用可能》
「使え」
《再構成します》
白磁偽財殿の奥で、砕けた濁白騎士の残骸が浮いた。
白い鎧片。
灰。
戻り水。
セリアの双剣片。
Aランク隊長の判断記憶。
それらが混ざり、騎士の形へ戻っていく。
だが、以前の濁白騎士とは違った。
兜の左右に、折れた双剣のような白い角。
片手には折れた白剣。
もう片手には短い灰剣。
鎧の継ぎ目には、赤錆の筋。
足元には、宝物室の床を守るための白磁根。
《濁白騎士、再構成完了》
《新登録名:》
《役割:宝物室守護、罠線防衛、侵入者の剣技解析》
「よし」
余は笑った。
暁秤は強かった。
強すぎるほど強かった。
だからこそ、喰った意味がある。
グズは泥塞門将になった。
カゲヌイは影鎖針を得た。
帰路喰らいは帰鎖喰いを得た。
宝物庫は鑑定返しを得た。
濁白騎士は折剣濁白騎士になった。
そして、ソウルも増えた。
「管理音声」
《はい》
「暁秤の死体と装備は、どう処理する」
《全て報酬品化可能。ただし、出所隠蔽を推奨》
「当然だ。暁秤の名は消せ。だが、価値は残せ」
《承知しました》
「特にユーファの鑑定眼、マルクの聖鎖、セリアの双剣片は深層用だ。浅層には出すな」
《はい》
「キトの罠読み記憶はカゲヌイへ。ガルドの盾記憶はグズへ。セリアの判断片は折剣濁白騎士へ」
《処理します》
余は白い部屋の中央で、暁秤の残骸が迷宮へ沈んでいくのを見た。
外には、誰も帰らない。
だから、暁秤が何を見たかは伝わらない。
だが、暁秤が帰らなかったことは伝わる。
銀刻も帰らなかった。
暁秤も帰らなかった。
そして、灰白庭には宝がある。
人間どもはどう考えるだろうか。
恐れるか。
諦めるか。
それとも。
もっと強い者が来るか。
「来るだろうな」
《高確率で》
「よい」
余は笑った。
怖くないわけではない。
だが、今の余は知っている。
強い敵は、良い素材になる。
帰らせなければ、情報にはならない。
喰えば、迷宮が強くなる。
霧灰白庭迷宮は、Aランクになったばかりではない。
今、Aランクパーティを二つ喰った迷宮になった。
「次は、何が来る」
フィルエが静かに言った。
「もっと強いの」
「だろうな」
「ヴェルグレイヴは?」
「起こさん」
余は即答した。
「余の迷宮は、余の罠と配下で勝つ」
夜棺白庭の奥で、古血の棺は沈黙したままだ。
それでいい。
まだ、それでいい。
「暁秤を記録しろ」
《記録します》
「そして、宝物庫を直せ」
《はい》
「壊された箱の代わりに、新しい箱を置く」
《内容物は?》
余は少し考えた。
それから、静かに笑った。
「暁秤の欠片を混ぜた、名前のない宝だ」
白い部屋の奥で、折剣濁白騎士が膝をついた。
新しい守護者。
新しい宝物室の番人。
そして、外ではまだ誰も知らない。
暁秤が、もう帰らないことを。
余は、白い部屋の中央で告げた。
「この迷宮に値を付けに来る者は、値札ごと喰われると知れ」