余、ダンジョンコアにつき侵入者には死んでもらう。 ~ゴブリン二十匹から始める最弱迷宮譚~
黒い扉が開いた。
闇市の最奥。
水路のさらに下。
盗品と呪物と死体の匂いが沈む、地下の黒い部屋。
その奥に、はいた。
最初、人間に見えた。
痩せた男だった。
顔は青白く、目元には黒い紋が刻まれている。
年齢は分からない。
若くも見えるし、ひどく古くも見える。
黒い長衣の胸元から、細い金属線がいくつも伸びていた。
その線の先に、石が埋め込まれている。
黒い石。
灰色の石。
白く濁った石。
どれも割れていた。
だが、ただの魔石ではない。
それを見た瞬間、フィルエの声が震えた。
「ロード」
「何だ」
「あれ、人間だけど……」
少し間があった。
「ダンジョンのを、体に埋めてる」
白い部屋の空気が冷えた。
ダンジョンの死骸。
死んだ迷宮の欠片。
コアではない。
ロードでもない。
だが、かつて迷宮だったものの残骸。
それが、人間の胸に、腕に、首元に、飾りのように縫い込まれている。
「管理音声」
《解析不能》
「役に立たん」
《外部領域かつ未知素材です》
「言い訳はよい」
黒市主は、盗ませ宝物庫の前へ歩いてきた。
足音がない。
いや、足音はある。
だが、人間の足音だけではなかった。
石が軋む音。
古い通路が沈む音。
死んだ迷宮の壁が、夢の中で崩れるような音が混じっている。
黒市主は、静かに口を開いた。
「生きているな」
その声は細い。
だが、地下の闇市全体が、その声で静かになった。
ボルムも。
リスカも。
片腕を失った箱喰いのヴァドも。
のラグ・エンザさえ、黙った。
黒市主は、盗ませ宝物庫へ手を伸ばした。
「白い庭、灰の霧、水の腹、影の糸。なるほど。これは新しい迷宮の器官だ」
「器官だと」
余は白い部屋で低く呟いた。
「余の宝物庫を、勝手に解剖するな」
聞こえないはずだ。
だが、黒市主はわずかに顔を上げた。
まるで、遠くから何かを聞いたように。
フィルエが息を呑む。
「少し、聞かれた」
「何?」
「声じゃない。怒りの形」
「……外にいる人間が、余の怒りを見るのか」
「普通じゃない」
黒市主の胸に埋め込まれた黒い石が、わずかに脈打った。
死んだ迷宮の欠片。
それが、こちらの気配に反応している。
黒市主は笑った。
「良い。まだ熱がある。死んだ迷宮の欠片より、ずっとよく鳴る」
その言葉に、余ははっきりと怒りを覚えた。
死んだ迷宮の欠片。
こいつは、それを知っている。
知ったうえで、体に埋めている。
そして、余の迷宮の一部を、同じように扱おうとしている。
「殺すか」
《外部領域です。直接殺害は困難》
「分かっている!」
黒市主が指を鳴らした。
闇市の者たちが、黒い台の周囲に道具を並べ始める。
黒い針。
骨の杭。
白い粉。
割れたコア片。
そして、肉のように湿った布。
ラグが低く言った。
「黒市主、それはですか」
「そうだ」
その場の空気が変わった。
ボルムの顔からも余裕が消えた。
「宝物庫を、剥ぐんですか」
「剥ぐのではない。飼う」
黒市主は、盗ませ宝物庫を見下ろした。
「迷宮の器官は、コアから離れると腐る。だが、死んだ迷宮のを噛ませれば、少しは生きる」
フィルエの声が硬くなった。
「ロード。まずい」
「何がだ」
「あれ、盗ませ宝物庫を死んだ迷宮の欠片に繋ごうとしてる」
「繋がるとどうなる」
「あなたの制御が薄くなる。向こうのものになるかもしれない」
白い部屋の床が、わずかに軋んだ。
余の宝物庫を、奪う。
ただ盗むのではない。
迷宮から切り離し、死んだ迷宮の欠片を餌にして、自分のものにしようとしている。
「管理音声」
《盗ませ宝物庫の接続強度、低下予測》
「対抗しろ」
《迷宮本体から距離があります。通常接続では不利です》
「なら通常ではない方法を出せ」
《候補:盗ませ宝物庫の自壊》
「却下」
《候補:内部報酬の全腐敗》
「却下」
《候補:墓銭札全起動による黒市主への逆接続》
「それだ」
《危険です。黒市主側から逆流される可能性があります》
「だが、噛める」
《はい》
「フィルエ」
「見てる」
「どこを噛めばいい」
フィルエのが細く伸びる。
外。
闇市の奥。
死んだ迷宮の欠片。
黒市主の胸。
その中で、一つだけ他より深く沈んだ黒い石がある。
フィルエが言った。
「胸の真ん中。あれが一番古い。たぶん、黒市主の中心になってる」
「心臓か」
「人間の心臓じゃない。死んだ迷宮の、仮のコア」
「よし」
黒市主が剥核針を盗ませ宝物庫へ刺そうとする。
その瞬間、余は命じた。
「墓銭札、全起動」
《墓銭札、全起動》
盗ませ宝物庫の内側で、黒い札が一斉に開いた。
封印袋に貼り付いた札。
ボルムの靴底に残った札。
リスカの袖に潜んだ札。
ムドとガリから剥がれた灰の残滓。
正式宝箱三号の底材。
盗ませ宝物庫の床。
それらが、一本の黒い線になる。
その線が、黒市主へ向かって走った。
黒市主は笑った。
「来るか」
剥核針が、盗ませ宝物庫へ刺さる。
こちらの黒い線と、向こうの剥核針がぶつかった。
音はなかった。
だが、白い部屋の壁が大きく震えた。
《逆流干渉》
《盗ませ宝物庫、接続不安定》
《黒市主側よりの干渉》
「耐えろ!」
盗ませ宝物庫の中で、灰霧が荒れる。
白磁壁が割れる。
影糸が切れる。
中の白銀磁片が黒く濁りかける。
黒市主の胸の核片が、こちらの接続を噛もうとしている。
死んだ迷宮の欠片が、余の宝物庫を死体の側へ引きずろうとしている。
「フィルエ!」
「ずらす!」
フィルエが白磁床に両手をついた。
命脈紋が光る。
森灰の流れが、盗ませ宝物庫の黒線へ混ざる。
「森灰術・死脈ずらし(しみゃくずらし)」
黒市主の剥核針が狙っていた接続点が、わずかにずれた。
剥核針は、盗ませ宝物庫の中心ではなく、墓銭札の偽の芯へ刺さる。
黒市主の目が細くなった。
「観測者がいるな」
フィルエが息を詰める。
「見られた」
「下がれ」
「まだ」
「下がれと言っている!」
だが、フィルエは下がらない。
黒市主の胸の黒い核片が脈打つ。
剥核針が、もう一本出てくる。
二本目。
三本目。
まるで、死んだ迷宮の根が伸びるように。
「管理音声」
《盗ませ宝物庫の保全率、61%》
「どれくらい耐える」
《このままでは長くありません》
「なら、噛み返す」
《箱喰い返しを使用しますか》
「違う。もっと深く噛む」
《機能未登録》
「登録しろ」
余は、盗ませ宝物庫の奥に置いた墓銭札へ、帰路喰らいの落武者の記録を少しだけ流した。
帰る者を喰う記録。
聖鎖を喰った記録。
契約型退路を噛み砕いた記録。
それを、黒い札へ流す。
《警告。帰路喰らいの特性を外部接続へ使用するのは危険です》
「今さら危険で止まるか」
墓銭札が、ただの追跡印ではなくなる。
帰り道を喰う札。
戻ろうとする線を噛む札。
黒市主の剥核針は、盗ませ宝物庫を自分の側へ引き戻そうとしている。
なら、その“引き戻す道”を喰う。
「墓銭札、帰鎖喰いを一部転写」
《実行》
黒い札が、牙のように変形した。
剥核針が作った黒い道へ噛みつく。
黒市主の眉が初めて動いた。
「ほう」
剥核針が一本、折れた。
闇市の者たちがざわめく。
ボルムが後ずさる。
ラグが叫ぶ。
「引け! それ以上は向こうに噛まれる!」
黒市主は引かなかった。
むしろ、さらに前へ出た。
「面白い」
「面白がるな、人間!」
余は叫んだ。
もちろん届かない。
だが、怒りは形になる。
盗ませ宝物庫の中で、白磁壁が開いた。
箱喰いのヴァドから奪った闇鍵束が、内側で鳴る。
鍵が、一つずつ開く。
宝物庫の中身ではない。
黒市主の胸に埋め込まれた死迷宮核片へ向かう鍵だ。
《闇鍵束、解析反応》
《死迷宮核片への接続鍵を一時形成》
「開けろ」
鍵が回る。
黒市主の胸の核片が、一瞬だけ開いた。
その奥に、死んだ迷宮の記憶が見えた。
暗い沼。
骨の橋。
錆びた鐘。
誰もいない玉座。
コアを失い、ロードを失い、剥がされ、売られ、人間の胸へ埋められた迷宮の欠片。
それが、まだ呻いていた。
余は、声を失った。
迷宮の死骸。
本当に、死骸だった。
黒市主はそれを身に着けている。
使っている。
商品にしている。
腹の奥に、冷たい怒りが沈む。
「……フィルエ」
「うん」
「今の、見たか」
「見た」
「許せるか」
「許せない」
「なら、少し持って帰る」
《危険です》
「黙れ」
盗ませ宝物庫の墓銭札が、開いた核片の奥へ牙を立てた。
黒市主が初めて顔を歪める。
「それは、売り物だ」
売り物。
死んだ迷宮の欠片を、売り物と言った。
「そうか」
余は静かに言った。
「では、買い取ろう。代金は痛みだ」
墓銭札が、死迷宮核片の欠けた一部を噛み千切った。
黒市主の胸から、黒い光が散る。
闇市の空気が震える。
黒市主が一歩下がった。
初めて。
《死迷宮核片の欠片を取得》
《名称未登録素材:死迷宮核片小片》
《外部接続限界》
《盗ませ宝物庫、保全率39%》
「戻せ」
《遠隔回収は不可能です》
「では、情報だけでも持ち帰れ」
《墓銭札経由で転写します》
盗ませ宝物庫の中で、奪った小片が一瞬だけ光り、すぐに灰となった。
物体としては持ち帰れない。
だが、その構造は墓銭札を通じて迷宮へ転写される。
白い部屋の床に、黒い破片の図が浮かんだ。
《死迷宮核片小片:構造記録取得》
「よし」
黒市主は胸を押さえていた。
血は出ていない。
代わりに、黒い灰が指の間から落ちている。
だが、死んではいない。
むしろ、笑っていた。
「霧灰白庭迷宮」
その名を、黒市主が口にした。
余は凍りついた。
「今、何と言った」
《外部音声:霧灰白庭迷宮》
「なぜ知っている」
黒市主は笑った。
「いい名だ。灰と白と霧の庭。生きた迷宮の名だ」
フィルエが低く言った。
「ロード。こいつ、名前を見た」
「どこから」
「墓銭札と、あなたの怒りから」
黒市主が、こちらを見ている。
距離など関係ないように。
闇市の奥から、白い部屋の方を見ている。
「また取引しよう」
黒市主は言った。
「今度は、もっと深いものを持ってこい。こちらも、もっと良い死骸を見せてやる」
「ふざけるな」
余は低く言った。
届かないはずだ。
だが、黒市主は笑った。
「聞こえたぞ、ロード」
その瞬間、墓銭札の接続が切れた。
盗ませ宝物庫の視界が黒く潰れる。
白い部屋の床から、闇市の映像が消えた。
《外部接続、遮断》
《盗ませ宝物庫、制御不能》
《墓銭札残存反応、微弱》
白い部屋に沈黙が落ちた。
余は、しばらく何も言わなかった。
フィルエも黙っていた。
やがて、管理音声が淡々と告げる。
《取得情報を整理します》
⸻
闇市情報:
・黒市組合の奥に黒市主が存在
・黒市主は死んだダンジョンの核片を身体に埋め込んでいる
・死迷宮核片を用いて、迷宮器官を外部で飼う技術を保有
・正式名称「霧灰白庭迷宮」を一部認識
・盗ませ宝物庫は制御不能
・死迷宮核片小片の構造記録を取得
現在保有ソウル:27,590
⸻
「……最悪だな」
《危険度が高い接触でした》
「だが、得たものもある」
《はい》
死迷宮核片小片。
死んだ迷宮の構造記録。
そして、黒市主という存在。
闇市は、ただの宝泥棒ではなかった。
迷宮の死骸を売買する場所。
死んだダンジョンの欠片を、体に埋める人間がいる場所。
これは、放置できない。
「フィルエ」
「うん」
「黒市主は、敵だ」
「うん」
「墓銭拾いより、ずっと厄介な敵だ」
「うん」
「だが今すぐ殺せぬ」
「外にいるから」
「ああ」
余は白い部屋の床に浮かぶ黒い破片の図を見た。
「なら、まず調べる」
《死迷宮核片小片の解析を開始しますか》
「開始しろ」
《危険です》
「分かっている」
《死んだ迷宮の構造が、霧灰白庭迷宮へ汚染をもたらす可能性があります》
「隔離して調べる」
《隔離区画が必要です》
「作れ」
《区画名を設定しますか》
余は少し考えた。
死んだ迷宮の欠片を調べる場所。
黒市主への手がかり。
そして、ロード不在迷宮やダンジョンブレイクへも繋がるかもしれないもの。
「」
《死核隔離室、仮設定》
フィルエが、小さく息を吐いた。
「また危ないものが増えた」
「そうだな」
「でも、見ないと危ない」
「お前が言うと説得力がある」
「でしょ」
余は笑わなかった。
黒市主。
死迷宮核片。
闇市。
余の正式名を知った人間。
新しい敵だ。
かなり、厄介な敵だ。
だが、同時に。
少しだけ、胸が高鳴っていた。
宝を盗ませたら、闇市の奥が見えた。
闇市の奥には、迷宮の死骸を着た人間がいた。
そして、そいつは余の名を呼んだ。
これは、ただの防衛戦ではない。
迷宮の死骸を巡る戦いになる。
「黒市主」
余は白い部屋の中央で告げた。
「余の名を知ったな」
床下で戻り水が低く鳴る。
影縫い大蜘蛛の糸が震える。
グズが泥門を叩く。
夜棺白庭の奥で、古血の棺がほんのわずかに軋んだ。
「なら、次はこちらがお前の名を暴く」